2020/12/24

第一楽章

奇跡は夜に起こるという。
しかし奇跡は、起こるか起らぬか、真か偽か、そこが判然としない。
だからこそ、どこまでいっても奇跡でしかない。
では、真と偽が判然とするのは、つまり真実が露光されるのは何時だろう?
それは、早朝だ。
真実は早朝にこそ明らかになり、そしてそこから新たな章が始まるんだ。

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数日ほど前のことである。

僕は夜半からちょっとした教材づくりに取り掛かっており、これが意外にも手間取ってしまい、いつか深夜を回ってしまったが、それでも次第に熱が入ってきたのでそのまま思考や作業を続けていた。
それでついに明け方になってしまった。
つまり徹夜してしまったわけで、眠気覚ましにと苦みの効いたコーヒーを飲みたくなり、僕は自宅近所のコンビニに足を運んだのである。

ちょうど早朝0630をまわっており、その朝はとてつもなく冷え込んでいた。
そして容赦の無い北風が吹きつけていた。
全身を硬直させつつ、街道の交差点まで小走りに歩み出でて、そこを右折してみれば、朝陽をまっすぐ正面に見据えることになった。
真っ白に輝く鮮烈な光線が眼に新しく、僕はちょっと立ち止まって深呼吸。

それから、あらためて同じ方位を見やり、ドキリとした。
朝陽を背に、逆光の中をまっすぐこちらにやってくる自転車。
何台も、何台も。
それは近郊の私立高に通う女子高生たち。
何故こんなに早い時間に…?
いや、「何故」などというのは排他の論理に過ぎない。
「何故?」「なぜ?」と絞り込んでみたところで、それが判明したところで、だからどうだってんだ。
彼女たちにとっては、きっと何故もどうしたも無いんだ。
仮に問い質してみたところで、ほとんど何も応えまい。

そして、じっさいのところ彼女たちは無言であった。
一言の会話すらも聴こえなかった。
一人ひとり、濃紺の制服の首に巻きつけた灰色の地味なマフラーを北風にハタハタと翻しつつ、無言のまま自転車を漕ぎ続けて真っ直ぐに走り去っていく。
まるで鳥の群れのようだなと僕はひとりごちて、何となく可笑しくなった。
苦笑を押し隠しつつ、僕はコンビニに駆け込み、渋めの缶コーヒーを3本にタバコも1箱買い添える。
それらを抱えて店を出てみれば、やはり身体をつらぬくほどの寒気。

寒さに耐えきれず、ついタバコに手が伸びてしまう。
早朝だから構わないだろうと、僕は一本咥えて火を点け、それからフーーーッと……いやいや、これが出来なかったんだよなあ。
タバコの煙がよくない、風に乗ってあの娘たちにフワーーッ……そうなってはいかんいかんと自己を制し、口に咥えたその一本を投げ捨てて踏みにじった。
それから寒気の中をあらためて小走り、そして先ほどの交差点へ。

うわっ!
なんと、先ほどよりも多くの女子高生たちの自転車集団、まるで鷹やカモメの襲来のよう、その数ざっと50台いや100台は超えているかもしれない。
冷酷に吹きつける北風をものともせず、彼女たちはいまや何かの連隊のごとく、一糸乱れることなく一言も無駄口を叩くことなく、まっすぐにやってきて、もっとまっすぐに走り去ってゆく。

いったい、男子生徒たちにここまで出来るものだろうか?
出来やしない。
だからこそ男子の集団は怒鳴ったりブッ飛ばしたりして、無理やりに黒を白にひっくり返して統制するしかないのだ。

ともあれ、僕はしばしば茫然としていた。
それでも踵を返すと、ほぼ真正面に輝く太陽を傲然と見つめてみた。
あらゆる清算と審判と採決をすべて片づけて何もかもを新規に造り直す、巨大にまばゆい朝の果実を。

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それから僕は、ふっと、離れた処にあるバス停を見やった。
10人ほどが列を成しており、そこには会社勤め然とした男たち、それから女たちも。
そこに、通勤時間帯にはちょっと不相応な体裁の一人の初老の女性が居た。
この初老女性は威勢のよい声を張り上げつつ、何事かを発し続けている。

僕は興味を惹かれてそのバス停に歩み寄ってみた、そして分かった ─ 彼女の言は「おはようさん!」であり「寒いけど頑張ろうね!」であり「嫌なことが有っても腐るんじゃないよ!」であった。
さりげなく観察すれば、彼女は足が不自由なようにも見受けられた。

彼女は高校生のころにどんな娘だったのだろう、或いは中学生のころにはどうだったのだろう…きっと冬空のもと、真っ白な早朝の太陽の中から現れ出でて、口を真一文字に結んで北風をものともせず若き行進を…
それから何年も何十年も経って、いろいろなことがあって、或いは辛いことの方が多く、それでも、いやそれだからこそ、誰に感謝されるとも知れぬままにあんなふうに真っ赤に血の通った言葉を…
そこはかとなく、想像はさまざま巡る一方であった、しかしあまり思念を巡らせ続けるともはや一眠り出来なくなってしまうのではと恐れ、僕は想像を打ち切ったのである。


それでも、最後にもう一度、先ほどの女子高生たちの集団が走り去っていった街道を見やってみた。
じつに奇妙なことに、その彼方から軍楽隊の行進曲が聴こえてくるような気がして、地響きすら感受出来たような気すらした。
僕はいよいよ気分が高揚してくるばかり。
そんなだったから、自室で横になってもやっぱりなかなか寝つけなかった。
缶コーヒーは冷蔵庫に叩き込み、タバコは机の上に放り投げてはみたものの、僕は雨戸を開け放して、真っ白に差し込む太陽光を名残惜しくも拝み続けていた。


(おわり)