「先生こんにちは!ひとつ、お願いがあります!」
「おや、こんにちは。お願いとはいったい何かね?」
「あたしのチェスの相手をして下さい!」
「誰が……えっ?俺がやれっていうのか?うーん、やめとくよ。チェスや将棋は面倒くさい。それに、なんとなくいやな予感がするんだ」
「そんなこと言わずに、お願いしますよー、先生。だって、先生の他にはもう相手がいないんだもん」
「ほほぅ? ─ まあ、そうだろうな。よ~し、そういうことならばちょっとだけ相手してやるとするか」
「ふふっ、本当にちょっとだけ相手してくれればいいんです。長くはかかりませんから(笑)」
「なんだ?……まさか君は、俺を数分で打倒するつもりじゃないだろうな?」
「さぁ、そうなるかもしれませんね。ふふふっ。それじゃあ早速始めましょう」
「うむ」
「じゃあ、先生が先手で、どうぞ」
「よし……。あっ、ところで君にひとつだけ念押ししておきたいことがあるんだけどね。君は、いわゆる『悪魔の布陣』を知っているか?」
「え?魔法陣ですか?」
「ちょっと違う、いや、かなり違う。チェスの『悪魔の布陣』だよ」
「聞いたこと無いですね」
「そうか……あのねえ君、チェスの対戦において、駒の動かし方が何通りありうると思う?」
「さぁ」
「驚くなよ、最初の4手だけでも、なんと3千億通り以上もある」
「え、そんなに…?」
「そうだ。もちろん、駒の動かし方は局面が進むにつれてもっと増える、もう途方もないほどに」
「へぇ……」
「それで、先手と後手がどのような順番で、どの駒を動かすと、どんな譜面となるか?これらの厳密な場合分けは恐るべき数になる」
「…先生は何を言いたいんですか?もしかして、あたしを混乱させようっていう策?ふふふ、無駄よ、無駄。そんな手には乗らないわよ」
「違うよ。俺が言いたいのはこういうことだ。チェスにおいて起こりうるすべての駒の動かし方は、これまでの人類史を通じておそらく一度も検証されたことが無いと」
「だから、なに?ねえ先生、早く始めてよ。チェスは口先でするものじゃないでしょう」
「口先だけで済むことを祈りたいもんだ。いいかね、あくまでも、もしかしたらだが、これから二人で、ある特定の順番によって、お互いの特定の駒を特定の譜面に進めていくと、驚くべきことがおこる ─ かもしれない。これがチェスの『悪魔の布陣』なのだ」
「もう、分かったから。早く、早く!」
「あっ!しまった! ─ もしかしたらと胸騒ぎを覚えていたが、これは本当に『悪魔の布陣』そのものに…!」
「ねぇー、どうしたの、先生?もう降参?ふっふふふ、なーんだ、やっぱり弱かったわね」
「いかん!これ以上は、いかん!俺たちはすぐにこのゲームを終わらせるべきだ!」
「なーに言ってんですかー、ふふふふっ…ハイ!さあいよいよ次でチェックメイト」
「うわぁっ!おいっ!空を見ろ!たった今、何かが飛来して来たぞ!」
「……へぇ?あたしはなーんにも気づかなかったけど」
「いや、確かに、何か金属的に光ったものが飛んで来たっ!」
「もう、いい加減にしてよ!先生の負け、そうでしょう?早く認めなさいよ、ねぇーっ」
「ばかっ。今のが核ミサイルだったら、どうするつもりだ!もうダメだ、このゲームは無しだっ!」
「あっ!ひどーい先生。盤面をひっくり返すのは、騎士道にもとる行為よ。もう先生とは二度とチェスを打たないから」
「その方がいいだろうな。なぁ君、今の譜面は全部忘れてしまうんだ …… ああ、但し宿題は忘れるなよ、明日までだぞ」
「分かってますよー。国際関係論のところでしょ、やりますよーだ。どうってことないんだから」
おわり
(筒井康隆氏の小説に触発されて考案した話。)