2016/05/21

【読書メモ】 交流のしくみ

『交流のしくみ 森本雅之・著 講談社Blue Backs
本書は、電気の諸特性から実践応用まで、簡易明瞭な図示を併せつつ平易な文体をとって書きすすめられた快作だ。

本書前半部にて取り上げられている基本事項は、電荷、電流、電位電圧、電力、オームの法則、ジュール熱、交流インピーダンス、コイルとコンデンサと位相差、モーター、発電などなど…、どれも高校物理学の教科書にてお馴染みのもの。
もっとも、本書の真骨頂は第12章以降、サブタイトルにもあるパワーエレクトロニクス」の概説箇所である。
電力の自在な変換技術としてのパワーエレクトロニクス概説、直流→交流のインバータ回路コンセプト、正弦波の電圧変動の実現技術、さらには未来技術に向けての交流と直流の再評価や展望へと論が展開していく。
あらためて高校物理学を引き合いに出せば、この交流インバータ以降の技術論はほとんど履修対象とされていない由。
だからこそ本書は、高校物理にて電気をかじりかけた人たちにとって是非とも薦めたい一冊である。

よって、以下に僕なりの読書メモとして、概ね第12章以降について略記する。
※ なお、数式についてはここでは引用避けるが、それは僕が理解及ばぬためでは断じてなく、もちろん電力や熱量や位相の算出方法くらい僕だって分かってんの、ただ記載に間違いあってはならぬと案じてのこと。


・いわゆるパワーエレクトロニクスとは、電圧と電流に加えて周波数と位相をもコントロールし、電力の「形」を自在に変換する技術のこと。
順変換(交流を直流に整流変換)、直流変換、交流の周波数変換、逆変換(直流を交流に変換=インバータによる)が可能。

パワーエレクトロニクスにおける基本動作は、回路において負荷抵抗にかかる電圧を調整するための、「高速オン/オフ スイッチング」。
高電圧(そして大電流)の高速スイッチングこそが、パワーエレクトロニクスの基幹技術であり、インフラから家電製品までふくめた業際的な実用化へのキーファクターである。
とりわけ、電力量相応の重量が不可避であった変圧器が、パワーエレクトロニクスによって不要となってきたことが大きい。

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・直流回路のスイッチングの オン/オフ時間比(デューティファクター)」が、負荷抵抗にかかる「平均電圧」を決め、ここでかかる電圧は断続的な電圧(および電流)の矩形波」パルス
オンの回数=スイッチング周波数は1kHz 以上から、IGBT(絶縁ゲート型バイポーラトランジスタ)による 10kHz 以上まで実現可能。 

この電圧パルスを「平滑化」するため、インダクタンス(コイル)とダイオード半導体を活かす。
直流回路において、スイッチがオンの状態では、電流がインダクタンスでエネルギーとして蓄積しつつ、また誘電起電力によって電流が負荷抵抗に放出され、その電流が電源に還る。
今度はスイッチがオフになると、インダクタンスに蓄積されたエネルギーはやはり負荷抵抗に電流を放出するが、負荷抵抗からの電流は電源ではなくダイオードに流れ、ダイオードは逆極性ゆえにまたインダクタンスに電流を送る
…つまりこちらのタイミングでは、電源を経ずに電流がまわる。
こうして、スイッチオン/オフのいずれの状態でも、負荷抵抗に送られる電流とその電圧は間断することなく、周期的に脈動する。

さらに、この直流回路にコンデンサを噛ませると、電圧がほぼ平滑化されるので、電流の脈動も更に小さくなる(オームの法則のとおり)。

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・パワーエレクトロニクス技術は、とりわけ「直流の交流への変換、および交流電力の出力調整技術」 において活用されている。
これを可能とするのがインバータ回路であり、その基本回路コンフィグにはハーフブリッジ型、フルブリッジ型、さらに正弦派変動の電圧を生み出すPWM制御型がある。

ハーフブリッジインバータ回路の基本構成は、2つの直流電源と2つのスイッチが、同じ1つの負荷抵抗に対して直列接続を成しているもの。
ここで、2つのスイッチをショートせぬよう交互にオン/オフさせると、負荷抵抗への電流はそのたびに逆方向となる ─ つまり交流電流となっている。
ただ、これはどの瞬間においても2つの直流電源のうち1つしか使っておらず効率が悪い。
一方で、フルブリッジインバータ回路では、1つの電源と1つの負荷抵抗をおき、プラス回路とマイナス回路の2重構造接続とし、スイッチは完全なオン/オフではなくこれら回路切り替えを成すものとして、同様に負荷抵抗に交流を作り出す。
どちらにせよ、負荷抵抗にかかる交流電圧(と電流)は矩形波パルスである。

ここで、上に引用のように、スイッチングのオン/オフの時間比(デューティファクター)を活かし、平均電圧を調整できる。
さらにインダクタンスとダイオードとコンデンサを活かして、電圧変動の平滑化までも可能。
しかし、「本当の交流電圧(と電流)」をつくりだすためには、電圧変動が正弦波を成さなければならない。
そこで用いられているのが、PWM(パルス幅変調)技術である。
これは出力したい交流の正弦波と、それより周波数高い三角波の信号を生成し、これらの大小に応じてスイッチオン/オフのタイミングを変化させることで、たとえばオン時間に負荷抵抗にかかる電圧が正弦波をとるようにするもの。

ここまでが、直流の単相交流への変換インバータの概要。
実際には三相交流の特性も活かしつつ、複合的な交流電圧アプリケーションがこんごもどんどん考えられる。
コンピュータによる制御技術の向上をともなって、回路のスイッチオン/オフの高速化と交流生成の精密化はさらに進むだろう。

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ざっとこのへんまで、僕なりに大雑把に拾ってみたテクニカルアブストラクト。

さて本書の最終段にては、高校教科書にも一部引用されている直流と交流それぞれの技術/工業上のメリット論が続々展開されており、パワーエレクトロニクスの向かいうる様々な方向を示唆している。
たとえば ─ 

古くは1970年、地下鉄のパンタグラフ入力の直流電圧とモータ回転への供給電圧の調整のため、直流電圧を断続的に(チョッパーとして)変動調整…これにより、運行車両における電圧の自在な調整が可能となり、総じた発熱量を抑えることが出来るようになった由。
また、OA器具にて交流入力を充電器やACアダプタにて用いるにあたり、パワーエレクトロニクス技術により直流として調整変換(整流)が可能となったため、従来の交流電圧の変圧器が不要となり、総じて軽量化がすすんだ、などなど。

さらには、UPS(無停電電源装置)などにおける直流一本化への是非判断、燃料電池や太陽電池における直流給電と家庭内器具における電圧仕様のばらつき。
そして、ネオジム磁石と交流インバータ技術で精密な制御が可能となった「同期モーター」の活用事例も。(家庭用クーラーのコンプレッサ、小型化がすすむドラム式洗濯機、自動車の発電機にても同期モーターは使われている。)

いかがだろうか。
パワーエレクトロニクス(とくに交流インバータ回路)の可能性につき、ひとえに工業技術論としてのみならず、産業論として捉えてみても、こんごのフィジカルな未来予測の重要なヒントたりえるではないか。
とくに理数系選択の学生諸君、医学や薬学も面白いかもしれないけど、どうかね、ちょっと寄り道してみては。もしかしたら志望分野が変わるかもしれないよ(笑)

以上

2016/05/01

【読書メモ】 ホワット・イフ ?

WHAT IF 野球のボールを光速で投げたら)… ランドール・マンロー 著 早川書房
サブタイトルは、"Serious Scientific Answers To Absurd Hypothetical Questions"

我々日本人にとって、 「why / because」 の論題は人の心のうちに静的に共有されまた消えていく場合が少なくない。
しかしヨーロピアンにとっては、「why / because」 は 「what」 の中にあり、その 「what」 の在りようをダイナミックに論理立てているのが物理学と数学である。
本著者こそはそんなヨーロピアンのマインドセット体現者そのものではないか ─ 物理学を議論のベースに据え、そこから数学的に演繹(帰納)し、だから仮説の設定は自由自在、一方では特定の権威学説にはほとんど触れていない。
さらに、さまざまな想定と検証において通貨(コスト)要因は極力無視するという、本格派のマテリアリズム=市場経済センスがここにあある。

さて、此度ここに紹介するのは昨年初版の日訳本、しかし日本語とはいえここまで笑わせてくれる本も珍しい。
多くのファンから公開サイトに寄せられた無作為で突拍子もない(absurd)質問の数々、それらに対して本著者が科学思考を堅持しつつもユーモラスな「仮説」を打ち立てていく形式。
やや精緻な論理を動員させる仮説展開もある; たとえば、ツイッターメッセージの可変性についてシャノンの情報理論まで引用した数学/言語論、さらにまた、幹細胞を応用した人間の無性生殖がもたらす近交リスクのモデル化などなど…。
そうかと思えば一方では、プラスティック爆弾をくくりつけたブーメランの有用性など、思わず吹き出してしまうようなバカバカしい仮説も随所に散りばめられ、企業や大学でのコーヒーブレイクに通じる気さくさも忘れてはいない。

それでは、僕なりに唸らされたコラムを幾つか、以下に列記しておくことにする。



『ヘアドライヤー』 
使用電力が1875wのヘアドライヤーが連続駆動中であり、これは(なぜか)絶対に壊れない素材で出来ているとする。
さらに、このドライヤーは1立方メートルの密閉箱の中に在り、この立方体の密閉箱も(なぜか)絶対に破損も溶解もしない素材のものとする。
ここで、この立方体中のドライヤーの使用電力を10倍、さらに10倍…と引き上げていったとき、この立方体に何が起こるだろうか?
なんといっても、本書にて最も笑わせてもらった傑作の思考実験エッセイだ。なぜこんなこと考えるのかなどと循環思考に留まっているうちは、理数系には向かないのだ(笑)

まず、このヘアドライヤーの初めの使用電力が1875wであれば、この熱エネルギーによって立方体の壁温度は60℃に達し、ここでとりあえず中のドライヤーの発熱速度と、立方体からの外部への熱消失の速度が等しくなっている。
(この系全体の熱エネルギーが平衡状態。)
次に、ヘアドライヤーの使用電力が18750wとなると、立方体の壁温度は200℃を超える。
さらに、ヘアドライヤーの使用電力が187500wとなると、立方体の壁温度は600℃。
さらに、1.875M(メガ)wとなれば立方体の壁温度は溶岩と同じくらいになっている (ちなみに2Mwの熱エネルギーをレーザーに供給すればミサイルが破壊できる。)

このようにどんどんヘアドライヤーの使用電力を上げていくと。
たとえば187.5T(テラ)wの時点で、世界中の電気機器の全出力を上回っている。
そしていまやこの立方体は、おのれがもたらす火災と上昇気流でとっくに宙空を飛行中であり、毎秒3回の核爆発に相当する熱エネルギーを放出している。
そして恐るべきスピードで地球表面を破壊し、さらに大気圏内外を飛び回り…

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『フェデックスのデータ伝送速度』
インターネットのデータ伝送速度がフェデックス社のそれを超えるのは、いつのことか?
フェデックス(FEDEX) とは世界最大手の「貨物」物流会社の名称。ここに展開される論考はデータとネットのありようを再考させるなかなか深遠な洞察であり、僕なりに経験的に考えさせられてきた主題のひとつでもある。

たとえば数百ギガバイトの巨大なデータの場合でも、いまのところ、インターネットで伝送するより、それらデータをハード記録媒体に収めてフェデックスで移送した方がはるかに速い (コストはともかくとして)。
まず、現在までのところ、インターネットの伝送トラフィック総量は毎秒平均167テラビット。
一方でフェデックス社は654機の飛行機を保有し、1日あたりで1万2千トンまで物流移送が可能、これら飛行機に(データを1テラバイトまで収録可能な)SSDを詰め込んで移送するとしたら ─ 毎秒換算で14ペタビット相当のデータ量を移送可能となり、このデータ量はインターネット伝送可能量の100倍近い。
まして、もしmicroSSDにデータを収録しつつ、同条件でフェデックス移送するとしたら、毎秒換算で177ペタビット相当のデータ量を移送可能、これはネット伝送可能量の1000倍となる。

試算によれば、インターネットのトラフィック許容量は毎年約29%ずつ増加、この増え方を勘案すれば、2040年にはネットの伝送可能量がフェデックスでの同データ物流移送量に追いつきうる。
また、マルチコアの光ファイバー回線によって毎秒1ペタビット以上のネット伝送が可能となり、そしてそんな回線が200本以上あったら…フェデックスでの物流移送よりもネット伝送の方がデータ量は大きくなりうる。
ただし、一方ではハード記録媒体もまたデータ収録量を増やし続けていくだろう。

そもそも ─ ネットでの伝送容量がハード記録媒体の容量と同じになる(あるいは超える)、などということがありうるだろうか?
既に何らかのハード媒体に記録されたデータ量に因ってこそ、それらデータのネット伝送容量も増やされていく、だから、ネット伝送容量そのものがハード媒体記録量に追いつく(追い越す)という仮説自体がおかしい。
それに、ネット伝送容量がどんなふうに求められどのくらい増えていくかも検証しようがない。

なお、インターネットそのものも何らかの物理的実在だ。
これを維持運用するために、フェデックス方式で何らかのマテリアルの物流移送が常に必要、そしてそのオペレーションにかかるコストも馬鹿にならない。

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『人間コンピュータ』
コンピュータと人間は、どちらが「優秀」だろうか?どうやって比較すればよいのだろうか?

コンピュータが/あるいは人間が1秒間あたりに処理出来るコマンドの速度、これを MIPS (million instructions per second) として一律に単位表現することとする。
一方でまた、世界中に実在するあらゆるIT機器のトランジスタの数もとりあえずは把握出来る。
これら速度単位、世界のトランジスタ数、そして全世界人口から、「全世界のコンピュータ vs 全世界の人間」 の計算能力を比較してみれば -
1977年に世界のコンピュータの計算能力合計は、当時の世界全人類の計算能力合計とほぼ同等だった。
1994年、インテルが発表のマイクロプロセッサ486DXあたりから、プロセッサ1つの計算処理速度が60MPISに近づき、これによって、たった1台のラップトップコンピュータの計算処理速度が全人類の計算能力合計を上回り始めた。
以降、マイクロプロセッサ1つの計算処理速度が、全人類の能力合計をどんどん引き離す一方である。

だが、真逆のアプローチもある。
人間1人の脳の「複雑な」思考活動を(シナプスレベルに至るまで)コンピュータでシミュレートさせるとすると、なんと少なくとも1015個ものトランジスタが必要になる、との試算あり。
これに準じて比較すれば、全世界に存在するトランジスタの計算能力の合計が人間1人の「脳の複雑さ」に追いついたのが1988年。
仮に、(いわゆるムーアの法則により) こんごのトランジスタの生産数と処理能力がさらに飛躍的に増大すると見こんだとしても、全世界のコンピュータが全人類の「脳の複雑さ」に追いつくのは2036年ということになる???

このように、コンピュータを基準に据えた人間の計算処理能力と、人間の複雑さを基準においたコンピュータ(トランジスタ)の計算処理能力は、とてつもなく非対称な数値となってしまう。
(ただ、この論が面白いところは、いわゆる数学が何のために何を求めているのか、更にさらに考えさせてくれるところだ。)

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『魂の伴侶』
自分にとっての「ただ一人の最高の伴侶=ソウルメイト」が、この地球上に無作為に存在しうる、と仮定する。
そのソウルメイト同士の男女が、おのれの生存中にこの地球で出会うことはありうるだろうか?

過去に存在した(もうとっくに死んでしまった)人間、あるいはこれから生まれい出る人間まで、おのれのソウルメイトの候補者としたら…
いや、そこまで考えたら、ソウルメイトの限定的な定義が出来なくなり、だから出会いも定義出来なくなってしまう。

そこで、ここでのソウルメイトは自分と年齢が2,3歳しか違わない、と限定してみると、ソウルメイトで「ありうる」人間は現地球上に約5億人存在することになる。
ただし、お互いがソウルメイトであることを自覚する要件として、「直接目と目を合わせた瞬間」に、ああこの人こそがあたしの人だと気づくことにする…と、おのれが一生涯のうちに「出合いうる」ソウルメイト候補者は約5万人。
ここまで要件を絞り込むと、「ソウルメイトたりうる」人数に対する 「一生涯のうち出会いうる」 の人数比は、わずか1万分の1でしかない。
とはいえ、ウェブカメラなどを使って間接的に目と目を数秒間合わせただけで、ああこの人こそがソウルメイトとだ互いに直観しうる、そんなネットシステムが実現したとしたら。
地球上すべての人間をソウルメイト同士で結ばせるのに2,30年で済むとの試算も可能であり…
(もういい加減バカバカしい試算だ。)

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以上、ざっと挙げてみた。
本書にては他にも、地球の自転が急停止する、野球ボールを光速で投げる、元素周期表を元素そのもので作成する、レゴブロックで大西洋をつなぐ、星の王子さまの生存可能性…、といった具合に無邪気な問いかけが次から次へと。
これら質問に対して、(たぶん)イヤな顔ひとつせずに論理展開と仮説構築にあたり続けているであろう、本著者の度量。
理数的な知性と度量のサイズはじつは同質なのではないか、と、今更ながら考えさせられる次第。