2017/05/06

しましまソックス

高2に進級して間もなくのこと。
クラスに転校生がやってきた。
それも、女子である。
しかも、勉強が得意。
かつ、そこそこの美人タイプ、さらに気取り屋で、どうも、最初から気に入らない娘であった。
とりわけ鼻についたのが、彼女の英語の流暢きわまるアクセント…だが、もっと挑戦的に映ったのが、毎日のように穿いている派手なストライプの長靴下。
なんだ、気取っているくせに、軽薄な…。

ところが、なんとなんと!
彼女が越してきた新居は、僕と同じマンションであり、しかも、同じ5階であり、かつ、僕の室の真向かいとなってしまったのだ。
そんなこと、学制上ありうるのか…それが、ありうるんだよ。
ちょっと具体的に記せば、彼女は両親とではなく伯父伯母と同居していたのだが、そのあたりは略す。
ともあれ、僕と彼女の奇妙な因縁が始まり、しっくりしない仕草や挙動のかたちで展開されてゆくのである。


たとえば。

朝の通学時間、まったくの偶然なのだが、こちらがドアを開けるまさにその同じタイミングで、あちらもドアを開けて、彼女がすっと姿を現すのである。
目が合うと、どうもつんとしている。
それでも僕から、「おはよう」 とぶっきらぼうに声をかけると、彼女がつんつんした口調で寄越して返すのである。
「あんたって、スパイみたい。あたしに時間を合わせているの?もしかして、あたしのこと監視してるんじゃないの~?」
こういう嘲笑的な態度と口調にむかっときて、僕が無言で足早にエレベータに向かうと、彼女がスタスタとついてきながら、「あんたさぁ、男なんだから、階段で下りていきなさいよ」 とも。
「そうするよ」 と捨て台詞で僕が階段に向かっても、彼女はうんともすんとも返答せず、シマシマの脚でエレベータに乗り込んでしまうのであった。

とはいえ、最寄りのバス停でまた一緒になるわけだが、お互いにこんなふうだから、むしむし、学校近くで下車しても黙ったまま。
むろん、教室内でも知らんぷりであった。


☆   ☆

さて。
5月の連休明け、恒例行事である駅伝レースの時節となった。
これは、郊外からかなり奥まったところ、山の湖畔の起伏激しい林道を、クラス対抗リレーで競争するというもの。
クラスごとに男女2人づつ計4人の混成チームで、1人が8kmづつの周回リレーである。
この対抗リレーに際して、我がクラスではなんと僕がメンバーの一人に選ばれたのである。
学級担任いわく、足が速い奴ばかりじゃつまらんだろう、と。
おまえは最終走者に任命する、せいぜいレースを盛り上げてくれ、おまえなら頑丈だからなんとでもなるさ、アハハハハ…
それで、強引に役回りを押しつけられてしまった。

たかだか8kmくらい、なんとでもなるさ、といったんは安心してはみたものの。
しかし、問題のコースは平坦な道路とはわけが違う、文字通り山あり谷ありの高低差の激しい走路である。
毎年のように途中棄権者も出るくらいのもの、とくに女子がしばしば棄権していた ─ そういう走路なのである。
だから僕もちょっと不安になり、レース本番の1週間前に、自転車でぐるっとコースを周回してみたのだった。
なるほど、確かにキツそうだ…本当に走破出来るだろうか、やっぱり出場辞退しようか。
でも、いや、やはり、だが、そんな、こんな…と思いあぐねつつ。
コース中盤の登り坂にさしかかったところで、ふ、と発見したものがある。
舗装路からさりげなく脇にそれる小さな石階段、その先にある小さな家。

家と見紛えたそれは、ちっぽけな木造の講堂 ─ いや、聖堂であった。
宗派などは分らなかったが、つくりからしてたぶんキリスト教会だろう。
周囲の草が無造作に伸び茂っている。
壁も窓も屋根も崩れてこそいなかったものの、木製のドアも床面もきぃきぃと軋む。
室内に踏み入ってみれば中はガランドウで、調度品は無く、ただ古びた机とイスが幾らか並んで置かれているのみであった。
どういう由緒でこのようなところに、と不思議でならなかったが、同時にまた、わけもなくひとつのイメージが僕の脳裏に浮かんでいた。
「ウサギとカメの物語、ウサギはきっとここでお休みだ、あははは。


☆   ☆   ☆

さて。
レース当日、まさにその朝になって。
高校に参集した僕たちは、メンバー女子の1人が体調不良で出場出来ぬことになったと知らされた。
そこで、と、学級担任が驚くべき打開策をぶちあげた。
なんとなんと、「転校生の彼女」 を選手起用するという。
いわく、彼女は以前の高校でテニス部に所属していた健脚で、しかも今回のレース代走選手に自発的に名乗り出た由である、と。
これは僕にとって二重三重の驚きであった。
彼女が高らかに宣言した。
「厳しいコースであることは分っているつもりです。でも、このクラスの一員にふさわしくしっかりと走り抜けるつもりです。よろしくお願いします」
「君は第三走者だ、たのむよ」 と学級担任が声をかけた。
「ハイ、分っています。最終走者は…彼ですよね」
彼女は僕を一瞥すらせず、つ、と指だけをこちらに向けた。
僕はむかっとした。

いよいよ、現地入り。
レース開始は、14時。
スタートラインに選手たちが集合し、つられて、僕も参列した。
号砲が打ち鳴らされ、第一走者の女子選手たちがスタート。

☆  ☆  ☆  ☆

第一走者の女子が戻ってくるころには、我がクラスはトップから3分以上も差をつけられた最下位で、第二走者の男子はさすがに陸上部ゆえ若干は差を縮めたが、やはり遅れ気味だった。
 
そして、ついに彼女の出番。
「一人でもいいから追い抜いてこい、そのつもりで行け!」
学級担任の激励の声を背に、彼女は軽やかに駆け出した。
あっ、と僕は気づいた ─ なんだあいつ、気取っているくせにあの頑丈そうな太股、それに膝の上までいつもの派手なストライプのソックスだ。
僕は内心で失笑していた。

15分ほど、経った頃だろうか。
にわかに空がどんよりと曇り、と思えばもう強風が吹き始め、やがて雨がぱらついてきた。
たちまちのうちに、信じられないほどの横殴りの大雨となり ─ 僕たちは一斉に建屋の中に避難した。
「ひどい雨になったなぁ。気象庁はなにやってんだ」
「どうしましょうかね、レースはいったん中止にしたら」
「この雨はすぐ止むよ、続行、続行、大丈夫だ」
などなどと、教員たちは口早に議論していたが、山の奥に稲妻がビカリと閃光し雷鳴が轟くや否や、やはりいったん中止にしようとの結論にいたった。
即座に、各地点で待機している教員たちに連絡がとられ、走者をいったん車の中に退避させる段となったのだが。
ここで、僕たちの学級担任が電話片手に慌て始めたのである。
「えっ!?あの娘が見当たらない!?そんなわけないでしょう、いまは…中間地点あたりを走っているはずで…」
激しい横殴りの雨は、しばらく止む気配を見せなかった。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

これは、さしもの彼女も、ちょっと可哀そうかもしれないな、こんなすごい豪雨の中でずぶ濡れの一人きり、誰も制止せぬままに走り続けているのかなぁ、さぞや心細いだろうに…と僕は想像していた。
ほぼ同時に、僕は直観的に思い返していた ─ マンションの対面の部屋に暮らしている彼女の姿、気取った顔、小馬鹿にしたような口調や仕草、あのシマシマストライプのソックス。
うむ、そうだ、僕と彼女の思念はいつもどこかがずれている。
確かにそうだが、しかし、しかしもしかしたら「思念を超えた何か」によって身体的には同調しているのかもしれない、だからいっそのこと、思念を捨てて直観してみれば ─
そして、とつぜん僕は、あっ!と、それこそ雷撃のように閃いたのである。
彼女、何かアクシデントがあったのだ、ケガをしたのでは…それでどこかに退避したのだ…
どこへ?どこへ?
うむ、彼女なら!あいつなら!きっとあそこに身をよせている、あの脇道の、あの 「聖堂」 を咄嗟に見つけて、あそこに退避しているに違いない!絶対にそうだ!
僕はもう学級担任に向かって、半ば怒鳴るようにその旨を口走っていた。
そこでまた教員たちが電話でやりとりを続けていたが、学級担任が僕に振り返って言う 「そんな聖堂なんか無いってさ」
「何をやってんですか!?」と僕はもはや叫んでいた、叫び声を挙げながら学級担任の自転車に駆け寄ると、「これを借りますから!もう僕が何とかしますから!」
「まあ、おまえならなんとかなるだろう」と呆けたように見届けている学級担任をあとにして、僕はその自転車に飛び乗っていた。
そして、ふりしきる雨の中を僕は全速力で「あの聖堂」に向かっていた。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

僕の直観どおりだった。
その聖堂に、彼女が身を隠していた。
「怪我をしたのか?」
「そうよ。たぶん捻挫したの。で、あんたは何をしに来たのよ?」
「助けに来たんだよ」
「フン、そんなずぶ濡れで」
「そうだ、担任の自転車もずぶ濡れだ」
「で、どうしようっていうのよ?」
「雨が止むまで、ここで待つ」
「フン、それから?」
「自転車に乗せていく」
「…でも、あたしは見た目よりも重いわよ」
「俺は見た目よりもバカなんだ」
会話などどうでもよかった、じきに僕と彼女は不思議なほどに無口になり、聖堂の窓から雨音を聴き続けていた。

「ねえ、なんだか小降りになってきたんじゃないの?」
「そうだな、小降りになってきたようだ」
「それで、レースはどうするのよ?あんた最終ランナーでしょう?」
「どうせ中止だよ」
やがて、雨がほぼあがったことを確かめ、僕は右足を引きずった彼女に肩を貸しつつ自転車に乗せた。
「さぁ、行くぞ」
「ちょっと待ってよ」と彼女が声を挙げた、そして、右足のシマシマソックスを脱ぎ下ろすと、ぶっきらぼうに僕に手渡した。
「そんなもの穿いていると足がつらいのよ」
「じゃあ捨てよう」
「イヤよ」と拗ねたような声が、妙な笑い声のようにも聞こえた。
そして彼女は左足のシマシマも脱ぎ下ろしつつ、これは輸入品だから高いのよとうそぶいたのであった。

シマシマソックスをハンドルに括りつけて、僕は自転車を漕ぎ始めた。
ほぼ雨上がりの空には、虹がかかっていた ─ 違うわよあれは虹じゃないわよ、いや虹だよ、違うわよ…
いよいよ出来損ないのような会話をぽつぽつ交わしつつ、僕たちの自転車は微妙にガタゴト揺れて、レースコースの坂道を上り下り、教員たちの待つスタートラインに辿り着いたのである。

レースはやはり中止が決定されていた。
尤も、僕は1人でゆうに2人分以上を走ったほどに疲れてしまっており、だからいつ再開されるかなどもはやどうでもよかった。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

さて、翌朝のこと。
僕がドアを開けたそのタイミングで、またしても彼女の室のドアが開いた。
「おはよう」 と僕が声をかけたら、彼女はニコリともせずにうそぶいた。
「ま~た同じ時間に出てきたのね、あんたさぁ、やっぱりあたしのことをスパイしているわけ?変なの~。」
「そうだよ、まあ、そんなふうなもんだ」
僕は彼女の、意固地なまでのシマシマソックスを軽く一瞥して、それから無言で階段に向かった。
彼女は黙ってエレベータに乗りこんだ、と思いきや、その朝は(その朝だけは)、僕のあとから階段を下りてきた。
「おい、捻挫しているんだろう、無理するなって」
「そうよ。だから、肩を貸してよ」
「分かったよ」
ぶかっこうな二人三脚で、彼女と僕は一歩一歩、階段を下り、そのままバス停まで手をつないで歩いていったのである。



それから ─ 
いや、話はこれでおしまいだ。
彼女とはやはりつっけんどんな関係で、それでも学級担任だけはニヤニヤと楽しそうだったが、僕にとっては大した思い出もなく、そんなうちに彼女は両親の住むニューヨークに留学するとかで去っていった。
以来、彼女とは再会することもなく、連絡をとるすべもない。
しかし、そんなことせずとも、僕は彼女とどこかで不思議な同期をとっているんじゃないかな ─ と彼女も時おり思い出して、軽くため息つきながらもクスクスと笑っているような気がする。

(おわり)