2016/07/06

『あなたへのおすすめ』 はおすすめ出来ない

情報について、日頃から考えていることを、さらさらっと。

① 「知ってる」事実と「知らない」事実、そのギリギリ境界線上に在る情報こそが、最も需要が有る。
むろん、みなが既知の事実情報の量は増大していくため、新規情報への需要は (新大陸の資源を漁るがごとく) 外縁部に移っていく。
これが、そのままSNSでの情報属性であり、マスメディアの鉄則でもあり、あなたへのおすすめでもある。
したがい、あなたの「本当の意向」に合うとは限らない。
むしろ占いのようなもの、いや、人工知能が勝手にはじき出したものかも…と捉えた方がよさそうだ。

※ ひとつ大切なことを書き忘れた。
日本のマスメディアは、あらゆる情報を恣意的に操作しうる巨大権力である、として非難されがちである。
しかしそんな日本マスメディアは、在日米軍ふくめた米軍の内部情報についてほとんど報道しない。
おっかなくてアクセス出来ないんでしょ。
そんな連中が、あらゆる情報操作の巨大権力であるわけがないじゃん。

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② これからどんな産業分野が発展し、市場拡大するのか、と学生などに訊かれることがある。
他人に訊けば何でも分かるだろう、というその思考センスが、こども。

いやいや、未来の産業と市場は、株価や債券価格の推移をみりゃ分かるでしょう、と言う軽薄な人もいる。
だが、そんな推移はどこまでも現在完了の決済記録でしかない。
未来の産業や市場が本当に分かっている人間が、株や債券の相場予測を公開するわけがない。
いくらアホでもこのくらいの理屈は分かるでしょう。

英国がEU離脱、これで世界経済が大混乱…という予測も、どうも腑に落ちない。
もし、こんごの世界経済動向を本当に予測している人がいたら、そういう人は混乱などするわけがない。
混乱する人は、何が起こるか皆目見当がつかぬから、混乱している。
…であれば、「全世界が大混乱」するわけがない。
(ん?どこかおかしいか?)

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③ 売り手と買い手の情報は、常に非対称である。

営業上のトリックで、血液型がA型の人間は進学意欲が高い、というようなものがある。
日本人ではA型が一番多いので、A型の学生が虚栄心をくすぐられてわんさかと参考書を買うだろう、と期待してのもの。
もちろん血液型と学力の関係など、営業担当からすればどうでもよいこと。
やがて売れ行きが頭打ちになったら、今度はB型が理系に向いているとか、O型は東大や京大への執着心が強いなどと云えばよいのである。
別段、ウソを言っているわけではないし。
軽薄なやつが引っ掛かればいいんだよ、売れりゃあいいんだ、売れりゃあ。

だいたい、客というのはおのれが無知だと自覚しているからこそ、売り手に近づいてくるんだよね。
自分が全知全能だと自覚していたら、広告なぞ見るものか。

なお、とりわけ大学生(しかも一人暮らし)には銘記して欲しいことがある。
自分がどこでアルバイトしているか、SNSなどで公けにしないほうがいい。
理由は、そのバイト先の給料情報をもとに、その学生がどのくらいのカネを手元においているのか見当がついてしまうからだ。
悪いやつらが狙っているかもしれない。
悪いやつらにとって、君たちがどこの誰で偏差値がなんぼであろうがどうでもいいこと、君たちのカネのみに関心があるのだ。
カネには名前が書いてないから、まきあげる(奪い取る)やつがあとを絶たない。

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④ 自分はどういう仕事に、あるいは勉強に向いているのか。
これを判断するのは、とりあえず条件ファクターの箇条書きが必須。
これで、おのれの事実認識に漏れが無いかどうか、チェック出来る。
次に、何が何に優先さるべきか、アクションのプライオリティをチェック出来る。
それでも、どうしてもどうしても判断が付かないのなら、自分のみでは正解が出せぬということだ。

これらに対して、周囲の人間はいろいろとアドバイスしてくれる。
しかし、それら人間によるアドバイスが頼りになるのは、人間事情に限られる。
もし自分が人間「以外」のモノやロジックに強い関心意欲があるのなら、それらとともに心中するかどうか、結局は自分で判断するしかない。

いよいよ、どうにも判断に困ったら…そうだな、少なくとも一つ、おのれの外部に独立した運命ファクターを設定したらどうか。
運を天に任せる、というのに限りなく近いが、でも天より近いものの方が、展開を直接確かめることが出来る。

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⑤ 学力なるもの、何重にも誤解されているようだ。

まず、高校までは(普通科は)みながほぼ同じ教科/学科を履修しているので、学力偏差値にはそこそこ精度がある。
しかしこれは大学に「入学するまで」の話。
ひとたび大学に入れば、学部学科がとてつもなく細分化している。
とくに理系は専門性が増す。
そうすると、たとえば情報工学を勉強している学生と、色彩化学を勉強している学生と、税法を勉強している学生と、誰が一番学力が高いのかなんて決めようがないでしょう。

ひとえに学力に留まらず、そもそも能力なるもの、万民に統一された必然的な宿命ではない。
ほとんどが、人生と社会における偶然でしかない。

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⑥ だいたい、前からうんざりしていることなのだが、いわゆる学力低下論がどうにも信用出来ない。
いつの時代の、どういう職業層による、いかなる学力が一番高かったのか。
なぜそういえるのか。
ちゃんと数理的に定義されてんの?
もしそういう論理的かつ精密な学力定義=計測方法が無いのなら、学力が高くなったのか、はたまた低くなったのか、明言出来ないでしょう。
数世紀に亘る大和民族のトレンドか、暫定値なのか、さらに予測は可能なのか…。
なんだか、地球温暖化議論に似ていなくもない。

国際比較で分かるだろう、というかもしれないが、それは一斉試験の暫定的な成績比較でしょう。
その暫定的な試験問題や配点は学力とどう関係があるのか、世界的に認識が統一されているのだろうか?
だから、センター試験だってあやしいんだ。

(地球の年代記において、いつの二酸化炭素濃度が一番高かったのか、いつの地表温度が、いつの放射線量が、などなど、物理学や化学には論理も計測方法がもちゃんと有るんだよ。)

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⑦ もし、自分が在籍する大学・学部が知的に信用出来なくなったら、知見や学識が一番高い(とされている)人物の著作を読んでみればいい (学長などとは限らないよ。)
これで、一度に多くのことがわかる。

まず、そこまで自由闊達な精神性の大学かどうか。
つぎに、その著作はいったいどういうアカデミズムであるのか?
かつ、その著作はひろく日本の(あるいは世界の)学術界でどの程度のランキングにおかれているのか。
そして、おのれ自身はいつかその学識に追いつける自信があるか?
さらに、そもそもおのれの志向性と合致しているかどうか。

もしも(もしもだよ)、その学識No.1の人物と直接インタビューが出来たら、最高じゃないか。
君はセンスがいいなあ、うちの大学の次代のホープだよ、踏みとどまって頑張ってくれ、これからも応援するぞ ─ なんて言われようものなら、もう迷いなど吹っ飛んでしまうぞ。

いや…仮にその大学を出ていくにせよ、どうせなら出ていきついでにそういう人物の著作をちらっと読んでおいたって、罰はあたるまい。

※ 尤も、これは企業組織においては難しい。
うちの会社で一番知力の高い人は誰ですか、と直属の上長に訊いてみたとする。
何言ってんだおまえ、20年早いんだ馬鹿、などと言下に潰される場合がまあ多いんじゃないかな。
利害損得の世界では、どうしたってこうなる。

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⑧ 或る東大生の女子に、冗談めかして話しかけたことがある。
「いいかね、世界最先端の科学技術者からみれば、君たちなどはせいぜいボールペンのようなもの、いや、その替え芯のようなもんだろうなぁ」
すると彼女が言うには、「あたしたちはそんなに有能ではありません」
これを聞いて、ああこの娘はなかなか優秀だなあ、と感心した。

よいですか、「東大に合格したから」優秀なのではありませんよ。
たかが大学入試などは世界の入口に過ぎぬと自覚しているから、優秀なのです。

以上