(1) 数学 (mathematics) はフィクションに過ぎないじゃないか、と思うことがある。
そもそも数学とは、なにがしかの物理的な実体のエネルギーによる実体活動だろうか?
とくに、人体頭脳の如何なる部位における、いかなる物質作用による思考活動なのか?
数学の苦手な人が、特定の食べ物や脳手術によって数学得意になり、特定の物質をずっと家に保管しておけば、そこから発せられる放射線か何かによって数学力がスーっと…。
もしそうでないのなら…数学は 「実体から自生する物質や電気の量」ではなく、「実体と実体の狭間にて帳尻を合わせるフィクション」 に過ぎぬのではないか?
(実は、ハードウェアとソフトウェアについて考えを及ぼすたびに、ここのところに突き当たり、煙幕に捲かれてしまう気分になる。)
たとえば、「ある数学の観念A」に対して、大勢の人々が「素人の疑問a1, a2, a3, a4 .... 」を抱いたとする。
それら「素人の疑問群」 こそが人間のフィジカルな本能から自生するものならば、「数学観念A」の方こそが人間の本性に反したロジック系とは言えまいか?
ただし、「数学観念A」は極めて強力にして伝播性も強く、経験量の差はあっても多くの素人の内部に 「数学免疫A」 が形成され易いので、それをもとにして素人たちも更に 「数学観念B、C、D」との同期を取り易くなるのでは。
かくして。
宗教や法規範観念といったフィクションに似て、数学も伝播性や移植性や共有力が極めて高いフィクションなのである、という気もしてくる。
※ なお、数学がフィクションか人間の本性かと深く洞察した好著として、 『数学の創造力』 という実に野心的な本があり、これは皆さんにオススメである。
暫く以前に本ブログの読書メモとしてささやかに書き置きた。
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(2) ともあれ数学のうちには、門外漢の日常生活の通念ではどうにも併走出来ない理屈が存る。
だから嫌いだ、とは言わぬ ─ そもそも数学の偏差値が60を越えたことの無かった僕でさえ、じつは秘かに「数学免疫」を蓄積しているのである。
しかし、だ。
素数を活かすもの、これだけはどうも腑に落ちない。
本当のところ、合成数をわざわざ素数同士の絶縁関係にバラしたりする手口には同調しきれていない。
あらゆる合成数は、必ず素数に分解できる ─
と、数学の教育者はこともなげに言う (さらに偏差値70の眩いほどに立派な高校に通うガキどもまでが、フンフンと偉そうに。)
ほぅ、そうかい、となんとなく同意は出来るが、それにしても素数というのは実に「非人間的な」観念だと、僕は心中で歯ぎしりしている。
たとえば。
高校数学の前半期に学ぶ、こういう設問について。
33m + 80n = 2200 を満たす、自然数 m, n を求めよ。
本問の前提として。
まず自然数 2200 が、互いに素である 33 と 80 それぞれの何らかの倍数の和であること。
かつまた、自然数 2200 は 自然数 m, n それぞれの倍数の和でもあること。
さて、与式を変形して、33m = 2200 - 80n = 40(55-2n) と、とりあえず 33 と 40 という互いに素の自然数に分ける。
ただしこの変形の目的は、m の値を絞り込むためではなく、むしろ何らかの自然数と n を互いに素の関係に転置するため。
左辺 33m が如何なる自然数であろうとも、右辺の 55-2n は 33 の何らかの因数 (だから33以下)だという。
なんという、非人間的な思考操作であろうか。
ともあれ、ここで n が 22 ならば、上の式の右辺は 40 x 11 = 440 だ。
式全体では 33m = 440 となる、がこれを満たす自然数mはない。
つぎに、n が 11 ならば、上の式の右辺が 40 x 33 = 1320 となる。
よって式全体では 33m = 1320 となり、m = 40 で自然数となるから等式が成立、したがい n = 11 となる。
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(3) さらに、こんなものもある。
今度はむしろ、ある自然数同士が互いに素であることを前提として、その「素」具合の普遍性を導くものだ。
「自然数 a と b は互いに素、とする。
このとき、(a-b) と b も互いに素であることを証明せよ。
なお、a>b とする。」
テキストの手ほどきに従うと ─
証明すべき (a-b) と b の関係において、最大公約数を G と設定、この G が 1 にしかならぬことを証明すればよいのだそうだ。
そのさいに、a, b, (a-b) とGの関係を、やはり互いに素である m, n を新たに起用し、それらとの組み合わせで表せばよい、と。
(a-b) = mG …つまり (aーb) のうちに最大公約数Gがm個ある
また、b = nG …つまり b のうちに最大公約数Gがn個ある
と、まず再定義出来る。
この前提でさらに、b と互いに素であるはずの a を表現すると
a = (a-b) + b = mG + nG = (m+n)G …つまり a のうちにも同じ G が(m+n)個ある。
ここでわかること。
G は a と b のなんらかの公約数である。
その a と b は前提によって互いに素であった。
よって、 G は 1 のみとなり、だから (a-b) と b は互いに素である。
つまり、a と bが互いに素である前提と、(a-b) と b の最大公約数 G が1である証明目的とを、上の再定義によって上手く橋渡しして、本件は証明出来るわけ。
こういうのを見せられると、数学問題の出題要領もなんとなくわかっちゃう。
ある要素間の数学的な関係を 「どこまで開示するか」ではなく、 「どこの関係を隠しておくか」。
しかしそれにしても ─
素数の性質(という非日常感覚的なフィクション)を活かしつつ、数学というフィクションを証明するのだから、これはかなり飲み込みがよくないと未消化のままで終わっちまうぞ。
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(4) ついでに。
以前にどこかで書いたこと。
素数が不規則かつ永遠に在りうるというのは10進法での現象、しかし、2進法や3進法などの世界でも素数が不規則かつ永遠に在るといえるのだろうか?
本問につき、どのように解釈すればよいのか今だに分からない。
今度は、同じフィクションではあっても、もうちょっと人間的な 「数列」 あたりでも食べてみようかなと考えている。
以上