2017/01/08

新成人 2017

かつての20歳は、当時のおのれ自身が何を考えていたのか、いまやほとんど覚えていない。
一方で、現在20歳の君たちは、おのれ自身が将来何を考えているか、見当もつかないだろう。
だから、かつての20歳と現在の20歳は、何かを等価交換することはむろん、意思を一にすることすら出来ない。
ゆえに、新成人の諸君は、年長者の言うことを全て理解しようなどと念じなくてもよい。
おのれが思うがまま、出来ることから、だ。
こんなこと、数学が出来ようが出来まいが、簡単に分かるでしょう (数学が出来なかった僕だって、こんな程度のことは書ける)。

例年どおりの事を書くが ─
宇宙に統一法則があり、或いは最も根元的な素粒子があったとして。
それでも、人間の意識から捉える現実世界は、何もかもが非同期のメチャクチャが常態だろう。
とはいえ、滅茶苦茶ばかりでは困るので、宇宙と人間との同期を計る通訳として何らかの神がおわします、ということになっており、共通の表現形式として数学も万民に普遍している。
さらに、もっとローカルではあるが、法規範もあり、契約もあり、カネと金利があり債権と株式もあり、もっともっと暫定的ではあるが議会もあり新聞もある。
ここのところ、微積分を本末転倒させてはいかん。
法とカネと議会と新聞があるから神と数学があるわけではない。

我々は、完成した理性のうちに滅茶苦茶を許容しているわけではなく、もともと何もかもが滅茶苦茶に映ればこそ、つねに理性を新規に発明し充当している。
したがい、人間の理性には完成型も究極も無く、初めも終わりも無く、権威も新参も無い。
さぁ、新たな試みを期待していますよ。

以上