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2016/09/10

人間言語は不要となるか?


① コピー機について、こんな概説をちらっと拝見。
「光電効果で、プラス電子が黒色に成り、マイナス電子は白色と成って、これでドラム側とトナー側に電子が分かれて…」
さて、ここでの 「成って」 や 「分かれて」 といった日本語表現は、主体と客体が分かり難く、だから論理表現か物理表現かも不鮮明だ。
そこでこれをざっと思いつきで英訳すると、 "charge electrons positive/negative to contrast light reflections on drum rolls or ink toners " などなど。
さ~すが、英語は主体と客体を差別的にかつ動的に記すことが出来る ─ ような気がする。

だいたい日本語ってやつは、あいまいに出来ている。
たとえば、「店内でお待ち下さい」 という表現があるが、これは店内から出てはいけないという拘束的な忠告なのだろうか?
……などという思考レベルで留まっているのが、未成年のがきども。

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② しかしながら、だ。
もうちょっと根本的なところまで立ち戻って、考えてみたい。

たとえば、物質の化学反応のもっとも根本である 「酸化」 について、この言語表現のみでは、どっちがどっちに電子をどうするのか、さらに行為なのか状態なのか、どうも判り難い。
さぁてそれでは、英語ではどうなるかといえば。
実は英語でも、酸化 "oxidise" という動詞コマンドは「電子をピシッと放出するアクション」を指しつつ、「受け取るアクション」もまた同じく "oxidise なのである。
どうも、言語表現ではどうしても主体か客体化が峻別しにくい、よって、行為か状態かも分かり難い。
イオン化 (ionise) も同様、さらに上に挙げた "charge" や "contrast" も言語表現としてはあいまいである。

自動詞なのか他動詞なのか、動的行為なのか静的状態なのか、偶然なのか必然なのかという、語法上のこだわり。
これは、あくまで人間意識における微分的な限界なのではないかな。
そして、そんなことには委細構わず、物質そのものは酸化し還元しイオンになりまた触媒にもなりうるし、既になっている。
人知が介在しようがしまいが、エネルギーも物質も "work" を継続しており、明日も明後日も数百万年後もずっと継続する。

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③ 英語にせよ、日本語にせよ。
言語がガチンガチンの厳密ルールにおかれ、とりわけ動詞の峻別化が進められてきたのは、いかにも知的進歩のようでいて ─ 
じつは資産の権利化と差別化を明確にするため、そして工程分業を徹底するためだったのではないかしら。

だが、そんな人間都合とは別に、自然物はもともと存在し続け、シークェンシャルに変化し続けている。

さらに、工業テクノロジーは人間都合の外縁部におこりつつも、人間意識からからどんどんかけ離れて自己完結的にかつ包括的に進化する。
ちらっと思い出すのが、いわゆる単一画素カメラだ。
もともと、デジカメは画素の集積度が増し、これつまり機能単位の精密な差別化であった、が、単一画素カメラとなると、デジタルどころかむしろ一括処理型のデータプロセス。
それから3Dプリンタにしても、その立体オブジェクト出力技術は、さまざまな工業製品の部品差別化を前提としたものにあらず、むしろそれら製品素材の自在な統合化を前提としているのではないかな。

このように、自然物との協調とテクノロジーの統合化が続けば、「人間」と「人間以外」をつなぎとめる表現技法は、いよいよ図案と数式だけになるような気がしてならない。
そうなったら、たとえば大学入試からは現代文と英語が消えるだろう。
文芸はどうなるのだろうか?
と、いうか、カネと法はどうなるのだろう?

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④ ちょっとおかしな例えかもしれないが、数学には 12÷0 のように「解の算出が不能」なものがある。
ここで解の算出不能ギリギリまでを表現せんと奮闘してきたのが、従来の人間言語であった、といえまいか。
しかし、ほわんとした自然物と、人間外部の包括テクノロジーが本当の宇宙のありようであり、それはむしろ 0÷0 のように「解が不定」なのかもしれない。
解が不定なら、数学のみの宇宙ということになり、人間言語は要らぬではないか。
(このあたり、あまり考えないで書いてますよ。)

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本