① 高校までは、君たちにひととおり以上の知識と命題の群をわんさかと教え込んできた ─ つまり、「押し込む」教育であった。
大学以降は、むしろ君たちの潜在能力をもとに、周囲も相応に動きつつ、互いにさまざま可能性を「もたらしあう」教育であり、そういう出会いの場であると。
まあそんなようなもんだ。
バカでも分かるようにもうちょっとカッコよくいえば、位置エネルギーを運動エネルギーに転化していく、そういう場であり局面なのさ大学時代ってやつは。
オゥイェイ。
だから、君たち自身が何らかの機会に「引っ掛かって」いけるよう、努力も直感も運も求められるし、そういうのが面倒ならずーーーーっと寝ていてもよかろう、相応の縁に引っ掛かるだろうね。
以上で、最小限のメッセージはおわり。
ふふん。
これだけでは面白くもなんともなかろう。
だから、もっともっと面白みに欠けることを以下に記す。
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② いわゆるデジタル化がいよいよ進行中である。
もちろん、連続し連綿としたアナログな実体情報を、最小の均等断片にまで微分微分のみじん切り ─ これがデジタル化だ。
均等な断片となっちまえばもはや意義も文脈も無い、そんなものどうでもいいんだ、デジタルデータをバラして束ねて、電子のビットで縦横無尽、あっちへ複製こっちへ転送、量と速度で回して稼げ、これがICTビジネスってわけだ。
『鬼滅の刃』を無音声で視聴した子が多いというが、なるほどね、デジタル時代のコンテンツゆえ、断片映像だけをチラ見した子も多かろう。
もしかしたら日本国旗と国歌をバラバラに覚えている子も少なからずいるかもしれないな。
デジタル化とはそういうもの。
デジタルデータ媒体そのものが無尽蔵にあり、データ自身も論理上は無限に存在しうるとしたら、まさに通貨そっくりの論理性、よってデジタル通貨そのものとして実現されているのも当然といえよう。
こういうデジタルエイジにきっかりと同期を併せ、断片断片を無文脈に捌いてばらすデジタルボーイやデジタルガールを、実社会ではとくに「子供頭」という(教員頭ともいう)。
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③ こういうデジタルな文脈断裂のありようについて、本当のところ僕なりには必ずしも非難しているわけではない。
じっさい、大学のほとんどの学部学科では、物事をとことん分析してバラして捌いてゆく手法を数多く学んでいくと察せられる。
そして分析手法といえば、諸君らが高校時代までにちらっと垣間見てきたとおり、対象を分析しもっと分析してゆく学術思考として最も根幹的なものがおそらくは物理学であり経済学でもある。
ただし、物理学では「さまざまな物体の力(運動)」を根元において、それらが有限であるとの大前提があるため、運動量やエネルギーの普遍的な保存則をもが大前提となっている。
化学だろうが生物だろうがウィルスだろうが細菌だろうがだ。
一方、経済学では、「人間と財貨の価値」と「権利」を根元において、それらが無限に変わり増大しうるとしているためか、普遍的な保存則は無く、需要も供給も際限が無く、部分と全体はいつも不整合なように見える。
(それでも、一瞬いっしゅんごとのマクロ系としては保存則が成っているように見えなくもないが。)
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④ 上のように単純に併記してみたのは、理系思考と文系思考の違いを念押ししたいためではある。
だがそれ以上に、両者の折衷~合成的な思考がこれからいよいよ求められてくるだろうとふんでいるためだ。
無限の論理(空論)を振り回しカネをついばみつつも、有限の国土や素材や食材やエネルギー源を着実に侵食し続ける連中が、いよいよ出張ってきたからだ!
新コロやウクライナやエネルギー危機や食料危機や性自認などについて実相をとらえればこういうことになる。
さぁ、新入生諸君。
これが君たちがこれから過ごしてゆくことになるエキサイティングな時代局面だ。
ワクワクしてくるだろう。
やっかいな連中の侵食に抗し続けるために、君たちはデジタルな微分微分の細断と無文脈化に陥ることなく、有限の理系思考と無形の文系思考のいずれにも埋没することなく、子供頭から脱却し、いまのいまこそ確固たる統一的な文脈にしがみつくんだ!
え?そんな文脈がどこにあるかって??
親たちに訊け!友人たちに確かめろ!おのれが立つ土地、見据える海と空、それらの存続の意義を知れ!
国際人を名乗るなら、いつでもどこでも、国家民族のなんたるかを悟れ!
AIや量子マシンには国籍も性別も無い ─ ともいえようが、覗き込んでいる君たちひとりひとりには国籍も性別も血統も霊魂も神も有るんだぞ!
以上だ