『化学千夜一夜物語 太田博道・著 化学同人』
本書は化学の概説書。各ページごと独立したコンテンツ構成から成り、かつ、それぞれ簡単明瞭な図案および化学式を凝縮的に呈しているため、いわゆる「どこから読んでも本」の典型ともいえよう。
なお、サブタイトルにて ’読みだけで身につく’ とは謳いつつも文面はしばしば省略的であるため、むしろ高校化学などの基礎知識をあらかじめ身に着けた上で読み進めたい。
それらはたとえば以下などなどである ─
大理石、コンクリート、石炭、染料、ガラス、アスピリン、セラミックス、プラスティック(モノマーとポリマー)、ナイロン、アンモニア(窒素)、結晶とアモルファス、液晶、有機EL、LED、リチウムイオン電池、燃料電池、活性酸素、制限酵素(遺伝子操作)…
あ、知ってる知ってる、これも知っているぞ、これも習ったぞと、化学履修の高校生諸君ならば立ちどころに連想はたらくコンテンツの数々。
※ なお、あくまでも物質の化学反応と化学変化の範疇についてのコンテンツではあり、電磁波/電子エネルギーなど物理現象まわりはごく概説に留められており、半導体関係については触れていない。
ここのところ学校教育における科目定義に準じているようで(むしろ学校教育こそが本著者など見識者の知見に準じているのか)、だから本書は概ね高校化学を前提においたコンテンツ選抜本と見做してよかろう。
さて、本書紹介にて「知ってる知ってる」の知識群に留めてしまっては高校生諸君などにとってあまり有益ではなかろうし、僕自身も面白くない。
だから、以下の僕なりの【読書メモ】にては、高校生があまり知らないであろうコンテンツを掻いつまんで、ちらっと要約・羅列してみた。
<不斉合成・分子不斉>
生物に何らかの活性を持つ炭素化合物(医薬品、農薬、香料など)は、キラル構造として実像分子か鏡像分子の一方だけが有効である場合が多い。
ここで一方の分子のみを’不斉合成’する方式として、二重結合炭素への反応剤の近づけ方を制御するエナンチオ面区別反応と、反応剤の一部の原子(団)を別物に置き換えるエナンチオ場区別反応がある。
不斉炭素が無くてもキラル構造を成す炭素分子を分子不斉という。
ビナフトールはCH基の立体障害のため、2個のナフタレン輪を結ぶ結合が自由に回転できず、2つの異性体がキラルとなる。
アレン化合物は3個の炭素が二重結合し、両端の炭素と置換基の面が互いに直交しており、ここで同じ炭素に結合する置換基が異なる場合にはキラルとなる。
環状二重結合化合物のうちで炭素が互いに反対側に伸びているものがtrans体、ここでは炭素が少なくとも8個存在し、うち2個の異性体はキラルとなる。
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<タンパク質、DNA/RNA>
細胞内でのタンパク質の生合成にて。
DNAの塩基配列の一部がアミノ酸配列としてRNAに転写され連結される。
つまり、タンパク質の生合成においてはDNAとRNAが使われる。
一方で、細胞分裂にて。
DNAの複製ではDNAポリメナーゼ酵素(タンパク質)を使う。
RNAに転写されるときにはRNAポリメナーゼ酵素(タンパク質)を使う。
つまり、DNAとRNAの生成のためにはタンパク質が使われる。
…それでは、最も原初の生命にてはタンパク質とDNA/RNAとどっちが先に在ったのか?
現時点では結論は出ていない。
触媒機能を有するRNA物質が見つかってはおり、だからRNAこそが生命における最も古い物質であろうとの見方がある。
しかしRNAはDNAに比べるとリン酸エステル結合が切断されやすく不安定なので、熱水鉱床など生命発生の場所に起こって活性を発揮するのは無理だったろう、と否定的にも捉えられている。
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<レンガ/大理石/ガラス/コンクリート>
レンガ(粘土)の化学成分は Si、Mg、Al、Zr など
生石灰は CaO、石灰岩は CaCO3
真珠も CaCO3
大理石も CaCO3
海岸の砂は SiO2
水晶は SiO2 の結晶
ガラスは SiO2 に他の金属酸化物が混じったアモルファスで
ソーダ石灰ガラスは SiO2 と Na2O と CaO
カリ石灰ガラスは SiO2 と K2O と CaO
鉛ケイ酸ガラスは SiO2 と PbO と K2O
酸化アルミニウム(ボーキサイト)は Al2O3
ルビーは Al2O3 にCr が混入した結晶
サファイアは Al2O3 に Fe や Ti が混入した結晶
コンクリートに用いられるポルトランドセメントの主成分は
3CaO・SiO2 、 2CaO・SiO2 、 3CaO・Al2O3 など。
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<温室効果/二酸化炭素>
太陽からのエネルギーに応じて地球から放射されるマイクロ波や赤外線など電磁波エネルギーの多くは、大気中のさまざまなガスに吸収される。
それからこれらエネルギーは宇宙に放射される。
だが一部のエネルギーは、大気中の水蒸気や二酸化炭素やメタンなどのガスによって地球に再放射され、これが地球表面の温室効果を成す。
この再放射の大部分は、マイクロ波による水分子運動の活発化→水蒸気ガス自体の温度上昇によるもの。
だから、いわゆる温室効果ガスのほとんどは水蒸気ガスをさす(べきである)。
温室効果ガスのうち、水蒸気ガスの量調整は不可能である。
しかし二酸化炭素ガスはかなり人為的に削減出来る ─ ことになっており、二酸化炭素の排出削減の一端として、燃焼させる化石燃料が問われている。
そこで、たとえば石炭と天然ガスにおいて、それぞれの分子結合エネルギーと燃焼による獲得エネルギー、および排出CO2を比較してみると;
分子ごとの結合エネルギー(Kcal / mol)
O=O : 118
C=O : 191
C-H : 99
O-H : 110
燃焼式とエネルギー収支および排出CO2
石炭: C + O2 → CO2 + 264(Kcal/mol)
天然ガス: CH4 + 2O2 → CO2 + 2H2O + 190(Kcal/mol)
こうして比較すると、同じCO2排出量あたりでは石炭の方が獲得エネルギーが大きいことになる。
しかし現在はCO2排出量そのものがシビアに問われているおかしさ。
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<デンドリマー>
プラスチックや繊維類は、枝分かれの無い直線形状のポリマー高分子が主流である。
しかし、端を樹木のように幾重にも分岐させ続け、さらに全体としてカプセルのごとき球状としてしまった高分子もあり、これをデンドリマーと称す。
デンドリマーは自身の内部に薬や粒子などを収容し保護することが出来、さらに超小型化すれば、内部に薬を内包したままで人体患部をピンポイントに狙った投与も可能。
さまざま応用が期待されている新型素材である。
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以上、とくに僕なりに気に入ったコンテンツをざっと要約してみた。
たとえば最後に引用したデンドリマーは本書でもじっさいに最終ページに紹介されているとびっきりの未来派物質(製品)であり、本書にてはこのように驚きや感嘆を誘う化学上のイノベーション事例が随所に散りばめられている。
高校生諸君、これは知っているぞ、それも知っちょるぞと拙速に読み飛ばすことなく、日頃の勉強の合間にでもじっくりと本書に挑んでみてはどうだろうか。
いや、むしろ日頃の勉強などすっとばして本書を細かく読みぬいてみれば、意外な新発見やヒラメキとの巡り合いがある ─ かもしれないぞ。
あわせて、社会人諸兄も、自身の職業や職責とからむ要素技術の一端を本書のうちに見出されては如何だろうか。
ついでに。
僕なりにさまざまな仕事と製品商材とおして、さまざまな世代の人々から多くを学び、あるいは見届けてきた、その経験からちょっと付言しておきたい所感。
まさに化学こそはさまざま卑近物から超精密工業製品まで、さらに自然生命から医薬品まで、 偶発xヒラメキx知性x実践x地理x産業 の野心的な「掛け合わせ」によって相乗的に発展を続けてきた、先進国の体現そのものとはいえまいか!
物理学や経済学などにおける微分と無文脈なデジタル化にては見出し難い、過去と未来の、行為と創意の掛け合わせだ。
そしてかかるさまざまな掛け合わせが許容されておればこそ、古い世代の日本人はバイタリティに溢れていた ─ のかもしれない。
以上