2016/02/13

大人になんかなりたくない

① 自分が子供だと自覚している人たちを、そのままズバリ、子供という。
子供は、自らが大人になったことがない。
だから大人というのがどんな体感とどんな心性を有するどんな人種か、分かるわけがない。
そんな子供に対して、おまえはもう大人だよと論理的に認定し論理的に諭すのが、大人の論理的な特権だ。

さぁ、いま凄いことを書きましたよ。
大人という存在(観念)は、論理でしかない。
だからこそ。
18歳の人間という実体がもう大人なのか、いやいやまだ子供なのかと、自称・大人たちが選挙権などの論理において論理的に論争し続けている。

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② 人間は、二重に生きておりますですな。
それは実体としての人間と、論理上の人間だ。
ここで子供とは、実体と論理を区分しない、つまり何もかもが実体そのものである人たちのこと。
新たな実体にぶつかった時に、どすーん、どかんどかんと跳ね飛ばしたり蹴飛ばしたりして、反応が面白かったら今度はおのれの実体に同化も出来る。
さらに新たな論理に臨んでも、それを実体(エネルギー)としておのがうちに骨肉化してしまう。
若年者ほど理数系学問や芸術スキルの吸収が早いのも、そのためじゃないかな。

科学研究者、医者、芸術家、探検家、スポーツ選手、軍人などなど、みな実体そのものとして生きる。
みんな子供のまま、それでよいのだ。

一方で大人とは、実体と論理を「論理的に乖離」させる「論理上の人間」をいう。
新たな実体にぶつかると、わぁこりゃたまらん、と逃げる。
すぐに空理空論とカネで割り算を続けて、希薄化ひとしきり進んだところでみんなニッコリ。
何ら研究開発も製造も資源獲得も市場開拓もしない。
そのくせにね、「俺は家のローンを背負って働いているから、責任ある大人なのだ」 などと。
それどころか、「俺は顧客の懐中に潜り込んで、一緒にゴルフやキャバクラを楽しむ仲なのだ。俺のような大人物になれ」 などと。
なにが大人物なんだか、こいつらのゴルフやキャバクラにくっついて回ったら、俺が研究開発の技量を習得出来るってのか?
こんな大人物ジジィの説法など、空論、空論、だから若者が真面目に聞いてくれないんだぞ。

(持家のローンなんか、不良社員だった僕でさえ、もうとっくに完済しましたよ。)

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③ たとえば軍人。
国体と天皇など正統性のあるご存在のために、結果的におのれの実体を犠牲に捧げることはありえる(た)。
その正統性がおのれの実体そのものだ、と実感しうるからだ。
しかし、「論理的に」 カネつまみとカネまわししか出来ぬ 「論理的な」 ジジババにだよ、実体としての正統性などあるわけがない。
そんな連中をだ、「実体としての」 軍人が身体を張って守るわけがないでしょう。
みなさん、自分が自衛官だとして、わが身を犠牲にしてまで粉飾決算企業を守って差し上げますか?
(もしかしたら、儒教と社会主義体制はそのように説いているのかもしれないけれども。)

論理遊戯を繰り返して、論理的に老けこんで、論理的に消えていくくらいなら、実体として子供のままでいる方がずーっとマシじゃないかしら。

以上