夏休み前後の時節と記憶しているが、市内の相撲大会に駆り出されたことがあった。
僕は当時から身体が大きい方だったし、ずんぐり体型だったし、何に対しても一所懸命だった(ように見えたらしい)ことから、ちょっと相撲を仕込めばそこそこ活躍出来るのではと期待されてのことだった。
そうはいっても、所詮は子供の時分のこと、近所の大柄な女子高生にドッジボールをぶつけられて暫く息が出来なかったほどの、ちっちゃな身体ともっとちっちゃな世界観。
さて、少年相撲につき、思い出しがてらに記す。
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自宅近郊の公民館の庭に、土俵が盛られており、そこが相撲の稽古場となった。
町内の有志の大人たち、公民館の職員だったか他校の教員だったかが繰り出してきて、相撲の実技指導にあたってくれた。
夕方7時頃から、数人の同級生たちとともに館内でまわしを締めて(締められて)、照明灯のもと土俵脇に集められ、念入りに体操、ずずんと四股を踏み、どっせぃ!とぶつかり稽古、そして、おっかなびっくりの立ち合い稽古まで。
ざっと小一時間の稽古だったか、いや、2時間ほどだったかな、そういえば、稽古は1日おきだったか、週に2日だったか ─
ともあれ、土くれと畳と木材の混じり合ったようなあの一連の臭いは今でもハッキリ覚えている。
ここで、よし俺も手伝おうと意気込んだのが、いまは亡き父親であった。
格闘技経験のあった亡父は、僕がスポーツでは大成しないだろうとふんでいた節があったものの、子供の心身の鍛錬には相撲がふさわしいなどと言いだして、稽古日のたびに土俵脇から叱咤激励してくれた。
じっさいに胸を貸してくれたことも、度々である。
「やるからにはきちんとした体術を覚えるべきだ。相撲で覚えた体術は必ず立派な身体をつくる」
「他の人間を土俵の外に押し出し、そうかと思えば逆に投げ飛ばされる、これは生きていく上で最も大切な勉強なんだ」
「ニヤニヤするな、遊びじゃないんだぞ、怪我したくなかったら真剣にやれ!」
「ひるむな!男ならドーンとぶつかってこい!ドーンと!」
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ここで、よし俺も手伝おうと意気込んだのが、いまは亡き父親であった。
格闘技経験のあった亡父は、僕がスポーツでは大成しないだろうとふんでいた節があったものの、子供の心身の鍛錬には相撲がふさわしいなどと言いだして、稽古日のたびに土俵脇から叱咤激励してくれた。
じっさいに胸を貸してくれたことも、度々である。
「やるからにはきちんとした体術を覚えるべきだ。相撲で覚えた体術は必ず立派な身体をつくる」
「他の人間を土俵の外に押し出し、そうかと思えば逆に投げ飛ばされる、これは生きていく上で最も大切な勉強なんだ」
「ニヤニヤするな、遊びじゃないんだぞ、怪我したくなかったら真剣にやれ!」
「ひるむな!男ならドーンとぶつかってこい!ドーンと!」
ドーンとぶつかってこい。
これが、なかなか怖かった。
「頭から、突っ込むんだ!そうすればきっと相手はのけぞって直立姿勢になる。そこで同時に相手のまわしをひっつかんで、ぐいっと引きつける。もう相手は動けない。そこで、一気に押し出す!これが相撲の王道ってもんだ!」
王道だなんだと言われても、そんなのは大人の理屈だ、子供の僕たちにはもっとソフトな技を教えて欲しいもんだ ─
そんなふうに考えてみたりしたのだが、そういう僕たちの弱気をとっくに察してのことか、父などは土俵に上がってきて僕に胸を貸しつつ、何度も叱りつけてくる。
「まだ、ダメだ!頭からドーンとぶつかってこいと言ってるんだ!逃げるな、それでも男か!ほらっ、もう一回!」
そんなぶつかり稽古を幾日か続けて、頭から突っ込む姿勢と格好だけは何とかサマになったと思う。
なるほど。
確かに大人たちの言うとおりで、前傾姿勢のままズンズン押し込んでいけば力も入るし、相手のまわしを掴みやすい、そして、相手はこちらのまわしが掴みにくい。
さは、さりとて。
ここからがいよいよ問題だった。
「もちろん、相手だって頭から突っ込んでくるに決まっている。だからって逃げちゃダメだ。相手の頭に、ガーンとぶっつけてやれ。それが相撲の王道だ」
ドーン、はまだしも、ガーン、は恐ろしかった。
頭突きの正面衝突じゃないか。
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或る夕刻のこと。
いよいよ、立ち合い稽古の段に入った。
僕は隣町の小学校の同年生と実践的に取っ組み合うこととなった。
その少年は僕とほぼ同じくらいのずんぐり体躯で、しかも、「頭からぶっつけにいく」突撃を僕と同程度に恐れている少年であった。
「ホンモノの相撲は、頭と頭がガーンとぶつかる、そういうもんだ。怖がるな、さぁ頑張れ!」
そんなような諭しの言葉が、彼に投げかけられていた。
こなた、僕の背後からも父の声が聞こえる。
「いいか、相手は頭をぶっつけてくるぞ、ビクビクしていたらこっちの鼻にぶつけられるぞ。そしたら土俵で鼻血ブーだ、バカみたいだろ!」
どこが面白かったのか、土俵をとりまく大人たちが、はははははと哄笑。
だが、土俵上の僕にとっては、いまや処刑台にのぼった気分。
さては、と相手の少年をあらためて見やれば、おや、彼も悲痛な面持ちを引きつらせて立ちすくんでいるのだった。
ともあれ、僕たちは仕込まれたとおりに四股を踏み、真正面から蹲踞で向かい合い…さぁてお立合い!
咄嗟に、僕はひとつの思いつきに駆られていた。
相手を見るから、怖いんだ、相手の頭突きを想像するから、怖いんだ ─ はい見合って ─ それならば ─ 待ったなし ─ いっそのこと ─ 手をついて ─ 目を瞑って ─ はっけよい ─ このまま突っ込む ─ のこった!
僕は闇の中に突っ込んでいった。
虚空、鼻息、すり足、あっ!右側に!あっ!しまった!
僕はぱっと目を見開いて、右に体をかわしつつのけぞっている相手の足を一瞥し、と思ったその時には僕は土俵上でつんのめって両肘から倒れ込んでいた。
「ばかっ、目をつぶっただろう、そんな相撲があるかっ!」
父の怒声が響いた。
同時に、相手の少年に対しても大人たちの怒声が浴びせられていた。
「逃げるなと言っただろうが!逃げたら相撲は勝てないんだぞ!」
僕もそして彼も、土俵脇で正座したまま、相撲を心底から呪いつつ、砂を噛む思いで黙りこくっていた。
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けして示し合わせたわけではないものの、お互いに頭をぶっつけないよう、極端な右構えで組み合って押し合ったり投げを打ちにいったりしたのは、いま思い返してみれば面白い同調ではあった。
相撲の稽古はさらに幾度か続けられたが、市の大会のほんの数日前のこと、僕は右ひざを捻って痛めてしまった。
「子供の怪我だから、大したことはないわ、すぐに治るわよ」
「でも、無理はしない方がいいんじゃない?」
「そうね、今日は稽古はやめたら?」
そんなふうに優しいやさしい声を掛けてくれたのが、公民館や自治会の'オバさま'たちである。
すかさず、僕は彼女たちの眼前でひ弱な鼻声を聞えよがし、あー膝が痛い、痛いなあ、やだなぁ相撲なんか、もうやめたいなー、と小声で呟いてみたり。
きっとこれは何らかの効果はあったのだろう、最終期間における稽古はほとんどが柔軟運動のごときであった。
尤も、父を含め大人たちはどことなく失望したようではあったものの。
そのさい、土俵で頭を打ってから15分程度の記憶が無く、ふと我に返ってみれば土俵脇で膝を抱えてこじんまりと座り込んでおり、おい何をしているんだ、君は違う町の子だろう、ほらそこをどきなさいなどと運営担当に促されたのだった。
うろうろと立ち上がりつつ、僕はふっと振り返った、そしてわが町内の大人たちが僕を探し続けていたのをみとめた ─
そのせつなである。
どうも、自分はなんだかんだと逃げをうってきたのでは、と、そして、それゆえ何か天罰(のごときもの)が当たったのでは、といった自己嫌悪を覚えていた。
僕はこれを最後に相撲をやめてしまった。
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大会本番には、僕は出場はしたものの、3回戦だか何だかで頭から倒れ込んで負けてしまった。そのさい、土俵で頭を打ってから15分程度の記憶が無く、ふと我に返ってみれば土俵脇で膝を抱えてこじんまりと座り込んでおり、おい何をしているんだ、君は違う町の子だろう、ほらそこをどきなさいなどと運営担当に促されたのだった。
うろうろと立ち上がりつつ、僕はふっと振り返った、そしてわが町内の大人たちが僕を探し続けていたのをみとめた ─
そのせつなである。
どうも、自分はなんだかんだと逃げをうってきたのでは、と、そして、それゆえ何か天罰(のごときもの)が当たったのでは、といった自己嫌悪を覚えていた。
僕はこれを最後に相撲をやめてしまった。
自分のような小心のちょっと卑怯な少年は、きっと大人になってもそういう性分を引き摺ったまま、それでも小理屈だけは達者になり、知識だけは一丁前に増え続け、いずれはそこいらの大人たちと拮抗してゆくことになろうか…。
そんなふうなことをチラチラと想像めぐらせつつノホホンと過ごしてきた青年期、なーるほど、確かに理屈通りの人物にしかなれなかった。
土俵におそるおそる足を踏み入れつつ、膂力の活かし方も分からず、突進には威勢ともなわず、がっちんこの格闘からもホンモノの闘争から一回りも二回りも身をおいたまま、そんな程度のおのれはやっぱりそんな程度の大人どまり。
もう一度少年期に戻ったら何をしてみたいかとの問いかけがあるが、そうだな、とっておきの投げ技のひとつでもそっと修練してみたかったもの
─ いや違う、そんなもんじゃない、そうではなくて、何も思案せずどかーんとぶっつかってゆく勇気、そうだ勇気だ、少年期に必要なものは勇気だけだったのだろう。
さて、民館にはそのごも本を借りに行ったりしたものだが、'オバさま'たちに顔を合わせるのは何とも気恥ずかしかったものである。
※ なお、立ち合い稽古でお互いに頭突きゴッツンコを回避しあった'戦友'の彼とは、中学校で再会することになる。
彼はちょっと悪い仲間に入り、タバコを吹かしたり器物を損壊したりを繰り返す学生になってはいたものの、僕と目を合わせるとお互い決まり悪くなり慌てて視線をそらすのであった。
(おわり)