2016/03/19

大学新入生諸君へ (2016)

この春に大学進学する皆さんに、いっぱしの社会人としてちょっとだけ伝えておきたいこと。

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① 大学入試の合格難度=学力偏差値は、もう忘れなさい

そもそも学力偏差値とは、なんだろうか?
まず、「知識の量」。
次に 「知識の組み合わせの速度」。
これらを測定する以上は、必ず何らかの 「特定方向」 に則っている。
ところが一方で、我々の知性はそもそも 「不特定のあらゆる方向」 を同時に向いている。
だから、或る特定の学力偏差値のみで、我々のすべての知性を量的に表現することは出来ない。
かつ、我々のすべての知性を量的に表現する手法など、無い。

ちょっと具体的にいえば ─
あるところに、木が植わっているとするでしょう?
その木の硬さ、柔らかさ、高さ、太さ、重さ、浸透圧、葉の形状、光合成効率、セルロース量、根っこの長さ、土壌や微生物反応まで…全てを一本化して表現する手法など無いってこと。

さらに。
学力偏差値は、知識と知性の対称性をも珍妙に表現している。
みんなが知っているあったりまえの常識を、おのれも知っている場合、その常識に対しての学力偏差値は最低になるでしょう。
一方で、だーれも知らない知識をおのれだけが習得しちゃった場合、その対象に対しての学力偏差値は最高になるよね。
では、どちらが知性が高いのか、判定出来ますか?
こんな賭けオッズみたいな数値に拘るのは、もうやめなさいよ。

なによりも決定的なこと。
大学自身、みずからの入試偏差値など設定していない。
偏差値70以上の秀才は、おことわり ─ などと公知している大学があるだろうか?

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② 大学は、あらゆる 「不特定の知性」 を対象とし、かつ発揮しうるところ。

我々にはいろいろな知性がおこる。
近視眼型の知性もあれば、遠視眼型の知性もある。
専門型の知性もあれば、分業型の知性もある。
酸化型の知性もあれば、還元型の知性もある。
それらが入れ子になり、気まぐれに入れ替わり、浮かんでは消えて、またいつか沸き起こる。
だから考え続けることが楽しい。

ある種の「知識」に対して大学から制限がかかることは、むろんありうる。
しかし、我々が不特定かつ随意に発揮する「知性」に対し、大学が制限をかけることはない。
(というか、人間が人間に対して知性の制限など課せられるわけがない。)

大学には、完成形などない。
だから、君たちは大学に一方的に学びに行くのではない。
おのが知性の試行錯誤をもって、大学をつくりに行くのだ。
もっとポジティヴにいえば、君たち自身が大学に「なる」。
そのくらいの気構えで丁度よいのだ。

大学生活、その第一歩は、何でもいいからおのれの知性=思考の軸をとりあえず設定することかな。
そこから手足を徐々に伸ばして、ギヤを増やす。
それでこそ、新たに軌道修正も軸の交換も可能になる。

以上