2015/11/24

【読書メモ】 自然資本経営のすすめ

経済システムは、マテリアルの需・給を自動調整し続けうるだろうか?
もちろんだと答えるのが我々の一般見識、だが一方では、自動調整などせず、ベネフィットの逸失とトータルコスト増大ばかりが進む場合もある。
そして今回紹介する本は、後者の着想から経済システムと経済哲学の再構築を問いかける快作だ。
『自然資本経営のすすめ 谷口正次・著 東洋経済新報社』

本書は昨年末に発表されたもの、そして全巻通じた論旨は極めて明瞭。
すなわち;
・ 人間の経済活動における効用の源泉を、すべてマテリアルとしてとらえる。
 そこで、まず生態系やエネルギー源や水や鉱物など天然の「自然資本(Natural capital)」、それから科学と労力という「人的資本(Human capital)」、そして最終売上製品という「人工資本(Man-made capital)」 にとフェーズ分類が出来る。
 ・ 人間の歴史はとくに産業革命以降、『自然資本』を、『人的資本』によって、『人工資本』に変え続けている。
 ・ このうち、或る『自然資本』がひとたび復元不可能となり、かつ代替物や代替技術が無い場合には、人間の経済システムも相応に破綻することになり、じっさい既に復元も代替も不可能となった『自然資本』もある。
 ・ しかも、『自然資本』の減耗によるコスト負担にせよ、『人工資本』による暫定的なベネフィット享受にせよ、国家/地域間においてまた産業工程別にみて、衡平に案分されているとは到底いえず、むしろ、貿易拡大とともにそれらの地域間格差は拡大の一途である。
 ・ さらに、世界規模でみて最終製品への需要は人口とともに増大する一方、しかし『自然資本』そのものの需要は顧みられていない。
 ・ 今後のとりかえしのつかぬ破綻を回避のため、当座の対処療法としてのマネジメント改善に留まらず、『自然資本』に総体的に依った経営哲学の構築(building)が求められる。

おおむね本旨に即しつつ、ローマクラブ、環境サミット、リオ21による提言などの引用、CO2排出による地球温暖化リスクなどコントラヴァーシャルなテーマはむろん、とりわけ鉱物資源や生態系の破壊事例や自然資本の活用事例まで、バラエティに富んだ構成が読み物としても充実。
むろん本書でも、マテリアルのみを人間経済の素材と据えてはおらず、「付加価値」「文化」といった観念表現引用も随所に多い (そのため本書がやや冗長な構成となっているところは惜しまれる)。
しかしながら、本書はアンチ資本主義を扇動する思想書では断じてなく、論理性と現実勘をともに触発してやまぬ経済論と捉えるべきで、ゆえにとりわけ社会科系志向の人たちに一読薦めたいもの。

そこで、いつもの【読書メモ】のように、僕なりに着目したコンテンツについて以下に箇条書きしるす。
とくに、第3章までに提示された「すでに起こっている危機」の事例など、いくつかまとめてみた。


・資源採掘のための堀削技術をその速度でみれば、1907年にはおしなべて3.5m/h であったが、1962年に35m/h となり、2000年には275m/h になり、それが2005年には450m/h に至っている。
つまり、この堀削技術の伸びは徐々にではなく、年々飛躍的に向上し続けている。
(※ なお本書には比較引用無いが、この掘削速度の伸びかたを60年代以降でみるかぎり、先進国での一人当たり年間GDP(名目ドル換算額面)の伸びに似ていなくもない ─ ともに加速度的にふえて10倍以上になっている。
資源掘削のとてつもない効率向上にも関わらず、最終製品・サービスの売価であるGDPが同様に増えているとしたら、まさに本書の文脈のとおり。)

シェールガス採掘では高圧水を大量に用いるのみならず、注入される化学薬品が地下水汚染をもたらす。
石炭や石油やシェールガスの埋蔵量/採掘可能量がいかほどであろうと、それら採掘規模の巨大化と、地域を選ばぬ乱獲化が進行し、採掘行為によって多くの生物系など自然資本が消えていく一方である。
金、銀、銅といった鉱物資源の露天採掘は、熱帯雨林にどんどんシフトしている。

・鉱石の品位を上げて精鉱する(選鉱)工程では、廃棄物が膨大に発生する。
しかも、この鉱石品位がすでに世界的に下がっている。
世界でみて、大規模な銅鉱山での平均的な鉱石品位は0.55%であり、金鉱山では0.0001%でしかない。
とくに銅は、過去15年で鉱石品位が下がり続けている。

また存在量でみると、たとえばニッケルの地殻含有量は75ppmで、世界年間での地金生産量は249万トン、だが銅は地殻含有量が55ppmでありながら年間地金生産量は1790万トンもあり、それににも関わらず銅の鉱床の新規発見は減っている。
(p.47の図表が実に興味深い)。
そして銅は代替金属が無い。
よって、銅はいまや供給不足傾向のレアメタルであり、かつ、このまま品位低下が続けば、これまで銅をベースメタルとして活用してきた世界経済システムを鈍化させうる。

・鉱物資源大国の「はずの」中国における鉄鉱石は、その生産量が世界であるにもかかわらず、最終製品からくる需要増大に既に対応しきれず、自給率は30%でしかない。
また銅の自給率は20%以下である。

・資源採掘と販売の多国籍企業は、じっさいは西欧先進国ほかカナダ、オーストラリア、ロシア、ブラジル、南アに拠点をおいている、が、自国の法規制を直接受けぬまま、資源産出国に赴いてそこの政府要人と連携。
そこで、鉱産税などが減免され、地元の労働管理にかかる監督責任を逃れ、自然資本減耗にも環境破壊にもコスト負担せず、それら財政負担はすべて資源産出国が負う ─ ことが多い。
しかもこれらにかかる賄賂は資源産出国側が多国籍企業に供するため、それらについての「不透明度」も産出国側ばかり強くなる。
多国籍企業の活動を制御する国際的な共同体は無い、かつ、多国籍企業は特定国の国民でもない。
よって、国家地域の義務も国民としての義務も逃れうる個人の集まりともいえる。

・先進国の多国籍企業とともに、中国も世界の資源産出国へ進出が活発であり、国際的な共有地(グローバル・コモンズ)にて鉱物獲得を競い合っている。

・陸上資源へ依存し続ける経済システムは結局はペイしない、と既に世界的に認識されており、そのため昨今は深海底の鉱物資源への採掘競争がすすむ一方である。
深海底のマンガン団塊やコバルトリッチクラスト層からは、マンガン、銅、ニッケル、コバルト、白金ほかレアアース。
また、熱水鉱床(海底火山からの熱水噴出で岩石の元素が溶けられたもの)からは、金、銀、銅、鉛、亜鉛。
ただし深海底では多様な生物種も棲息しており、鉱物採掘が漁業資源の生態系を変える。

・有機および無機化学産業では、最上流工程が元素鉱物を原材料として取り扱う
ー 石油、天然ガス、石炭、塩、リン、石英、石灰石、リチウム、フッ素、ホウ素など、さらに反応触媒としてレアアースやレアメタル。
化学製品の製造プロセスにて、これら元素鉱物は下流にて環境汚染物質に変わり、廃棄されざるをえず、そして化学製品の需要が高まれば製造プロセスでの汚染物質廃棄も増える。
産業・工程別にベネフィットとコストが全く異なる典型例。

・日本は(多国籍企業とは異なり)商社経由での流通・貿易量が多いが、遠距離を経ての商品供給は物流コスト縮減だけが問われるべきではない。
商品調達の遠距離化が進めば、それだけ消費地のベネフィットも増大しうるが、原産地の自然資本減耗コストも確実に増大する。
いわゆるフードマイレージやウォーターマイレージは、そういう地域偏差の尺度ともいえ、とりわけ日本のように消費規模(つまり人口)が増大していない地域で物流マイレージが伸び続けるのはおかしい。

・自然資本としての生態系の或る常態が、外部からの淘汰圧力を一定の閾値以上に受けると、不可逆的に別の常態へと変わってしまう。
生物多様性は地球生命の本来的特質である(あった)が、とくに発展途上国=遠隔地における生物種の遺伝子や特性が不可逆的に喪失し、人間が依存し続けてきたはずの自然環境そのものを変えていく一方である。
(これらは地球サミット宣言や同時期の英ネイチャー誌特集記事で強く指摘されてきた。
じっさい、自然資本の減耗への危機感から、世銀をはじめとした金融機関でさえも、2012年6月のリオ+20会議において「自然資本宣言」を発表している。

======================================================

ここまで、著者が本書にて引用しかつ問題提起する様々な危機につき、ざっと掻い摘んでまとめてみた。

さて本書の第4章以降にては。
実際に『自然資本』重視にシフトした企業や自治体の様々な新規イノヴェーション、さらに大胆なアイデアが紹介されている。
車体の炭素繊維化による全方位コストの低減事例、プルトニウム原料をトリウム媒体で燃やす原子力エネルギー、また、マテリアル・フロー・コスト会計手法の導入により産業工程間でのコスト負担格差を縮減するなど。
とりわけ面白いのが、炭酸カルシウムと硫黄酸化物の化学反応によるセメント生成で、火力発電所とセメント企業が連携している ─ こういう業際形態での自然資本コスト低減と転用を「産業生態系」と称す由。

さらに、地球の経済システムを南北の陸地面積に応じて「縦に」4つに地域分割するという著者のアイデアも面白い。
たとえば、南北アメリカ大陸、ロシア東部と東アジアとオセアニア、ロシア西部と東欧と中東、そして西欧とアフリカ、となり、これら4地域それぞれがあらゆる『自然資本』を自給自足可能、とみることも出来る…
この推察に則ったシミュレーションから、著者はこの「縦の」4ゾーン経済圏があらゆる自然資本コストを低減しうる経済圏たりうると説く。
そもそも地球規模での自然資本と人口と消費量について、論が立てられるべきなのだから、このくらいのスケールで考えて然るべきではないか。

また、人間自身が本来は『自然資本』であるとの指摘は、本書にてはささやかながらも、我々自身の根本的な経済哲学を問い質すことにもなろうか。
(そのひとつの例が、人間が聖性や霊性として本来有する非言語脳=超知覚脳。
また、豊かな森林が有する超高周波成分は人間の聴覚を超えているが、それが人間の皮膚を通じて基幹脳を刺激し、美しさを直観させ、自律神経や免疫系も活性化する由。)

著者が度々指摘のとおり、自然資本は一時の利害から要件設定さるべきものではない。
むしろ自然資本は我々自身を含む全てであり、ゆえに未来そのものといえよう。

以上