遥か、遠い遠い、昔の話。
ある女が、花を贈るという行為を思いついた。
しかし、1本だけ贈るというのは、なんだか寂しい気がしたので、庭に生えている花からこれはという綺麗な2本を選び、それを摘んで、贈ってみることにした。
誰に贈ればいいのかしら ─ ああ、そうだ、あの、いつも素っ気ない彼がいい。
はて、自分の名は記すべきだろうか…いや、やめておこう。
善意の誰かさん、そういうことにしておこう。
さて、これを受け取った男は、最初はちょっと驚いたが、やがてこの楽しさに気付く。
そうだ、このたった2本の花でも、俺はちょっと幸せな気分、それじゃあ…うむ、俺は4本を束にして、誰かに贈ってやろう。
誰に ─ ああ、そうだ、あの、いつも無愛想なあの女がいい、彼女にしよう。
彼は庭先の花を4本摘んで、それを束にして。
さーて、俺の名前は、明かすべきだろうか。
いや、やめておこう。
善意の誰かさん、そういうことにしておけばいい。
これを受け取ったその女は、はじめは、おや、と訝しく思ったことだろう。
この4本の花の束は、なんの意味だろう、何かの知らせだろうか…でも、悪い気はしないわ、むしろ歌でも歌いたい気分。
そうだわ、どうせならこの楽しさを倍にして、などとひとりごちながら、彼女は庭先の綺麗な花を8本摘んで、それを束ねてみたことだろう。
さて ─ これを誰に贈ろうか?
そうだ!と、彼女はくすくす笑いながら思いついたに違いない。
あの、いつも静かに頑張っている彼がいい、きっと喜ぶことだろう。
あたしの名前は、どうしよう…うむ、やはり隠しておこう。
善意の誰かさんから、そういうことでいいわ…。
とつぜん8本の花束を贈られたその男は、びっくりしたことだろう。
いったい、これはどういう意味だろう、何かの暗号だろうか?
しばらく逡巡していた彼は、やがて、はっと気づいたことだろう。
きっと意味なんか無い、いや、これ自体が意味そのものなんだ、そうだ、そうとしか考えられない。
幸福、希望、そしてこの世への感謝、それらの全て、それがこの花束。
それじゃあ俺は、うむ、俺なら。
もちろん、やがて彼の腕の中に束ねられた色鮮やかな花は、16本に決まっているのであって…
俺の名は、どうしよう、いや、善意の誰かということしておけばいいんだ。
彼からその16本の花束を贈られたその女は、最初は驚いたものの、やがて32本の花束を ─ もうこのあたりになるとちょっと分けて束ねて、それをある男に贈り、その男も花束をいくつかに分けて束ねて64本、それがある女のもとへ届けられ……。
もう分かったことだろう。
この、善意の花束のお話は、今もずっと続いている。
え?あたしのところには、まだ届いていないって?
とっくに届いているでしょう?
色も香も姿形も、大きく変わってきたものの、あなたのところにも善意という名の奇跡の花束はどっさりと届けられている。
それどころか、あなただって、その奇跡を倍にして誰かに分け与えているのだ。
このようにして、世界は奇跡で出来ている。
あまりにも当たり前すぎて気づかない、だから奇跡なのだ。
(ちょっと星新一らしくまとめてみた。)