2016/05/01

【読書メモ】 ホワット・イフ ?

WHAT IF 野球のボールを光速で投げたら)… ランドール・マンロー 著 早川書房
サブタイトルは、"Serious Scientific Answers To Absurd Hypothetical Questions"

我々日本人にとって、 「why / because」 の論題は人の心のうちに静的に共有されまた消えていく場合が少なくない。
しかしヨーロピアンにとっては、「why / because」 は 「what」 の中にあり、その 「what」 の在りようをダイナミックに論理立てているのが物理学と数学である。
本著者こそはそんなヨーロピアンのマインドセット体現者そのものではないか ─ 物理学を議論のベースに据え、そこから数学的に演繹(帰納)し、だから仮説の設定は自由自在、一方では特定の権威学説にはほとんど触れていない。
さらに、さまざまな想定と検証において通貨(コスト)要因は極力無視するという、本格派のマテリアリズム=市場経済センスがここにあある。

さて、此度ここに紹介するのは昨年初版の日訳本、しかし日本語とはいえここまで笑わせてくれる本も珍しい。
多くのファンから公開サイトに寄せられた無作為で突拍子もない(absurd)質問の数々、それらに対して本著者が科学思考を堅持しつつもユーモラスな「仮説」を打ち立てていく形式。
やや精緻な論理を動員させる仮説展開もある; たとえば、ツイッターメッセージの可変性についてシャノンの情報理論まで引用した数学/言語論、さらにまた、幹細胞を応用した人間の無性生殖がもたらす近交リスクのモデル化などなど…。
そうかと思えば一方では、プラスティック爆弾をくくりつけたブーメランの有用性など、思わず吹き出してしまうようなバカバカしい仮説も随所に散りばめられ、企業や大学でのコーヒーブレイクに通じる気さくさも忘れてはいない。

それでは、僕なりに唸らされたコラムを幾つか、以下に列記しておくことにする。



『ヘアドライヤー』 
使用電力が1875wのヘアドライヤーが連続駆動中であり、これは(なぜか)絶対に壊れない素材で出来ているとする。
さらに、このドライヤーは1立方メートルの密閉箱の中に在り、この立方体の密閉箱も(なぜか)絶対に破損も溶解もしない素材のものとする。
ここで、この立方体中のドライヤーの使用電力を10倍、さらに10倍…と引き上げていったとき、この立方体に何が起こるだろうか?
なんといっても、本書にて最も笑わせてもらった傑作の思考実験エッセイだ。なぜこんなこと考えるのかなどと循環思考に留まっているうちは、理数系には向かないのだ(笑)

まず、このヘアドライヤーの初めの使用電力が1875wであれば、この熱エネルギーによって立方体の壁温度は60℃に達し、ここでとりあえず中のドライヤーの発熱速度と、立方体からの外部への熱消失の速度が等しくなっている。
(この系全体の熱エネルギーが平衡状態。)
次に、ヘアドライヤーの使用電力が18750wとなると、立方体の壁温度は200℃を超える。
さらに、ヘアドライヤーの使用電力が187500wとなると、立方体の壁温度は600℃。
さらに、1.875M(メガ)wとなれば立方体の壁温度は溶岩と同じくらいになっている (ちなみに2Mwの熱エネルギーをレーザーに供給すればミサイルが破壊できる。)

このようにどんどんヘアドライヤーの使用電力を上げていくと。
たとえば187.5T(テラ)wの時点で、世界中の電気機器の全出力を上回っている。
そしていまやこの立方体は、おのれがもたらす火災と上昇気流でとっくに宙空を飛行中であり、毎秒3回の核爆発に相当する熱エネルギーを放出している。
そして恐るべきスピードで地球表面を破壊し、さらに大気圏内外を飛び回り…

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『フェデックスのデータ伝送速度』
インターネットのデータ伝送速度がフェデックス社のそれを超えるのは、いつのことか?
フェデックス(FEDEX) とは世界最大手の「貨物」物流会社の名称。ここに展開される論考はデータとネットのありようを再考させるなかなか深遠な洞察であり、僕なりに経験的に考えさせられてきた主題のひとつでもある。

たとえば数百ギガバイトの巨大なデータの場合でも、いまのところ、インターネットで伝送するより、それらデータをハード記録媒体に収めてフェデックスで移送した方がはるかに速い (コストはともかくとして)。
まず、現在までのところ、インターネットの伝送トラフィック総量は毎秒平均167テラビット。
一方でフェデックス社は654機の飛行機を保有し、1日あたりで1万2千トンまで物流移送が可能、これら飛行機に(データを1テラバイトまで収録可能な)SSDを詰め込んで移送するとしたら ─ 毎秒換算で14ペタビット相当のデータ量を移送可能となり、このデータ量はインターネット伝送可能量の100倍近い。
まして、もしmicroSSDにデータを収録しつつ、同条件でフェデックス移送するとしたら、毎秒換算で177ペタビット相当のデータ量を移送可能、これはネット伝送可能量の1000倍となる。

試算によれば、インターネットのトラフィック許容量は毎年約29%ずつ増加、この増え方を勘案すれば、2040年にはネットの伝送可能量がフェデックスでの同データ物流移送量に追いつきうる。
また、マルチコアの光ファイバー回線によって毎秒1ペタビット以上のネット伝送が可能となり、そしてそんな回線が200本以上あったら…フェデックスでの物流移送よりもネット伝送の方がデータ量は大きくなりうる。
ただし、一方ではハード記録媒体もまたデータ収録量を増やし続けていくだろう。

そもそも ─ ネットでの伝送容量がハード記録媒体の容量と同じになる(あるいは超える)、などということがありうるだろうか?
既に何らかのハード媒体に記録されたデータ量に因ってこそ、それらデータのネット伝送容量も増やされていく、だから、ネット伝送容量そのものがハード媒体記録量に追いつく(追い越す)という仮説自体がおかしい。
それに、ネット伝送容量がどんなふうに求められどのくらい増えていくかも検証しようがない。

なお、インターネットそのものも何らかの物理的実在だ。
これを維持運用するために、フェデックス方式で何らかのマテリアルの物流移送が常に必要、そしてそのオペレーションにかかるコストも馬鹿にならない。

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『人間コンピュータ』
コンピュータと人間は、どちらが「優秀」だろうか?どうやって比較すればよいのだろうか?

コンピュータが/あるいは人間が1秒間あたりに処理出来るコマンドの速度、これを MIPS (million instructions per second) として一律に単位表現することとする。
一方でまた、世界中に実在するあらゆるIT機器のトランジスタの数もとりあえずは把握出来る。
これら速度単位、世界のトランジスタ数、そして全世界人口から、「全世界のコンピュータ vs 全世界の人間」 の計算能力を比較してみれば -
1977年に世界のコンピュータの計算能力合計は、当時の世界全人類の計算能力合計とほぼ同等だった。
1994年、インテルが発表のマイクロプロセッサ486DXあたりから、プロセッサ1つの計算処理速度が60MPISに近づき、これによって、たった1台のラップトップコンピュータの計算処理速度が全人類の計算能力合計を上回り始めた。
以降、マイクロプロセッサ1つの計算処理速度が、全人類の能力合計をどんどん引き離す一方である。

だが、真逆のアプローチもある。
人間1人の脳の「複雑な」思考活動を(シナプスレベルに至るまで)コンピュータでシミュレートさせるとすると、なんと少なくとも1015個ものトランジスタが必要になる、との試算あり。
これに準じて比較すれば、全世界に存在するトランジスタの計算能力の合計が人間1人の「脳の複雑さ」に追いついたのが1988年。
仮に、(いわゆるムーアの法則により) こんごのトランジスタの生産数と処理能力がさらに飛躍的に増大すると見こんだとしても、全世界のコンピュータが全人類の「脳の複雑さ」に追いつくのは2036年ということになる???

このように、コンピュータを基準に据えた人間の計算処理能力と、人間の複雑さを基準においたコンピュータ(トランジスタ)の計算処理能力は、とてつもなく非対称な数値となってしまう。
(ただ、この論が面白いところは、いわゆる数学が何のために何を求めているのか、更にさらに考えさせてくれるところだ。)

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『魂の伴侶』
自分にとっての「ただ一人の最高の伴侶=ソウルメイト」が、この地球上に無作為に存在しうる、と仮定する。
そのソウルメイト同士の男女が、おのれの生存中にこの地球で出会うことはありうるだろうか?

過去に存在した(もうとっくに死んでしまった)人間、あるいはこれから生まれい出る人間まで、おのれのソウルメイトの候補者としたら…
いや、そこまで考えたら、ソウルメイトの限定的な定義が出来なくなり、だから出会いも定義出来なくなってしまう。

そこで、ここでのソウルメイトは自分と年齢が2,3歳しか違わない、と限定してみると、ソウルメイトで「ありうる」人間は現地球上に約5億人存在することになる。
ただし、お互いがソウルメイトであることを自覚する要件として、「直接目と目を合わせた瞬間」に、ああこの人こそがあたしの人だと気づくことにする…と、おのれが一生涯のうちに「出合いうる」ソウルメイト候補者は約5万人。
ここまで要件を絞り込むと、「ソウルメイトたりうる」人数に対する 「一生涯のうち出会いうる」 の人数比は、わずか1万分の1でしかない。
とはいえ、ウェブカメラなどを使って間接的に目と目を数秒間合わせただけで、ああこの人こそがソウルメイトとだ互いに直観しうる、そんなネットシステムが実現したとしたら。
地球上すべての人間をソウルメイト同士で結ばせるのに2,30年で済むとの試算も可能であり…
(もういい加減バカバカしい試算だ。)

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以上、ざっと挙げてみた。
本書にては他にも、地球の自転が急停止する、野球ボールを光速で投げる、元素周期表を元素そのもので作成する、レゴブロックで大西洋をつなぐ、星の王子さまの生存可能性…、といった具合に無邪気な問いかけが次から次へと。
これら質問に対して、(たぶん)イヤな顔ひとつせずに論理展開と仮説構築にあたり続けているであろう、本著者の度量。
理数的な知性と度量のサイズはじつは同質なのではないか、と、今更ながら考えさせられる次第。