2018/04/01

新卒社会人の皆さんへ (2018)

今年度の新卒社会人、とくに大学学部の新卒諸君に対しては、偶然の年回りも働いて一方ならぬ思い入れがある。
だからって優しい言葉など投げかけるつもりはないが、以下に「あったりまえのこと」だけは雑記しておく。

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① ハードウェア(資源資材)もソフトウェア(数学)も知識も芸術もスポーツも、それら自体には意思が無い。
意思というものはあくまで人間の一瞬一瞬の揺らぎでしかない。
人工知能が為す多変量解析にも回帰分析計算にも、意思などは無く、その数学上のインプット/アウトプットに際して人間が勝手にわぁ!とかギャアなどと騒いでいる。
職場における業務命令も、損得勘定も、根源をあたっていけば必ずおのれの意思、或いはどこかの誰かの意思、崇高で普遍的で創造的な意思もある、が、バカバカしくて卑しいものもあり、ほわんほわんと混じり合っている。
意思ばかりをいくら突き詰めたって詮無きもの、永遠不変の根元など無いんだ。

だから、意思「のみ」に殉じるな、資源やハードウェアやソフトウェアや知識や芸術やスポーツの「ために」生きろ
そこで意気投合出来る先輩や同僚と巡り合えれば幸運だ。
そして、腹が減ったら幾らでも食え、ちょっとやそっとの借金ごときでビクビクするな、空腹は意思の問題ではなく生理の問題。

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② 一を聞いて十を知る、そんな能力が褒めそやされるのは学生時代まで。
1を聞いたら 10a を想像し、100ax を構築し、1000axn を提案してゆく、そしてどこかで括る、そういう次元縦断的な知性が社会人には絶対に必要なんだ!
なぜなら、自然も科学も市場も本性的に常に流転しており、諸君らにとっていかなる対象物も同じ次元の同じケタには留まってはいないからだ。
ジョブズが点を繋げろと言ったのも、方程式から行列へ、行列からベクトルへと飛躍しろというような意味だ。
おのれだけが1から10まで同じケタ内をぐるぐる回っていてどうするか。
それではいつまでたっても他者の資産にたかる野党精神のままだぞ。

何もかも、ほっといたって自在に動き、自在に変わる。
だから、それらに対応する自分も(せめて頭の中だけは)でっかく行け、でっかく!

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③ 学生が使うあらゆる動詞コマンドには、「する」「しない」「留保する」という3つのオプションがある。
しかし社会人が発動するコマンドは、「する」「しない」の2つのオプションに絞られる。
なぜなら、皆がそうであるとの前提に立っているからだ。
ゆえに、仮におのれが「何かの行為」を「留保」したつもりになっていても、その何かは必ず別の誰かの「する」「しない」の取捨対象となる。
これが社会人の(経済人の)根本的な掟であり、いかなる行為の対象材においても需給価格が変動し続ける理由でもある。

或る行為の決断に満足しているか後悔しているか、というバカな問い掛けがあるが、何かを「する」ためには別の何かを「しない」のだから、満足と後悔はいついかなる一瞬でも同時進行しとるに決まっている。
後悔ばかりしているというのは、留保ばかりしてきたと言うに等しい。
もちろん、留保ばかりしている企業法人や国家は消えていくこと、当たり前の話である。

以上