僕は或る女教師に憧れていたことがある。
もちろん、すごい美人教師。
仔細は明かせないが、彼女は傑出した美しさはもとより、極めて優秀な教師でもある由、教員たちの間でももっぱらの評判、そして自慢の種でもあった。
女性教師たちの間ではやっかみもあったこと否めない。
「彼女、いつも凛としていて、どこか人間離れしているでしょう、どうしてか分かる?彼女は人間じゃないのよ、きわめて精巧に作られたロボットなのよ!」
そんなふうな話が生徒たちの耳に入ってくるほど。
これには僕は猛然と腹が立ち、そこで学級担任に問い質してみたのであった。
僕たちの学級担任といえは、平素からわけの分からぬ方程式などを書き殴っているような人物であり、つまりどこかおかしかったのだが、この時は妙に深刻な面持ちになって僕に説いてくれた。
「いいか山本、ああいう美人はな、いわば存在と意味の端境を生きているんだ!分からないか?そうだろうな。でもいずれきっと分かるさ」
「はぁ」
僕は唖然とするばかりだった。
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卒業式が終わって数日経った、或る日のこと。
僕はあらためて高校を訪れた。
大学進学後の身の振り方などについて、教員たちから何か聞き出せぬものかと思い立ってのこと ─ というのはもちろん自己正当化に過ぎず、本心ではずっと恋慕し続けてきたくだんの超美人教師にあらためてお別れを、と。
教員室を覗き込むと、変人の学級担任は幸運なことに不在であり、そして…そして…あっ!居た!超美人の彼女が居た!
よし、そうこなくっちゃ!
僕は教員室をバカみたいに出たり入ったり、そして彼女は僕を一瞥し、呼び止めてくれた。
「山本君!どうしたの?何か用かしら?」
「はい、まあ、そんなようなもので」
「じゃあ、こっちへいらっしゃいよ ─ あっ、そうだ、君はイチゴは好きかしら?」
「イチゴですか、好きと言えば好きであり、そうでないと言ってもやっぱり好きであり、はははは…」
「そう、丁度良かったわ、さぁそこに座りなさい」
すぐ隣席に座った僕の前に、彼女はひとつの紙包みをすっと差し出した。
「野イチゴよ、今日の昼前に知り合いから頂いたものなの。君にあげるわ」
「はぁ、それはどうも」
そう答えつつも、僕はちょっと笑い声を漏らさずにはいられなかった ─ ロボットなどと称されるほど凛然とした彼女が、野イチゴとは…。
僕は照れ隠しにその包みをひっ掴み、有難う御座います、大切に頂きます、などと早口で答えていた。
「ここで食べてもいいわよ」 と彼女が促してきた。
「じゃあひとつだけ」 と、僕は野イチゴを摘まみあげると口の中に放り込んだ。
「…酸っぱいかしら?」
「…甘酸っぱいです」
「美味しいってこと?」
「それはもう」
野イチゴをゴクリと飲み込んでから、僕はドギマギとぎこちなく話しかけてみた。
「あのう、先生は、いま何をしてらっしゃるのですか?」
「あたし?あたしは残務整理がいま片づいたところよ。それで、ちょっと時間が余ったから、季節がら、和歌にでもチャレンジしてみようかと」
「へぇ、和歌ですか」
僕はさっきよりも露骨に吹き出していた ─ ロボットのごとく精巧な超美人が和歌とは…
「おかしいかしら?」
「いえ、全くおかしくないです」
「そうだわ!ねえ山本くん!何か和歌を書いてごらんなさいよ」
「無理ですよ、そんな高尚なものは」
それでも、彼女が真っ白なノート帳を僕の前に突き出すと、僕は悪戯っ気が湧いてきて、ひとつの歌を思いつき、ささっと書き記してみた。
『咲けば散る 咲かねば恋し山桜 春来ることを誰か知らまし』
「これはどういう主旨の歌なのかしら?」 と彼女が問うてきた。
「えーと、そのぅ ─ 実はですね、これは有名な和歌のパロディでして」
「だからこそ聞きたいのよ、さぁ、君なりの解釈は?」
ここで、僕はまたも楽しくなってきて、笑い声まじりに説明してみた。
「ええと、つまりですね、あるところに山桜がありまして」
「ふんふん」
「その桜はひとたび咲いてしまえば惜しくも散ることとなりますが、でも一方では、未だ咲いていないのならば早く咲いて欲しいものだと苛立たしくもあり」
「ふーーん。それから?」
「それからですね、えーーと……そうだ、この桜が既に開花しているのか、まだ開花していないのか、本当に春が到来したのか否か、なかなか分からぬものだなぁ ─ と、まあこんな意味になるんじゃないでしょうか」
「ふーーん」 と彼女は立ち上がった。
「なるほど、パロディからでもそういう解釈を練り上げることが出来るのね」 と彼女はひとりごちつつ、窓辺まで歩いてゆき、しばらく窓外の校庭や木々を見やっていたようであった。
しばらくして、彼女は僕の眼前に戻ってくると、静かな口調で切り出した。
「ねえ山本くん、世界に起こるあらゆる事象は、どれもたった一度きりの断片なのよ。だからそれらひとつひとつに意味を見出すことは出来ないの」
「はぁ、そう言われてみれば、そうとも言えるでしょうね」 と僕は頷いた。
「ところが人間は、別個の独立事象を結びつけてそれらに新たな意味を与えることが出来る、そうでしょう?」
「ははぁ、そんなふうな気も」
「それが人間の人生というものなのね、たぶん」
「はぁ…」
僕はアハハとふざけ声を挙げかけたが、彼女は黙って僕を見つめていた。
まるでこちらを観察しているように ─ 。
とつぜん、僕はとてつもない想定につきあたり、さっと立ち上がっていた。
そして先ほどの野イチゴの袋をぐっと掴み上げつつ、「これは美味しく頂きます、有難う御座いました」 と一礼を気取ってはみたものの、もはや小走りに立ち去るのが精いっぱいだった。
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しばらく経ってから、彼女が「本当に」ロボットであったと知らされた。
ロボットゆえ、彼女はこの世界の一瞬一瞬の事象すべてを別個のものとして認識し、それらには意味を見出さなかったのだろうか。
もちろん、真相は人間である僕たちには了察しえぬこと。
それでも僕にとって彼女は素敵な意味そのものであった。
こうして人間の物語は、有限ゆえにこそ、どこまでも姿かたちを変えつつずっとずっと続いていく。
(おわり)
※ 美人ロボットの恐怖落語を書こうと思ったのだが、全く違うテイストになってしまった(笑)
※ 美人ロボットの恐怖落語を書こうと思ったのだが、全く違うテイストになってしまった(笑)