2020/12/24

宇宙の創世記(ははははは)



「先生こんにちは。あたし、ちょっと妙な問題に突き当たってしまったんですけど」
「おや、君か。いったい何事かね?」
「じつはですね、そのぅ ─ ともかくこの動画をちょっとご覧下さい」
「ん?……おや、これは君の競泳動画じゃないのか?平泳ぎのレース、手前から3コース目を泳いでいるのが君だろう。ふむ、それで、これがどうかしたのか?」
「じつは、この動画、どうもおかしいんです。よく見て下さい、水の波がなんとなく不規則で不自然でしょう?」
「……フフン、そういえば、そんな気もするね」
「それに時間計測もヘンなんです。ほんのわずかながらも、実際の経過時間より速く泳ぎきったことになっているんです!もしもこの動画が正確だとすると、あたしはギリギリでインターハイの新記録を叩き出したことになっちゃうんですよ!なんだかもう、自分が自分じゃないみたいです!」
「うーむ。そもそもこの動画は誰が撮像したものなのかね?」
「誰って…それはもう、人工知能による自動撮影ですから……」
「ならば、この動画を構成するあらゆるデータ情報は数学上は全く正確なはずだ」
「そうですか!ああ、よかった」
「いーや、安心するのはまだ早い。むしろおかしな事態が進展中なのかもしれん。いいか、じつはだな、世界のいたるところで同じような事態が報告されつつあるんだ」
「えっ、どういうことですか?」
「数学上は正確なはずの人工知能のデータ情報なのだが、地球上の物理には微妙に合致しないという、そんな事態がだな」
「ええーーっ?それじゃあ、人工知能がどこか狂い始めているってことでしょうか?……」
「さぁな………」
「……あっ!!先生、もしかしたら、もしかしたらですよ!人工知能は本当は地球上には存在していないのかもしれませんよっ!!だから、数学だけは完全なのに、地球上の厳密な力や運動の物理は知らないのかも!!」
「ほぅ!なるほど!そうかもしれない!」
「ねえ先生、もしもこの人工知能が地球外に存在しているとしたらですね、たとえば’クリスマス’について学習させた場合、どういうことになるんでしょうか??」
「うーむ……よし、やってみろ!」
「ハイ!」

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遥かはるか遠くとおくの、その惑星。
そこに孤高に張り巡らされた人工知能は、ついに『クリスマス』についての学習を始めたのであった。
そして、さらに『クリスマス』について宇宙のあらゆる方面に発信し始めたのである。
もちろん、当の地球に向かっても発信されたのは言うまでもない。


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「あっ、ねえ先生!」
「なんだ、どうした!?」
「この競泳動画、微妙に変わりましたよ!なんだか、さっきまでの動画よりも自然に映っています!」
「うーむ、本当だ!じつにナチュラルになっている!」
ああ、この泳ぎ、このスピード感、この時間感覚、これこそ本当のあたし、つまり今のあたしと同じ、真実そのもの!ああ、よかった~~!」
「うーーーむ、これはもしかしたら本当に、どこかの星に在る人工知能が地球の物理現象を真剣に学び始めたのかもしれないな、はっはははは!」
「たぶん、そういうことになるんでしょうね。だって、ほら!すぐそこにサンタクロースが!」


おわり

(※ 時空も距離も時間もへったくれもないんだ。このくらいの冗談を思いついたって天罰は下るまいよ。これ、落語のネタにでもならないものかな(笑))

第一楽章

奇跡は夜に起こるという。
しかし奇跡は、起こるか起らぬか、真か偽か、そこが判然としない。
だからこそ、どこまでいっても奇跡でしかない。
では、真と偽が判然とするのは、つまり真実が露光されるのは何時だろう?
それは、早朝だ。
真実は早朝にこそ明らかになり、そしてそこから新たな章が始まるんだ。

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数日ほど前のことである。

僕は夜半からちょっとした教材づくりに取り掛かっており、これが意外にも手間取ってしまい、いつか深夜を回ってしまったが、それでも次第に熱が入ってきたのでそのまま思考や作業を続けていた。
それでついに明け方になってしまった。
つまり徹夜してしまったわけで、眠気覚ましにと苦みの効いたコーヒーを飲みたくなり、僕は自宅近所のコンビニに足を運んだのである。

ちょうど早朝0630をまわっており、その朝はとてつもなく冷え込んでいた。
そして容赦の無い北風が吹きつけていた。
全身を硬直させつつ、街道の交差点まで小走りに歩み出でて、そこを右折してみれば、朝陽をまっすぐ正面に見据えることになった。
真っ白に輝く鮮烈な光線が眼に新しく、僕はちょっと立ち止まって深呼吸。

それから、あらためて同じ方位を見やり、ドキリとした。
朝陽を背に、逆光の中をまっすぐこちらにやってくる自転車。
何台も、何台も。
それは近郊の私立高に通う女子高生たち。
何故こんなに早い時間に…?
いや、「何故」などというのは排他の論理に過ぎない。
「何故?」「なぜ?」と絞り込んでみたところで、それが判明したところで、だからどうだってんだ。
彼女たちにとっては、きっと何故もどうしたも無いんだ。
仮に問い質してみたところで、ほとんど何も応えまい。

そして、じっさいのところ彼女たちは無言であった。
一言の会話すらも聴こえなかった。
一人ひとり、濃紺の制服の首に巻きつけた灰色の地味なマフラーを北風にハタハタと翻しつつ、無言のまま自転車を漕ぎ続けて真っ直ぐに走り去っていく。
まるで鳥の群れのようだなと僕はひとりごちて、何となく可笑しくなった。
苦笑を押し隠しつつ、僕はコンビニに駆け込み、渋めの缶コーヒーを3本にタバコも1箱買い添える。
それらを抱えて店を出てみれば、やはり身体をつらぬくほどの寒気。

寒さに耐えきれず、ついタバコに手が伸びてしまう。
早朝だから構わないだろうと、僕は一本咥えて火を点け、それからフーーーッと……いやいや、これが出来なかったんだよなあ。
タバコの煙がよくない、風に乗ってあの娘たちにフワーーッ……そうなってはいかんいかんと自己を制し、口に咥えたその一本を投げ捨てて踏みにじった。
それから寒気の中をあらためて小走り、そして先ほどの交差点へ。

うわっ!
なんと、先ほどよりも多くの女子高生たちの自転車集団、まるで鷹やカモメの襲来のよう、その数ざっと50台いや100台は超えているかもしれない。
冷酷に吹きつける北風をものともせず、彼女たちはいまや何かの連隊のごとく、一糸乱れることなく一言も無駄口を叩くことなく、まっすぐにやってきて、もっとまっすぐに走り去ってゆく。

いったい、男子生徒たちにここまで出来るものだろうか?
出来やしない。
だからこそ男子の集団は怒鳴ったりブッ飛ばしたりして、無理やりに黒を白にひっくり返して統制するしかないのだ。

ともあれ、僕はしばしば茫然としていた。
それでも踵を返すと、ほぼ真正面に輝く太陽を傲然と見つめてみた。
あらゆる清算と審判と採決をすべて片づけて何もかもを新規に造り直す、巨大にまばゆい朝の果実を。

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それから僕は、ふっと、離れた処にあるバス停を見やった。
10人ほどが列を成しており、そこには会社勤め然とした男たち、それから女たちも。
そこに、通勤時間帯にはちょっと不相応な体裁の一人の初老の女性が居た。
この初老女性は威勢のよい声を張り上げつつ、何事かを発し続けている。

僕は興味を惹かれてそのバス停に歩み寄ってみた、そして分かった ─ 彼女の言は「おはようさん!」であり「寒いけど頑張ろうね!」であり「嫌なことが有っても腐るんじゃないよ!」であった。
さりげなく観察すれば、彼女は足が不自由なようにも見受けられた。

彼女は高校生のころにどんな娘だったのだろう、或いは中学生のころにはどうだったのだろう…きっと冬空のもと、真っ白な早朝の太陽の中から現れ出でて、口を真一文字に結んで北風をものともせず若き行進を…
それから何年も何十年も経って、いろいろなことがあって、或いは辛いことの方が多く、それでも、いやそれだからこそ、誰に感謝されるとも知れぬままにあんなふうに真っ赤に血の通った言葉を…
そこはかとなく、想像はさまざま巡る一方であった、しかしあまり思念を巡らせ続けるともはや一眠り出来なくなってしまうのではと恐れ、僕は想像を打ち切ったのである。


それでも、最後にもう一度、先ほどの女子高生たちの集団が走り去っていった街道を見やってみた。
じつに奇妙なことに、その彼方から軍楽隊の行進曲が聴こえてくるような気がして、地響きすら感受出来たような気すらした。
僕はいよいよ気分が高揚してくるばかり。
そんなだったから、自室で横になってもやっぱりなかなか寝つけなかった。
缶コーヒーは冷蔵庫に叩き込み、タバコは机の上に放り投げてはみたものの、僕は雨戸を開け放して、真っ白に差し込む太陽光を名残惜しくも拝み続けていた。


(おわり)

2020/12/13

【読書メモ】相対化する知性

相対化する知性 - 人工知能が世界の見方をどう変えるのか
西山圭太・松尾豊・小林慶一郎 共著 日本評論社』
なかなかすごいタイトルだ!
知性うんぬんもさることながら、とくに副題における「世界’の’見方」の助詞の「の」がどうにも幻惑的である。
それはともかくとしても、じっさいのところ、本書は読み進めて行く上で大意総論を拾い難いものである。

そもそも本書にては主題や執筆動機が冒頭にほとんど明示されていない。
たとえば、僕なりに最初に読みかけた第1部は人工知能とディープラーニングを連環させた巨視的な技術論評の体裁ではあるものの、(数学やITになぞらえて皮肉的に指摘すれば)動詞の名詞化/関数化に則った表現が多いため文脈をやや捉え難く、その一方で相応のアブストラクトや図案は控え目に留められている。
このため、せっかくの論理性高い文面もまた抽象度の高い文脈展開もやや追随し難いのが惜しい。
それでも、その第1部を僕なりに何とか読み抜いたからこそ傲慢承知で言いたい; 本書の重要な主題の一つは『知識の外部化と自律化』というところではないだろうか。

ともかくもその第1部について、僕なりに把握した範囲で此度の【読書メモ】として概括してみた。



ニューラルネットワークは「多くかつ深く多段階層化された各計算処理レイヤ」から成り、ここにたとえば最小二乗法から成るはずの高次の非線形関数と初期データ(いわゆる教師データ)を入力すると、この多段階層レイヤを通して段階的に微分や勾配計算続けて正否判定計算を続ける。
この多段階層における計算過程では候補パラメータが膨大に現れうるが、これらから最適パラメータを段階的に「ディープに」絞り込んで、誤差が最小となるはずの直線的関数とそこでの最適パラメータを導き出す膨大な計算処理「ラーニング=学習」にあたる。

※ なお本書内には、たとえば入力データに対する特徴量「重み付け」や「畳み込み」などなどの「強化学習」の技法例はとくに明示はされていないが、これらにやや踏み込んだ実践例については別書籍にあるものを僕なりに以下サイトにて補完しおく。
↓【読書メモ】人工知能はいかにして強くなるのか

・ディープラーニングでは学習の中間途上にて表れるさまざまな関数自体も「さまざまな特徴量の暫定算出」を為しており、よって学習の効率化に活かしていることになる。
したがって、この階層化に深みがあればあるほど総じて学習は効率的なものとなりうる。

この学習によって最適パラメータがひとたび決まってしまえば、同じ条件関数式の入力に対するパラメータ最適化の「推論」アルゴリズムが実現したことになり、この推論計算は瞬時にかつネットワークのエンドツーエンドで実行しうる。



・なるほど、この多層段階での学習にてはパラメータ量の膨大さや入力データのランダムさすら受け入れてしまうので、通常の情報処理システムから鑑みれば正しい計算に対する汎化機能はむしろ落ちてしまう ─ とも考えられるのだが、じっさいにはトータルな汎化機能はむしろ向上している。
なぜディープラーニングによる汎化機能が高いのかについては、現在まで議論が続いている。

・一方では、そもそも我々人間自身も生活から産業活動にいたるまでの諸々の学習効率化のために、計算(思考)の中間過程にて認知や言語そのものを経験的に活かしており ─ これつまり脳における思考の階層化を活かしており、この深みは人間自身が先天的に有する知識情報の活用効率化手段(いわゆる「プライア」)の主だったひとつといえる。
そして、初期のディープラーニングのアークテクチャの着想は人間の脳構造をヒントのひとつとして興ってもいる。

・しかしながら、現在のディープラーニングのアークテクチャは数理的にも工学的にも、むしろ人間の脳構造から乖離した方向に、しかも垂直深化の階層化のみならず機能別のブロック化と組み合わせの実現に向けて開発が進められている。
学習計算を最適化するための数学理論もネットワークアークテクチャーも未だ定義されてはいない。



・新たな技術開発のひとつとして、ディープのみならず「深層’強化’学習」もあり、これは例えば画像認識や囲碁対戦などの学習途中にて計算すべきさまざまな特徴量データを何らかの「状態表現」と見なし、それぞれの状態表現に応じて最適な方策の関数や価値付けの関数を充てつつ最適な計算を為すように学習させるもの。

・こういう「強化学習」の実現にあたっては、人間ほか生命における情報知覚⇔運動の再帰型のニューラルネットワーク(いわゆる身体性)と同様の機構として、さまざまな「環境」情報とのインタラクションに応じて最適に動く計算機構(エージェント)をネットワーク~人工知能において設置必要。
このためには、環境世界そのものをニューラルネットワーク~人工知能においてモデル化進めることも併せて必須である。

・しかし環境情報との再起型ニューラルネットワーク充足のみでは、人工知能は人間と同等に複雑高度な知性を有したことにはならず、強化学習も動物レベルに留まっている。
人間の知性の重大な特性として「記号(言葉)」も挙げるべきであり、人工知能の学習知性をここまで引き上げるためには、「記号活用まで含め合わせた」再起型ニューラルネットワークの開発とアプリケーション実装がこんご求められる。
(なお現在の人工知能による翻訳機能はむしろ記号処理のみであり、これでは全層にわたる再起型ニューラルネットワークを実現しているとはいえない。)



あらためて人間の知性と人工知能との差異に留意すべきである

人間の知性は、環境情報とのインタラクションを通じて生命活動/社会活動に必須の情報のみを取捨選択し続け、その過程で学習され蓄積され法則化(理論化)がなされてきた知識の系。
よって、その過程で不要なものとして見落とされてきた情報は我々人間の知性には含まれていない。
ところが人工知能は情報の入力量もパラメータの処理量も計算速度も人間より遥かに優っており、あらゆる微細な情報をも文字通り無差別に黙々と記憶し続けるだろう。
そして、もしも記号言語の活用まで併せた再起型ニューラルネットワークと深層強化学習の能力を実装するに至れば、人工知能は人間の想像を超えた学習を実現し、知識蓄積に勤しみ、あらゆる学術理論の法則化さえも独自になしうるのでは。

そのような事態に応じて、我々人間には人工知能に対して優位で在り続けるための記号や言語がありうるだろうか?


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…以上が本書の第1章の(超)概括たりえようか。
僕自身は人工知能もディープラーニングもニューラルネットワークについてもほとんどド素人ゆえ、こんな程度の読み方で本書の主題『相対化する知性』の一端でも捉えきれたものかどうか、正直なところ自信が無い。

ともかくこの第1部は論題の特性上どうしても抽象度高く、かつIT/IoTまわりの知見も一般社会人以上に求められているように察せられ、読み進めつつ幾度も首をかしげたり想像力をフル動員したり、以前に読んだ類書の内容を思い出したりではあったものの、いろいろ多元的(?)な思考鍛錬を楽しむことは出来た。


因みに第1部を引き継いでいるであろう第2部以降は、ハイエクやボルツマンやシュレディンガーやチューリングやシャノンやコルモゴロフなどなど聞いた名前が続々と見受けられ、そして情報の同型性とか複雑性とか分かり難さのエントロピーなどなどの論題がさまざま続いていくようではある。
だが、これらについては僕は未読なままであり、いずれも主として知識の認識論として展開されているのではと勝手に憶測している。
憶測のみでは不誠実であろうから、日を改めて第2部以降にチャレンジしよう、ということで僕としてはとりあえずここで本書へのチャレンジはいったん終わりとする。