2018/10/27

【読書メモ】 3時間でわかる!図解 民法改正

昨年公布された民法のいわゆる大改正、その施行「期日」は2020年4月1日とのこと ─ まだまだ時間はあるとはいえ、これを期に民法について再認識を促す本はないものかと探していたところ、適当と察せられる1冊を見つけたので、今般ここに紹介と略記引用する。
3時間でわかる!図解 民法改正 熊谷則一 日本経済新聞出版社』

むろん学生など初学者にとっては、改正内容どころかこれまでの判例解釈も、いや基本的な概念や通念すらも3時間程度では理解出来ようもない。
それでも本書を薦めるのは、数多くの改正内容のうち特に根幹的なものを本著者が抽出されているため、かつ、改正内容を概括的な図解で一瞥出来うるためである。


なお、此度の大改正に際してあらかじめ留意すべき理念上の変化について、別ソースより指摘あり;

・大陸法型の民法によれば、「既に成約済の契約は本源的に売り手/買い手の申込み/承諾が論理的に一体のものとして成立しているはず」であり、わが国も従来はこの着想に則ってきた。
・しかし英米法式の発想では、大陸法型の論理整合のみには立脚してはならず、「動的に激変しうる社会関係性」を鑑み、成約から履行までに売り手/買い手にかかる諸要件それぞれを双務の約因設定→約款化として厳密に定義しなければならない。
・そして今回の民法大改正においては、最も根本的な債権法のレベルに至るまで英米方式の約款化が実務上義務付けられることになった。

特に法律分野に関わる学生諸君は、まず民法そのものにつき、「ひとたび意義について了解」進めるためにまず基本概念/通念を知り、その上で此度の改正内容について理解と意欲を高めることが望ましかろうと察する。
そこで、以下に僕なりにまとめた此度の読書メモにては、条文の改正あるいは削除そのものの引用までは踏み込まず、基本概念/通念に係るキーワード(ヒント)を引用するに留める




<改正民法95条1項2号、2項>
・表意者の意思がその意思表示に対応していない錯誤
表意者の認識が法律行為の基礎(動機)にて真実に反する錯誤
・詐欺による意思表示
・意思表示の有効性
・意思表示の取り消し ─ 誰が?


<現民法105条の削除>
・或る「本人」の権利の「代理人」への選任(委任)
・その「代理人」が更に「復代理人」を選任
・「本人」と「代理人」と「復代理人」間の権利履行における排他的な監督責任 ─ ここに係る条文の削除


<改正民法107条>
・代理権の濫用
・無権代理(人)行為


<改正民法424条3>
・財産の債務者 ※カネの債務者とは必ずしも一致しないこと要留意
・その債務者と特定の債権者にて債権/債務の調整
・別の(元の)債権者に対する詐害行為
・詐害行為の取り消し請求


<改正民法166条1項>
・債権者による権利行使の認識時点(主観的起算点)
・その権利行使期間の「時効」
・その時効の消滅
・職業別の「短期」消滅時効の規定 ─ の削除


<改正民法151条1項>
・債権者による権利行使期間の「時効」の完成
・その時効の更新
・その完成猶予のための協議
・債権者による権利不行使


<改正民法404条>
・法定利率の変更 5%→3%
・法定利率における変動利率制導入
・法務大臣告知による短期貸付金利の基準割合/3年あたり


<改正民法412条の2>
・債務履行不能の定義化と効果
・債務履行の原始的不能における損害賠償請求


<改正民法415条2項>
・債務履行不能に対する填補賠償


<改正民法422条の2>
・債務不履行における代償物の償還請求


<改正民法541条、542条>
・債権者/債務者間の双務契約における、当該物件の危険負担
・債務履行不能の帰責事由
・債務履行不能に対する契約解除権
債権者によるその物件の危険負担の原則 ─ の削除


<改正民法424条2>
・或る財産の債務者が、或る受益者との間で財産処分
・「その財産の債権者」への詐害行為の要件化
・詐害行為の取消請求
(破産法との兼ね合い)


<改正民法424条3>
・或る財産の債務者が、或る債権者との間で債権/債務を調整
・「その財産の別の債権者」への詐害行為の要件化
・詐害行為の取消請求


<改正民法441条>
・連帯債務者の一人について生じた事由の、他の連帯債務者に対する相対的効力と絶対的効力
・その相対的効力化の原則 - 債務履行請求、免除、および時効完成にて
・絶対的効力の要件も残存
(破産法との兼ね合い)


<改正民法458条>
・連帯保証人の一人について生じた事由の、主たる債務者への相対的効力と絶対的効力


<改正民法465条の2>
・個人が保証人となる根保証契約
・極度額の定め

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以上 ─ あくまで本書の前半部に記載の改正(ないし削除)内容につき、その基本概念にかかる主要タームのみを挙げてみた。

本書では更に; 債権譲渡、証券の譲渡、相殺制限特約における意思の明示化と共有化にかかる改正を解説され、さらに、ヨリ現代的な事情をふまえつつ定型取引契約と定型約款、目的物の瑕疵と契約不適合などなどを取り上げて解説を進めている。


さて、僕なりに法分野の素人として考えること。
民法は、「いかなる権利者が」「いかなる権利者と」「いつ」「どのように」「財産の」「当該物件の」「権利を有する」「権利行使する」「合意する」「協議する」「催告する」「猶予する」「錯誤する」「詐害する」 ─ などなど、人間の権利/義務行為を根本にまで緻密に還元した上での条件分けと考証が必要な領域であろう。
しかも can/must のオプショナルな設定を熟慮しなければならぬ、よって、民法は次元やマトリクスの設定次第で明瞭ともなれば煩雑ともなりえようか。
今般紹介した本書が呈する図解について言えば、しばしば簡便に過ぎるきらいもあるが、民法の緻密さを了解の上で一瞥すれば優れたクイックリファレンスたりえよう。

2018/10/16

反抗期


或る有名な私立女子大、その付属小学校でのお話だ
この小学校で働く給食調理師に、一人の年輩の女性が居た。
もともと子供好きで、児童食における栄養バランスの熟慮はもとより、創意工夫を活かした微妙な味付け調整もなかなか巧みであり、だから調理師たちの間でも大いに信頼されていたようで。
そして当の女子児童たちはといえば、小学生とはいえ女子というのはなかなかませたもの、また社会性も高く、だから口々にこんな声が挙がる。
「うちの給食はおいしいよ。あの『給食おばさん』のおかげだよ」
へえ、そんなものかね、と教員たちが時おり試食してみれば、ああ本当だこれは美味しいなあと感嘆の声が発せられるのであった。
そういったわけで、この『給食おばさん』は実に評判よろしく、何年も何年もこの小学校の給食調理に従事し続けたのである。

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ところが世の中ってものは、そして人間ってやつはなかなか厄介な属性があり、よって様々な反応が起こり、明転もするが暗転もしてしまうもの。
どうも学校の経営層から、彼女を辞めさせるよう指示通達が発せられたようで。
客観的事由として、「彼女の職務能力は我が校の組織運営に必ずしも適合したものとはいえない」、さらにほじくり返して、「彼女の過去の経歴を総合的に勘案すれば教育現場に適合しているとはいえない」、などなど…
一方で、捕捉的事由としては、「彼女は本校の組織運営に対する誠意に欠けているふしがある」と言うが ─ ふん、何が捕捉事項なものか、要するに「あのバアさんは気に入らねえから辞めさせろ」ってこと。

負の位相に陥ったインチキ資本主義とは、こういうもの。
もっと苛烈にいえば全体主義とも社会主義とも評せようか。
経営陣の本心としては、もっと若い(従順な)美人をとっかえひっかえ次々と採用したいとの意向が ─ いやそこまではあずかり知るところではないし知りたくもないが、ともあれ、学校内外あちらこちらに指示通達がなされ、とうとうこの『給食おばさん』は職を解かれることになってしまった。

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さて、『給食おばさん』いよいよ最後の勤務となった。

彼女は淡々とした表情で調理に就いていたが ─ 本当に最後の最後に見せたささやかな意気であったろう、なんと、配膳する菓子パンの包み紙ひとつひとつに色とりどりの小さな折り鶴を貼り付けていったのである。
さあ、この折り鶴パンが各教室で待っている女子児童たちの眼前に配膳されてゆくと、皆が喜んだ、もう本当に喜んで、ワーワーキャーキャーと歓声の声。
子供ながらに彼女たちも直観していたのだ、世の中には分析のしようのない圧倒的な真理があり真実があるのだと。

だが、そこまでだった。
経営陣より発せられた冷徹な指示に従い、教員たちが教室内にずかずか立ち入って来て、女子児童たちの歓声を制しつつ、パンの折り鶴を片っ端からむしり取っていったのである。
もちろん教員たちだって人間である、痛苦の逡巡を懸命に圧し殺しつつの行動だ、そして、いまやもう泣きながら折り鶴を回収する女性教員さえ居たのだということも記しておこう。

一方で、最後の仕事を終えた『給食おばさん』は事態の進展に委細構わず、調理室を無言であとにして颯爽とこの小学校を去っていった。
去り際に、一度も振り返らなかったという。

以上で、この辛い話はおしまいだ。

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えっ?本当におしまいかって?
そんなわけがないだろう。
世の中は、人間のダイナミズムは、こんな程度で収まりがつくわけがねぇんだ。


『給食おばさん』が小学校を去っていった、その翌朝のこと。
隣接している同系列の付属女子中で、'事件'がおこった。
なんと!登校してくる女子中学生たちが、まるで示し合わせたかのように、制服の胸元に折り鶴を貼り付けて現れたのである。
示し合わせたかのように、ではない、むろん示し合わせたに決まってんだろう。
どの娘も、本当にどの娘も、みんな!みんな!


おっと、驚くのはまだ早い。
彼女たちは無言で教室に歩み入ると、自らの机に、やはり色とりどりの折り鶴を貼り付けていく。
もちろん教室だけではない。
いつの間にやら、講堂の机にも壇上の卓にも、美術室の絵画にも、音楽室のピアノにも、体育館の跳び箱にも、たくさんの折り鶴が貼り付けられてゆく…。
「何事だ?これは!?君たちは何をやっているのか!?」
仰天する教員たち、おいやめないかと叱責し、折り鶴を除去せんとするが、しかし娘たちはやめようとしない、いくら剥がされても捨てられても、無言のまま次々と折り鶴を貼りつけてゆく。


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さて教員室では。
事態と状況を把握した学校長が、経営幹部と電話を交わし、しばし何事かを口論していたかのように見えたが…やがて無言で電話を切ると、くるりと向きなおった。
そして、固唾を飲んで居並ぶ教員たちの前に歩み出ると、大声で呼びかける。
「皆さん!私は、こんなにも、こんなにもひどい朝を迎えたことはありません。女子のくせに、いったいなんという反抗的な生徒たちでしょうか! ─ さて、とりあえずですが、私は皆さんにお願いしたい。彼女たちがそこいら中に貼りつけてくれた反抗的な折り鶴どもは、『本日の風向き』を勘案しつつ、このままにしておきましょう!」

ここで、一人の女性教員が訳知り顔で、つまり微笑を浮かべつつ尋ねた。
「本日はこのままとすると、明日はどうすれば?」
すかさず学校長もほんの一瞬だけ相好を崩し、慌てて真顔に戻ったが、それでも声の弾みを抑えきれぬままに応じた。
「さあ、私なりに察するに、『明日は風向きが変わる』かもしれません!そうなると、折り鶴どもがどこに向かって飛んでゆくのか、私は本当に楽しみで ─ いや、気が気ではありませんね」

誰かが拍手した、そして次々と拍手が連なり、歓声が沸き起こり、素晴らしい情景となった。
もう経営陣もへったくれもなかった。
ふと耳を澄ませてみれば、隣接する付属女子高でも同じような、いやもっと大きな拍手と歓声が挙がっているのが聞こえてくるのだった。


おわり

2018/10/14

007考

ジェームズ・ボンドは、広く知られるとおり架空のそして究めて腕利きの、英国の諜報活動員であり、小説としてもお馴染みで、映画にてはもっと名の通ったヒーローということに「なっている」。
※ なぜ諜報部員のジェームズ・ボンドがヒーローたりうるのか、そこのところは本稿の後半で記す。

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まず着目したいことだが、ジェームズ・ボンドは'007'(俗称ダブルオーセヴン)とのコードネームを使っている。
このコードネームとは何か?
ジェームズ・ボンドという素性を明かさぬための…というより、ジェームズ・ボンドなる人物名そのものは明かしてもよいのだろうか?
創作作家のフレミングは、どう考えていたのだろう?
こういったところ、ネットでコチョコチョと調べたところで、フレミングの意向そのものが多少は分かるにせよ、この物語は実在の英国の諜報活動にもちらっと重なっているところあり、つまり主題そのものがシリアスなだけに、真相は却ってウヤムヤにされているかもしれぬ。

とりあえず想像で記す。
この'007'は、暗号における鍵のごとくおかれたナンバーかもしれない、とすると、コードネームというよりは「キーネーム」ってところか?
例えばだが、公開鍵方式の着想のごとく、ジェームズ・ボンドなる人物までは敵味方とわず皆が知っている、が、しかし007としての彼の使命まで知り尽くしているのはいわゆる「ボンドガール」のみなのよ、ふふふっ、ということなのだろうか?

数学がらみで言えば、そもそも7という数には魔性がある。
素数としてみれば、2,3,5 に次いで登場する、が、2,3,5 が和算や積算にて収まりのよい数である反面、7 はいかん、チェスでいうナイト駒のような厄介な変化を継続する。
また一方では、古代ギリシア以前から、人間が一度に覚えられる数量は7つが上限だとの見方もある。

だから、敵の陰謀団としても007という呼称を聞くたびにチラッと焦り、あれ?007って、あいつだったかなあ…?と心配し、ああそうだ、あいつだよあいつ、と思い出し…まぁ、こんなふうにヒヤヒヤさせる効果があるのかもしれぬ。

いや。
本当は、この007における'7'とは元素番号で、つまり「窒素」のことではないだろうか?
ジェームズ・ボンドがいわゆるボンドガールたちと協働してゆくうちに、硝酸やニトロ火薬のように…ドカーーーンと。
そもそも、007というこの3桁のナンバリングからして、似たような超人級のやつが少なくとも100人以上は揃っているんじゃないかと、ちょっとビビるよね?
元素だって100種類はゆうに超えているわけだし。
それでいて、ジェームズ・ボンドは007というじつに若い番号なのだから、ほとんどトップクラスの諜報部員にして、しかも若々しくて手ごわい奴、ってことにならないかな?

全然関係ないが、もしかして、ゴルフの7番アイアンに所以があったりして。
なお、トランプカード13枚においては、7はド真ん中だ。

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さて。
以降はちょっと社会科的なアプローチだ。
(そういうのが嫌いな人はもう読まなくてよいです。)

このジェームズ・ボンドの映画にて、何の篇話だか忘れたが、えーと、なんだっけ?特殊な周波数だか放射線だかによって紙幣の品質を変えてしまうという陰謀譚があった。
そのさい、「紙幣を劣化させて巨大なインフレを引き起こすのか」と尋ねるシーンがあったと記憶する。
しかしこの時に僕が考えたことは、紙幣が「使い物にならなくなる」としたら、経済社会の全体の通貨流動性が著しく鈍化し、よってインフレどころか物凄いデフレが起こりうるってこと。

このように経済論を持ち上げてみること、一応は意味がある。
ジェームズ・ボンドが所属するとされる英国の秘密情報機関、別称'MI6'は、世界の資産と所有関係の大変動を回避するためにこそ存在し「えよう」。
もっと抽象的にとぼけた言い方をすれば、価値と権利の大変動を避けるためだ。
これこそ保守主義の遂行というのなら、そのとおりだろう。
ヨリ具体的には、世界の戦争を回避し、革命を回避し、脅迫テロリズムも回避し、ともかくそういう大量無差別殺人を回避する。
それらのためならば、自身は暴力行使も認められている。
そして。
これらを実現するためには、徹底した情報収集力かつフレキシブルな資本投入力も必須に違いない。

なぜ、そこまで出来るのか ─ それは英国にそういう巨大な資本筋が厳然として存在するからで…と考えてみれば、もはや絵空事の娯楽だよでは済まされまい。

なんだ、勝手につらつらと書きやがって、おまえは'MI6'などについてちゃんと調べたのかよ ─ と言われるかもしれない。
しかしね、上に挙げた「ような」機関の能力と活動の真相をだ、どうやって「ちゃんと調べる」ってんだ?
ネットでいくらコチョコチョと検索しても、むだむだ。

じっさい、ここまで書いたほとんど全部が僕なりのロジカルな想定である。

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そういえば、近代以降の英国はスパイ能力が極めて高く、ヨーロッパが19世紀~20世紀初頭まで勢力均衡を為しえた真因は英海軍力の傑出した強さのみならず、諜報力が卓絶していたからだ、との見方がよくなされている。
じじつ、英国は日本の明治維新時(その前夜)から日本国内の情勢をずっと探っていて、江戸幕府よりも薩長の方が経済力や軍事力に勝っている由を知っていた、ともよく指摘される。
英国の情報力と諜報能力は、昨日や今日に始まったことではないのだ。


※ なお、「ゴルゴ13」というつまらない漫画がある。
なぜつまらぬかといえば、ゴルゴ13にては世界のありようを定義しておらず、だから戦争や革命などの是非の判定は一切行わないとの徹底的ニヒリズムの体現となっている。
しかもこの'13'は、7よりももっと変則的な素数であり、しかもこのコードネーム13は二桁だ、つまり似たようなやつは他にほとんどいねぇんだと主張しているような気が


以上

2018/10/06

【読書メモ】スマリヤン 記号論理学

スマリヤン 記号論理学 一般化と記号化 丸善出版』
本書を手にした理由は、久しぶりに論理学でもと書店を散策していたさいのこと、偶然手に取って中をパラリパラリと捲ってみたところ、前半部の論理パズル群がちょっと面白ろかったため。
そこで購入してざっと読み進めて見れば、後半部(特に第七章)以降がむしろ本書の主要コンテンツであり、記号論理学の入門本として体を成したものであること納得。

本書はトレーニングの書としての構成上の配慮からか(?)、用語定義や文脈展開はやや散在的で却って捕捉し難い箇所もあるが、全貌を俯瞰してみれば、紹介されている命題論理の根本的な着想はさして厄介なものではない。
『我々の前に、任意の命題ρがあるとして、これ自体では真(T)か偽(F)か判別出来ないとする。しかしここで、この命題ρを成す内訳としての(いわば変数としての)命題 k1,k2,k3 ... までを我々が観察可能であるならば、それらひとつひとつの真(T)か偽(F)と論理上の結合を見極め、命題ρそのものの「真/偽さらには恒真式」が分かる…』

本書の最重要な主題は、おそらくは恒真式(tautology)であろう、あらゆる命題を断片そして全体として恒真式で表現するにあたり、「論理結合子に応じた真/偽判定」で充足しうるとして、それでは「タブロー法表現」では? ─ このあたり、今般ここに読書メモとして(僕のような)初学者とくに学生諸君に紹介してみたいと思い立った。
※ なお、「1階述語論理」まででひとまず閉じられている本書は実は2分冊のうちの1冊にすぎず、もう1冊は同著者がヨリ理数的(技術的)に論旨を深化させた『数理論理学』と銘打って発行されている由である。

では、以僕なりに要約した簡易な読書メモを以下ざっと記す


<第7章: 任意の命題論理を成す主要な論理結合子と、命題の真/偽 

「否定(negation) "~p"」 …或る命題"p"の逆(反対)
これに則った真(T)偽(F)の組み合わせは;
p = T ならば "~p" = F
p = F ならば "~p" = T

「論理積(conjunction) "p∧q"」 …或る命題pおよびqがともに成り立つ
これから成る命題の真(T)偽(F)組み合わせと全体は;
p = T で q = T ならば "p∧q" = T
p = T で q = F ならば "p∧q" = F
p = F で q = T ならば "p∧q" = F
p = F で q = F ならば "p∧q" = F

「論理和(disjunction) "pq"」 …或る命題"p"および"q"のどちらかが成り立つ
これから成る命題の真(T)偽(F)組み合わせと全体は;
p = T で q = T ならば "pq" = T
p = T で q = F ならば "pq" = T
p = F で q = T ならば "pq" = T
p = F で q = F ならば "pq" = F

「含意(implication) "p⇒q"」 …或る命題"p"が成り立つならば命題"q"も成り立つ
これから成る命題の真(T)偽(F)組み合わせと全体は;
p = T で q = T ならば "p⇒q" = T
p = T で q = F ならば "p⇒q" = F
p = F で q = T ならば "p⇒q" = T  (qが真ならば全体としても真)
p = F で q = F ならば "p⇒q" = T  (pが偽ならばqも偽、という含意は全体としては真)

「同値(biconditional) "p≣q"」 …或る命題"p"が成り立つときにかぎり命題"q"も成り立つ
これから成る命題の真(T)偽(F)組み合わせと全体は;
p = T で q = T ならば "p≣q" = T
p = T で q = F ならば "pq" = F
p = F で q = T ならば "pq" = F  
p = F で q = F ならば "pq" = T

・論理式表現と真/偽判定
たとえば、或る命題Xが観察出来るとする。
この命題Xを成す「変数としての命題pと命題q」が (p≣(q⋀p)⇒(~p⇒q)) という論理式で表現されているとする。
この論理式にて変数命題p,qにそれぞれ真(T)偽(F)を充ててみると、2の2乗つまり4通りのケースがある。
ここでは、変数命題pが偽(F)でqが真(T)の場合のみ「命題Xとしては」偽(F)となる、つまり成立しないことがわかる。

同様に、今度は命題Yが観察できるとして、この命題Yを成す変数としての命題p,q,rが (p⋀q)≣(~p⇒r) という論理式で記されるとする。
上と同様、変数命題p,q,rにそれぞれ真(T)偽(F)を充ててみると、2の3乗つまり8通りのケースがある。
ここではp,q,r がそれぞれ T,T,T か T,T,F か F,T,F か F,F,F の場合に「命題Yとしては」真(T)となる、つまり成立することがわかる。
(※ この命題の真偽判定方法論は、たしか別著者による『パズルの国のアリス』における或る難問の解答案としても紹介されていたと記憶する。)

・恒真式
或る命題Zが観察出来るとする。
これを成す変数命題が、論理式として (p⇒q)≣(~q⇒~p) と記されているとしよう。
これで、p,qそれぞれに真(T)偽(F)を充ててみると…なんと、どのケースでもこの「命題Zとしては」必ず真(T)となってしまう(成立する)。
この論理式をとくに恒真式(tautology)と称す。
恒真式の例としては;
((p⇒q)⋀(q⇒r))⇒(p⇒r) …いわゆる三段論法の例
((~p⇒q)⋀(~p⇒~q))⇒p …いわゆる背理法の例、"~p"が偽(F)であることを導く
((p⋁q)⋀(p⇒r)⋀(q⇒r))⇒r …"p⋁q"が真であるときの場合分けによる証明

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<第8章以降: 正直者と嘘つきの命題論理>
ここから、本書の第1章など巻頭部における論理問題を、「あらためて命題論理で表現し分析」する。

<巻頭問題1.3の例>
或る島に、複数の住人A1とA2が居り、それぞれ、「正直な騎士」か、あるいは「嘘つきの悪漢」、どちらかである。
ここで、住人A1が「A1とA2はどちらも嘘つきの悪漢だ」と主張したとすると、A1とA2のどちらが正直な騎士だろうか?

まず、このA1ないしA2による何らかの言を、すべて命題ρとしよう。
また、A1が正直な騎士であるという命題論理を k1≣ρ と表現し、これが嘘である場合の命題論理を ~k1≣ρと表現する。
一方で、A2が正直な騎士であるという命題論理を k2≣ρ と表現し、これが嘘である場合の命題論理を ~k2≣ρとする。
すると、本問での住人A1による言つまり命題ρは、k1≣(~k1⋀~k2) という論理式で表現出来る。

さぁそこで、上で挙げたような真(T)/偽(F)を論理式に充当していこう。
k1が真(T)でK2が真(T)ならば、論理式k1≣(~k1⋀~k2)としては偽(F)になる、よって命題ρとして成立しない、と検証が出来、同様に、k1が真(T)でk2が偽(F)ならば命題ρは真(T)かどうか、さらに、k1が偽(F)でk2が真(T)ならばどうか…と検証を続けていく。
すると、k1が偽(F)でk2が真(T)のケースのみ命題ρとして真(T)となる、つまり成立することが分かる。
よって、k1の台詞を吐いたA1が嘘つきの悪漢であり、(ここでは何も言っていない)A2こそが正直な騎士である。

以上にて、命題ρの成立ケースのみを恒真式として表現すれば (k1≣(~k1⋀~k2))⇒(~k1⋀k2) となる。

巻頭問題1.4 についても、同様にアプローチしていく。
住人A1が 「A1とA2のうち少なくとも1人は嘘つきの悪漢だ」と言ったとしよう。
これも命題ρとし、変数命題をk1,k2として論理式 (k1≣(~k1⋁~k2)として、それぞれに真(T)/偽(F)を充当して検討すれば、k1が真(T)でありk2が偽(F)のときのみに命題ρとして真(T)になることがわかる。
このときのみの命題ρを恒真式で表現すれば(k1≣(~k1⋁~k2)⇒(~k1⋀k2)

巻頭問題1.5 では、住人A1が「自分はA2と同じ種類の人間だ」と言う。
やはりこれも命題ρとして、内訳の変数命題による論理式を記すと、k1≣(k1≣k2)となり、それぞれに真(T)/偽(F)を充てて検証してみれば、k1が真(T)であろうが偽(F)であろうがK2は真(T)となることがわかる。
このときのみの命題ρをまとめて恒真式で表せば k1≣(k1≣k2)⇒k2

(以上に抽出した設問と命題化と真(T)偽(F)充当による解説が、本書では続々とふんだんに呈されていくので、トレーニング素材として面白い。)

なお、あらゆる論理命題から恒真式を導く論理が、本書の随所に注記されているネルソン・グッドマンの定理である。

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<第11章: タブロー法による恒真式の証明、など>

或る命題Xが、複数の変数命題とそれらによる論理式から成っているとする。
タブロー法は、それら変数命題と論理式の全体に一括して真(T)/偽(F)を充当するのみならず、変数命題そのものをさらに真(T)/偽(F)に応じつつ論理分解していく
この論理分解のプロセスにては、ひとつの変数命題が論理和(または)から成っているならばさらに細かく命題を分岐させ、またそれが論理積(かつ)から成っているならば直接の帰結の命題に分け ─ こうして細かい命題に分割を続ける。
この徹底的な分解が完了したさいに、それら一つひとつの命題の間にて真(T)偽(F)の矛盾関係(共役関係)があるかないかを確認出来、仮に最初の命題Xそのものが真(T)でしかありえないと知れたら、これが恒真式であるともわかる。

(仔細は面倒なので引用省くが、本書p.87以降に実践的に記されている。)

同じ命題Xについても、変数命題と論理式の表し方によって、タブロー法による分割の仕方も変わり、ステップ数の少ない(効率的な)タブロー法分析も実現しうる。

※ 上に挙げたタブロー法はどこまで完全なのか、本書にてはp.100以降から、命題と論理の恒真性を証明するにあたって「正しい(correct)」か「完全(complete)」かを更に問い続けており、了察にあたっての難度が上がる ─ ような気がする。

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以上、あくまで本書のごく一部だが紹介してみた。

論理学については、量化問題や健全性問題はどうか、また電子素子との実装親和性はどうか、ソフトウェアプログラムとの相性はなどなど、巨大な拡張性について想像するだけでも圧倒されそうになる。
それでも、本書の主たるテーマである、論理の「峻別と単純化」のスキル探求は、法分野などでも有効な気はしている ─ ただし、知識の組み替えや着想の飛躍で出来ている分野(たとえば数学そのもの)においてはあまり有用でないこと、識者の多くが指摘するとおりであろう。

ともあれ、学生諸君などは僕の分まで(いや僕の見識など超越して)秋の夜長に大いに悩み、翌朝には颯爽と閃き、まあそんなふうに精進するがいいさ。