2021/03/26

早稲田理工学部の入試英語 (2021)

大学受験生の諸君へ。

英語はいつまでそしてどこまで世界共通言語たりうるだろうか?
既に諸君も知ってのとおり、アメリカ合衆国はとっくのとうに分裂国家となっており、人種と民族と宗派などなどによる分立がいっそう進んでいる。
英語の派生や変異も続くだろう、よってこれが共通言語であり続けるとは考えにくい。
(だからといって中国語やアラビア語が世界共通言語になることは、宗派や政治信条から鑑みてなおさらありそうもない。)

日本の大学入試では当面は英語が出題され続けるであろうが、いつまでも重視され続けるかどうかは分からないし、もし名だたる重鎮大学が入試の英語はやーめたと言い出したら、端っこの大学もやめてしまうかもしれない。

あらかじめ言っておきたい。
高校生諸君に最も必要な科目は理科と社会科と文化芸能だ!
とりわけ、理科と社会科の理解を高めるためにこそ、他の科目も課されているんだ、数学マニアがなにを言おうともだ。
なぜかって?
いいかね、実社会にて毎日ドカンドカンと沸き起こる諸問題は、理科と社会科にかかわるものであり、解決の根本も理科と社会科に則るしかないからだ!

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ともあれ、大学入試の英文読解に関して、以下にちらっとまとめてみた。

そもそも、物理や化学にては、全体と要素の量は常に呼応している。
たとえば或る物体の運動、力積や運動量、もっと次元を上げた仕事やエネルギーにて、それら量ひとつひとつと、足し合わせたり掛け合わせたりの総量は同じになる。
化学物質でも、或る特定の環境条件下における物質や触媒において、それら反応前と反応後で物質の総量が変わることはない。

また社会科にても、たとえば政治経済科などでは要素知識と全体命題は呼応している。
(尤も今回の共通テストでは、出題文として掲げられた大命題と個々に問われた断片知識が必ずしも対応しておらずバラついてしまっていたものの。)

しかしながら。
英単語英文の関わりはまったく別物である。
諸要素つまり英単語は人間の思念によるなんらかの「ヒラメキ」にすぎず、英文はそれら「ヒラメキ」の組み合わせ「論理」にすぎないので、個々と全体が「量」にて一致するとは限らず、むしろ呼応しない例がほとんどである。
よって、単語は組みあわせごとに個別の論理(意味)があるものとし、英語の学習ではそれらの量を増やしてゆくしかない

本旨はこれまで幾度も記してきたし、学生たちにも何十回となく念押ししてきた。
今回はじっさいの大学入試英語に則って論じてみたい。

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最たる例が、本年2月に実施された早稲田大学理工学部の入試英語でありえよう。
とりわけ大問Part 1.のText I であり、この出題英文が「医療データ照会システムについてのさまざまな比較論」であるということは、個々の英単語の属性分析にいくら通暁していても閃かない。

留意して欲しいところをちょっと列記する。

まず第[1]段落。
1行目、'proccessing mechanisms as a core component of expertise in medical image perception ... ' について。
ここで'processing'だけでも'mechanisms'だけでも具体的な意味は成さない、しかし'component of expertise'つまり特定範疇のデータ源と続くので、それらデータを演算処理する機構の意であろう、つまりコンピュータの一種たりうると「連想」可能。
かつ、ちょっと後に'detection model'とあるので、ああやっぱりそんなもんだと連想可能。
さらにmedical image perception'は、'perception'についての'medical'な技法に則った'perception'なのか、はたまた'medical image'の'perception'なのかとしばし逡巡しうる、がしかし本文面が特定範疇のデータ処理について語っているので後者の意であろうと見当がつく。
(それに、そもそも英語にては名詞を連結して別の名詞と化していく表現が極めて多く、ここでも'medical image'をまず1つの成語とし、「その」'perception'だろうと見当をつけるのが普通。)

続いて、4行目から5行目にかけての'domain'や'field'は、これらだけではマシン上の資源の意か学術上の領分の意なのかが見極められない(本英文にはこのように次元範疇を惑わせるいやらしさがあって、そこがエキサイティングだわな(笑))
しかしちょっと前に'conceptualizations'とあるので後者の次元であろうと了察出来る。

どうだろうか、本文冒頭のほんの一欠片を確かめただけでもお分かりのように、英文読解に必要な知性はあくまでも単語知識とそれら組み合わせの連想力、そして何よりも理科や社会科についての一般見識である。
慶應SFCや文学部の入試英語などなど難度高い英文を読み抜く上で、とりわけ言えることである。
一方で、学校教育にて執拗に続けられている文法の属性分析は英文読解にてはほんのド基礎に過ぎず、そんなものをアホ面さげて長時間強要し続けている英語教育はおそろしく間違っている。


第[2]段落
まず2行目からの、'medical experts rapidly extract a global impression of an image ...' とあり、ここで'global'の真意が判然とするわけがないのでとりあえず措いて、'impression 'がじつに分かり難い。
しかし、続けて 'this impression consists of a comparison between the contents of the image, and the experts' prior knowledge about the visual appearance of normal and abnormal medical images (i.e., the experts' schema)  とある。
ここまで読み進めれば、この'impression'は人間側の主観の意ではなく、本システムにおける処理対象データを総括した別のデータ/レコードの類かなと見当をつけることができよう。
(例えばビットコインにおけるブロックチェーンレコードみたいなものか、と閃いた子が居れば、それが正鵠を突いた了察かどうかはともかくも、きっと本テキストの論旨はほぼ理解しえよう。
そして18歳にもなればそのくらいの知識と連想が働くやつだっているんだ。)

かくて、第[2]段落はこの'impression'について例示したのち、いよいよ最重要の一節に至る。
すなわち11行目、'... after the completion of focal processing of a possible abnormality' との要件を付けた上で、引用文として
 "attention shifts back to the medical image for a new global impression flagging another perturbed region,
focal analysis searches it,
a new object can be recognized
and recursive testing for abnormalities continues
until the observer is satisfied that enough evidence has accumulated to make a diagnostic decision."
と続いている(読点はママ)。

'flagging'と'pertuebe'は知らずともよい、ともかくも既に真意を類推済みの'processing'と'image'と'impression'を元に本箇所の論旨を強引に読み抜いてみよう。
すると、「特定の異常値分析をいったん済ませたシステム利用者が別のデータ/レコードを照会すれば、新たな分析対象データを認識出来、その上で、医療上の意思決定に十分なエビデンスを獲得出来たと納得出来るまでさまざまな異常値対象への'recursive'なテストを継続できる」 といったような論旨ではないかと検討をつけることが出来よう。
そして設問対象となっている'recursive'がデータ蓄積応用といったふうな主旨であろうとも見当がつくのではないか。

大問Part IのText I についてはこのあたりでやめておく。
ともかくも、「いかなるシステムがいかなる用途のために在り、誰がなにゆえにそれを活用するのか」について第[2]段落まで了察出来れば、第[3]段落以降のシステム/活用の比較論についてもなんとか食らいついてゆけるものと察する。
(超退屈なTextではあるけどね、早慶の入試英語とくに早稲田はこういう分析力考査が好きなようだ。)


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ついでに。
大問Part IVのSection B.について、どうも設問の設定が不十分ではないかと僕なりに疑念が残っている。
しかも、主旨すら分かってないくせにムッチャクチャな解説して逃げ回っている教育従事者も居る由、なんだか腹も立ってきたので論うこととする。

そもそも本問では、「地方議会議員の候補者」としてDonとKeyとElleの3名が提示されており、この3名に対する有権者の「選好順位」が1位から3位までリスト化されつつ、そのように選好した有権者の総数も記されている。
しかし、本問の最初に念押しされている「本地域は歴史的に60%が民主党支持で…」の主旨がさっぱり分からない。
しかも、「3名の候補者」についての有権者による「3位までの選好順位リスト」であるならば、3!つまり6通りの順位リストがありうるはずなのに、本問にては E>D>K, D>K>E, K>D>E の3通りしか呈されていない ─ ここのところ、初めはやや当惑してしまった。

もちろん、本出題文はいわゆる「コンドルセのパラドックス」を指摘したものゆえ、全リストとその有権者数を前提に据える必要は無いのであろうが、それならそうと出題文に明示して欲しかった。

(「コンドルセのパラドックス」を18歳が理解出来るものだろうかとの疑義的見方もありえようが、しかし政治経済科でちょっと突っ込んだ話をする高校の子であれば、たとえこのパラドックスそのものは知らずとも本問の論旨くらいはパッと閃いてもおかしくはない。
だから理科も社会科も熱心に勉強しろ。)


以上

2021/03/20

Another Time


先生、こんにちは!あたしですよ、覚えていますか?」
「…やぁ、君か。暫くぶりだなぁ。はっははは、君は一段と体型が図々しくなったんじゃないかね」
「イエーーース!ずんずんずんずん、ずずずーん!」
「ばーか、ふざけるなって。それで ─ 今日は、別れの挨拶に来たんだね?」
「へーっ?分かるんですかー?」
「そりゃぁ、一瞥すりゃ分かるよ。これから大学生だというのに化粧っ気ひとつ無い、ちょっと動物みたいなすっぴん顔。それは去っていく娘の顔だ」
「むぅ?」
「それに、その濃紺のブレザーはやや緩やかなつくりだが、そら、ちょっとムキになると肩がはちきれんばかりに盛り上がる。それどころか、真っ白なスラックスはもう太股がはちきれているじゃないか。どれもぴかぴかの新品だな。お母さまと口喧嘩しつつ、店員の口車に乗ってせっかちにまとめ買いしただろう」
「うぬぬぬ
「はっははは。いいさ、いいさ、コーディネーションは悪くない。さて、さらに察するに、ここで俺に別れを告げたら、君はその足で駅に向かうんだね」
「う~む…」
「そして駅には大きめの旅行鞄が預けてあり、荷造りに不慣れな君はその鞄の中に素敵な思い出もくだらないガラクタもギュゥギュゥと詰め込んでおり、君はそれをひっつかむと午後の特急に駆け乗って、いよいよ遥かなる新天地へ ─ そんなわけで、意気を込めて精一杯の着こなしってわけだ。どうだ、概ね当たっているだろう」
「あっはははは、そうですね、当たらずといえどもってところでしょうか(笑)」
「まあ、所詮は直観だからな、直観。でもね、今見せたような人間の直観こそが文脈を作り、ストーリーを練り上げるものなんだ」
「へぇーーっ、そんなもんですかねーー」
「そんなもんだ。何でもかんでも科学に則って分析するのは本当はおかしい。とくに時間ごとに微分微分微分と突き詰めていくのがおかしい。そうやって突き詰めてしまえば、あらゆるものが一瞬一瞬の画一的な断片にすぎないってことになるんだよ」
「ふーん?でも物理学や化学ってそういう微分計算によって正体を見極めることでしょう?」
「物質や物体に対してならばそれでもよい。しかし人生というドラマを、人間という奇跡の巡り合わせを、一瞬一瞬の微分や分析ばかりでバラしていけば、つまるところ何にもならないぞ ─ さぁ、もう行け。素晴らしい大学生活を祈っているよ」
「はぁ、おっしゃる意味は分かりました……ねえ先生、最後に教えて欲しいことが有るんですけど」
「へぇ?何かね?」
「あたしは、将来どんなふうになると思いますか?」
「さぁな……しかし、もしかしたら、俺はずっとずっと先回りして、いつかどこかで君を待っているかもしれない。あるいは君が待っているのかな。そんな予感めいたものが…もしこれが正しければ、君は、君はいつの日か…」
「はぃ?あたしはいつの日か、どうなるって?」
「…いや、やめておこう。人生という物語は、何もかもが動き続けており、だからこそ変わり続けていくものだからね ─ さぁ!その素敵なブレザーの袖をたくし上げて、たった一人で春一番に向かって逆走して、たくさんの桜吹雪を吹き飛ばして、子午線と回帰線を突っ切って、そのときその場の因果も損得も超越して、大いなる局面を新たにつくれ。青春期の一瞬一瞬を自在に紡ぎあげて、誰もが予想しえなかったような素敵なレディになってこい!」
「ハイ!わかりました!それでは、いつかまたお会い出来るかもしれない日を楽しみに、これにて失礼しまーす!さよならっ!」
「いいか、忘れるなよっ、風はいつも連続しているんだ、そして常にさまざまな方向に吹いているんだ……おいっ、こらっ、ドアくらい閉めていけっ!」


(おわり)

※ 物理本を読んでいて、むかっ腹がてらにこんな話を思いついてしまった(笑)

2021/03/08

【読書メモ】 意思決定の科学

『「意思決定」の科学 川越俊司・著 講談社Blue Backs
本書は意思決定の数理分析についての概説本。
巻頭における案内によれば、人間のさまざまな「選択」に際しての彼の主観的な「効用」判断と「選好」から数学上の「期待値」まで、すべて公理と関数を以て理論化されており、それが意思決定の科学であると。
科学とは称しても、そもそも選好の根拠たる効用には物理量の設定が無く、理論としての公理もさまざまな効用関数もあくまで記述手法としての数学に過ぎない。
一方で、意思決定の科学は行動経済学と重なってもいる由であり、よって本ブログでの本書紹介は社会科の一端としてみた。

本書の基本導入箇所はおそらくは第1章「期待効用理論」の後段から2章 「プロスペクト理論(期待効用理論を超えて)」までであろう。
どちらも章末に「まとめ」のページがおかれているので概ね論旨は了察しやすい。
ただし同箇所にては、コイン投げのゲームと賞金くじのゲームが入れ子のように呈されており、これらゲーム例と論旨展開のかかわりがやや分かり難かった。

ともかくも、本書第1章~第2章について僕なりに以下のとおりごく簡易に概括してみた。


<サンクトペテルブルクのパラドックス、期待効用理論>
『公平なコイン投げのゲームがあり、初めて表が出るまでのコイン投げ回数とそれに応じて大きくなる賞金額が設定されているとする。
この要件にて、たった1投だけこのゲームに参入できるとして(つまり参入によるリスクは有限であるとして)、何投目に参入すれば賞金額が最大となるか?』

…というゲームにて、賞金獲得のための直観上の効用判断~選好数学上の「期待値」は往々にして食い違ってしまい、この食い違いによって数学上のパラドックスが起こる。
端的な例として「サンクトペテルブルクのパラドックス」と称す。

ここで極端に単純化し、1投目と2投目での賞金額(X,Y)とその獲得確率Pの積を設定し、これを足し合わせれば数学上の期待値を表現出来る。
期待値 E = pxX + (1-p)xY
ここでゲーム参加者の主観的満足度としてなんらかの「効用」関数u(x)を投入すると、期待値表現は EU = pxu(X) + (1-p)xu(Y)
これが期待効用理論の基本、この効用期待値はゲーム参加者の最大満足度(そしてリスク限界プレミアム)を表現したことになり、この期待効用値総和を必ずプラスにおく意思決定もありうるし、マイナスにおく意思決定もありうる。

期待効用理論の公理は以下の通り明らかであるとされ、フォン=ノイマンらによってまとめられたもの。
・順序公理: 選好要件の完備性とその推移性を満たすとする
・連続性公理: 複数の選好要件を合成して新たな選好用件が成立するとする
・独立性公理: 上の要件合成にかかわらず元の選好要件は変化しないとする
人々がこれら3つの公理に同時に拠る選好を成すことと、彼らにとっての期待効用が最大になることは、数学上同値となるとノイマンは証明した。
これを以て、期待効用理論は意思決定における効用判断と選好を完全に記述した ─ とされた。

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<期待効用理論の限界>
『公平なコイン1つを表が出るまで投げ続け、k投目に初めて表が出たさいに(2k)2
の賞金が与えられる』
、というゲームを想定する。
まず「k投目ごとの賞金額」は、1投目から表が出てしまったら(21)2、2投目に初めて表が出たのなら(22)2、3投目で初めて表が出たのなら(23)2、4投目なら(24)2、5投目なら(25)2... となる。
一方で「表が初めて出る確率」は、1投目であれば1/2であり、2投目であれば1/4であり、3投目なら1/8、4投目なら1/16、5投目なら1/32 ... となる。
よって賞金の期待値は、1/2x((21)2) + 1/4x((22)2) + 1/8x((23)2) + 1/16x((24)2) + 1/32x((25)2) ... ∞ と無限大に発散する。

ここで賞金額をxとした場合の期待効用の関数uを u(x)=√x とすると、賞金の期待効用は要するに 1/2x√22 + 1/4x√42 + 1/8x√82 + 1/16x√162 + 1/32x√322 ... ∞ となり、これも無限大に発散してしまう。
よってこのゲームでは、投入コストの如何を問わず、期待効用が最大となる選好は設定出来ない。


なお、経済学者アレは、多くの人々が実際には期待効用理論における独立性公理に反した選好をしてしまうと指摘。
本旨指摘のためにアレが呈したパラドックスを簡易に記すと、以下のもの:

『くじAは100%の確率で1万円が当たる。
くじBは10%の確率で5万円、89%の確率で1万円、1%の確率で0円が当たる。
無償でAかBのどちらかのくじを入手できるとしたらどちらのくじが欲しいか?
また、くじCは11%の確率で1万円、89%の確率で0円が当たる。
くじDは10%の確率で5万円、90%の確率で0円が当たる。
無償でCかDのどちらかのくじを入手できるとしたらどちらのくじが欲しいか?』

ここで、くじAとくじBの期待効用をなんらかの効用関数u(x)を以て表すと、くじAの期待効用は1.0xu(1万円)、またくじBの期待効用は 0.1xu(5万円)+0.89xu(1万円)+0.01xu(0円)となる。
そして仮にくじAの方が期待効用が大きいと判断するならば、
1.0xu(1万円) > 0.1xu(5万円)+0.89xu(1万円)+0.01xu(0円)
これは 0.11xu(1万円) > 0.1xu(5万円) とも記せる。
同様にして、くじCとくじDについても期待効用をなんらかの効用関数u(x)を以て表しつつ、こちらの場合にはくじDの方が期待効用が大きいと判断するならば、
0.11xu(1万円) < 0.1xu(5万円) とまとまり、上のくじAとBの場合とは真逆の大小関係になってしまう。

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<プロスペクト理論>
上に掲げたくじゲームにおける不整合は、なんらかの効用関数u(x)がリスク愛好的なものであろうとリスク回避的なものであろうと、どうしても生じてしまう。
とすると、人間の効用判断から選好までの意思決定は「本当は期待効用理論には則っていない」ことになる。

…かかる判断によって、期待効用理論から独立性公理を排除した意思決定理論が閃かれた。
それがカーネマンとトベルスキーによって提案された「プロスペクト理論」であり、これは「確率'重み'付け関数」と「価値関数」を含む。

確率重み付け関数は、或る事象の発生確率が低い場合に人間がこれをヨリ高いものと過大評価し、一方でその発生確率が高いのに人間はこれをヨリ低いものと過小評価する、という心理上の歪みを説明出来る。
また価値関数は、期待関数に人間の損失リスク回避性を導入し数値化するもの。

かくて、「プロスペクト理論」は期待効用理論に代わる意思決定理論とされている、が、これとてサンクトペテルブルクのパラドックスを解決してはいない。

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さて本書はp.145にて、何故にプロスペクト理論がサンクトペテルブルクのパラドックスを解決しきれないかにつき数学手法を以て説明が続く。
そしていよいよ第3章以降は、リスク評価選好の効用関数以外のさまざまな効用関数とそれらによる選好につき仔細な紹介や検証に入って行く。

冒頭に記したように本書は意思決定の科学ゆえ、理数本ではなくむしろ社会科の一冊であり、だから経営学部や経済学部を志向する学生に是非とも一読を薦めたいものではあるが、数学論としても相応に楽しめよう。
僕としても第3部以降にはこんご徐々にチャレンジしてゆく積りだ、ではこれにて。

(おわり)