2014/09/15

ピラミッドの作りかた



① 一昨年(だったかな?)、エジプトのピラミッドの建造方法について僕なりの思いつきを記したことがある。
エジプトのあの大ピラミッドが建てられた当時、あそこは砂漠ではなくて河川であり、だから水中で浮力を利用しながら(重力を克服しながら)巨石を移動し、積み上げていった ─ というもの。
と、いっても一から十まで水中作業だったのではなく、たとえば川の水かさ変化に応じてちょっとずつ建造を進めていけば、作業工員に潜水技術など無くても何とかなるのではないか。
まあ、ざっとこんな閃きであった。
何をバカな、具体的な証拠を、という指摘も頂いたが ─ もちろん思いつきにおいて完結的な物証など無いんだ!
後世のギリシアの学者たちも、川の中にどどんと建てられたエジプトの大ピラミッドを見たことだろう、たとえばアルキメデスは浮力の原理などをひらめいて…

そういえば比較的最近になって、大西洋のどこか海底でピラミッドが発見され、アトランティス大陸があった証だなどと言う声も挙がったとか。
アトランティス伝説はともかくも、地殻変動などでかつての大地が海の底、ってこともあるようだから、エジプトのピラミッドが実は川の中に建てられたっていうのも、けしてムチャクチャなデタラメではあるまい。

さてエジプトの大ピラミッドについての思いつきをさらに拡げるが、あれ、もしかしたら(川の水が干上がった季節には)要塞だったのかもしれないね。
日本の城など思い出せば、殿の天守閣がてっぺんにあって、簡単に攻め上れないよう石垣だの堀だののつくりになっている。
あれに似て、いやあれよりも遥か巨大スケールにて、ピラミッドもてっぺんにファラオが立てこもり、家来とか傭兵連中などがその位や戦力に応じて各段にずらっと守備を固めたのかもしれない。
ましてピラミッドはあの巨大さだ、そうすると、最上段から最底辺までではものすごい人数の守備固めが可能となり、東西南北どこから攻めてくるやつらに対しても、上から弓矢などで迎撃すればきっととてつもなく堅牢な要塞たりえただろう。

さらには、あのいろいろな回廊の微妙な入射角などは、もしかして投石機への石の搬入と発射に最適だったりして (そんな実戦を目の当たりにしたアルキメデスがポエニ戦争時に投石器を開発した、などと時代性を無視した想像はどんどん膨らむのだ。)
爆撃機などが無い時代のこと、大ピラミッドこそはいかなる権力者にとっても難攻不落の居城にして巨城。
だからこそ、ある程度の段まで攻め上っていった敵に対しては、やぁよくここまで来たね、まあ一杯やっていけよ、などと懐柔してそのまま奥の大広間に連れ込んで歓迎パーティなど。

もしかしたら、ヘロドトスはピラミッドの水中での建造方法など見抜いていたが、しかし要塞としての戦略的な活用を意図し、あえてデタラメを書き残したのかもしれない。
ともあれ、こんな巨大要塞に立て篭られてはあまりにも厄介ゆえ、クレオパトラとアントニウスが敗れたとき、主だった機能は破壊されてしまったのかもしれない。
さて、膨大な人数の守備隊をどうやって食わせたのか、などと次の疑問も湧いてくるが、それはどういう給与体系で建造労働者を雇ったのかについての事実解明と表裏一体か、まあいずれ明らかになっていくのかしら。

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②  ナスカの地上絵についても、ぼやっと思いついたことがある。
描かれた当時は平原ではなく、なんというか、禿げ山の急斜面であったということ。
とてつもないスケールの「大文字焼き」みたいなものとして、みなで何か祝ったり讃えたりしてたんじゃないのかな。
いや、大文字焼きではなく、禿げ山ですらなく、山岳の住居区画だったのかもしれないゾ。
或いは、何か鉱物資源の採掘区分だったとか。
ともかく、山の急斜面における巨大な線図であったのなら、そのデザインや配置などを地上から一瞥出来、いろいろ調整し指図しながら描くことも出来ただろう。

そしてその山自体が、数千年の地殻変動を経て、平地になってしまったとすれば、現在のあのさまを説明出来ない?

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③  インカの石造建築、まるで立体パズルのように隙間なく組み合わされた膨大な巨石。
実は、インカの石造建築は、もともとは原初的なセメントと砂利を合成させてつくったコンクリート建造物/壁だったのではないか?
…という説はかなり以前から呈されていたようだが、僕がここで閃いたのはその製法というよりもむしろ崩壊のプロセス。

しばらく前に読んだ 『コンクリート崩壊』 という本によると。
コンクリート素材は、外部からのナトリウムやカリウムによって膨れ上がり水と反応して崩れる、また内部の水酸化カルシウム素材が外部からの硫酸塩と反応しても崩壊する、など。
さらに極端な冷害によっても、コンクリート材はひび割れや崩壊があること。
これらが日本の高速道路コンクリートなどで見られる「ひび割れ」の原因とのことだが ─ さて、古代インカの石造も原初的なコンクリートでつくった長大な壁であり、それが上のような理由からひび割れていったのかな?
たとえば数百年もの大寒波などの影響下で「ひび割れが継続し過ぎて」、今やあたかも個々の石のギッツギツの組み合わせに見えるのかもしれない。

もし本当にそうなら、 とっくに定説になっていてもおかしくないが、まあ仮説には定説もなにも無いのでいろいろ考えるのが楽しい。
いや、仮説どころか、たとえば古代中国の遺跡で発見されたツルッツルのコンクリートなどは腐食に極めて強く、現代建築における有力素材として大注目されているようで。
何がどう有益となるかは、それが有益だと判断するかどうかにかかっているんだね。
しかし、どれだけ遠大で巨大な対象であったとしても、悲しいかな、有益か無益かの論理的判断は常に一瞬のもの。


以上