2023/06/22

SF小説考

SF小説が好きである。
好きな理由は、ストーリーの論理構造~展開が明瞭かつ独立完結であるからだ。
さらに、不合理や不条理を直接あるいは間接的に論っていくその反骨精神もいい。


日本人の多くが知る日本のSF作家といえば星新一や筒井康隆などである。
この両氏の作品をいくつか読みぬいて気づくことは、おのおの作品群において数式が欠片も呈されていないにかかわらず、ストーリー構造があたかも方程式のごとく明瞭かつ完結的であるというところ。

(たとえば星新一であれば、物理式や化学式など連立方程式「のような」ストーリー構造をさまざま打ち立てつつ、'実体(物質)’ と '論理’ の非呼応性を嘲笑的に突いている。
また筒井康隆の場合は論理層から実体層へと還元進める微分方程式「のような」ストーリー構造や心理トリックを以て、人間の心底に宿る不条理を炙り出している。)

このように、SFといっても着想やアプローチや世界観はさまざま、しかしともかくもストーリーにおける論理構造も完結性も明瞭といえよう。
なるほどSFは欧米世界から起こった文化ゆえのことはあり、さまざまSF小説どれもこれも、少なくとも骨子だけは常に必然的そして冷徹である。

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あらためて、なぜ僕自身がSF小説を好いてきたのかを考えなおしてみた。

最新の科学技術の一端に触れうるからではない、むしろそんなものの実践描写はグッチャグッチャと煩わしいだけだ。
科学技術の実践に触れたいのなら研究機関や大企業のサイトを訪れた方が分かりやすいに決まっている。
それよりも、科学哲学や文明論考としてこそ、SF小説が好きなのである。
アインシュタインやノイマンやシャノンやファインマンなどなどが「考えてきたこと」と「実現してきた成果物」、小説に取り上げるとしてどちらが教育的といえようか?

いま教育的と書いたが、そうだ、僕が本ブログに投稿し掲載するものは主として学生諸君にとって教育的でなければならない。
そして、まさに僕自身が本ブログの『超短編』にて投稿してきた掌編は、ほぼどれもがSF小説のつもりである。

だから、以下にちょっとだけ自己分析してみることにする。


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これまでに僕が『超短編』に投稿してきたSF掌編、ここでのさまざまアイデアの源泉は自然科学と超能力 ─ などにおける根元的観念である。
たとえば;
エントロピー、エネルギー保存則、光電効果、単振動正弦波、自己同一性、自身の暗号化、人工知能、チューリングテスト、バグとループ、宇宙人、時間パラドクス、女忍者、魔法使い、ロボット教師、幽霊……などなどについての根元的観念

さて、これらにおける根元観念はさまざまな科学者や化学哲学者のヒラメキではある。
しかしこれらのみでは、どうにも人間らしさが足りないのだ。
そもそも人間らしさとは、「必然の系」と「偶然の暴発」における行ったり来たりであろう。
これを為すものは意固地さと獣性、もっと言えば霊性。
それでは、これらの強烈な重力を為す主体は何だろうか、そして誰だろうか…そうだ!女たちだ!
うむ。
多くの作家が創作において女性たちを登場させる理由は、女たちが「偶然の暴発」にしばしばおののきながらも最終的には人間界(世俗)の「必然の系」におさまるところ。

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しかしながら。
ここからが僕が他の作家たちと異なるところ。

たしかに僕なりにもSFの掌編に女性たちを必ず登場させている。
しかし、僕の筆運びが女たちの人間性つまり意固地さや獣性を綴りかけると、どういうわけか、彼女たちは「必然の系」におさまるどころか寧ろ「偶然の暴発」をもたらし始めるのである。
もっと端的にいえば、女たちに出番を与えればこそ、僕のSF掌編は人間感覚と相反する怪談の様相を帯びてくるのである。
この化学反応は我ながらあらためて不思議なものであり、なぜこうなのか未だに納得できていない。


たとえば。
人工知能が狂い始めたように見受けられ、それは人工知能が寂しくてふざけているのではと見当をつけ、確かめてみたら本当にそうだった ─ という話を書いたことがある。
この話がどこか狂的に響くのは、人工知能と交信し続ける女子大生が一貫して淡々としているためであり、日常性の象徴である女子大生が平然としておればこそ不可思議さが増幅されてしまうのである(あろう)。

そういえばつい先ごろに書いたものは、宇宙エネルギーの実相について、この実在性を人間はいかようにして現実として認めうるのか、重層的に膨らませた怪談話。
これも女子大生に淡々と語らせておればこそ却って狂的に響く。

また、女子高生とチェスの勝負をしていたら恐るべき禁じ手に至ってしまい、本当に核ミサイルが飛んでくるというような、そんなストーリーも思いついたことがある。

さらに、早朝の運動場にて正弦波の円運動のようにランニングを続ける不思議な女性教師が、ある朝にこの円運動から意図的に逸脱して消え去ってしまう話。
あるいは、或る美人教師が本当に人間なのか或いはロボットなのかを見極めきれず、思い悩んでしまうせつない恋愛譚などなど。

また、高校時代の同級生であったスーパー美少女のN子は実在の人物だが、彼女についての数多くの回想もまた、不可思議な物語考案における数多くのアイデア原潜となっている。

とびっきりのお気に入りの話。
或る地方都市で女教師に誘われて山間の名所を訪れた少年が、そこで不可思議な[光電効果]
によってテレパシー能力を身につけてしまい、これを懸命に圧し隠しつつ黙って去っていくという悲恋もの。


まだまだ、ワンサカと書いてはきたが ─ 
とまれ、こうしてちらちらと自作のSF掌編を思い返すにつけても、超常現象や奇跡のたぐいを期待するのは男の側でありつつも、じっさいにそれらを引き起こしてしまうのは人間性そのものの体現者たる女たちなのである。
だからこそ、これらがどれも怪談スレスレの話に仕上がっているのである。

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ついでに付記しおく。

このブログにおける『超短編』はあくまでもネット公開ゆえ、短くて5分以内、長くても15分以内の黙読で完結するものに留めるよう努めてはきたつもり。
また、直列的で重層的な文体は論理構造が曖昧となりえるためこれを回避し、それぞれの文章を並列的に区切ることによって論理明確化を図ってもきた。
このいわばブツ切りの文章技法は、もともと電機メーカ時代に叩き込まれたものである。
そして、しばしば会話文のみの落語型スタイルを採っているのは、怪談風の演出効果を狙ったためでもあるが、やはりこれも論旨を明瞭化するためだ。
結果的に、僕の文体はどことなく数学の証明文やビジネス契約書などなどのように淡泊に映ってしまう(ようである)。
だからって、今さら矯正は出来ないけれども。


以上
※ 本稿はとくに雑文とも映りえよう、いいよ構わないよ、ほとんど熟考せぬまま書き殴ったものだからだ。