2017/05/30

【読書メモ】 すごい!希少金属

『すごい!希少金属 斎藤勝裕・著 日本実業出版社』
本書はレアメタル/レアアースにかかる化学技術の紹介本であり、化学の基本から応用まで説き起こす文面が要約的で分かりやすい。
とりわけ特筆すべきは、レアメタル/レアアースの採掘から製品化にいたるまでの工程論、その概括紹介であり、更なる新素材研究へのチャレンジも本書内の随所にて称揚されるなど、産業観(さらに産業勘)が図抜けて素晴らしい。
また、国策としてのレアアース備蓄をはじめ、採掘先や代替素材の再検討など、戦略思考も喚起されている。

なお本書は2016年3月に初版発行であり、引用されている素材の調達や活用の事例詳細については、著者が書中でもほのめかしているように随時ウォッチの必要があろう。

以下に、僕なりに概括し、読書メモとして記す


<定義>
・いわゆるレアメタル=希少金属は、化学的には厳密な定義は無い。
まずは地殻中の存在量が希少であり、また精錬・単離が困難である元素、という点から定義されうる。
じっさい、レアメタル元素は地殻中の存在比率(クラーク数)が1%未満で、量的に希少である。
だがそれ以上に、産出地域の偏在こそがレアメタルの重大な定義根拠であり、マイナーメタルとも称される所以である。
(存在比率が0.01%と極めて小さい銅元素は、産出地域は偏在していないためかレアメタルとはされていない)。

・レアメタルには47の元素が指定されており、そのほとんどは13族~16族の金属元素。
金属元素ではないホウ素やセレンやテルルも含まれる。

・レアメタルの47元素のうち、17の元素がいわゆるレアアース=希土類であり、それはスカンジウム、イットリウム、およびランタノイド系の15元素である。
このうち特にランタノイド系15元素は、化学属性が極めて近似しており、これらは典型元素や遷移元素とは比べ物にならぬほどに単離が困難。

・さらにレアアースは、重希土類軽希土類に分けられる。
重希土類は、スカンジウム、イットリウム、およびランタノイド系のうちガドリニウムからルテチウムまで。
軽希土類は、ランタノイド系のうちランタンからユウロピウムまで。

・レアメタルは電気陰性度は2.4以下であり、陽イオンになりやすい。
とりわけレアアースのランタノイド系元素は電気陰性度が1.07~1.27と極めて近似している。
またレアアースは金属イオンとして、pH値の大きな塩基性の水と反応し水酸化物となる。

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<埋蔵>
・世界のレアメタルの埋蔵量は、中国が42%、ブラジルが17%、インドが2%…など。
ところが産出量を国別にみると、タングステンは82%が中国、リチウムは36%がチリ、白金は70%が南ア、ニオブは89%がブラジル、ベリリウムは92%がアメリカが占めるなど、極端な偏りがある。

一方、レアアースの埋蔵分布は、軽希土類では世界広範にわたるが、重希土類は中国の特定地域にのみ極端に集中している。
かつ、産出量もなんと全世界の84%が中国である。

・レアアースを含む鉱石は、バストネサイト、モナザイト、ゼノタイム、およびイオン吸着型鉱である。
これら鉱石のうち、バストネサイト、モナザイト、ゼノタイムは、地下のマグマに含まれていたレアアースが数億年かけて地表に移動したもの。
これらはアメリカ、インド、オーストラリア、マレーシアほか、世界中で採掘されるが、ウランやトリウムなどの放射性元素を含む。
一方、イオン吸着型鉱は、レアアースを多く含む花崗岩が数百年かけて粘土質になったもので、放射性元素をほとんど含まず、特に中国に多い。

・水深3,000~5,000メートルの海底熱水鉱床に、マンガン団塊と称す金属元素の塊があり、これがマンガンはじめ各種のレアメタルを含んでいる。
(マントル成分を含む熱水の元素が海底で固まり生成されたと考えられている。)
この深海のマンガン団塊は、海に囲まれた日本にとっては重要なレアメタル源たりえ、レアメタルへの競争性を鑑みればこの採掘技術が待たれる。

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<精錬・単離>
・一般に、採掘したレアメタル/レアアースの鉱石は、製錬によって目的の金属部分を取り出しつつ、そこから精錬により不純物を取り除く=抽出目的の金属を単離する。

・通常の金属鉱石の精錬は、「溶融精錬法」によって目的金属を遊離する。
これはたとえば、硫化物鉱石では酸素と反応させて二酸化硫黄として揮発させ、目的金属を遊離したり(酸化法)、あるいは、酸化鉱物中の酸素を一酸化炭素と反応させ二酸化炭素として揮発させ、目的金属を遊離する(還元法 - 製鉄など)。

また、多くのレアメタルでは、「揮発精錬法」も用いられており、これは鉱石を加熱、まず気体化し、それをあらためて冷却・固体化する過程でレアメタルを単離する方法。

・ところがレアアースは、それぞれの元素の化学属性が極端に近似しているため、溶融精錬でも揮発精錬でも完全には鉱石を精錬・単離しきれない。
そこで、レアアース鉱石に対しては更に精度の高い精錬方法が採られている。

まず、レアアース鉱石を細かく砕いて、硫酸や塩酸などの水溶液に溶かす ─ 「陽イオンの水溶液状態としおく」。
そして、この陽イオン水溶液にさまざまな有機溶媒を加え、激しく振って、水溶液内のレアアースを水溶液から分離させ有機溶媒に移動させる。
あるいは、この陽イオン水溶液に沈殿試薬を加えて、レアアースを結晶として沈殿させる。
あるいは、この陽イオン水溶液を高分子のイオン交換樹脂に混ぜ、レアアースをこの交換樹脂に付着させた上で、そこに溶離剤を流し込んで、目的のレアアースのみをこの溶離剤に移動させる ─ これがイオン交換法で、もとは放射性元素の分離技術として開発されたもの。

・さらに、固体金属状態のレアアース鉱石を加熱・溶融して分離させる方法もある。

・これら鉱石からのレアアース精錬のプロセスにて、放射性物質による被曝リスクが重大なネックであり続けている。
中国の産出が突出して多い理由は、国策として資本集中投下してきたこと、また放射性物質からの被曝リスクに(先進国ほど)鋭敏ではなかったこと。

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<用途>
・レアアースのうち、軽希土類の用途は、コンデンサ、水素吸蔵合金、超伝導素材、光学ガラス、など。
一方、重希土類の用途は、光ファイバ増幅器など。

・金属加工や研磨をはじめ、土木工事の掘削用途の刃として、超硬合金」が欠かせない。
超硬合金は、チタン、バナジウム、タングステンなどのレアメタルを金属粒子とした上で、それらを焼結して作る。

・ジェット機や自動車のエンジンには、1000℃以上の高温状態にても熱や酸化に負けない「超耐熱合金」が用いられる。
超耐熱合金の主成分はコバルトやニッケルで、ここにクロム、モリブデン、タングステンなどレアメタルが加えられて作られる。

・レアアースに光エネルギーを与えると、そのエネルギーによって電子励起し、10,000分の1秒ほどで基底状態に戻るが、この瞬時のプロセスで余分なエネルギーを発光放出する (これがいわゆる蛍光)。
この電子励起から基底までのエネルギー状態を、極めて長時間にわたり安定させ発光し続けるのが、夜光塗料」である。
近年日本で開発された優れた夜光塗料には、ユウロピウムやジスプロシウムなどのレアアースが起用されている。

レーザーの発振源のうち、固体の素材としてレアアースが用いられている。
よく知られたYAGレーザーの発振源は、イットリウムとアルミニウムがザクロ石型の結晶構造をとっている。
ルビーレーザーやサファイアレーザーも、固体の発振源レーザーであり、クロムやチタンが活かされている。

・現在、ほぼ全ての強力磁石に、レアメタルとレアアースが用いられている。
例えば、かつてよく用いられていたサマリウムコバルト磁石は、サマリウムとコバルトを原料とし、200℃状態でも使用出来るもの。
また、ネオジム磁石はネオジムとホウ素(どちらもレアメタル)および鉄で出来ており、現時点で最も強い磁力を持ち、かつ実用性に優れた強力磁石であるとされる。
ネオジム磁石は家電はむろん、自動車の駆動モーターや発電機にも用いられるなど、主要工業製品の高性能化かつ小型化を実現してきた。
なお、プラセオジムとコバルトから出来るプラセオジム磁石は、さらに高い強度をもち、製品化が研究されている。

・元素として半導体の性質を有する、いわゆる真性半導体元素には、シリコン、ゲルマニウム、セレン、テルルなどが該当する。
これら真性半導体元素に不純物を混ぜて電気伝導度を高めた製品が、いわゆる不純物半導体であり、これらがn型とp型という電子回路特性を有する。
たとえば、価電子4個のシリコンに価電子6個のセレンやテルルを混合した不純物半導体は、全体として電気的にシリコンよりも価電子が増え、よってn型半導体となる。
またシリコンにホウ素とガリウムなどを混合する不純物半導体は、全体として価電子はシリコンよりも減ってp型半導体となる。

数種類の金属元素を化合させた化合物半導体が開発すすめられているが、いずれにせよ、14族の元素であるシリコンに13族~16族のレアメタル金属元素が多く混合される組成である。

太陽電池は、p型半導体とn型半導体を接合し、かつ負極にインジウムの透明なITO電極をおいた構成。
太陽光がITO電極をいったん透過し、p型/n型の接合面に至ると、ここで電子と正孔が生成され、それらがあらためて電極にまわり、こうして電流が発生する。

一方、LED(発光ダイオード)はこれとは逆に、電極から電流を流し、p型/n型の接合面で電子と正孔が合体することで光エネルギーを起こす構造である。
これと同じエネルギー発光を、有機物を活かした半導体で実現するのが、有機ELであり、有機ELでは有機物とレアメタル金属の反応が活かされている。

なお、インジウムは数年前までは日本が世界一の生産国であったが、現在にては、高温の地中深くまで掘り下げての採掘が必要となり、生産までのコストが見合わなくなっている。

・自動車の排ガスに含まれる窒素化合物NOx、一酸化炭素、および未燃焼の炭化水素、これらを分解する触媒を「三元触媒」と称す。
この三元触媒は、NOxを窒素と酸素に分解し、一酸化炭素を二酸化炭素に酸化し、炭化水素を二酸化炭素と水に酸化させるもので、成分はプラチナ、パラジウム、ロジウム。
ただし触媒の作用機能はよく分かっていない。
(※ この箇所を読んでいて、とっさに思い出したこと ─ パラジウムやロジウムなどを起用したいわゆるインテリジェント触媒なるものが開発されており、酸化/還元反応をきわめて精妙に実現する由、表面科学についての本に要約されていた。参考まで。)

・2010年ノーベル化学賞の根岸・鈴木両氏の受賞対象研究は、分子のクロスカップリング反応技術で、これは複数にユニット化された分子をさらに合体させる技術であり、触媒にはパラジウムが多く用いられている。

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…以上、p.158までごく大雑把ながら僕なりにまとめてみた。
本書p159以降にては、レアメタル及びレアアース各元素について産業用途に主眼をおいた概括あり

本著者はさらに、アメリカなどと比べて日本の国家安全保障への意識が低く、レアメタルの備蓄にて日本が出遅れており、これが工業技術・製品競争において常に日本の不利益をもたらしかねぬ ─ と危惧されている。
一方では、レアメタルを含む電子機器が日本の大都市部に「既に」大量に存在していること、ゆえに、それらのレアメタルをリサイクル利用すれば天然鉱石から精錬・単離するより遥かに効率がよい由、リマインドされている。
(これは日本の大都市をいわば「都市鉱山」と見做してのアプローチであり、じっさいに2013年に小型家電リサイクルも法制化されている由。)

以上

2017/05/27

【読書メモ】 新・単位がわかると物理がわかる

『新・単位がわかると物理がわかる 和田純夫・大上雅史・根本和昭 共著 ベレ出版』
本書は、国際度量衡総会による国際(SI)基本単位系の2018年の大改定を見据えた、2014年の刷新版である。
むろん、物理/化学の基本単位系とそれらの組立単位については、高校教科書ないし参考書類にも記載あり、様々に想定/確認してきた学生諸君も多かろう。
そこで、とりわけ学生諸君にはあらためて考えて欲しいのだが ─ 
物理現象(エネルギー)の実測技術が精度を増すにつれて、単位そのものに論理上のほころびや非効率が顕れるもやむなし…、これは厄介な拮抗であるとともに、いわば物理学と数学の理想的な競合ではないだろうか。
本書の存在意義のひとつは、まさにこの「普遍のうちに在る新しさ」のリマインドにあろう。
じっさい、根元単位の再定義; 新たな1キログラム、クーロン量、アヴォガドロ定数やボルツマン定数の定量化など…は、極めて卑近な単位尺度でありつつも極めて高精度な物理学でもあるのだ。

本書引用のエネルギー式や状態方程式などなどは、いずれも比例/反比例関係にて観念捕捉しやすいレベルに留められており、複雑な数学操作はほとんど提示されていないので、物理学や化学や数学に精通しておらずとも了察しやすいもの。
※ なお、本書記載の物理定数表現は全て2014年時点でのものあり、最新の定義についてはこちらを参照方 ⇒ 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84SI%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%BE%A9 

とまれ、以下に僕なりにざーっと読書メモを記す



<単位系の概括
物理単位には、個別独立した単位と、それらによる組み立て単位がある。
たとえば、ニュートン以来の「運動方程式」 にて、力つまりニュートン N 質量(加速されにくさ) と移動距離 と時間 それぞれ別個の基本単位 m, kg, s による組み立て単位であり、1N = 1kgm/s2 である。
これをもとにした「位置エネルギー」も、力 N と移動距離 と質量 と 速さ(加速度x時間) の比例/反比例による組み立て単位として、まとめて J(ジュール)単位で表し、1J = 1Nm = 1kgm2/s2
 となり、やはり基本単位 m, kg, s の組み立て単位。
万有引力もクーロン力も分子間力も核力も、位置エネルギーとして、Jで表現出来、さらに「運動エネルギー」がこれに比例し、1/2 x 質量 x 速さとしてやはり m, kg, s の組み立て単位で表現。

ここで電流アンペア(A)をどう扱うか。
別個に独立した m, kg, s の各基本単位から(上の N のように) A を組み立てる方式が3元単位系であり、A も別個の独立単位として MKSA の4つそれぞれを基本単位とみなすのが4元単位系である。
普及している SI 単位系は4元単位系である。

とくに、自然単位系という着想もあり、これは上の基本単位同士でさえもが直接の換算関係にある、というもの。
これは量子力学以降に考慮されてきた単位解釈である、が、それではあらゆる単位そのものがたった1つの絶対尺度に収斂するか、となると、様々な物理現象や実測値を鑑みるかぎりそんなことはありえない。

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<キログラム、アヴォガドロ定数>
地上の「キログラム原器」に 1kg重 の重力がはたらきつつ、ちょうど 1m/s2 の加速度で運動しているとする。
質量は力 / 加速度であるから、この「キログラム原器」の質量は、重力 / 加速度から (1kg重)/(1m/s2) = 1kg重・s2/m の単位で表現出来る。
じっさいに、この「キログラム原器」の、地上の重力加速度 g 9.8m/s2 における質量を換算すると、1kg重 / (9.8m/s2) = 0.102・・・(kg重・s2/m) とみなせる。
とはいえ、そもそも地上の重力は場所によって0.5%くらい誤差がある。

一方で、アヴォガドロ定数(NA)の実数が分かってきた。
完全なシリコン結晶とX線による密度と体積の測定によるもので、このシリコン結晶の原子1つあたりの平均体積と、1モル量あたりの体積を実測。
これにより、1モル中のアヴォガドロ定数 NA = (6.02214129±0.00000027) x 1023 個 / モル。
とはいえ、これとて 「キログラム原器」 と同様に、精度は1億分の5ほどの誤差を残す。

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<プランク定数と 「新」キログラム>
そこで今後は、「新たな」キログラム質量単位をアヴォガドロ定数と別個におき、また現行のアヴォガドロ定数/現行のモル量の定義は放棄する、と既に方針が定まっている。
そこで起用されるのが、量子論の「プランク定数」を用いる質量定義方法である。

エネルギーと(電子などの)粒子振動数の関係は、エネルギー = プランク定数(h) x 振動数(振動回数 / 時間)
エネルギー単位ジュール(J) を、従来の長さと時間と「キログラム原器」で表現すると、J は kgm2/s2  の組み立て単位である。
だから、両辺に時間を掛けて、プランク定数(h)単位は J・s = kgm2/s で表現出来る。
このプランク定数の実測は、これまでワットバランス法(磁場と電流と電磁波をもとに電磁波の振動数と起電力と電流の相関をはかるもの)によってなされてきた。
それによるプランク定数の最新の実測値は、h = (6.62606957±0.00000029) x 10-23 kgm2/s

ところが、プランク定数とアヴォガドロ定数をあわせて、もっと精度の高い実測が既になされている。
それは、プランク定数とアヴォガドロ定数の積を、光速度と電子1モル質量と電気力とリュードベリ定数の積/商を以て比較精査する方法で、すでにワットバランス法同様の誤差範囲に至っている。
これにより、アヴォガドロ定数の厳密な実測値が出る、それによってプランク定数の実測値もヨリ精密になる、だから「新たな」キログラムの実測値も出ることになり、これが2018年に見込まれている。

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<電磁方程式、クーロン(C)、アンペア(A)>
電磁力の法則は、電流の大きさと電流間の距離とその導線の長さを関係づけるもの。
導線長Δに働く電磁力 = 2 x 或る比例定数´ x 電流2 / 電流間の距離 x 導線長Δ
ここで、電流間の距離を 1m 、導線長 1m として、働く電磁力とその電流の関係を定義しており、電磁力が 2 x 10-7 N となる電流を 1アンペア(A) としている。

電気量クーロン(C) は電流とx 時間(秒)の積、つまり 1C = 1A x 1s の関係から、電子の負電荷(および陽子の正電荷)の電気素量 (e) が定められてきた。
しかし現在、電子の電気素量 (e) そのものが精密に計測されており、
 e = 1.602176565 x 10-19 C
これに合うように電気量クーロンを再定義しよう、そしてさらに電流アンペアを再定義へ、というのが2018年に向けての動向である。

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<絶対温度、ボルツマン定数>
ボイルの法則とシャルルの法則から、「理想気体」にては、温度が一定なら圧力に反比例して体積が縮み、圧力が一定なら絶対温度(Kケルビン)がゼロの時に体積がゼロになる。
この理想気体の状態方程式は、圧力 x 体積 = 気体の物質量(nモル数) x 或る気体定数 R x 絶対温度 K という比例/反比例関係である。
気体定数 R はエネルギー単位で、従来は、氷→水蒸気に一気に昇華する気圧611Pa と絶対温度 273.16K のそれぞれの上限値(いわゆる三重点)から演繹し、実測値から気体定数 R のエネルギーを 8.3144・・・J/(mol・K) としてきた。

状態方程式から、絶対温度 = (圧力 x 体積) / (気体の物質量nモル x 気体定数R となる。
しかしここで、エネルギー単位である気体定数Rを人為的にあらかじめ決めてしまおう ─ というのが現在の動向。
そのためにまず物質量nを、モル数ではなく、気体分子の個数N / アヴォガドロ定数NA とし、気体定数 R / アヴォガドロ定数NA であるいわゆるボルツマン定数 KB をエネルギー単位として定義する。
そうするとこの式は、分母の(気体の物質量nモル x 気体定数R) を書き替えて、絶対温度 = (圧力 x 体積) / ボルツマン定数KB x 気体分子個数N と再定義出来る。
これでボルツマン定数KB = 1.380・・・x 10-23 J(ジュール) / K(絶対温度) と定量的におくことが、2018年から想定されている。

実際の 圧力 x 体積は、(2・分子個数N / 3) x 分子温度であり、(ここでは分子間力は無視するとして)、これは (N/m2) x m3  = N・m = Jジュール となってエネルギー単位になる。
さらに 2・N / 3 x 分子温度は分子1つあたりの平均エネルギーで、これも単位は Jジュール となる。

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<量子論、自然単位系>
相対性理論では、空間と時間を一体としてみなすが、これがいわゆる自然単位系の概念と通じている。
たとえば - 距離の組み立て次元として時間を単位化し、これを 「時間距離」 とする。
時間距離 = 光速(c) x 時間 となるが、ここで光速(c) は速度であるから、これも距離と時間の組み立て次元単位である。
光速の実測値は c = 299,792,458 m/s だが、これをズバリ1単位とすると、1s = 299,792,458 m とも表現出来る。
こうして、相対性理論に則れば、基本単位である sm の間でさえもが直接換算が出来るようになった。
これが自然単位系の発想である。

では、量子レベルでの粒子のエネルギーと振動数の関係も、自然単位系として直接換算し合えるだろうか?
量子論では、粒子の運動プロセスが起こる可能性を 「作用」 と称し、エネルギーと時間(s)で表現出来る。
この 「作用」 と プランク定数(h)実測値 と時間(s) と質量(kg) の関係につき、自然単位の発想でそれぞれの単位を基本1単位とおいてみる。
するとなんと、1kg = 1.054… x 10-34kgm2 、また、1kg = 9.482… x 1033s / m2 となり、3つの基本単位 m kgs 間にて直接換算可能になる。
さらに上の光速における基本単位 sm 間の直接換算での値を代入すると、1kg = 2.482…1042m-1 となり、2つの基本単位 kg m が直接換算可能になる。

それではあらゆる単位そのものがたった1つの絶対尺度に収斂するか、となると、様々な物理現象や実測値を鑑みるかぎりそんなことはありえない。

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… 以上、p.214まで、僕なりに拙い知識を動員しつつ(最後は半ば意地になって)まとめてみたが、もう限界だ、ここらで僕は降参。

本書はまだまだ、電気力と電気量にかかる原子単位系と『微細構造定数』や、万有引力についての『重力定数』、プランク定数にかかる長さと時間と質量などなど…自然単位系での表現はありうるかなどについて論が進んでゆく。

なお、高校レベルまでの物理の教科書に(あまり)記載されていない電磁波としての光エネルギー単位と、音圧と周波などについて、さらに放射線についても、本書では各単位表現の意義につき概括がなされている。

※ とりわけ、光エネルギーのヒト側での比視感度=光束(ルーメン)、その光束と立体角(ステラジアン)から導かれる光度(カンデラ)、また光束と半径距離と照射面積から算出される照度(ルクス) については、とくにこんご光学関係のイノヴェーションが一層進むことも勘案し、ぜひ学生諸君には一読をすすめたい。

2017/05/11

奇跡の花束

遥か、遠い遠い、昔の話。
ある女が、花を贈るという行為を思いついた。
しかし、1本だけ贈るというのは、なんだか寂しい気がしたので、庭に生えている花からこれはという綺麗な2本を選び、それを摘んで、贈ってみることにした。
誰に贈ればいいのかしら ─ ああ、そうだ、あの、いつも素っ気ない彼がいい。
はて、自分の名は記すべきだろうか…いや、やめておこう。
善意の誰かさん、そういうことにしておこう。

さて、これを受け取った男は、最初はちょっと驚いたが、やがてこの楽しさに気付く。
そうだ、このたった2本の花でも、俺はちょっと幸せな気分、それじゃあ…うむ、俺は4本を束にして、誰かに贈ってやろう。
誰に ─ ああ、そうだ、あの、いつも無愛想なあの女がいい、彼女にしよう。
彼は庭先の花を4本摘んで、それを束にして。
さーて、俺の名前は、明かすべきだろうか。
いや、やめておこう。
善意の誰かさん、そういうことにしておけばいい。

これを受け取ったその女は、はじめは、おや、と訝しく思ったことだろう。
この4本の花の束は、なんの意味だろう、何かの知らせだろうか…でも、悪い気はしないわ、むしろ歌でも歌いたい気分。
そうだわ、どうせならこの楽しさを倍にして、などとひとりごちながら、彼女は庭先の綺麗な花を8本摘んで、それを束ねてみたことだろう。
さて ─ これを誰に贈ろうか?
そうだ!と、彼女はくすくす笑いながら思いついたに違いない。
あの、いつも静かに頑張っている彼がいい、きっと喜ぶことだろう。
あたしの名前は、どうしよう…うむ、やはり隠しておこう。
善意の誰かさんから、そういうことでいいわ…。

とつぜん8本の花束を贈られたその男は、びっくりしたことだろう。
いったい、これはどういう意味だろう、何かの暗号だろうか?
しばらく逡巡していた彼は、やがて、はっと気づいたことだろう。
きっと意味なんか無い、いや、これ自体が意味そのものなんだ、そうだ、そうとしか考えられない。
幸福、希望、そしてこの世への感謝、それらの全て、それがこの花束。
それじゃあ俺は、うむ、俺なら。
もちろん、やがて彼の腕の中に束ねられた色鮮やかな花は、16本に決まっているのであって…
俺の名は、どうしよう、いや、善意の誰かということしておけばいいんだ。

彼からその16本の花束を贈られたその女は、最初は驚いたものの、やがて32本の花束を ─ もうこのあたりになるとちょっと分けて束ねて、それをある男に贈り、その男も花束をいくつかに分けて束ねて64本、それがある女のもとへ届けられ……。
もう分かったことだろう。
この、善意の花束のお話は、今もずっと続いている。

え?あたしのところには、まだ届いていないって?
とっくに届いているでしょう?
色も香も姿形も、大きく変わってきたものの、あなたのところにも善意という名の奇跡の花束はどっさりと届けられている。
それどころか、あなただって、その奇跡を倍にして誰かに分け与えているのだ。
このようにして、世界は奇跡で出来ている。
あまりにも当たり前すぎて気づかない、だから奇跡なのだ。


(ちょっと星新一らしくまとめてみた。)

2017/05/06

しましまソックス

高2に進級して間もなくのこと。
クラスに転校生がやってきた。
それも、女子である。
しかも、勉強が得意。
かつ、そこそこの美人タイプ、さらに気取り屋で、どうも、最初から気に入らない娘であった。
とりわけ鼻についたのが、彼女の英語の流暢きわまるアクセント…だが、もっと挑戦的に映ったのが、毎日のように穿いている派手なストライプの長靴下。
なんだ、気取っているくせに、軽薄な…。

ところが、なんとなんと!
彼女が越してきた新居は、僕と同じマンションであり、しかも、同じ5階であり、かつ、僕の室の真向かいとなってしまったのだ。
そんなこと、学制上ありうるのか…それが、ありうるんだよ。
ちょっと具体的に記せば、彼女は両親とではなく伯父伯母と同居していたのだが、そのあたりは略す。
ともあれ、僕と彼女の奇妙な因縁が始まり、しっくりしない仕草や挙動のかたちで展開されてゆくのである。


たとえば。

朝の通学時間、まったくの偶然なのだが、こちらがドアを開けるまさにその同じタイミングで、あちらもドアを開けて、彼女がすっと姿を現すのである。
目が合うと、どうもつんとしている。
それでも僕から、「おはよう」 とぶっきらぼうに声をかけると、彼女がつんつんした口調で寄越して返すのである。
「あんたって、スパイみたい。あたしに時間を合わせているの?もしかして、あたしのこと監視してるんじゃないの~?」
こういう嘲笑的な態度と口調にむかっときて、僕が無言で足早にエレベータに向かうと、彼女がスタスタとついてきながら、「あんたさぁ、男なんだから、階段で下りていきなさいよ」 とも。
「そうするよ」 と捨て台詞で僕が階段に向かっても、彼女はうんともすんとも返答せず、シマシマの脚でエレベータに乗り込んでしまうのであった。

とはいえ、最寄りのバス停でまた一緒になるわけだが、お互いにこんなふうだから、むしむし、学校近くで下車しても黙ったまま。
むろん、教室内でも知らんぷりであった。


☆   ☆

さて。
5月の連休明け、恒例行事である駅伝レースの時節となった。
これは、郊外からかなり奥まったところ、山の湖畔の起伏激しい林道を、クラス対抗リレーで競争するというもの。
クラスごとに男女2人づつ計4人の混成チームで、1人が8kmづつの周回リレーである。
この対抗リレーに際して、我がクラスではなんと僕がメンバーの一人に選ばれたのである。
学級担任いわく、足が速い奴ばかりじゃつまらんだろう、と。
おまえは最終走者に任命する、せいぜいレースを盛り上げてくれ、おまえなら頑丈だからなんとでもなるさ、アハハハハ…
それで、強引に役回りを押しつけられてしまった。

たかだか8kmくらい、なんとでもなるさ、といったんは安心してはみたものの。
しかし、問題のコースは平坦な道路とはわけが違う、文字通り山あり谷ありの高低差の激しい走路である。
毎年のように途中棄権者も出るくらいのもの、とくに女子がしばしば棄権していた ─ そういう走路なのである。
だから僕もちょっと不安になり、レース本番の1週間前に、自転車でぐるっとコースを周回してみたのだった。
なるほど、確かにキツそうだ…本当に走破出来るだろうか、やっぱり出場辞退しようか。
でも、いや、やはり、だが、そんな、こんな…と思いあぐねつつ。
コース中盤の登り坂にさしかかったところで、ふ、と発見したものがある。
舗装路からさりげなく脇にそれる小さな石階段、その先にある小さな家。

家と見紛えたそれは、ちっぽけな木造の講堂 ─ いや、聖堂であった。
宗派などは分らなかったが、つくりからしてたぶんキリスト教会だろう。
周囲の草が無造作に伸び茂っている。
壁も窓も屋根も崩れてこそいなかったものの、木製のドアも床面もきぃきぃと軋む。
室内に踏み入ってみれば中はガランドウで、調度品は無く、ただ古びた机とイスが幾らか並んで置かれているのみであった。
どういう由緒でこのようなところに、と不思議でならなかったが、同時にまた、わけもなくひとつのイメージが僕の脳裏に浮かんでいた。
「ウサギとカメの物語、ウサギはきっとここでお休みだ、あははは。


☆   ☆   ☆

さて。
レース当日、まさにその朝になって。
高校に参集した僕たちは、メンバー女子の1人が体調不良で出場出来ぬことになったと知らされた。
そこで、と、学級担任が驚くべき打開策をぶちあげた。
なんとなんと、「転校生の彼女」 を選手起用するという。
いわく、彼女は以前の高校でテニス部に所属していた健脚で、しかも今回のレース代走選手に自発的に名乗り出た由である、と。
これは僕にとって二重三重の驚きであった。
彼女が高らかに宣言した。
「厳しいコースであることは分っているつもりです。でも、このクラスの一員にふさわしくしっかりと走り抜けるつもりです。よろしくお願いします」
「君は第三走者だ、たのむよ」 と学級担任が声をかけた。
「ハイ、分っています。最終走者は…彼ですよね」
彼女は僕を一瞥すらせず、つ、と指だけをこちらに向けた。
僕はむかっとした。

いよいよ、現地入り。
レース開始は、14時。
スタートラインに選手たちが集合し、つられて、僕も参列した。
号砲が打ち鳴らされ、第一走者の女子選手たちがスタート。

☆  ☆  ☆  ☆

第一走者の女子が戻ってくるころには、我がクラスはトップから3分以上も差をつけられた最下位で、第二走者の男子はさすがに陸上部ゆえ若干は差を縮めたが、やはり遅れ気味だった。
 
そして、ついに彼女の出番。
「一人でもいいから追い抜いてこい、そのつもりで行け!」
学級担任の激励の声を背に、彼女は軽やかに駆け出した。
あっ、と僕は気づいた ─ なんだあいつ、気取っているくせにあの頑丈そうな太股、それに膝の上までいつもの派手なストライプのソックスだ。
僕は内心で失笑していた。

15分ほど、経った頃だろうか。
にわかに空がどんよりと曇り、と思えばもう強風が吹き始め、やがて雨がぱらついてきた。
たちまちのうちに、信じられないほどの横殴りの大雨となり ─ 僕たちは一斉に建屋の中に避難した。
「ひどい雨になったなぁ。気象庁はなにやってんだ」
「どうしましょうかね、レースはいったん中止にしたら」
「この雨はすぐ止むよ、続行、続行、大丈夫だ」
などなどと、教員たちは口早に議論していたが、山の奥に稲妻がビカリと閃光し雷鳴が轟くや否や、やはりいったん中止にしようとの結論にいたった。
即座に、各地点で待機している教員たちに連絡がとられ、走者をいったん車の中に退避させる段となったのだが。
ここで、僕たちの学級担任が電話片手に慌て始めたのである。
「えっ!?あの娘が見当たらない!?そんなわけないでしょう、いまは…中間地点あたりを走っているはずで…」
激しい横殴りの雨は、しばらく止む気配を見せなかった。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

これは、さしもの彼女も、ちょっと可哀そうかもしれないな、こんなすごい豪雨の中でずぶ濡れの一人きり、誰も制止せぬままに走り続けているのかなぁ、さぞや心細いだろうに…と僕は想像していた。
ほぼ同時に、僕は直観的に思い返していた ─ マンションの対面の部屋に暮らしている彼女の姿、気取った顔、小馬鹿にしたような口調や仕草、あのシマシマストライプのソックス。
うむ、そうだ、僕と彼女の思念はいつもどこかがずれている。
確かにそうだが、しかし、しかしもしかしたら「思念を超えた何か」によって身体的には同調しているのかもしれない、だからいっそのこと、思念を捨てて直観してみれば ─
そして、とつぜん僕は、あっ!と、それこそ雷撃のように閃いたのである。
彼女、何かアクシデントがあったのだ、ケガをしたのでは…それでどこかに退避したのだ…
どこへ?どこへ?
うむ、彼女なら!あいつなら!きっとあそこに身をよせている、あの脇道の、あの 「聖堂」 を咄嗟に見つけて、あそこに退避しているに違いない!絶対にそうだ!
僕はもう学級担任に向かって、半ば怒鳴るようにその旨を口走っていた。
そこでまた教員たちが電話でやりとりを続けていたが、学級担任が僕に振り返って言う 「そんな聖堂なんか無いってさ」
「何をやってんですか!?」と僕はもはや叫んでいた、叫び声を挙げながら学級担任の自転車に駆け寄ると、「これを借りますから!もう僕が何とかしますから!」
「まあ、おまえならなんとかなるだろう」と呆けたように見届けている学級担任をあとにして、僕はその自転車に飛び乗っていた。
そして、ふりしきる雨の中を僕は全速力で「あの聖堂」に向かっていた。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

僕の直観どおりだった。
その聖堂に、彼女が身を隠していた。
「怪我をしたのか?」
「そうよ。たぶん捻挫したの。で、あんたは何をしに来たのよ?」
「助けに来たんだよ」
「フン、そんなずぶ濡れで」
「そうだ、担任の自転車もずぶ濡れだ」
「で、どうしようっていうのよ?」
「雨が止むまで、ここで待つ」
「フン、それから?」
「自転車に乗せていく」
「…でも、あたしは見た目よりも重いわよ」
「俺は見た目よりもバカなんだ」
会話などどうでもよかった、じきに僕と彼女は不思議なほどに無口になり、聖堂の窓から雨音を聴き続けていた。

「ねえ、なんだか小降りになってきたんじゃないの?」
「そうだな、小降りになってきたようだ」
「それで、レースはどうするのよ?あんた最終ランナーでしょう?」
「どうせ中止だよ」
やがて、雨がほぼあがったことを確かめ、僕は右足を引きずった彼女に肩を貸しつつ自転車に乗せた。
「さぁ、行くぞ」
「ちょっと待ってよ」と彼女が声を挙げた、そして、右足のシマシマソックスを脱ぎ下ろすと、ぶっきらぼうに僕に手渡した。
「そんなもの穿いていると足がつらいのよ」
「じゃあ捨てよう」
「イヤよ」と拗ねたような声が、妙な笑い声のようにも聞こえた。
そして彼女は左足のシマシマも脱ぎ下ろしつつ、これは輸入品だから高いのよとうそぶいたのであった。

シマシマソックスをハンドルに括りつけて、僕は自転車を漕ぎ始めた。
ほぼ雨上がりの空には、虹がかかっていた ─ 違うわよあれは虹じゃないわよ、いや虹だよ、違うわよ…
いよいよ出来損ないのような会話をぽつぽつ交わしつつ、僕たちの自転車は微妙にガタゴト揺れて、レースコースの坂道を上り下り、教員たちの待つスタートラインに辿り着いたのである。

レースはやはり中止が決定されていた。
尤も、僕は1人でゆうに2人分以上を走ったほどに疲れてしまっており、だからいつ再開されるかなどもはやどうでもよかった。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

さて、翌朝のこと。
僕がドアを開けたそのタイミングで、またしても彼女の室のドアが開いた。
「おはよう」 と僕が声をかけたら、彼女はニコリともせずにうそぶいた。
「ま~た同じ時間に出てきたのね、あんたさぁ、やっぱりあたしのことをスパイしているわけ?変なの~。」
「そうだよ、まあ、そんなふうなもんだ」
僕は彼女の、意固地なまでのシマシマソックスを軽く一瞥して、それから無言で階段に向かった。
彼女は黙ってエレベータに乗りこんだ、と思いきや、その朝は(その朝だけは)、僕のあとから階段を下りてきた。
「おい、捻挫しているんだろう、無理するなって」
「そうよ。だから、肩を貸してよ」
「分かったよ」
ぶかっこうな二人三脚で、彼女と僕は一歩一歩、階段を下り、そのままバス停まで手をつないで歩いていったのである。



それから ─ 
いや、話はこれでおしまいだ。
彼女とはやはりつっけんどんな関係で、それでも学級担任だけはニヤニヤと楽しそうだったが、僕にとっては大した思い出もなく、そんなうちに彼女は両親の住むニューヨークに留学するとかで去っていった。
以来、彼女とは再会することもなく、連絡をとるすべもない。
しかし、そんなことせずとも、僕は彼女とどこかで不思議な同期をとっているんじゃないかな ─ と彼女も時おり思い出して、軽くため息つきながらもクスクスと笑っているような気がする。

(おわり)