2015/05/14

エントロピー



「先生!お願いがあります!」
「おや、君か。いったい何事かね?」
「来週の陸上競技大会で、あたしが絶対に優勝出来るように、魔法をかけて下さい」
「なんだと?…どうして俺にそんなことを頼むのかね?俺は魔法なんか知らないぞ…」
「嘘っ。先生は以前に、『森の魔女』 から魔法を伝授されていますよね。あたし知っているんです。だからお願いします、先生の魔法で、あたしが大会新記録を出して優勝出来るようにして下さい!」
「うーーむ…そんなこと言われてもなぁ…どうしたもんかな……おい、君はいったいどうして魔法に頼りたいんだ?大会で優勝したいのなら努力すればいいじゃないか。君はまだ学生なんだから、選択肢も可能性もじつにたくさん与えられているんだよ
「選択肢や可能性を期待していては間に合わないんです!どうしても今度の大会で新記録を出して優勝しないければならないんです!だから、魔法を」 
「いったい、どういうことだ?ん?」
「……じゃあ、先生にだけ本当のことを言います。実は……」



「う~む……、要するに君は、今度の陸上大会にて、ご家族の皆様がご覧になっている前で新記録を出して優勝したい、ということだね」
「そうです!今回だけでいいんです!先生、お願い。あたしに魔法の翼を下さい!飛ぶように疾走したいんです!」
「君の意思はよくわかった……うむ、魔法をかけてやってもいい。ただし、だよ、あらかじめ一つだけ大切なことを言っておかなければならない」
「えっ?…なにか、よくないことが起こるんですか?」
「あのね、確かに君は魔法の力によって、とてつもない記録を叩き出して優勝出来るだろう」
「ハイ、それだけでいいんです」
「だが、この魔法は、君が周りの世界よりも早く燃焼して、その分だけ人生の選択肢が少なくなってしまうように作用するんだよ。もはや選択不可能なほどの無秩序だけが残されることになるんだ ─ さぁ、どうするかね?」
「……ああ、そういうことですね……それでいいんです、あたしはもう覚悟を決めました。だから、魔法をお願いします」
「だが、一度かけた魔法は、もう復元は出来ないんだぞ」
「構いません。さぁ、あたしの背中に翼を」 
「うむ」 

=========================


「あっ!先生、こんにちは」
「よぉ、君か。昨日の陸上大会は…」
「凄かったなぁ、って言いたいんでしょ。でもなんというか、実感としては、もうすっかり遠い昔のことみたいで」
「ははは、そういうものかな。まあ、ともあれ…」
「ご家族の方々も大喜びだっただろう、って確かめたいんでしょう?もちろん、うちのみんなは喜んでいますよ。正直なところ辛く悲しい気持ちも有ったんですけど、でも、なにもかもが間に合って、ホント、これでよかったんです」
「うむ……まあ、それはともかくとして、なぁ、君は…」 
「後悔は無いのか?って訊きたいんでしょう。そうですねぇ、あたし、悟りきった感じなんですよ。こういうのが成熟ということなのかなって、実感しているんですよ!」
「ああ、そうか、成熟か。なるほどね…ただ、俺が言いたいことはだね…」 
「もう魔法には頼ってはいけないよ、っていうことでしょう?ふふふっ、先生の言いたいこと全部分かっちゃう。もちろん、もう魔法には頼りませんよ、だって、ちょっと失礼かもしれないけど、なんだかもう先生のお話にも魔法にも飽き飽きしちゃったから」


おわり

2015/05/11

ステイルメイト


「先生こんにちは!ひとつ、お願いがあります!」
「おや、こんにちは。お願いとはいったい何かね?」
「あたしのチェスの相手をして下さい!」
「誰が……えっ?俺がやれっていうのか?うーん、やめとくよ。チェスや将棋は面倒くさい。それに、なんとなくいやな予感がするんだ」
「そんなこと言わずに、お願いしますよー、先生。だって、先生の他にはもう相手がいないんだもん」
「ほほぅ? ─ まあ、そうだろうな。よ~し、そういうことならばちょっとだけ相手してやるとするか」
「ふふっ、本当にちょっとだけ相手してくれればいいんです。長くはかかりませんから(笑)」
「なんだ?……まさか君は、俺を数分で打倒するつもりじゃないだろうな?」
「さぁ、そうなるかもしれませんね。ふふふっ。それじゃあ早速始めましょう」
「うむ」 


「じゃあ、先生が先手で、どうぞ」
「よし……。あっ、ところで君にひとつだけ念押ししておきたいことがあるんだけどね。君は、いわゆる『悪魔の布陣』を知っているか?」
「え?魔法陣ですか?」
「ちょっと違う、いや、かなり違う。チェスの『悪魔の布陣』だよ」
「聞いたこと無いですね」
「そうか……あのねえ君、チェスの対戦において、駒の動かし方が何通りありうると思う?」
「さぁ」
「驚くなよ、最初の4手だけでも、なんと3千億通り以上もある」
「え、そんなに…?」
「そうだ。もちろん、駒の動かし方は局面が進むにつれてもっと増える、もう途方もないほどに」
「へぇ……」
「それで、先手と後手がどのような順番で、どの駒を動かすと、どんな譜面となるか?これらの厳密な場合分けは恐るべき数になる」
「…先生は何を言いたいんですか?もしかして、あたしを混乱させようっていう策?ふふふ、無駄よ、無駄。そんな手には乗らないわよ」
「違うよ。俺が言いたいのはこういうことだ。チェスにおいて起こりうるすべての駒の動かし方は、これまでの人類史を通じておそらく一度も検証されたことが無いと」 
「だから、なに?ねえ先生、早く始めてよ。チェスは口先でするものじゃないでしょう」
「口先だけで済むことを祈りたいもんだ。いいかね、あくまでも、もしかしたらだが、これから二人で、ある特定の順番によって、お互いの特定の駒を特定の譜面に進めていくと、驚くべきことがおこる ─ かもしれない。これがチェスの『悪魔の布陣』なのだ」
「もう、分かったから。早く、早く!」

  
「あっ!しまった! ─ もしかしたらと胸騒ぎを覚えていたが、これは本当に『悪魔の布陣』そのものに…!
「ねぇー、どうしたの、先生?もう降参?ふっふふふ、なーんだ、やっぱり弱かったわね」
「いかん!これ以上は、いかん!俺たちはすぐにこのゲームを終わらせるべきだ!」
「なーに言ってんですかー、ふふふふっ…ハイ!さあいよいよ次でチェックメイト」
「うわぁっ!おいっ!空を見ろ!たった今、何かが飛来して来たぞ!」
「……へぇ?あたしはなーんにも気づかなかったけど」
「いや、確かに、何か金属的に光ったものが飛んで来たっ!」
「もう、いい加減にしてよ!先生の負け、そうでしょう?早く認めなさいよ、ねぇーっ」
「ばかっ。今のが核ミサイルだったら、どうするつもりだ!もうダメだ、このゲームは無しだっ!」
「あっ!ひどーい先生。盤面をひっくり返すのは、騎士道にもとる行為よ。もう先生とは二度とチェスを打たないから」
「その方がいいだろうな。なぁ君、今の譜面は全部忘れてしまうんだ …… ああ、但し宿題は忘れるなよ、明日までだぞ」
「分かってますよー。国際関係論のところでしょ、やりますよーだ。どうってことないんだから」



おわり

(筒井康隆氏の小説に触発されて考案した話。)

2015/05/06

ヴァラエティ

暫く以前に、「元素の価格」 というコラムをここに投稿した。
その続編として、あらためて簡単なエッセイを記しておく。

==================

時々、我々人間はハードウェアである以上、どこかに限界があるのではないか、と考えてしまうことがある。  
そもそも、我々人間をハードウェアとして構成する物質・元素は限られている。
(たとえ代謝は絶え間無いとはいっても、その物質と元素は限られている。)
また、我々が農林水産業や医療やエネルギーや鉱工業において取り扱うハードウェア、つまり物質・元素も、やはり限られている。
だから、この生産物と人間の相対関係においては、何らかのタイミングで必ず供給超過となる ─ つまり、人間の方が余ることになる。
本当はもう、とっくに余っているのかもしれない。

それで、しょうがないからカネや法や議会や知識産業などという虚構=ソフトウェアを生み出して、それらを余剰な人間にあてががい、民主主義だの貿易交渉だの国際金融だなどと遊んできたのでは?
そして一方では、ハードウェア型の職能における生産活動はすべて、ロボットによる複製拡大にとって代わりつつあるのではないか。

=====================================================

いや、たぶん違う。
我々はありとあらゆる素材や元素の新規組み合わせを生み出して、新たな物質を作り出してきた。
新たな物質素材は次から次へと編み出されており、その量的規模はともかくも、組み合わせの上限にはまだまだ到底至っていない。
と、すると、たとえ人間自身を構成するハードウェアは有限であっても、農林水産業や医療やエネルギーや鉱工業を織り成すハードウェアは次から次へと新種がまだまだ出てくるわけだ。
よって、これらの産業において人間がいつまでも余るわけがない。

それ以上に、もっと重要なこと。
我々人間自身は、ハードウェアとしては確かに限られた物質素材でしかないが、しかしさまざまな創出を仮想的にひらめく「脳」においては、まだまだ論理的な試行錯誤が終わっていないはずだ。
だからこそ、我々は次から次へと新種のハードウェアの組み合わせを創出出来るというわけだ。
ロボットには、まだここまでは出来ぬだろう。

つまり。
我々人間の失業率とは、新たな元素物質の組み合わせによる新素材の創出速度と、ロボットによる既存のハードウェア複製拡大の速度、この両者の速度差なのである
─ なんて言い切ってみれば、一丁前の論文のたたき台にはなるかもしれないぞ。



以上