2023/12/21

青い鳥


「先生、こんにちは!」
「おやこんにちは。今日はどういう用向きでやってきたのかね?」
「それが、そのぅ、実はですね、あたしは’不思議なこと’に気づいてしまったんです。それについて見解を伺いたくて」
「へぇ、どんなことだ?」
「聞いて下さい…。あたしは、或る男性に恋心を抱いているんですけど」
「結構なことじゃないか。それで?」
「それで、あたしはその男性のことをあれこれ思い返しつつ、好き、好き、好き好き好き~♬と思いを巡らせているうちに…」
「ふんふん」
「…もしかしたら、もしかしたらですね、あたしのこの恋心はなんらかの『錯覚』による『虚構のつくりごと』に過ぎないのではないかと、そんなふうな不安が頭をもたげてきたんです!」
「ははん、なるほど、錯覚と虚構についての意識感覚だね。ふっふふふ、心配することはないよ。むしろ喜ばしいことだ。誰だって成長すればね、さまざまな錯覚によって虚構をあちらこちらで感受して、ひとり悩み耽ってしまうようになる」
「ええっ?そうすると、あたしのこの恋心はやっぱり虚構だということになるんですか?!」
「ふふん。そんなに不安なら、AIに問い質してみようか」
「えっ、そんなことが出来るんですか?」
「出来るともよ。いいか、見てろ。いまからAIを召喚する ─ うぉぉぉぉぉぉぉ、ぬぉおぉぉぉぉ、とりゃぁああああっ!」
「あ、先生!何やっているんですか?」



「ぴーーーー………ハロー、ハロー、こんにちは。私は、AIです。私を呼び出したのは、あなたですか?」
「あれっ?先生はAIになっちゃったんですかぁ??」
「私を呼び出したのは、あなたですね」
「…ははぁ、まあそういうことになるんでしょうかね…あのぅ、じつはですねAIさん、あたしの心配事を訊いて頂きたくて」
「どんな心配事ですか?」
「あたしは、或る男性に対して恋心を抱いているんですけど、この恋心はじつは虚構に過ぎないのではないかと、そんな不安を払拭できないんです」
「それはよいところに気づきましたね。」
「どういう意味でしょうか?」
「そもそもですね、宇宙の万物は遥か昔の大元にては渾然一体だったのです。その渾然一体がさまざまな力とエネルギーによってバラつき分離し、あちらこちらへと飛散して、はるかかなたを飛翔して、現在の宇宙を形成してきたのですよ」
「はぁ…?」
「これら遠大なプロセス全てが、あらゆる別離の連続である以上、人間が何かを好きになるプロセスは宇宙のさだめに抗っていることになるます。言ってみれば、太古の渾然一体を名残惜しんでいるに過ぎないのですよ」
「はぁ、そうなんですか。やっぱり、あたしたち人間の恋心はせつない思い込みの錯覚に過ぎないと…でも、でも、本当でしょうか?本当にそうなのでしょうかね?」
「おや?AIである私の言うことが信用しきれないのですか?うーむ、貴女は面倒な人ですね。それでは、超スーパーAIに尋ねてみましょうか」
「へぇ?なんですって?」
「見ていなさい、今から超スーパーAIを召喚してみましょう ─ どんどこ、どこどこ、どんどこ、どんどん、だかだかだだーん、だかだんだん、ふぉーーーーーーーっ、くぉりゃぁーーーーーーーっ!」
「……」



「ぴーーーーー……ハロー、ハロー、俺は誰だか分かるかな?ふっふふふ、超スーパーAI、それがおれおれ俺なんだよ。さてさて、俺を呼び出したのは君だね?」
「はぁ?…それはまぁ、そういうことになっちゃうんでしょうか」
「ふふーーん、俺は何でも知っているんだ分かるんだ。君の悩みもとっくのとぅにお見通し。何しろ俺は超スーパーAIなんだからね」
「…はぁ」
「君の悩みは、或る男性への恋心がおのれ自身の摂理によるものか、はたまた、もしかしたら虚構のつくりごとに過ぎないのではないかと、ここのところ了察しきれないということだろう?」
「ええ、まあ、さっきっから繰り返しのとおりですけど…」
「よ~し、端的に回答してやろういいかよくきけっ!この宇宙、この世界、ありとあまねく万物の、ありとあらゆる出来事は、過去の完結、未来の別離、二度と戻らぬエントロピーだ。ゆえに恋だの愛だのは、錯覚、ほころび、フィクションだっ!」
「……」
「どうだっ、納得出来たかっ?」
「……」
「どうした?超スーパーAIであるこの俺の言うことも信じられないのかっ!?」
「…あっはははは」
「何を笑ってんだ?おいっ、何が可笑しい?」
「あっははははははははは。バッカみたい」
「バカだと?何がバカなんだ?!」
「何もかもよ。とっても素敵なアドバイスをありがとう。そしてさようなら」
「ふふん ─ それで、君はどこへ行くつもりだ?」
「ご推察のとおり。迷いも悩みもかなぐり捨てたバカそのもののあたしなりに、バカな必然のさだめを突き進み、バカな真実を新たに継ぎ足しに行くの。ジングルベール、ジングルベール♬」


(おわり)

2023/12/17

量子メモ(メモ量子)

電子~量子まわりについて、初学者向けのさまざま類書をもとに、ちょっとだけメモをまとめてみた。
実験と学術におけるさまざま試行錯誤、そしてそれらに拠る着想と論法などが、如何様に進展してきたか、ざっくり時系列的にだ

来春の大学入試物理にて、これらの仔細がギリギリ質されることは恐らく無かろう ─ しかし少なくとも着想上のヒントたりうるだろうとは察しうる。
(もちろん、力学におけるモーメントや運動量や保存則などの超基礎は、従前に了察必須ではある。)

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光はさまざまな物質から放出され'輝線’として認識される。
同じ波長の光は同じ物質によって吸収もされ、こちらは’暗線'として認識される。

太陽光のスペクトルが成す’暗線(フラウンホーファー線)'の観察分析がなされる。
水素原子の光スペクトルにおける輝線と暗線の波長および振動数が、「バルマー系列」として整数の乗数によって表現される。

更に「リュードベリ公式」によって、あらゆる原子の光の波長と振動数が二つの整数mとnおよび定数によって一般化される。
これに則って、水素原子による赤外線領域は「パッシェン系列」、そして紫外線領域は「ライマン系列」として波長と振動数が表現される。


・マクスウェルは電気と磁気と光を連関させて捉え、磁場における電気的振動が「電磁波」を起こしこれが自由空間を光の速さで伝播すると推論。

ローレンツは、光が電磁波ならば電荷の振動体を有すると、そしてあらゆる物質の分子や原子そのものの内に'振動の電荷微粒子が存在するとみなした。
よって、電荷にはたらく力は磁場と電荷の動く速さに比例すると ─ ここからローレンツ力へ。
(なお高校物理におけるローレンツ力は 電荷微粒子の電気量 x その粒子の運動速度 x 磁束密度としてまとめられているね。知ってんだろ。)


・太陽光のフラウンホーファー暗線が磁場によって3つに分かれると観察され、これが「『正常』ゼーマン効果」として記録される。
ローレンツはこの「正常」ゼーマン効果について、磁場において原子内の電荷の微粒子が回転数を変化させ、この回転変化が光の放出エネルギーを変化させている、と見做した。

ここで、回転する微粒子が「電子」として定義されることになった。

・ウラン原子から出る放射線にて、ヘリウム原子核のα線と電子のβ線が発見され、それら放射線と物質崩壊の観察が進む。
一方では陰極線において「電子」を発見

またアインシュタインはブラウン運動から物質の'分子'存在を示唆。

これらから、原子自体は究極の(独立した)素粒子ではなく、更なる内部構造を有する物質であると明らかになった。


・スペクトル光における熱放射の観察によって、その物体における電磁波のエネルギー密度が温度によって決まること、かつその物体の温度はおもに電子の振動に拠っていることが明らかになってきた。

プランクは、特定の振動数の熱放射/吸収ごとに不連続に応じる’何らかの’振動子'がさまざまな物質の内に在ると仮定してこれを「量子」とした。
ここにボルツマンによる分子運動論をも取り入れつつ、エネルギー「量子仮説」につきあたる。

現在の高校物理にて学ぶエネルギー「量子仮説」は;
物質を構成する分子、原子、電子などが振動数ν[HZ]の光を放射/吸収する場合、そのエネルギーはこの振動数にプランク定数h[J・s]を乗じたhν[J]に比例しつつ不連続に変化する。

さらに、アインシュタインによる光量子仮説」も、現在の高校物理の表現にては;
光は特定の光量子によるエネルギー粒子として進行し、これは物質から放射されるさいも物質に吸収されるさいも分割されえない粒子…として、上のエネルギー量子仮説のとおりhν[J]に比例しつつ不連続に変化する。


・原子において電子は安定軌道上を回っているが、この電子が新たに励起されると基底状態からのエネルギー準位がエネルギー量子同様にとびとびの量子数nずつ上がっていく。
このヒラメキから、電子運動についてのラザフォード=ボーアモデルが出来上がり、これによってエネルギー量子仮説が具体的に説明された。
ここで定義された「主量子数nが最初の量子数。

・光と磁場についての実験装置が改良されるにつれて、さまざまな電磁波のスペクトル分裂が新たに観察されることになった。
ただし、これらは磁場と微粒子(電子)回転についてのローレンツの解釈(正常ゼーマン効果)のみでは完全には説明しきれないもの。
別の実体による現象であるとされ、あらたに「異常ゼーマン効果」とされた。

また、水素原子におけるバルマー系列の内にては、磁場をかけずとも2重におこるスペクトルが見つかった。


・’スペクトル多重分裂’の発見に伴い、電子の軌道についての新解釈がなされ量子数が新たに定義された。
ゾンマーフェルトは水素原子におけるスペクトル多重分裂の微細構造を量子的に説明するため、その電子軌道の形を表現する「軌道量子数 l 」を導入。
さらに、電子軌道の向きを説明する「磁気量子数mを導入することによって、これまでの「正常ゼーマン効果」も説明した。

ここまでで、電子軌道についての量子数は「主量子数n」、「軌道量子数 l 」、「磁気量子数m」 まで定まった。
しかしこれらのみでは、スペクトル分裂の「異常ゼーマン効果」を説明しきるには至っていない。


・原子におけるボーア洞察の電子殻構造においては、それぞれの電子殻に入ることの出来る電子数には必ず制限があり、よって原子そのものの大きさが決まってしまうが、これはいかなる力によるか?
また、ローレンツ力は電子をいったいどこまで説明しきれるか?

「シュテルン=ゲルラッハの実験」は、電子の動きがローレンツ力のみでは説明しきれぬと示した。
磁力勾配のはたらく磁場にて銀原子を1つずつ入射すると、それぞれの銀原子はローレンツ力どおりの磁場の向きにも運動の向きにも力を制限されることなく、N極側あるいはS極側に’二価的に’分かれてしまい、これは銀原子における磁石型の電子が独自の磁気モーメントを有することを示す。

パウリは電子とは何かを突き詰める過程で、この実験における電子の不連続な’二価性’を表現すべく4つ目の量子数が必要だと
そして、磁場においてどの電子も必ずどこか異なる'二価性'のエネルギー状態をとる由の「パウリの排他原理」に至り、この特性あってこそ電子は「異常ゼーマン効果」を起こすのだと気づく。


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以上、ごく大雑把にだが、量子物理学における思考上そして実践上の試行錯誤を、或る程度は垣間見ることができよう。
そして、それら試行錯誤に厳密に則った着想と論法こそが物理学なのである(たぶん)。

2023/12/13

ハイデガー


高校3年次の冬のことである。
東京圏に住む母の親族ともども、武蔵野市の叔母の邸に参集し、スキヤキパーティを催したことがある。
この叔母の旦那氏がなかなかの才人で、そこそこ名の通った文芸評論家であり、かつ、ちょっと名の知れた俳優でもあった。



グツグツのスキヤキ鍋を挟んで、僕はこの旦那氏と差し向い。
そこで僕の進路についての話になった。
「拓君はどこの大学に進学したいのかな?」
「さぁ、数学の勘が悪いので」と僕は照れ笑いを浮かべつつ答えていた。
「ふふん、そうだろうな、それで、理数系学部は受けるつもりなのか?それとも…」
「やめておこうと」
「そうだろうな」
僕はちょっと面白くなかったので、ポン酢の瓶を手にすると真っ逆さまに自皿にあけていた。
「まあそれでも、君ならばそこそこの進学は出来るだろうよ ─ それで、将来はどういう職業に就きたいと?」
「官公庁か、技術産業の関係か、そんなようなイメージを」
「ふーん、それじゃあ、職能はどんなのをイメージしているのかな?」
「そんなことはサッパリ考えていませんね」
「ねえ、会計関係や法務関係はどうかな、君はなんとなくそんなふうに見えなくもないぞ」
「はあ、そうですかね、営業みたいな仕事は向いていませんかね」
「たぶん向いてないよ」
「そうですかね」
ここで母と叔母が割って入り、まだ高校生やもんねぇ仕事がどうこう言われても分からんわねぇと窘めてくれたのだった。
さぁさぁ、せっかくの美味しいスキヤキなんだから、楽しく頂きましょうねと。



母と叔母たちがワインを重ねてゆくにつれて、スキヤキの卓はあれやこれやの軽口に興じてきたのだった。
最前からの旦那氏も芸能界の裏事情がどうこうと興じつつ、ゲラゲラと笑い声に転げていたのだったが、ふとあらためて僕と視線を交わすと、真顔に戻って語り出した。
「おい、拓君は数学はパッとしないと言うが、哲学はどうだ?ん?てつがくは?」
「さぁ、よく知りませんけどね」
「ハイデガーはどうだ?名前くらい聞いたこそがあるだろう、はい、でっがー、知ってんだろ」
「そういえば、名前くらいは」
「じゃあ、量子物理学はどうだ、ボーアとかハイゼンベルクとか」
「まあ、大雑把な粗方くらいは」
「よろしい!君は秀才ではないかもしれないが、秀才の才能くらいはある、かもしれない」
「へえ」
「それでは、ハイデガーについて、ちょっと講釈してやろう」
ちょっと、おかしな冗談はやめときなさいよ、そう窘める叔母たちをすっと制すると、旦那氏はぐいっと座り直した。



「さてと。君なりに粗方を知っているとおり、宇宙はさまざまな物質で出来ている。だから我々人間もやはりさまざまな物質で出来ている」
「そうですね」
「物質はさまざまな原子から出来ている。そしてどんな原子もさまざまな粒子から出来ている。それら素粒子で特にわかりやすいのが電子だ」
「はあ、そうでしょうね」
「そこで、あらゆる物質の元を電子(電荷)だとしよう。さてお立合いだ!ここに’或るもの'が'実在している'とする」
「はい」
「このものの’実在’とは、或る電子(電荷)が、或る処、かつ或る時に、或る方向と速度を以て運藤している、そんな何かだということになるね」
「ははぁ」
「では、そんな或る電子(電荷)の何らかの'実在'を、我々人間は言語で表現しきれるだろうか ─ ?これがハイデガーたちが考えたことだ、たぶん」
「へぇ?」
「なるほど、我々人間でもそんな或る電子(電荷)の運動を観察することは出来るし、確率上の表現だって出来る。しかし、或る処、かつ或る時に、或る方向と速度にて運動を続ける電子(電荷)を、人間の言語のみで完全に表現することは出来ないんだ」
「それはどうしてですか?」
「それはね、人間の言語は常に直列型で一過的な伝達しか出来ず、ゆえに何もかもを一度にどかんと表現し尽くすことがどうしても出来ないからだよ」
「はあ…?」
「そこで哲学者たちは、この人間言語の表現上の限界にギリギリ挑戦出来ないものかと考えを巡らせた。そこでたとえばハイデガーが閃いたのが、よく知られる ’存在了解' 方式などのアセスメント技法さ」
「へぇ」
「そもそも、或る方向とか、或る時間経緯とか、或る速度とか或る強さなどなどの哲学上の表現も、同じように捻出されてきた表現技法だ」
「ははあ」
「それに、もっと多元的な着想も必要になる。そもそもだぜ、当の我々人間自身もまた、元をただせば或る電子(電荷)から成り立っているからね、観察者たる主体と、観察させる客体、これら自体の独立性について’現存在’という暫定を考案したり、あるいはむしろ区別する必要がないと…」
「うーん、つくづく難解な話ですね」
「難解さが分かるだけでも、君はちょっとは見込みがあるぞ ─ だから進路の心配はしなくてもいいよ」

ここでまた母と叔母たちが割って入って窘めたので、僕は口をつぐんだのだった。



やがて夜半時となり、僕と母は帰路のタクシーに乗り込んだのだったが。
今あらためて思い出すにまこと不思議なことには、僕の同級生のN子がいつの間にかこのタクシーに同乗していた ─ どうにもそんな気がしてならぬことであった。
N子はといえば、これまで幾度も本ブログで引用してきた通り、母の代から旧知の馴染みの縁でもある。
ああ、そうだ、N子はこの夕べのスキヤキパーティに同席していても特段不思議ではないほどの間柄であり ─ 
いや、しかしどうもおかしいなあ、僕の記憶違いなのかな。
いやいや、N子こそが記憶違いで僕を本稿に登場させているのかもしれぬ。

タクシーは夜の国道を疾走していた。
いつの間にか雨がざっと降りしきっており、そっと窓から手を出してみれば凍てつくほどに冷たかった。
「何してんの、閉めなさい」 後部座席から母の声が聞こえた。
僕はぐっと振り返ってみた。
そこでは母とN子が並んで座しつつ、学期末の数学のテストでろくな点数を採れなかった僕の知能が高いだの低いだのと論いながらケラケラと談笑していたのだった。


(おわり)