2019/07/23

少年相撲の思い出

小学校5年生の頃だったかな。
夏休み前後の時節と記憶しているが、市内の相撲大会に駆り出されたことがあった。
僕は当時から身体が大きい方だったし、ずんぐり体型だったし、何に対しても一所懸命だった(ように見えたらしい)ことから、ちょっと相撲を仕込めばそこそこ活躍出来るのではと期待されてのことだった。
そうはいっても、所詮は子供の時分のこと、近所の大柄な女子高生にドッジボールをぶつけられて暫く息が出来なかったほどの、ちっちゃな身体ともっとちっちゃな世界観。

さて、少年相撲につき、思い出しがてらに記す。

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自宅近郊の公民館の庭に、土俵が盛られており、そこが相撲の稽古場となった。
町内の有志の大人たち、公民館の職員だったか他校の教員だったかが繰り出してきて、相撲の実技指導にあたってくれた。
夕方7時頃から、数人の同級生たちとともに館内でまわしを締めて(締められて)、照明灯のもと土俵脇に集められ、念入りに体操、ずずんと四股を踏み、どっせぃ!とぶつかり稽古、そして、おっかなびっくりの立ち合い稽古まで。
ざっと小一時間の稽古だったか、いや、2時間ほどだったかな、そういえば、稽古は1日おきだったか、週に2日だったか ─ 
ともあれ、土くれと畳と木材の混じり合ったようなあの一連の臭いは今でもハッキリ覚えている。


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ここで、よし俺も手伝おうと意気込んだのが、いまは亡き父親であった。
格闘技経験のあった亡父は、僕がスポーツでは大成しないだろうとふんでいた節があったものの、子供の心身の鍛錬には相撲がふさわしいなどと言いだして、稽古日のたびに土俵脇から叱咤激励してくれた。
じっさいに胸を貸してくれたことも、度々である。
「やるからにはきちんとした体術を覚えるべきだ。相撲で覚えた体術は必ず立派な身体をつくる」
「他の人間を土俵の外に押し出し、そうかと思えば逆に投げ飛ばされる、これは生きていく上で最も大切な勉強なんだ」
「ニヤニヤするな、遊びじゃないんだぞ、怪我したくなかったら真剣にやれ!」
「ひるむな!男ならドーンとぶつかってこい!ドーンと!」


ドーンとぶつかってこい。
これが、なかなか怖かった。
「頭から、突っ込むんだ!そうすればきっと相手はのけぞって直立姿勢になる。そこで同時に相手のまわしをひっつかんで、ぐいっと引きつける。もう相手は動けない。そこで、一気に押し出す!これが相撲の王道ってもんだ!」
王道だなんだと言われても、そんなのは大人の理屈だ、子供の僕たちにはもっとソフトな技を教えて欲しいもんだ ─
そんなふうに考えてみたりしたのだが、そういう僕たちの弱気をとっくに察してのことか、父などは土俵に上がってきて僕に胸を貸しつつ、何度も叱りつけてくる。
「まだ、ダメだ!頭からドーンとぶつかってこいと言ってるんだ!逃げるな、それでも男か!ほらっ、もう一回!」


そんなぶつかり稽古を幾日か続けて、頭から突っ込む姿勢と格好だけは何とかサマになったと思う。
なるほど。
確かに大人たちの言うとおりで、前傾姿勢のままズンズン押し込んでいけば力も入るし、相手のまわしを掴みやすい、そして、相手はこちらのまわしが掴みにくい。
さは、さりとて。
ここからがいよいよ問題だった。
「もちろん、相手だって頭から突っ込んでくるに決まっている。だからって逃げちゃダメだ。相手の頭に、ガーンとぶっつけてやれ。それが相撲の王道だ」
ドーン、はまだしも、ガーン、は恐ろしかった。
頭突きの正面衝突じゃないか。


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或る夕刻のこと。
いよいよ、立ち合い稽古の段に入った。

僕は隣町の小学校の同年生と実践的に取っ組み合うこととなった。
その少年は僕とほぼ同じくらいのずんぐり体躯で、しかも、「頭からぶっつけにいく」突撃を僕と同程度に恐れている少年であった。
「ホンモノの相撲は、頭と頭がガーンとぶつかる、そういうもんだ。怖がるな、さぁ頑張れ!」
そんなような諭しの言葉が、彼に投げかけられていた。
こなた、僕の背後からも父の声が聞こえる。
「いいか、相手は頭をぶっつけてくるぞ、ビクビクしていたらこっちの鼻にぶつけられるぞ。そしたら土俵で鼻血ブーだ、バカみたいだろ!」
どこが面白かったのか、土俵をとりまく大人たちが、はははははと哄笑。
だが、土俵上の僕にとっては、いまや処刑台にのぼった気分。
さては、と相手の少年をあらためて見やれば、おや、彼も悲痛な面持ちを引きつらせて立ちすくんでいるのだった。


ともあれ、僕たちは仕込まれたとおりに四股を踏み、真正面から蹲踞で向かい合い…さぁてお立合い!
咄嗟に、僕はひとつの思いつきに駆られていた。
相手を見るから、怖いんだ、相手の頭突きを想像するから、怖いんだ ─ はい見合って ─ それならば ─ 待ったなし ─ いっそのこと ─ 手をついて ─ 目を瞑って ─ はっけよい ─ このまま突っ込む ─ のこった!
僕は闇の中に突っ込んでいった。
虚空、鼻息、すり足、あっ!右側に!あっ!しまった!
僕はぱっと目を見開いて、右に体をかわしつつのけぞっている相手の足を一瞥し、と思ったその時には僕は土俵上でつんのめって両肘から倒れ込んでいた。
「ばかっ、目をつぶっただろう、そんな相撲があるかっ!」
父の怒声が響いた。
同時に、相手の少年に対しても大人たちの怒声が浴びせられていた。
「逃げるなと言っただろうが!逃げたら相撲は勝てないんだぞ!」
僕もそして彼も、土俵脇で正座したまま、相撲を心底から呪いつつ、砂を噛む思いで黙りこくっていた。


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そのごの稽古日においても、僕たちは幾度となく立ち合い稽古を課せられたが、ついぞ頭からの正面衝突ガッツンコに踏み切ることが出来なかった。
けして示し合わせたわけではないものの、お互いに頭をぶっつけないよう、極端な右構えで組み合って押し合ったり投げを打ちにいったりしたのは、いま思い返してみれば面白い同調ではあった。


相撲の稽古はさらに幾度か続けられたが、市の大会のほんの数日前のこと、僕は右ひざを捻って痛めてしまった。
「子供の怪我だから、大したことはないわ、すぐに治るわよ」
「でも、無理はしない方がいいんじゃない?」
「そうね、今日は稽古はやめたら?」
そんなふうに優しいやさしい声を掛けてくれたのが、公民館や自治会の'オバさま'たちである。
すかさず、僕は彼女たちの眼前でひ弱な鼻声を聞えよがし、あー膝が痛い、痛いなあ、やだなぁ相撲なんか、もうやめたいなー、と小声で呟いてみたり。
きっとこれは何らかの効果はあったのだろう、最終期間における稽古はほとんどが柔軟運動のごときであった。
尤も、父を含め大人たちはどことなく失望したようではあったものの。


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大会本番には、僕は出場はしたものの、3回戦だか何だかで頭から倒れ込んで負けてしまった。
そのさい、土俵で頭を打ってから15分程度の記憶が無く、ふと我に返ってみれば土俵脇で膝を抱えてこじんまりと座り込んでおり、おい何をしているんだ、君は違う町の子だろう、ほらそこをどきなさいなどと運営担当に促されたのだった。
うろうろと立ち上がりつつ、僕はふっと振り返った、そしてわが町内の大人たちが僕を探し続けていたのをみとめた ─
そのせつなである。
どうも、自分はなんだかんだと逃げをうってきたのでは、と、そして、それゆえ何か天罰(のごときもの)が当たったのでは、といった自己嫌悪を覚えていた。


僕はこれを最後に相撲をやめてしまった。

自分のような小心のちょっと卑怯な少年は、きっと大人になってもそういう性分を引き摺ったまま、それでも小理屈だけは達者になり、知識だけは一丁前に増え続け、いずれはそこいらの大人たちと拮抗してゆくことになろうか…。
そんなふうなことをチラチラと想像めぐらせつつノホホンと過ごしてきた青年期、なーるほど、確かに理屈通りの人物にしかなれなかった。
土俵におそるおそる足を踏み入れつつ、膂力の活かし方も分からず、突進には威勢ともなわず、がっちんこの格闘からもホンモノの闘争から一回りも二回りも身をおいたまま、そんな程度のおのれはやっぱりそんな程度の大人どまり。

もう一度少年期に戻ったら何をしてみたいかとの問いかけがあるが、そうだな、とっておきの投げ技のひとつでもそっと修練してみたかったもの
─ いや違う、そんなもんじゃない、そうではなくて、何も思案せずどかーんとぶっつかってゆく勇気、そうだ勇気だ、少年期に必要なものは勇気だけだったのだろう。


さて、民館にはそのごも本を借りに行ったりしたものだが、'オバさま'たちに顔を合わせるのは何とも気恥ずかしかったものである。


※ なお、立ち合い稽古でお互いに頭突きゴッツンコを回避しあった'戦友'の彼とは、中学校で再会することになる。
彼はちょっと悪い仲間に入り、タバコを吹かしたり器物を損壊したりを繰り返す学生になってはいたものの、僕と目を合わせるとお互い決まり悪くなり慌てて視線をそらすのであった。

(おわり)

2019/07/03

世界史の理解は極めて難しい

世界史をひとつの学術分野と見做すならば、世界史科こそは最も思考難度の高い(高すぎる)学術ではなかろうか?
我々人類の人知と能力は時間経過を伴って合目的に蓄積されてきたものか、はたまた、全ては無目的にして雑多な偶然に過ぎなかったのか、判断が極めて難しい上に、一貫した判断論拠さえも呈されていないからである。

一ファンとして考えるに、世界史科は少なくとも以下について思考の方式を明示していないように見受けられる;

①過去における諸事実が虚偽ではなく真実であると実証出来るか?
②実証されうる複数の事実間にて、何らかの動因と効果についての普遍法則が見いだせるか?
③それらは物質上の変化の法則か?勢力間の貸借や権利の法則か?
④普遍法則があるとして、それらから未来まで予期させうる理論を編み出せるか?
以上の①~④を検証し続けていけば歴史上の事実についての功罪を判定しうるか?


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政治経済や地理の学校教科書を一瞥すれば、人間の文明をつらぬいて説明を図る法則と理論が幾つも呈されている。
だから基礎教養と冠してもよかろう。
その目的は、どこまで真理であるかはさておき、「たとえば」以下の諸論題を説明はかるべきものであろう。

・国家領域の体積と人口に必然的相関はあるか?
・需要とは何か?いかに定義出来るか?
・エネルギーとは何か?仕事とは何か?
・コストとは何か?生産性(プロフィット)とは何か?
・技術(テクノロジー)の進歩とは何か?

・通貨決済は文明の必然か?
・ネット/AI化によって物々交換経済は充足しうるか?
・通貨は全世界にて統合されるべきか?

・政府とは何か?税とは何か?
・代議制による意思決定の移譲は人類の真理か?
・コモンローとシビルローはどちらが人類にとって望ましいのか?
・開発独裁は民族性によるものか、或いは経済事由によるものか?

・人種とは何か?民族とは何か?
・宗教は人為正当化のために必須の思想系か?
・言語は世界統一が望ましいのか?
・戦争とは何か?平和とは何か?

さて、世界史科はこれら論題について合目的な因果関係と普遍性を提示しつつ解説しうるだろうか。


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いやいや、そんなかたっ苦しいことはいいんだよ、過去におけるすべての事象は無目的な偶然の(非)連続なんだ、だから歴史の解釈に一貫性など不要なのだ ─ というかもしれぬ。
うむ、すべての事象について相対化と論理化を決め込むのなら、そういう見方もありえよう。
しかしだぜ、そこまでニヒリスティックに達観を気取るのであれば、経済活動の目的は資産の再配分であるべきだの、選挙権拡大や議会政治こそが政治の真理のはずだなどという「must論」は口が裂けても発せられぬはず。
このように、社会主義思想を突き詰めていくと歴史に普遍性も継続性も無いことになる、にもかかわらず現在生きている我々には多くの権力と義務が必然となってしまう。
まこと、イラつくばかりだ、よって、少なくとも社会主義信奉者には世界史科から早々に立ち去って欲しいものである。



「世界史を学べば国際社会で活躍出来る」 などと公言して憚らない教育関係者もいる。
しかし、軽薄短慮この上ない。
このような人物が本当に国際社会に出て行って活躍しているのか、いやそれ以前に「国際社会たるものの実存性と普遍性と継続性」について真面目に考えたことがあるのか、どうにも疑わしい。

目下のところ、僕なりに世界史を一通り学んでおぼろげながら分かったことがある。
なるほど歴史上の事象は千差万別であろうが、人為による取捨選択は過去の経験に則るがゆえに千差万別ではないこと、かつ、取捨選択の自由は無視や拒絶の自由でもあること。
なんだ、要するに歴史上のあらゆる事象は効用追求の連続ということか、それでは過去は合目的に説明つくとしても未来は導けないではないか、などと笑われるかもしれない。
だから、極めて難度の高い学術分野だと言っている。

以上