営業活動に一度でも従事した経験者であれば、きっと了解して頂けるであろうが、いわゆるマーケティングデータには、その解釈が静的に完結され共有済のものと、むしろ新たな解釈の可能性を動的に拡大しうるものとがある。
もちろんデータ活用の本当の面白さは後者にこそ在り、上辺のデータ・マトリクスにおいてさまざまなパラメータ(母数)を新たに仮想投入すれば、マーケティングの文脈そのものをガラリと変えることが出来る。
そうなると、ターゲット顧客と商材のオプションは常に新鮮なチャレンジングタームたりうる。
…以上のような僕なりの見立てにより、特に商業分野を目指す学生諸君にデータ分析の真髄を紹介してみたいと、常々考えていた。
そこで偶々出会ったのが、今般紹介するこの本である。
『マーケティング・エンジニアリング入門 上田雅夫・生田目崇 著 有斐閣アルマ』
本書は、市場(消費者)における商品購入の動機分析および企業側へのフィードバックにつき、「データ収集~分析~解釈」を多元的に推し進める、その技術導入本である。
章立てごとに論旨のウェイトおよび方向は異なっているものの、しばしば同一の定義を編み替えての記述も多く、よって巻頭から順通り読み進めるのはやや退屈でもある。
そこで、収斂的な数理モデルを幾つか紹介する第4章「マーケティング反応の分析」に特に注目し、極めて略記ではあるが、以下に此度の【読書メモ】とする。
市場における消費者の反応メカニズムは、販売行為の結果明らかとなったさまざまなデータの収集と分析と解釈によって見極めることが出来る。
そのためには、それらのデータを、販売当事者にフィードバックするための定量的な「原因のデータ」、および、更なる販売目的設定のための「結果のデータ」とに切り分けて分析することが有効である。
ここで、とくに原因のデータとしては、市場環境および競合他社のマーケティングという外部環境のものと、自社のマーケティングという内部環境のものがある。
原因のデータおよび結果のデータの、見かけ上の変動の中に埋没している真の姿を発見するために、確率論や統計学を活用した数値モデル化を為せば、原因のデータと結果のデータを因果的に連関させて表現出来る。
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モデル式および関係式の例。
① 或る商品 i の或る時点 j における販売数量を「結果のデータ」としてYijと表し、左辺におく。
一方、その同じ商品 i のその時点 j での販売価格を「原因のデータ」として Xij と表し、これを右辺におく。
このさい「原因のデータ(右辺)」においては、販売価格 Xji とは独立した在る要因を推定してパラメータαとし、一方で販売価格 Xij がもたらす影響の重みを推定しパラメータβとして掛けつつ、さらには誤差値をεと推定してこれも外部に加える。
ここまでの「結果のデータ(左辺)」と「原因のデータ(右辺)」をまとめたモデル式は;
Yij = α + βXij + εij
ここで、推定したパラメータ αとβを母数としつつ、販売価格と販売数量の関係式を作成することが出来る。
そのためには両者の誤差を最小とする「最小2乗法」を用いた回帰分析が必要。
② また、この同じ商品 i の販売価格と販売数量にて、或る消費者kが買うか買わぬかの選択確率を表す場合には、やはり推定パラメータαとβを母数として、「結果データ(左辺)」と「原因データ(右辺)」の回帰分析のためのモデル式を;
Yijk= α + βXijk + εijk
と表すことが出来る(なお誤差εも消費者kの購入意思の影響を受けている)。
また、推定パラメータαとβについての「尤度関数」の最大化を図れば、販売価格別の消費者kの選択確率を二項分布とする関係式を導ける。
③ ヨリ複雑かつ実践的な推定/モデル式も可能。
この同じ販売価格と販売数量にて、或るひとつの価格priceij あたりでのこの消費者kの価格反応度を、彼がロイヤルティ高い消費者である場合のパラメータβHpとロイヤルティ低い消費者である場合のβLpに分けるとする。
ここで、それら価格反応度はダミーデータ(0/1)で得点化し、この消費者kが高ロイヤルティであればHLik=1かつLLik=0、一方で彼が低ロイヤルティであればHLik=0かつLLik=1と数値化するものとする。
以上をまとめて、「結果データ(左辺)」と「原因データ(右辺)」をモデル式で表現すると;
Yijk = α + βHp priceij x HLik + βLp priceij x LLik + εijk
このモデル式と推定パラメータをもとに、たとえば、この商品 i の販売価格設定をさまざまに変えた場合にどの消費者がどのくらい購入しうるか、についてのシミュレーションが出来る。
むろん価格以外を変数においたシミュレーションも広範に出来る。
④ 「固定効果」と「変動効果」について。
或る商品 i の或る時点 j での販売における「原因データ(右辺)」にて、特定の原因による固定効果を推定してパラメータ αf とし、その原因による変量効果も推定して αr とする。
かつ、或る影響の重みによる(平均的な)固定効果を推定しこれをパラメータ βf とし、その影響の重みによる何らかのセグメント別の変動効果も推定してこれを βr とする。
これをまとめて、「結果データ(左辺)」と「原因データ(右辺)」としてモデル式にすると;
Yij = {αf +αr} + {βf + βr} Xij + εji
これにより、たとえばαを数量にかかるパラメータ、βは価格にかかるパラメータとして推定し、これらを母数とすれば、多様なシミュレーション分析の数式化が出来る。
パラメータをもっと増やせば、シミュレーションの多様化も増す。
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…以上、第4章に例示されている「結果データ」=「原因データ」のモデル式と推定パラメータの置き方について、ざっと掻い摘んで記してみた。
さて本書は第5章にて、これらモデル式とパラメータ(母数)設定における最適値の推定スキルとして、最小2乗法、最尤法と回帰分析、ベイズ定理の紹介 ─ などの数理分析手法を経て、マーケティング上のさまざまな目的関数の最大化ないし最小化をはかる「数理計画問題」に入っていく。
ここらに至ると、正直なところ僕にはやや難解で、いやもちろん読みぬこうとすれば出来るような気もするのだが、ちょっと面倒でもある。
とまれ、商学部や経済学部の学生諸君などは、本書がどのようなコンテンツの参考書であるかおおよその見当はつくのではないかと察す、とともに、ここにささやかに紹介したマーケティング・エンジニアリングの数理はAIディープラーニングにおける回帰分析計算などなどの数理演算とも包摂しあう分野であるから、そっちの分野からこちらに出張してくる読者も多いのではないかなと想像している。
とりあえず、此度の【読書メモ】はここでいったん終わらせることとする - が、第5章以降はさらに今後も読み進めてゆくつもりゆえ、或いはここに追記するかもしれない。
以上
新年度の大学受験生に、とりいそぎ要約的に伝えておきたいことがある。
※ 対象は特定の受験生に限っていないし、誰が覗きに来ようと知ったことではないが、ともかくも例年通りのメッセージだ。
以下に、「高校履修範囲」 つまり大学入試における各教科での、思考/記憶の負荷量を、ざっと僕なりの直観で数値化してみた - だから公的な権威付けなどはまったく無いけどね。
こんなものをまとめてみた目的は、教科によって思考/記憶の対象が異なり、負荷も異なりうることを了解して欲しいため。
たとえば、数学は 『なぜ』、『どうする』 ことによって解を導けるのか、について傑出して思考/記憶負荷が高い。
論説・哲学は、国語科のうちとくに抽象度の高いコンテンツを想定、やはり 『なぜ』 そう言えるのかとの考察において負荷が高い。
理科は、『なぜ』 『どうする』 に加えて、『何が/何を』 という具体的オブジェクトへの考察負荷が大きい。
社会科は、『なぜ』 という考察は他教科と比べほとんど無きに等しいので評点していない (なお地理と政経はこの考察がもっと深くてもいい)。
その一方で、 『誰が』 については覚えるコンテンツが多い。
特に数学と理科の思考/記憶負担量が多いのは、万民に既得の命題がかなり多く、すべて了解するにはそれだけ勉強時間を長く必要とするため。
一方で社会科は、諸命題がウヤムヤ、たとえば、生産と交換経済と法と民主主義にて、何が何の前提であり結果であるのかさえ、ハッキリ定義されていない。
このため、センス次第で精緻にもズボラにもなり、受験勉強においては概して思考力動員が小さいと言わざるを得ない。
(むしろ大学進学以降にセンスが多く問われる。)
さて、これら教科を文芸・スポーツと比較してみたのには理由がある。
文芸もスポーツも常日ごろから軽んじられる傾向にあるが、じっさいは『なぜ』 『どうする』 『何が/何を』 のいずれかについても考察しなければならず、さらに 『誰が』 への考慮も求められるものである。
だから思考負担は高い。
問題は英語科。
こちらは社交目的=いわゆるコミュニケーションの英語というものと、特に難度高い大学入試英文にて問われる学術英語に分けてみた。
前者はともかく、後者はせっかく勉強するのなら、理科レベルとまでは行かぬまでも論説・哲学よりは思考負荷が大きくなければならぬ ─ というくらいの心構えで丁度いい。
要するに、どの科目も同じような意識で勉強していては、同じような学力向上は実現出来ない。
ただし、数学や論説文読解に優れた子は、既にかなり大いなる思考力があるのだから、結局は何やってもうまくやりぬくだろう。
(現にこれらに秀でた子は結局は英文読解力でも秀でる)。
そしてなにより、文芸・スポーツに秀でた子でも、やはり何を学んでも成功しうると言いたい。
だから部活ふくめ、全身全霊をこめて打ち込め!
以上
大学入学おめでとう。
① 昨年も書いたが、これまでの君たちを査定してきたいわゆる学力偏差値とは、いわば「静的な学力」のもので、絵画で例えれば、「どこかで買ってきたり誰かに与えて貰った絵筆やキャンバス」のようなもの。
それぞれの目的用途を限定した上で統一的な性能比較(偏差値の算定)も出来た。
一方で、君たちがまさに「これから実験的に描いていくなんらかの絵画」は、目的用途が限定されない「動的な知力」であり、世の中全般を貫いた客観評価の基準など無い、上限も下限もおけない。
そういうわけで、君たちを統一的に性能評価する学力偏差値などはもう無いのだから、忘れなさい。
② 先進国の世の中は、社会システムとして或いはビジネス関係として、若年者不要のまま完結しがちである。
もちろん、爺さん連中はもっと不要になっていく。
要らない人間同士をとりあえずどこかに束ねるために大学があるんだ、と皮肉に言い表すことが出来る、かもしれない。
もちろん今に始まったことではないし、君たちの親御さんや親族の方々だってこんなことは十分に分かっている。
でもね、最も先進的な学術を追求し実践している(はずの)社会/ビジネス関係も、大学じゃないのかね。
それらは新たな供給だ、だから新たな需要も喚起するんだ、ということは、いずれ世の中が大学の若年層や爺さん連中を大いに求める局面が来るってことだ。
まして、若年者の数はいよいよ減っている。
だから相対的に希少価値だって増すはず、そう考えれば楽しくてワクワクしてくるだろう。
都市化と資本化ばかり図ってきた歴史上の大国は、無産市民を収容して衆愚政治を繰り返し続けた挙句に、周辺部からやってきた新参者たちによって大きく変貌してきた、これが世の常なんだ。
③ なるほど、大学においては、君たちより2まわりも3まわりも歳のいった人たち、つまりそれだけ頭の回転の遅い爺さん連中が、ゆーっくりゆーっくりと講釈を垂れる、そんなケースも多いだろう。
君たちが本気を出したら2週間程度で理解出来ちゃう基本コンセプトを、4年間ないしそれ以上もの時間をかけて説き続けたり。
それは爺さん連中の間でそういうビジネスが出来上がってしまっているからだ。
しかし、そんなものにいちいちペースを合わせても、何ら効用も無いし得も無い、よって、そんなものはほっといてもどうってことはない。
それよりも、若いわかい君たちはおのれが思い立ったときに本気全開で勉強しなさいよ。
そのための素材だけはワンサカとあるんだから、おのれ自身の速度変化によって思考力や体力を増しつつ、新たな仕事=エネルギーを実現しうる。
以上
今年度の新卒社会人、とくに大学学部の新卒諸君に対しては、偶然の年回りも働いて一方ならぬ思い入れがある。
だからって優しい言葉など投げかけるつもりはないが、以下に「あったりまえのこと」だけは雑記しておく。
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① ハードウェア(資源資材)もソフトウェア(数学)も知識も芸術もスポーツも、それら自体には意思が無い。
意思というものはあくまで人間の一瞬一瞬の揺らぎでしかない。
人工知能が為す多変量解析にも回帰分析計算にも、意思などは無く、その数学上のインプット/アウトプットに際して人間が勝手にわぁ!とかギャアなどと騒いでいる。
職場における業務命令も、損得勘定も、根源をあたっていけば必ずおのれの意思、或いはどこかの誰かの意思、崇高で普遍的で創造的な意思もある、が、バカバカしくて卑しいものもあり、ほわんほわんと混じり合っている。
意思ばかりをいくら突き詰めたって詮無きもの、永遠不変の根元など無いんだ。
だから、意思「のみ」に殉じるな、資源やハードウェアやソフトウェアや知識や芸術やスポーツの「ために」生きろ。
そこで意気投合出来る先輩や同僚と巡り合えれば幸運だ。
そして、腹が減ったら幾らでも食え、ちょっとやそっとの借金ごときでビクビクするな、空腹は意思の問題ではなく生理の問題。
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② 一を聞いて十を知る、そんな能力が褒めそやされるのは学生時代まで。
1を聞いたら 10a を想像し、100ax を構築し、1000axn を提案してゆく、そしてどこかで括る、そういう次元縦断的な知性が社会人には絶対に必要なんだ!
なぜなら、自然も科学も市場も本性的に常に流転しており、諸君らにとっていかなる対象物も同じ次元の同じケタには留まってはいないからだ。
ジョブズが点を繋げろと言ったのも、方程式から行列へ、行列からベクトルへと飛躍しろというような意味だ。
おのれだけが1から10まで同じケタ内をぐるぐる回っていてどうするか。
それではいつまでたっても他者の資産にたかる野党精神のままだぞ。
何もかも、ほっといたって自在に動き、自在に変わる。
だから、それらに対応する自分も(せめて頭の中だけは)でっかく行け、でっかく!
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③ 学生が使うあらゆる動詞コマンドには、「する」「しない」「留保する」という3つのオプションがある。
しかし社会人が発動するコマンドは、「する」「しない」の2つのオプションに絞られる。
なぜなら、皆がそうであるとの前提に立っているからだ。
ゆえに、仮におのれが「何かの行為」を「留保」したつもりになっていても、その何かは必ず別の誰かの「する」「しない」の取捨対象となる。
これが社会人の(経済人の)根本的な掟であり、いかなる行為の対象材においても需給価格が変動し続ける理由でもある。
或る行為の決断に満足しているか後悔しているか、というバカな問い掛けがあるが、何かを「する」ためには別の何かを「しない」のだから、満足と後悔はいついかなる一瞬でも同時進行しとるに決まっている。
後悔ばかりしているというのは、留保ばかりしてきたと言うに等しい。
もちろん、留保ばかりしている企業法人や国家は消えていくこと、当たり前の話である。
以上