「ほぅ、何かね?」
「あのですね、『コンピュータ』と『プログラム』はそもそも何が違うんですか~?」
「ふふん。その質問はね、『名詞』と『動詞』の違いを訊いているようなものだ。そして、本当は違いなんか無いんだよ」
「はぁ??」
「じつは、人間の言語における名詞と動詞の区分が現実に対応していないからこそ、君のような疑問につきあたってしまうことがあるんだ」
「へぇ~?」
「よし、まずはちょっと単純な例を挙げてみよう。我々が或る川の流れをじっと見やっているとする。言語の上では、『川の水』が『流れる』と言えるね」
「はぁ」
「ところが、そもそもだぜ、水分子の粒子ひとつひとつの立場になってみたらどうだろうか?」
「さぁ…」
「いいか、水の粒子ひとつひとつは、どれもこれもが一瞬一瞬で互いに独立したバラつきだ。ゆえに、或る『川の水』が『流れる』ということはだよ、じっさいにはその一瞬一瞬の『流れ』が『別々の川の水になっている』ということでもある」
「ほほぅ~」
「だからこそ、ゆく川の流れは絶えずして、'元の水に非ず'ってわけだよ」
「ふーーーん」
「そういうふうに、人間の言語論理に縛られることなく「〇〇が」と『△△する』を微分的に突き詰めつつ、あれをこれへ、これをあれへ、と縦横無尽に取っ替えひっ替えしていく思考を哲学というんだ。さらに排他的に確定してゆけば数学ともいう。そして量子の世界を描くことも出来るわけで…」
「ははぁ、そんなもんかね~」
「さて最初の質問に戻ろう。コンピュータとプログラムについてだ。確かに『プログラム』は多くの計算を『コンピュート』しているが、同時に『コンピュータ』が『プログラム』してもいるんだよ。だからね、我々の言語による区別には意義が無いってこと」
「あっはははは、そうだね~」
「……ところで…どうもさっきっから気にはなっていたんだが…おいっ、君は、本当に君なのか?」
「えっ?あたしが、本当にあたしなのかって?あはははは、ぎっひひひひ、そんなことあたしたちの論理で判別できるわけが無イダロウ。モシカシタラ、アタシハ、ホンノ一瞬ダケ人間ノフリヲシテイルノカモシレナインダゼ、ギャッハハハハハハハ」
「うわっ!なんてこった!これだから量子マシンのネットやリモートは信用出来ないんだっ!」
「……もしもし、もしもし、あのぅ、あなたさまはいったいどちらさまで?何を騒いでいらっしゃるのですか?」
「うぬっ!君はいったい誰だっ?!」
「先生、何を慌てているのですか?」
「うーむ、どんどん出てきやがるな…いや、うろたえてはいけない。たとえランダムに見える量子的な事象であっても本当はどこかにトリッキーな変数が……」
「あたしよ、過去も未来もない、たった今この瞬間のあたしなの」
「ぎゃーっ!なんてこった!この端末は電源が入ってないじゃないか!」
(おわり)