大学入学おめでとう。
① 昨年も書いたが、これまでの君たちを査定してきたいわゆる学力偏差値とは、いわば「静的な学力」のもので、絵画で例えれば、「どこかで買ってきたり誰かに与えて貰った絵筆やキャンバス」のようなもの。
それぞれの目的用途を限定した上で統一的な性能比較(偏差値の算定)も出来た。
一方で、君たちがまさに「これから実験的に描いていくなんらかの絵画」は、目的用途が限定されない「動的な知力」であり、世の中全般を貫いた客観評価の基準など無い、上限も下限もおけない。
そういうわけで、君たちを統一的に性能評価する学力偏差値などはもう無いのだから、忘れなさい。
② 先進国の世の中は、社会システムとして或いはビジネス関係として、若年者不要のまま完結しがちである。
もちろん、爺さん連中はもっと不要になっていく。
要らない人間同士をとりあえずどこかに束ねるために大学があるんだ、と皮肉に言い表すことが出来る、かもしれない。
もちろん今に始まったことではないし、君たちの親御さんや親族の方々だってこんなことは十分に分かっている。
でもね、最も先進的な学術を追求し実践している(はずの)社会/ビジネス関係も、大学じゃないのかね。
それらは新たな供給だ、だから新たな需要も喚起するんだ、ということは、いずれ世の中が大学の若年層や爺さん連中を大いに求める局面が来るってことだ。
まして、若年者の数はいよいよ減っている。
だから相対的に希少価値だって増すはず、そう考えれば楽しくてワクワクしてくるだろう。
都市化と資本化ばかり図ってきた歴史上の大国は、無産市民を収容して衆愚政治を繰り返し続けた挙句に、周辺部からやってきた新参者たちによって大きく変貌してきた、これが世の常なんだ。
③ なるほど、大学においては、君たちより2まわりも3まわりも歳のいった人たち、つまりそれだけ頭の回転の遅い爺さん連中が、ゆーっくりゆーっくりと講釈を垂れる、そんなケースも多いだろう。
君たちが本気を出したら2週間程度で理解出来ちゃう基本コンセプトを、4年間ないしそれ以上もの時間をかけて説き続けたり。
それは爺さん連中の間でそういうビジネスが出来上がってしまっているからだ。
しかし、そんなものにいちいちペースを合わせても、何ら効用も無いし得も無い、よって、そんなものはほっといてもどうってことはない。
それよりも、若いわかい君たちはおのれが思い立ったときに本気全開で勉強しなさいよ。
そのための素材だけはワンサカとあるんだから、おのれ自身の速度変化によって思考力や体力を増しつつ、新たな仕事=エネルギーを実現しうる。
以上