2020/02/08

【読書メモ】生命進化の物理法則

生命進化の物理法則 チャールズ・コケル著 河出書房新社』
此度紹介の本書は、タイトル通りの巨視的な読み応えを予感させてくれた一冊。
まず、冒頭の第1章「生命を支配する沈黙の司令官」、および第11章「普遍生物学はあるか」を総括してみれば、以下を了察することが出来る。

・生命とは、熱力学の法則下においてエネルギーを消費しつつ自己複製と進化を繰り返す、物質の生化学システムであり、エントロピーに抗するどころかむしろ散在を即しているとすら言える。
・宇宙のどこにおいても、熱力学の法則を超えた物理現象も物質も存在しえないし、この物理要件はずっと変わっていない。
・生命の細胞におけるエネルギー伝達は、物質を問わず、電子伝達系によるものが最も効率がよい。
・エネルギー生成反応には、水と二酸化炭素の活用が特に効率がよく、普遍的であるといえる。
・物質もエネルギーも有限なのだから、遺伝物質もその組み合わせも有限であり、身体部位の発現がさまざまであってもあくまで遺伝モジュールの交換であって、新規創造ではない。
(宇宙のどこかで物質が突然変異で怪獣になるなどとは考えにくい。)

ほう、そういうことか、どれも以前から薄々察してはいたことだが、よくぞここまでハッキリと断言してくれた!なるほど本書の原題が'The Equations Of Life'とあるわけだ…この巨視的にして厳正な学術思考フォーマットには爽快感する覚えてしまう。


しかしながら。
徐々に読み進めてみれば、おのおの章立てにおけるコンテンツにつきどうにも一貫性や完結性を見出し難い。
「仮に」、本書の主眼目が熱力学に則ったものであれば、その旨を明示し、それぞれの章立てにおける物質と力とエネルギーと仕事の連関などを図案して欲しかった。
このように全体と部分が不明瞭なまま、本書は随所における物理論と生命論に若干の深み/広がりを見せ、それらはたとえば重力と浮力と揚力、あるいは遺伝子(モジュール)組み合わせの有限性、さらに炭素による物質結合などなどである、が、本書におけるそれぞれの位置づけを了察(推察)しきれない以上、どれも未消化感が否めないのである
或いは、そもそも本書は著者による諸々の科学エッセーを強引に多重編集して仕上げたものではなかろうか??と、失礼ながら邪推すら覚えてしまった。

それでも本書にては、僕のような「ある程度」の学術素人や学生諸君に敢えてチャレンジ推奨したいコンテンツは確かに有り、それは生命とエネルギーの関わりにおいて最もミクロレベルながらも最も根元的なシステム系 ─ つまり細胞レベルでの陽子駆動力を活かした電子伝達系である。
これについては本書の第8章「サンドイッチと硫黄」にユーモアも交えつつ大雑把に総括されている。
よって、以下の僕なりの読書メモにても、この第8章に絞りつつざっと記しおくこととする。(なお繰り返すが、本書にて学術上の最大フォーマットであろう熱力学とのかかわりは、どうも捕捉しきれなかった。)




<電子伝達系>
細胞間の電子伝達系こそは、生命における最も根元的/普遍的なエネルギー伝達系であり、本書の第8章にてピーター・ミッチェルの着想などに則りつつ概括されている。

・生物体内の生命活動に必要なエネルギー量から鑑みて、細胞間にわたる電子伝達系ほどに効率のよいエネルギー源も系も(おそらく)宇宙には存在しえない。
重力も、位置エネルギー圧力勾配も、磁力も、潮力も、核分裂も、「生命の細胞においては」電子伝達系によるエネルギー調達効率に遥か及ばない。

・生物が炭素化合物と酸素を取り込み、その炭素化合物から電子(エネルギー)を分離するプロセス;
C6H12O6 + 6O2 → 6CO2 + 6H2O + 電子(エネルギー)
ここでは、炭素化合物が電子供与体の役割を果たしている。
分離された電子は、細胞小器官の膜における或る分子に結合され、それにより生じた新たな電子が隣接した分子に結合され、さらに新たな電子がまた別の隣接した分子に結合され…
こうして細胞分子間を電子が行き渡ると、酸素が電子受容体として電子を受け取り、運び去る。

ここで細胞の一つひとつの分子は、流れゆく電子の放出する電子伝達エネルギーを用いて、陽子(つまり正電荷)を細胞膜の外側に移動させ、これで細胞膜の内側よりも陽子が増える。
しかしながら、これら陽子には浸透作用が働いて細胞内に戻ろうとし、こちらの力の方が強いため陽子は細胞内に再収容される。
陽子の細胞への浸透力は、以下の「プロトン勾配」の数式で表現出来る;
p = △Ψ - (2.3 RT / F) (pH)
ここで△pが陽子の細胞浸透力、
△Ψが正電荷の密度、Rは気体定数(8.314J K−1 mol−1)Tは細胞の温度、Fファラデー定数(96.48KJ/V)(pH)は陽子の濃度を表す。

※ ここが(僕のような)学術素人にとっては本書最大の難所のひとつか。
本箇所は細胞膜における電気ポテンシャルと物質浸透力の概説であろう、と、僕なりに察しているが、総覧的な図案が全く無いため、ここにおける気体定数の意義、ここでの電気素量/分解(?)にかかるファラデー定数の意義、なによりも熱力学との関わりなどが分かり難く、全体の連関を捕捉しきれなかった。

それから、陽子はATP合成酵素を通じて細胞に再収容される。
この酵素は細胞内にて6つの異なるタンパク質ユニットをタービンのごとく回転させ、リン酸基とADPがATPを合成し ─ こうして一連の電子伝達系のエネルギーはATPに貯蔵されることになる。
このATPが細胞間を輸送される過程でリン酸を放出し、新しいタンパク質の合成へ。

以上の電子伝達のフローは、アナロジーとして水力発電システムにおけるエネルギー循環に例示出来る。
ほとんど全ての生物は陽子を用いて細胞浸透の勾配を起こし、電子伝達のエネルギーを細胞に取り込んでおり、これは生命の起源に深く根ざした仕組みであるとも考えられる。

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・人間をはじめ、炭素化合物(つまり動植物)の食物連鎖を大局的にみれば、電子伝達系の連鎖ともいえる。

しかしながら、電子供与体としては炭素化合物のみではなく、例えば化学無機栄養生物は地下の水素ガスを電子供与体としており、有機物を取り込む必要が無いので光の届かぬ地下でも電子伝達系を駆動させることが出来る。
これは他の天体で活かすことが出来るかもしれない。

一方で電子受容体も、必ずしも酸素のみではなく、多くの微生物(嫌気性菌など)は鉄や硫黄の化合物を用いている。

もっと大胆に、さまざまな電子供与体と電子受容体の組み合わせにより、電子伝達系のエネルギーを作り出すことも出来、そういう生物も実在する。
メタン生成菌は電子供与体として水素ガスを用い、電子受容体として二酸化炭素ガスを用いており、もしかしたら火星や土星エンケラドスにおけるメタン生成は…?
それどころか、ハロモナス属やマリノバクター属の細菌をはじめ多くの微生物は、外部からの自由電子に応じて独自の電子伝達系を起こす。

このように電子伝達系こそが生命の基本エネルギーであるとの大前提は、未知の生命の予測をも可能にしてきた。
アンモニアを酸化するアナモックス細菌は、実在を予め予測されたとおり、アンモニアを電子供与体、硝酸塩を電子受容体に用いており、海で生成される窒素ガスの半分がこの細菌によるものであることが確認されている。

生命は共生関係にあり、複数の種間において電子伝達系を「転用」することで進化のきっかけにもなりうる。
熱水噴出孔に棲息しているガラパゴスハオリムシの体内に居る細菌は、濃度の高い硫化水素を電子供与体として取り込んで電子伝達系を成し、ここでのエネルギーによる有機物合成がハオリムシの身体を大きく生育させている。
このハオリムシと細菌の共生関係は、生命進化における取捨選択の一形式であろう。

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……とりあえず第8章につき、僕なりに概括してみた。
本書記載のコンテンツは、例えば陽子の浸透力を活かした細胞間の電子リレーにしてもあくまで概説でしかないし、それに何度も繰り返すが熱力学法則との関わりを捉え難い。
それでも、生物分野の学生諸君などは若干でも食指を動かされるものではないか、いや或いは本格的な学術意欲を触発しうるものではないか ─ そんなこと察しつつ本稿は終わる。

以上