2016/04/11

【読書メモ】 戦後経済史は嘘ばかり

戦後経済史は嘘ばかり  高橋洋一・著 PHP新書』
本著者の高橋洋一氏は、言わずと知れた我が国最高峰の経済政策提唱者、肩書きも実績もあまりに巨大ゆえ、敢えて記さない。
まず、タイトルこそ経済史なれど、本書は経済政策論そのもの、そして極めて一貫している。

本書におかれた経済政策論を、ざっと僕なりに概括すれば;
「経済とは、マクロのキャパシティとして捉えるべき定量的=数理的なシステムである。
マクロ経済政策は、最も流動性の高い財貨つまりカネの上限量抑制に留まるべきであり、ミクロの(民間市場の)随意的な需要供給のダイナミズムを潰してはならぬ。
逆に、もろもろのミクロ経済活動が、マクロキャパシティの最適化を導くことはない。
このマクロとミクロの因果関係を逆転させ、特定のミクロ事情を軸に据えてマクロ経済を統制はかり、民間の自由な需要供給活動を損ねる連中は許し難い。
(こうして概括してみれば、どこか人体と血流血圧のかかわりにも似ていなくもない。) 」

そもそも、我々はおそらく誰しもが、理系文系も職業も問わず、統制経済の幻想をどこか思念上のボトムラインとして据えてしまってはいないだろうか?
あらためて、我々はおのれの浅薄さについて、そして先人たちの智慧について、本書から謙虚に学び取るべきである。

本書のコアエッセンスはまこと深遠、おいそれと反論のしようがないソリッドなパワー、それでいて、数学通と自認される氏の明示的かつ段階的な文面は実に涼やかで読み易い
かつ、脇を固める日銀や省庁などのカラフルなエピソードは一層平易にセーヴされた文面にて、ユーモラスなほど反復的に書き進められている。
ゆえに、定量的=数理的な洞察の書としても、また人間の定性的な可笑しさを突いた事情本としても、本書をここで紹介したくなった。
以下、あくまで僕なりの留意事項として列挙しおく。


・終戦後の日本経済の生産量回復は、占領軍による重油、原料炭、鉄鉱石など基礎材料の量的な援助によるところが極めて大きい。
アメリカからのエロア資金(経済復興資金)が、これら輸入を可能とした。
この結果、従来の民生品工場が原材料調達が可能となった。
一方、この過程にて、日本政府による傾斜生産方式の推進はほとんど貢献していない。

復興金融公庫と復金債(日銀引受)の意義は、市場全体への資金供給であり、政策金融として特定業界へ優遇融資するためではない。
当時始まっていたインフレは、復金債によるカネのダブつきではなく、生産供給力が貧弱であったためにすぎない。

なお、復興金融公庫を吸収した日本開発銀行(日本政策投資銀行)は、公金を元手に民間の市場金利を下回る低金利で、企業の設備投資に融資。
これが不自然な低金利の政策金融の例であり、却って民間の金融機能を損ね、しかも民間の実需に応じることは出来なかった。

同時期の預金封鎖の目的は、インフレ対策のための貨幣流通制限ではなく、敗戦による債務の償還を急ぐため、富裕層に財産税を課して税収増加を図ったもの。
それでも(生産供給力不足による)インフレ率が高すぎて、財政再建の効果は無かった。
もともと、財政再建のためには資産課税ではなく、生産供給サイドの強化による健全なインフレ分によって全体の税収を増やすしかない。
だからこそ、経済政策はあくまでインフレの上限調整が目的となるのである。

・農地改革の本当の効用は、大地主と小作人の資産格差の是正ではない。
むしろ、自作の地主層が増えた結果、彼らに経済的余裕が生まれたこと。
そういう農民が国民の多くを占めたため、政策当局が進めかけていた経済統制(共産化)を防ぐことになった。

・GHQは財閥解体も過度経済力排除も徹底していない。
財閥は看板を変えつつ、おのれ内部の企業間取引を継続させることが出来、だからこそ日本は生産供給力を維持強化することが可能であった。
GHQもこれを見て見ぬふり、だから日本政府の統制経済派も手を出せなかった。

・ドッジ=ラインによる緊縮均衡財政の要求に従い金融引き締めに走った結果、日本ではカネのだぶつき抑制以前に、せっかくの生産供給力の拡大が止められることになり、デフレに陥ったという本末転倒。
ドッジ=ラインはマクロ経済学も国民経済計算も不完全な時代の発令ではあった、が、(ドル運営の大本である)IMFはこれまでに多くの途上国に緊縮財政を強要し、結果としてそれら国々の生産供給力を損ねた経緯がある。
そして、当のアメリカは現在まで100年の間に100回近く財政赤字を拡大させてきたにも関わらず、財政破綻などしたことがない。

・ドッジ=ラインによって統制経済(と生産供給力の減衰)が進みかけた日本に、朝鮮戦争による特需。
あわせて、GHQがアカ狩りを進めたため、日米の統制経済派を抑えることが出来、日本経済はまた生産供給力を復調させることが出来た。

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・通貨間の適正な為替レートとして、それぞれの通貨総量にもとづいての数学的な均衡レート」を定義可能。
アメリカは1949年以来、(なぜか分からないが)1ドル360円を外為レートとして設定、これは「均衡レート」よりはるかに円安の設定であり、日本の輸出産業の生産供給力にとって極めて好条件であり、東京オリンピックにかかる貿易自由化にて輸出製品の仕様を大いに向上させた。
なお、東京オリンピックにさいしてのインフラ投資拡大はあまり経済効果はなかった。

国際金融を総じてみれば、各国にて「自由な資本移動」、「固定為替相場」、「独立した金融政策」 の3命題の実現が理想、だがこれら3命題は、いわゆる「トリレンマ」の関係にある ─ 3つのうち最大2つまでしか成立しえない。
このうち「自由な資本移動」は資本主義経済の維持推進要件。

その上で 「固定為替相場」 を採ってきたのが、1985年のプラザ合意以前の時代。
極端な円安メリットを保持すべく、金融当局(大蔵省と日銀)による外債購入と通貨増刷といった調整措置が常に必須であった。
ゆえに日本国内はインフレ基調であった。
1973年の変動相場制移行後であっても、じつは金融当局によるいわゆる「ダーティフロート」介入が継続され、やはりかなりの円安を維持してきた。
つまり、 「独立した金融政策」 はなされなかった。

為替介入を完全に止めて(いわゆるクリーンフロート状態に放任して)本当の 「変動相場制」 に移行したのが、プラザ合意である。
ここから 「独立した金融政策」 がなされることとなった。
が、その代償として、為替レートは上述の「均衡レート」にどんどん近づき ─ 通貨量に応じて円高基調となり、わずか1年後には1ドル150円となった。
ここから、さらに激しい変動に左右され続けることとなる。

いわゆる「マンデル=フレミング効果」の理論に則れば、マクロ経済政策は、「固定相場制」か「変動相場制」かに応じて、「財政政策」と「金融政策」の2者択一しかないことが明らかである。
つまり ─ 固定相場制を採っているうちは、財政政策が効く反面で金融政策は効かないとし、一方で変動相場制を採ると金融政策は効果が有るが財政政策のみではほとんど効果が無い。

田中角栄政権の「日本列島改造論」は典型的な財政政策であり、プラザ合意以前の(実質的な)固定為替相場制の時期に謳われたもの、ゆえに理に適ってはいた。
ただし、固定相場の堅持ゆえ日本国内の通貨インフレは依然進行中、よってこの「改造論」による財政投資が結果的に急激な物価高をもたらした。
そこへオイルショックが追い打ちをかけた。
よって、オイルショックが急激な物価高の起因であるとの見方は間違いである。

更に続いたスタグフレーションは、オイルショックによって生産供給量が減少したためであって、通貨量が減少したためではない。

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・アメリカのレーガノミクスはサプライサイド強化の反ケインズ政策、との通説は完全に間違っている。
レーガノミクスは、金融引き締めによるアメリカ国内インフレの抑制、かつ軍事費歳出の拡大と失業吸収を図ったもの。
つまり、たとえ財政赤字が生じてでも有効需要の拡大を図った、典型的なケインズ型政策である。

この結果として、ドル金利高(よってドル高)と輸出減、一方では国内需要拡大で輸入増、よって国際収支の赤字が拡大の一途、ゆえに財政と国際収支の双子の赤字。
そうなると却ってドルの国際的な信認が低下していった、というのが経済プロセス。
一方で、プラザ合意は上述のとおり(本当の)変動相場制に踏み切った合意に過ぎない。
だから、プラザ合意がドル安の安定的な容認とアメリカの輸出増大を図った戦略的な措置とは断定出来ない。

ちなみに前川レポートは、日本が内需にもともと強いので、プラザ合意後の(本当の)変動相場制では内需拡大しかない、と、当たり前のことを描写したに過ぎない。

・レーガノミクスはサプライサイド経済政策ゆえに素晴らしかった、との言質の根拠に挙げられるのが、いわゆるラッファーカーブの図。
この図によれば、生産部門への適度な税率低減こそが、結果的には最大の税収増加をもたらす ─ ようにも見える。
しかしこの図は数理的にお粗末なもので、税率と税収の関数曲線そのものに実体上の根拠が無く、主張者の利害次第でいくらでもデタラメに描けてしまう。

実際には、税収の9割ぐらいは税率ではなく実体経済成長によって決まることが証明済。
また金利上昇と経済成長もほぼ一致し、たとえ国債が一時的に増えても経済成長と税収によって賄うことが可能であること、自明である。

・プラザ合意に続くルーブル合意によって、日本は安定的なドル価の維持に協調必須となり、公定歩合の引き上げが出来なくなり、その結果として日本円の超緩和状態が生じて、日本経済全体がバブル経済に突入した
…との言質は正確ではない。
ルーブル合意前後の時期の日本の実質GDP成長率もまた物価も上昇率も、70年代までと比べると著しく低い。
異常に高騰していたのは不動産価格と株価のみであった。

株価が高騰していた理由は、証券会社(と銀行)による違法スレスレの株式運用受託
─ たとえば企業保有の証券を別の信託機関に移管運用することにより、簿価分離としての運用メリットをその企業に生じさせ、さらに損失補てんまで請け負う、など。
こうして、企業間の株式売買が異常な回転率をもって進行していった。
法令の不備のためにこれらが横行していた。

だが日銀は、日本経済全体が激しいインフレ状態にあると捉え、激しい金融引き締めに走ることになった。
日銀による、あまりにも大きな、そして長くながく続くことになるミスリードの始まりであった。

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ざっと、ここまで本書の前半から中盤までのエッセンシャルな(学術的な)箇所に注目しつつ、略記してみた。
本著者の高橋氏が幾度となく念押しされているとおり、経済とは規模のメリットであり、経済政策はマクロな数理システムの調整であり、そして生産供給力の強化は民間の自在な力量によるもの、とまとめられよう。

なお、最後に、本書最終段にある自由貿易(TPP)のメリット論について軽く触れておく。
p.209~p.215 にわたるそれぞれの需要供給曲線は、関税無き場合の貿易当事国双方のマクロなメリット、および、関税有りき場合のマクロなデメリットを示す。
ここでマクロな需給双方のいわゆる「余剰利益」の合計が図示されているが、これを平易にいえば、需給双方における期待売価(および買価)と実際の売価(および買価)の「差額の合計」である。
関税が高くなればなるほど、供給価格が上昇するため、この差額合計が大きくなっている、つまり余剰利益が小さくなっているのが、一目瞭然である。
本書ではこの差額合計を「デッドウェイトロス」として面積表示しており、極めて分かりやすい。

以上