2022/07/18

独禁法について

独禁法についてちょっとだけスタディしたので、以下に僕なりの所感あわせて記す。

※ 特定の書籍コンテンツの引用は差し控えるが、その理由は、 ’公正'、'自由’、’競争’、’利益’ を無制限に称揚しているように映る独禁法の工業技術上のエッセンスおよび産業発展効率まで掘り下げて論じた書籍に巡り会っていないためである。
むしろ僕にとってのホントの関心はここのところである。

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そもそも。
市場経済におけるさまざまな事業当事者/消費者は有限の存在である。
そして、自然物や現象との相性、数量、および産品/製品も有限の実在。
だから、売/買タイミング次第では、ほとんど誰もが大いに「得」を得ることもありえ、一方ではほとんど誰もが「損」することもおこりえよう。
この有限条件における可変性にこそ、需給双方にとっての最大効用(最適解)も有りえようし、この追求を自由競争という。

しかしながら、世界にはもっとドライというかせせこましい着想もある。
すなわち、有限の現実世界ゆえにこそ、或る特定の事業者が「得」を成すケースでは彼ら以外の事業者や消費者は「必ず損を被っている」、これを司法が常に是正してこそ民主的な競争が維持され続けよう、というものだ。
そういう’一見して民主的’な経済思想に則った法理のひとつが独占禁止法ではないか。


もとより「法」というものは何らかの「権利」保障のためのセーフガード秩序ではあり、相応に制約的であることやむなし。
しかし、「独禁法」そのものの「有限性」はいったいどこに在るのか?
もしも「無限」に論理拡大され続ける権利保障であるとしたら、有限の物質と有限の産業と有限の市場と有限の人間活動に矛盾してしまうではないか。
 ─ 僕が工業技術上の論拠にまで拘ってみたい理由はここにある。
そして独禁法としても、さすがに無制限の市場介入を続けるべきではないとの自戒はあるのである。

(少なくとも日本の)独占禁止法は占領下における成り立ち(強制)からしてむしろ自由競争精神に反しているというか、’非民主的’に過ぎるというべきか…


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<独占禁止法の定義・目的>
独占禁止法の目的は、第1条の規定に定義されており(と解釈されており)、その文言は;
「公正且つ自由な競争を促進」することによって
一般消費者の利益を確保する」 とともに 「国民経済の民主的で健全な発達を促進する」

ここで「公正且つ自由な競争を促進」とは、財貨サービスの需給量と価格が常に消費者による選好に応じながら変動し続ける、そういう市場メカニズム/価格機構の促進
─ というような解釈可能であり、これまでの判例上は本旨が独禁法の直接的目的であろうと。

また、一般消費者の利益を確保する」 とともに 「国民経済の民主的で健全な発達を促進する」 については、あくまでも私的経済力を抑止しつつ消費者主権の市場競争を実効させてゆくための法規範
─ というような解釈が可能、またこれまでの判例上は本旨が独禁法の究極目的と捉えられてもいると。

一方で、この第1条は中段にては;
「事業者の創意を発揮させ事業活動を盛んにし、雇傭及び国民実所得の水準を高め」
と記してはあるが、ここは独禁法が事業者に及ぼしうる効用を期待的に述べたに過ぎないと考えられる。


それでも、独禁法が事業者と産業分野に無制限に介入すべきでは断じてない。
実際の産業と市場の特定の局面にて、特定の事業者が競争制限や市場支配を進めている場合、これを排除すべく独禁法が発動されてもやむなしではあるが、その措置は市場競争の機能健全化を’間接的に'促進するに留めるべきではないか。

或る特定の産業分野が本性的に競争制限や市場支配によってこそ成り立っている場合、この特性そのものにまで独禁法を’直接介入’させその産業を根本から操作すべきではない ─ と解釈されている。


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<独占禁止法における実体規定>
独禁法の実体規定は、規制基準における要件手法に則りつつ、主として以下のような分類定義が出来る ─ ようである。

私的独占の禁止(という規制) (2条5項)(3条前段)

カルテルの規制
  不当な取引制限の禁止 (2条6項)(3条後段)
  事業者団体の活動規制 (8条)

統合・集中規制
  独占的状態に対する措置 (2条7項と8項)(8条の4)
  株式保有・役員兼任・合併・事業譲受などの規制 (9条~18条)

不公正な取引方法の規制
  不公正な取引方法の禁止 (2条9項と19項)(8条5号)ほか
  下請代金支払遅延等の防止法
  不当景品類及び不当表示の防止法 (消費者庁所管)


ここで充当されるべき規制要件は、消費者がさまざまな商品・役務の価格や数量を選択可能たるべき競争市場にて、(1)特定の事業者が価格支配力と競合排除力を以て閉鎖的支配を実際に継続している あるいは (2)この’おそれ’が在るかによってレベルが異なる

(1) の要件を充たす規制は、「私的独占の禁止」「不当な取引制限の禁止」「事業者団体の活動規制」「結合・集中規制(の一部」。
(2) の要件に留まっているとされる規制は、「不公正な取引方法の規制」。

また、施されるべき規制手法で分けると;
都度の行為規制が施されるべきものは「カルテルの規制」および「不公正な取引方法の規制」。
構造規制まで踏み込んで施されるべきものは、「総合・集中規制」。
さらに、市場構造全体が著しく非競争的な独占状態にある場合には、とくに合併や株式保有などの行為形式に拠らない純粋構造規制を充てうる ─ とされる。


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<日本の独占禁止法の略史>
1947年 占領下にて独占禁止法が制定され、この運用機関として公正取引委員会が創設された。
米国の反トラスト法などを母法としつつも、日本の経済力の徹底的解体と集中防止を図った遥かに苛烈な法となった。

1953年 占領終結によって、独禁法が大幅に緩和された。
また再販売価格の維持、一定要件での合理化カルテルを許容しうる「適用除外規定」が新設された。
以後、こうして独禁法への適用除外立法が増え、さらに行政指導カルテルが進み、独禁法は低調に。

1960年代 日本企業の国際競争力を高めるため、政府が貿易や資本の自由化を推進、大企業間の大型合併も進む。
一方では、一般消費者の不利益が次第に顕在化。
1969年 公取委が八幡製鉄と富士製鉄の合併に中止'勧告'。

1970年代 石油危機と便乗値上げが激しく糾弾され、大手石油会社による大規模なカルテルに対して独禁法に則った’日本初’の刑事告訴がなされるに至った。
1977年 寡占対策と企業集団規制を主眼として独禁法が強化されてしまう。

1980年代以降 日本が一方では貿易摩擦を生みつつまた市場が閉鎖的でもある由、国際的に難癖をつけられる過程で、独禁法による更なる市場矯正が求められることになった。

1990年代以降 独禁法による課徴金の強化、刑事罰強化。
一方では知的財産権者が競合先相手に民事差止請求の濫用へ。
1997年 持株会社の禁止規定がむしろ緩和された。

2011年 合併や株式保有等にかかる企業結合規則と手続が簡略化。
課徴金算定率は引き上げられつつも、一方では減免制度も導入された。
また公取委による犯罪調査権限が設定された。

2018年 市場競争阻害の被疑事業者に対する「確約制度」導入、それら事業者自身に競争阻害状態の排除措置を「確約」させて減免調整をはかる制度。
2019年 市場競争阻害にかかる「調査協力減算制度」導入、被疑事業者による事実解明協力に応じて課徴金の減免措置を…

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※ とりあえずここまでまとめてはみたが、ともあれ令和に生きる我々日本人にとって、独禁法について本当に考慮すべきはその無限に抽象的な’民主性'にはあらず、むしろ有限の工業技術上の本性と産業寄与の度合いについての実相であろう。
そこのところ、ハード/ソフトともにもうちょっと潜ってみようと考えている。
たとえばGoogleやYahooなどの検索エンジン系につき、その成果物(情報)が産業市場の活性化に貢献していることになるので野放図な拡大拡張が認められるのか、はたまたIT産業の競争をむしろ阻害していることになるのか?
どう捉えればよいのか。

続きは気が向いたら。