2017/02/22

【読書メモ】 医事法入門

『医事法入門 第4版 手嶋 豊・著 有斐閣アルマ』
はて 「医事法」 とは耳慣れぬが、医事にて生じる権利/義務と制度にかかるあらゆる法規を、特に総称的に医事法とおく由。
本書を手にして最初に閃いたのだが…、その普遍性、対象分野の広範さからして、医事法とはいわば ”民法の医事版” ではなかろうか。
じっさい本書は、法医学技術による事実解釈は主たる論題には据えていないものの、法的な考察対象としての医療関係事例はあまねく多領域にわたり、随時引用する法規や判例もふんだん、実践的引用に則った表現も多い。
よって、医療関連の知識以前に民法の基礎に通じた読者の方がエッセンスを掴みやすかろう。

そもそも、医療とは何か、それはかけがえの無い生命を対象としたサービスでありつつも、公共による制度上の要請が最も多大なサービスでもあり、そしてビジネスの野放図な暴走をもたらしうるサービスでもある
─ ならば、社会構成員の倫理と自由意思がこれほどまでに複雑に混交しうる法分野は、他にあるまい。
(ついでに思いついたことだが、医事法は男性以上に女性が関心を高めていくような気がしないでもない、なぜなら生命倫理が極めて重大な考察要素であるからだ。)

さて、今回の【読書メモ】として、本書前段部までの範囲にて重要な考察ファクターと察せられた処を、僕なりに表現をざっと端折りながら以下に記す (法令や法規の仔細引用は省く)。


【医事法の重要性】
医事法の本源的な考察対象は、医療関係者と患者における権利/義務関係、そして医療分野における制度設計と運用。
その意義目的を概括すれば; 
・医療技術の革新、特殊化、多様化と応用拡大の在り方に、一定の歯止めを設け、公正な方向性をもたせる。
・このような医療技術の進歩および、高齢化にともなう治療期間の長期化に応じて、増大する社会資源コストに公正性をもたせる。
知識情報の強者たる医者側によるパターナリズム、それに対して情報弱者である患者患者の自己決定意識(人格概念)、この関係の変動に法的に対応する。
・医療関連の法全般にわたるデュープロセスの確立。
・医療関係者と法学専門家の双方分野間の学術的リヴューを喚起する(そもそもほとんどの病院には法務部が無い?)

現時点にて、医事法の対象たる様々な法規を統一した 『医療基本法』 はまだ制定されていない。
基本法レベルにまで領域横断的な法整備がなされれば、法解釈~立法~法執行のための指針も、国・地方公共団体・その他関係者の権利/義務関係も、法領域を超えて常に統一的に定義出来よう。
しかしいまのところ、医療法理による責任法観念と、患者を含めた関係者や行政の権利見解が、一致に至っておらず、だから医療基本法の成立には至っていない。

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【直近・個別の基本法】
がん対策基本法(平成18年制定)、肝炎対策基本法(平成21年制定)、難病対策基本法(平成26年制定)、アレルギー疾患対策基本法(平成26年制定)。
いずれの基本法理念も、疾患にかかる情報収集と知識普及、疾患予防の推進、地域差を超えた医療提供体制の整備、患者の意思尊重。
それぞれ、政府・国・地方公共団体・医療保険者・医師・国民の責務を定義。

とくに、がん対策については、専門的かつ学際的な研究促進、知見の普及や成果活用まで広く考慮し、政府が法制/財政をふまえた基本計画を作成して閣議決定を求める。
また、厚労省におかれるがん対策推進協議会の構成委員には、がん患者自身か家族または遺族が含まれることになっており、患者自身の立場意思が立法レベルで尊重されているという点にて従来にない積極的な試みである。

また、難病対策にては、発病の機構が明らかでなく治療方法も確立していないものの、その難病の特性に応じて社会福祉との連携をはかり、患者の社会共生機会を確保図っている。
アレルギー疾患対策では、政令にてその疾患内容を定義済みではあるが、発病の要因は多様かつ複合的でもあるため、学校等設備者も含めて生活環境改善と情報収集を図ることとしている。

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【医師-患者の契約関係論】
医師に課される専門的な注意義務水準は、本来的に不法行為法に拠ったもので、患者との個別合意は含まれず、医師自身がその水準を守ったと主張すれば結果責任を免れうる。
治療に際して課される説明義務も、疾病についての情報提供についてのもの、だから医師自身の行動動機までは患者に開示の必要が無い。
よって、不法行為法のみでは医師の行為を制御しきれない。

不法行為法を補完して患者の立場を強化すべく、個別の「診療契約」の形態が採用されている国・地域も多い。
診療契約にては、医師と患者の双方が契約ベースで治療条件や目的や費用を決定出来、ここで独自の注意義務水準や損害賠償などについても設定しうる、とされている。
これはヨーロッパ大陸法における一般見識であり、我が国も基本的には同様解釈。
この診療契約形態こそが、患者側の意思決定と権利拡大をもたらし、インフォームド・コンセントも普及させていてきた、とも言える。

ただ実際には、患者には治療行為の知識も費用情報も乏しく、よって選択の自由もほとんど無い。
このため、診療契約形態は必ずしも実践的に機能しているとは言いがたい。

なお、アメリカやカナダなどコモンロー諸国では、不法行為法を補完する方法として、医師-患者の基本契約合意の上で、実務上の義務は 「患者が医師に信認」すべきである、と解釈されている。

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【診療情報と保護】
医師は診療録(≒カルテ)の作成が医師法で義務付けられており、診療録そのものの所有権は作成者である医師に在る、が、診療録の記載データは患者の個人情報である。
患者が医師に対して、診療録の閲覧や訂正を要請出来るかにつき、現在は患者自身の良識を考慮して閲覧可能との見方が優勢である。

なお、診療録は医師による5年間の保存が義務付けられている、が、データ電子化の発展による文書の超小型化により、じっさいは遥か長期に亘って保管可能となっており、そもそも法的文書のe-文書法も既に存在している。
また長期間にわたる疾病まん延のおそれ、あるいは診療データの複合的な活用も進んでいる。
これらを鑑みると、診療録の保存期間は延長されるべきである。

医師・助産婦・薬剤師・医薬品販売業者が、業務上知り得た人の秘密(ここでは診療情報)を、本人の承諾も正当な理由もなきまま外部に漏らした場合、作為か無作為を問わず、懲役または罰金の刑事罰が課される。
また民事としても、不法行為、契約上の守秘義務不履行、あるいはプライバシー侵害として、損害賠償責任の根拠ともなる。
ただ、民事賠償に充てられる代償が慰謝料のみとは小さすぎるのでは、との議論もある。
診療情報保護のための特別法が速やかに制定されるべきである。

なお、医師による診療情報開示の「正当な理由」とは、感染症予防や児童虐待防止など、法的に秘密開示が求められる場合をさす。
また、医師間での診療情報の転送は、疾病者の副作用発症などの事態を事前把握するための措置として、通常は黙示の承諾があったものとされる。

死亡した患者の診療情報につき、遺族から開示要請がなされた場合、日本医師会の見解では、医療機関はこれに従うべきとしている。
患者の死因を一般に公開するに際しては、民法上のプライバシー侵害が適用されるか否かで判断すべきであるとされる。

特定個人の診療情報を医学研究に用いる場合、そのデータを匿名化することでプライバシー侵害の排除に努めている。

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【救急医療】
患者の容体が重篤の場合、また、大規模災害や犯罪被害が発生した場合であっても、医師は医師法に拠る応召義務に応じて救急医療が課される。
これら状況下では医療設備等が限定的であり、患者の意思確認が困難な場合が多く、それでも限られた時間内に最適(と考えられる)判断処置がなされなければならない。
この場合、結果的にその救急医療が過誤とされたとしても、その過失(ネグリジェンス)の水準を下げるべきとされる場合もあり、その旨の準則を法制化すべく議論が続いている。

特に大規模災害の場合、疾病者の治療「緊急度」に応じて、現場の指揮官が救急処置・救急搬送・救急治療に優先順位=トリアージを定める必要も生じる。
このトリアージは時間経過に応じて、数度にわたり実施されることとされており、この技量は訓練次第で更に向上しうるとみられている。
なお、災害時の医療拠点として、災害拠点病院が各都道府県にて指定されている。

日本は急峻な地形が多く、また交通不便な離島も多いため、救急医療にさいしては救命の迅速化かつ後遺障害軽減をはかるべく、ヘリコプターの利用による迅速な処置かつ患者搬送が望ましい。
平成19年には、「救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療の確保に関する特別措置法」 が制定されている。

自殺未遂がおこり、その当事者が治療を拒む場合、医療側としてはその未遂者の意思が正常であったか否かを判定するよりも、まず救命を最優先にすべきとされている。

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【倫理委員会】
倫理委員会は、医療にかかる研究において被験者の権利と利益を保護のため、研究計画の科学合理性を検討し、被験者選択方法を確認し、インフォームド・コンセントを確認し、秘密保護を徹底する。
倫理委員会は医療関係者といわゆる有識者と市民から構成されるのが通例、また、一般の医療関係者による倫理委員会への諮問も積極化されている。
医師会は倫理指針、倫理マニュアルを作成、これを医療関係者は遵守する。
各研究にての倫理委員会は法的な設置機関ではなく、倫理委員会の決定に従わない医療関係者は行為相応の民事・刑事責任判断に委ねられる。

しかし、医療関係者にとって倫理的に妥当(なはず)である判断が、患者の自律的判断の権利を斟酌しているとは限らない。
また、そもそも倫理には抑止力も強制力も無い。
だから、医事法としての倫理問題探求が必要となる。

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……以上まで、とりあえずアブストラクトをまとめたつもり。

本書はさらに、感染症とテロ、予防接種の効用、生殖や遺伝子などの生命倫理、医薬品ビジネス、尊厳死などなど、数多くの考察要素が提示され、かなり読み応えのあるきめ細かい論説が続く。
医学部、歯学部、薬学部の学生、さらに法学部の学生など、日々の研鑽の合間に本書を読み進めながら、医事法なる観念領域の新しさと難しさにぶつかって、熱き精神を躍動させて欲しいものである。

以上だ。