2020/03/28

咲かねば恋し

高校3年生のころ。

僕は或る女教師に憧れていたことがある。
もちろん、すごい美人教師。

仔細は明かせないが、彼女は傑出した美しさはもとより、極めて優秀な教師でもある由、教員たちの間でももっぱらの評判、そして自慢の種でもあった。
女性教師たちの間ではやっかみもあったこと否めない。
「彼女、いつも凛としていて、どこか人間離れしているでしょう、どうしてか分かる?彼女は人間じゃないのよ、きわめて精巧に作られたロボットなのよ!」
そんなふうな話が生徒たちの耳に入ってくるほど。
これには僕は猛然と腹が立ち、そこで学級担任に問い質してみたのであった。
僕たちの学級担任といえは、平素からわけの分からぬ方程式などを書き殴っているような人物であり、つまりどこかおかしかったのだが、この時は妙に深刻な面持ちになって僕に説いてくれた。
「いいか山本、ああいう美人はな、いわば存在と意味の端境を生きているんだ!分からないか?そうだろうな。でもいずれきっと分かるさ」
「はぁ」
僕は唖然とするばかりだった。


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卒業式が終わって数日経った、或る日のこと。
僕はあらためて高校を訪れた。
大学進学後の身の振り方などについて、教員たちから何か聞き出せぬものかと思い立ってのこと ─ というのはもちろん自己正当化に過ぎず、本心ではずっと恋慕し続けてきたくだんの超美人教師にあらためてお別れを、と。


教員室を覗き込むと、変人の学級担任は幸運なことに不在であり、そして…そして…あっ!居た!超美人の彼女が居た!
よし、そうこなくっちゃ!
僕は教員室をバカみたいに出たり入ったり、そして彼女は僕を一瞥し、呼び止めてくれた。
「山本君!どうしたの?何か用かしら?」
「はい、まあ、そんなようなもので」
「じゃあ、こっちへいらっしゃいよ ─ あっ、そうだ、君はイチゴは好きかしら?」
「イチゴですか、好きと言えば好きであり、そうでないと言ってもやっぱり好きであり、はははは…」
「そう、丁度良かったわ、さぁそこに座りなさい」

すぐ隣席に座った僕の前に、彼女はひとつの紙包みをすっと差し出した。
「野イチゴよ、今日の昼前に知り合いから頂いたものなの。君にあげるわ」
「はぁ、それはどうも」
そう答えつつも、僕はちょっと笑い声を漏らさずにはいられなかった ─ ロボットなどと称されるほど凛然とした彼女が、野イチゴとは…。
僕は照れ隠しにその包みをひっ掴み、有難う御座います、大切に頂きます、などと早口で答えていた。
「ここで食べてもいいわよ」 と彼女が促してきた。
「じゃあひとつだけ」 と、僕は野イチゴを摘まみあげると口の中に放り込んだ。
「…酸っぱいかしら?」
「…甘酸っぱいです」
「美味しいってこと?」
「それはもう」

野イチゴをゴクリと飲み込んでから、僕はドギマギとぎこちなく話しかけてみた。
「あのう、先生は、いま何をしてらっしゃるのですか?」
「あたし?あたしは残務整理がいま片づいたところよ。それで、ちょっと時間が余ったから、季節がら、和歌にでもチャレンジしてみようかと」
「へぇ、和歌ですか」 
僕はさっきよりも露骨に吹き出していた ─ ロボットのごとく精巧な超美人が和歌とは…
「おかしいかしら?」
「いえ、全くおかしくないです」
「そうだわ!ねえ山本くん!何か和歌を書いてごらんなさいよ」
「無理ですよ、そんな高尚なものは」
それでも、彼女が真っ白なノート帳を僕の前に突き出すと、僕は悪戯っ気が湧いてきて、ひとつの歌を思いつき、ささっと書き記してみた。


『咲けば散る 咲かねば恋し山桜 春来ることを誰か知らまし


これはどういう主旨の歌なのかしら?」 と彼女が問うてきた。
「えーと、そのぅ ─ 実はですね、これは有名な和歌のパロディでして」
「だからこそ聞きたいのよ、さぁ、君なりの解釈は?」
ここで、僕はまたも楽しくなってきて、笑い声まじりに説明してみた。
「ええと、つまりですね、あるところに山桜がありまして
「ふんふん」
その桜はひとたび咲いてしまえば惜しくも散ることとなりますが、でも一方では、未だ咲いていないのならば早く咲いて欲しいものだと苛立たしくもあり
「ふーーん。それから?」
「それからですね、えーーと……そうだ、この桜が既に開花しているのか、まだ開花していないのか、本当に春が到来したのか否か、なかなか分からぬものだなぁ ─ と、まあこんな意味になるんじゃないでしょうか」
「ふーーん」 と彼女は立ち上がった。
「なるほど、パロディからでもそういう解釈を練り上げることが出来るのね」 と彼女はひとりごちつつ、窓辺まで歩いてゆき、しばらく窓外の校庭や木々を見やっていたようであった。


しばらくして、彼女は僕の眼前に戻ってくると、静かな口調で切り出した。
「ねえ山本くん、世界に起こるあらゆる事象は、どれもたった一度きりの断片なのよ。だからそれらひとつひとつに意味を見出すことは出来ないの
「はぁ、そう言われてみれば、そうとも言えるでしょうね」 と僕は頷いた。
ところが人間は、別個の独立事象を結びつけてそれらに新たな意味を与えることが出来る、そうでしょう?」
「ははぁ、そんなふうな気も」
「それが人間の人生というものなのね、たぶん」
「はぁ…」
僕はアハハとふざけ声を挙げかけたが、彼女は黙って僕を見つめていた。
まるでこちらを観察しているように ─ 。

とつぜん、僕はとてつもない想定につきあたり、さっと立ち上がっていた。
そして先ほどの野イチゴの袋をぐっと掴み上げつつ、「これは美味しく頂きます、有難う御座いました」 と一礼を気取ってはみたものの、もはや小走りに立ち去るのが精いっぱいだった。


=====


しばらく経ってから、彼女が「本当に」ロボットであったと知らされた。
ロボットゆえ、彼女はこの世界の一瞬一瞬の事象すべてを別個のものとして認識し、それらには意味を見出さなかったのだろうか。
もちろん、真相は人間である僕たちには了察しえぬこと。
それでも僕にとって彼女は素敵な意味そのものであった。

こうして人間の物語は、有限ゆえにこそ、どこまでも姿かたちを変えつつずっとずっと続いていく。


(おわり)


※ 美人ロボットの恐怖落語を書こうと思ったのだが、全く違うテイストになってしまった(笑)

2020/03/07

(デ)コンパイラ


「先生、今晩は」
「やぁ、君か。今晩は。どうした、寝付けないのか?」
「はぁ……あたし、ちょっと気になることがあって」
「ふふん、どんなことだ?」
「…この宇宙船は、もうしばらく飛行したら地球に到着するそうですね」
「そうだよ、順当に飛行を続ければ、船長室が発表しているとおりにだ」
「あのぅ…あたし、地球に行くのは初めてなんです」
「ほぅ? ─ そうか、うむ、君は宇宙子女だったね。はははっ、それで緊張と不安にいたたまれず、ってわけか。なーに、大丈夫だよ、地球はいいところだ、これまで何度も聞かされてきただろう」
「はぁ、でも、地球ではなんだかイザコザが絶えないそうですね」
「うーむ、まあ、そうとも言えるが、でもね、それ以上に楽しいこともワンサカとあるぞ。新たな人生ステージにふさわしい
「でも……」
「ふふん、分かっているよ。言葉のことだろう?」
「そうです。あたしは地球の言葉をちゃんと使えるでしょうか?」
「それは多くの宇宙子女たちが案じていることだ。でも、すぐに慣れるさ、僕たちの言葉と地球の言葉は数学的に対応しているんだから」
「だけど、地球の言葉はものすごく雑多で、しかも曖昧じゃないですか」
「それはそうだが、でもね、正直な表現さえ心がければ平穏無事に過ごせるんだよ」
「はぁ?正直?……正直ってどういうことですか?」
「なんだと?あはははは、正直とは嘘をつかないってことじゃないか」
「嘘?嘘ってなんですか?」
「おいおい、嘘というものはだな ── いや、よそう。僕たちの言葉では伝えようがない。はははははっ、なんだ、なんだ、そんな不安そうな顔をするな!ほらっ、見てごらん、あの星々が時空を超えて織りなす座標の彼方、青く美しく崇高に光輝まばゆい地球が僕らを待っている」
「はぁ……それで、地球に着いたら、先生とあたしの会話も地球の言葉になるんですか?そしたら正直とか嘘とかも混じってしまうんですか?」
「それは、まあ、表現上はそういうことに ─ おいおい、もうあれこれ思案するのはよせ。さぁ!もう寝るんだ。良い子は良い夢を見るもんだ。嘘いつわりの無い真っ正直な夢を」
「夢??夢って何ですか?どういうものですか??」


(おわり)
※ 落語じみた話を作ろうと思ったが、妙な奇談になってしまった。

2020/03/01

高校物理の難しさ

高校生向けの物理について、僕のような文系思考の人間にとって何がどう難しいのかを軽く論じてみたくなった。
僕自身、物理とは知的相性がけしてよろしくないことを自覚しており、そんな僕だからこそこの教科の難しさを語るにふさわしかろうと、一応の自覚もある。
じゃあ化学は?数学は?となるが、これらとも知的相性が悪いことは自覚しており、とくに数学は高校時代に超美貌の女性教員や女性実習生に指導されつつもやっぱり高得点を採れず、この悔しさやせつなさといったら

─ そんなことはともかくとして、以下、物理の理解の難しさについて考察してみた。

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電気分野にて、ごく基本的なところを再考してみよう。
或る空間に、或る電荷qが在るとする。
え?そんなものが無い場合にはどう考えるのかって?やかましい。
とにかく、在るものとするんだ。
この電荷qは正負±いずれかに相応の電気量を有しているが、話を簡単にするためここでは電気量表現としてq[C]としよう。
電荷の電気量が存在する空間なのだから、もちろんここに電界も存在することになる。
この電界の強さをベクトルE[N/C]→で表すとする。
おや、なぜ強さというのかな、と迷うかもしれないが、力の[N]で表現しているのでまあ強さでよしとしよう。

さて、この空間における電荷q[C]がもたらす(静)電気力は、電荷の電気量と電界の強さの積qE→として表現出来、これを電気力ベクトルF[N]→と表す…
んん??
「電荷の電気量」と「電界の強さ」の「積」とはどういうことか?…量と強さは同じものだと見做しても、これらの掛け算の意義とは?
どうもウヤムヤ感が頭をもたげてくるものの、ここで停まってはいられない。
或る実在の運動による力が何か別の実在に働きかければ何らかの「仕事」が起こるのだから掛け算でいいのかな、ともかく観察上かつ実践上の電気力と電界と電荷電気量の関係なのだろう ─ と強引に納得。
q[C] x E[N/C]→ = F[N]→ としてぴったりフィットするものとしよう。
(ついでに言えば、'quantity', 'electricity', 'filed', 'force'といった英単語を物理の教科書に再発見し、これら単語の真意が分かった気になれるから、モアハッピーだ。)

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さらに続けよう。
え?まだ続くのかって?当たり前だ!甘ったれんな!
今度は、ここで実際に生じている電気力F[N]→がこの電荷q[C]に為す「仕事」についてだ。
或る力の世界における或る実体なのだから、この力がこの実体に働きかけ、何らかの仕事が起こるのは当たり前だ、電気電子の世界であってもだ。

やはり話を単純にするため、ここでの電界の強さE[N/C]→は凸凹無く一様であり、またその方向も電荷と直交して仕事が帳消しになることはないとする。
ここで電気力F[N]→が電荷q[C]に対して為す仕事は、電気力F[N]→ x 電荷q[C]の移動距離d[m] という掛け算で表現出来る…。

まーた掛け算が出てきたぞ、今度はどうしてだろう?と、ちょっとビビるが、いやいや、或る力が或る物体に仕事を為す場合、その距離や位置を以て成果表現するのは力学に倣うと考えればよかろう。
だからここでの掛け算はまあ理解出来よう。

それでは、電気力F→によって「仕事」を為された成果としてのこの電荷q[C]の位置は、どう表現するのだろう?
教科書をつらつらと読めば、それが電位だよとあり、これは仕事U[J]ジュール/電荷電気量q[C]という除算つまりJ/C表現ということになる。
むしろ、ここだよ。
なぜ仕事を電荷電気量で除算するんだろう…?この意義はなんなんだ?とまた文系思考人は考えこんでしまう。
が、ここはもう開き直って ─ ともかく仕事はJ表現であること、そしてここで考察している電荷電気量は変わらないことから、電気力によるどの仕事のタイミングをとってみても、電荷1つあたりに為された仕事は方位を問わずJ/Cとスカラー表現出来るのだ、と納得するしかない。
そして、この仕事U[J]/電荷電気量q[C]を総括的に電位V[V]と別表現も出来るのだと。

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ここまでを、乗算と除算の定式表現としてまとめると;
電気力F[N]→による電荷電気量q[C]への仕事U[J] とすると、
U[J] = 電気電荷量q[C] x 電界の力E[N/C]→ x 移動距離d[m]
また、U[J] / 電荷電気量q[C] = 電位V[V]

これらをササっと了解出来るか?
出来れば、さらに勉強がサクサクと進む。
「仕事」とくれば、その源泉としての「エネルギー」を同じ量や力を以て表現することも可能、例えばこの電荷電気量の電位を位置ポテンシャルと納得するのもたやすい。
もちろん、ここいらを元手にして量概念や電荷の±、コンデンサもオームもキルヒホッフも直観的に分かるし、ジュール熱とのからみもハハーンと頭に入ってくる。
このように「直観の境地」に達するのが高校物理の勉強の楽しさではないかな、そうさせるのが担当教師たちの務めではないかなと僕なりに想像は出来る。

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しかし、だ。
実はここに更なる(そしてもっと本質的な)難しさがあるのでは、と察している。

世界あまねく使いまわされている定式つまり数式は、どのようにバラけてもどのように引っ括られても、どこから入ってどこから出ても、どう乗算してもどう除算しても破綻せぬように組み上げられている。
当たり前だろう、と理数系ファンは笑うかもしれぬが、しかしだね、これが文系思考にとってはとてつもなく難しいのだ。
なぜなら、文系思考とは人間マター、つまり時系列の因果律から成り立っているからである。
英語に則ってハードボイルドに指摘すれば、理数世界の表現にては'as'や'if'は有っても'why'/'because'の区別は厳密ではないし、だいいち時制の観念がほとんど無い。
しかし文系の思考世界では、多くの命題表現が一方向の'why/because'因果で成り立っており、時制秩序も厳密である(しかも仮定法というか皮肉法の表現すら備わっている)。。

たとえば。
電気量Q[C] = コンデンサ電気容量C[F] x 電圧V[V] という定式も高校で学習するだろうが、教科書類の説明は以下のとおり;
「複数の電気回路があり、それぞれ電池とコンデンサが接続されている。これら回路の電気容量が同じであるためには、同じ電圧V[V]をかけた時に同じ電気量Qが電池から供給されなければならない。

本箇所を読んで、文系思考では例えばどのように捉えうるか。
「そうか、これは特殊な事例なのだな、そして、これら回路の電気量量C[F]は常時は同じにはならないのだな」 ─ とさえ読み取ってしまう次第。
この窮屈さがお分かりだろうか。

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…上のようなことを考えつつも、時おり閃くことがある。

男性と比べて時系列にも因果律にもあまり拘らない女性の方が、(意外にも)理科や数学の「直観思考」には向いているんじゃないかなと、ただ乗算や除算のゴチャゴチャした仕上がりを敬遠しているだけなんじゃないか。
こういうのは絵を描かせてみたら、あるいはコンピュータプログラムを書かせてみたら判然とするかもしれぬ。

例えば、高校物理で最も理解し難い波分野について。
一定時間[s]における或る正弦波の振動数f[Hz]と波長λ[m]の積がなぜその波の速さv[m/s]となるのか、そもそも振動数こそが速さじゃないか!…と僕は未だに分からなくなることがあるのだが、こういうのを優しく分かりやすく図案で示してくれる美人女教師が


以上