2024/09/14

【読書メモ】 Mine !

『Mine ! 私たちを支配する「所有」のルール
マイケル・ヘラー /  ジェームズ・ザルツマン  早川書房

久しぶりに社会科分野についての本を紹介してみたくなった。

社会科はもとより理科と同様、有限性を前提とした思考体系であり、しかも人間マターゆえに競合に則っており、それら競合の根元要素として価値と権利をおいている。
ここで、価値なるものは各構成員の主観と集団間での多数決に帰着せざるをえない暫定抽象にすぎぬが、その価値にしばしば立脚しうるさまざまな権利は強制力と支配力を継続的に有するがゆえ、社会科の考察は権利の考察といえよう。
それでは、我々人類が与えられている権利のうちでも最も根元的な行使形態はとなれば、それはさまざま物質や財貨や知性そのものの「所有」ではなかろうか。

…といったところから、「所有」権そのものについて論じているであろう本書にすっと手が伸びだ次第。

もとより僕自身としては、社会あまねく財貨の「所有」における最適な分配方式などは期待していないし、おそらくそんな方式は誰にも設定しえまい。
それどころか、さまざまな財貨「所有」にはさまざまな次元があり側面があり、さまざまな方便も詭弁もまかり通り、だからさまざまな正当性が主張されえよう、そうだ、ここのところだ、ここが本書のエッセンスだ。
じっさい、本書の英文サブタイトルは 'How the Hidden Rules of Ownership Control Our World'  とある。
この'Hidden Rules'という表現からして、財貨における所有権には万民公開/共通の確立ルールは無いが、実勢上は清濁合わせてまかり通っている ─  と仄めかしているようである。
 ※ なお、この’ownership'なる語は総じて『所有権』と解釈されるが、ヨリ広義には主体的な支配権とも了察しえようし、一方で僕自身の英文ビジネス経験にてはこの語が排他的支配状態までをも含みうるのか否かしばしば揉めたこともある。


それではと本書の前半部分の数か所をさらりと読みぬいてみれば、うむ、有るぞ有るぞ、「所有権の正当性」についてのさまざまな論拠。
所有権は基本的には早いもの勝ちルールとも見做せるが、暫定的な占有であっても正当性はあり、不法占有の時効さえも正当と見なされ、一方で知的財産(著作権)となると市場普及度合いが高いために正当性判定は難しく、まして各人のゲノムデータともなると医療福祉の公共性の名目ゆえに所有権所在そのものがウヤムヤに…
ざっと総括すれば、たぶんこんなところだ。
社会科系のメディアに多く見られる散逸的な綴り事と比べても、本書は理知的な文脈展開を段階的に成しており、丁寧に読めば教訓性は高かろう。

※ 但し、本書には独特の読み難さもある。
まず、(アメリカ人好みの編集なのか)実例エピソードがさまざま散りばめられているため文面が多大であり、それぞれの思考段階のアブストラクトが却って掴み難い。
さらに、(英→日の論理構造の差異からか)文面上の順接/逆接がしばしば不明瞭に映り、このためビジネス利害についての記述をやや捕捉し難い。


ともあれ、此度の【読書メモ】としては本書の第2章と第3章につき、僕なりになんとか解釈しつつ、以下にざーーっとまとめてみた




<所有権と占有

動物レベルでの先天的本能によれば、或る経済主体によるさまざまなモノの所有意識はそれらの「物理的な占有」状態から起っているようではある。
そして現行の(アメリカなどの)法律も根本的にはこの解釈に拠っている。

ただし、一時的な寄託によって「物理的占有」が他者に移ったとしても、これだけでは所有権そのものが移転したことにはならない。

それでも、所有権そのものには’時効’が有る。
例えば、或る公有地/私有地を何者かが不法に占拠≒占有し、これが何らかの生産活動のための継続的な占有であると公けに宣言し続けるとする。
一方で、この土地の元々の所有権はいつか時効を迎えてしまうはずである。
そうなると、この占有者こそが新たにこの土地の所有権を主張出来てしまう。

アメリカ合衆国の土地の大半は1800年代の何らかの不法占拠≒占有状態によって起こったとも言え、これらの所有権はホームステッド法によって正当化されていった。

東欧の国々が市場経済に’回帰’した1990年代、それまでの共産主義政権によって'一時的に’所有されていたはずの土地財産の帰属が問題となった。
共産政権当局による占有物ならまだしも、実際にはそれら政権の保護や指示のもとに土地財産を占有し事業を展開してきた産業人も多かった。
それらを、数十年前の’元々の’所有者に今さら返還すべきかどうか。
むしろ、いまや市場経済に回帰したのだから、市場経済のためにこそこのまま所有権を認め活用していこう ─ ということになった。


所有権に時効が有るのはやむなしとしても、それによる新たな所有権取得の正当性は確定困難である。
例えば、エルサエムの地の所有権はいつ時効を迎えたのか、それまでの所有者はどこの誰だったのか、そしてそれからの所有者は誰になるのか。
これらの判断にどう正当性を置くことが出来るのか?

物理的占有の正当性の論拠として、その占有によって占有者が’新たな価値’を創出したか否かを挙げることもある。
アメリカインディアンは彼らの所有する土地から何ら’新たな価値’をもたらさなかったが、一方で白人はこれらを物理的に占有することによって’新たな価値’を生み出すことが出来た、だから白人によるアメリカの土地所有権は認められる ─ という方便も成立してしまった。


現代のさまざまな国際法は、国家や個人によるさまざまな財貨の物理的占有(つまり侵略や戦争など)を回避させるように出来ている ─ はずであるが、実際の世界はさまざまな物理的占有が横行し続けており、それら所有権の時効取得を図っている。


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<知的財産と所有権>

アメリカ合衆国憲法の起草時点から、知的財産における所有権が認められるべきか否かが早くも論争の対象となっていた。
知的財産のうち、’創造的な表現’としての「著作物」と、’有用な発明’の体現である「工業製品」について、所有権を認めるか否か、各州ではなく連邦議会で法的枠組みを議決することになった。
そこで、これらに限り例外的に時効付きの(20年などの)所有権を認めることとなった。
「著作権」と「特許」である。


以来、「著作権」としての所有権も、「特許」としての所有権も、多くの産業界によってさまざまな時効解釈や時効延長などが為され、事業利益に供され続けている。
もちろんこれらは、一般社会の消費者の利益に供するか或いは反するかが問われ続けてもいる。

例えばアメリカのディズニー社は、ディズニーによる著作物の「著作権」を永年にわたって堅持し続けており、これらミッキーマウスのキャラクターなどがどれだけ一般社会に普及しようとも著作権を放棄することはない。
これは消費者にとっての重大な機会損失である ─ というのが反トラスト団体の主張。

なお、著作物における事業継続のため「著作権」の延長措置が続けられると、この創作者自身の没後もその著作権が有効であり続けるかとの疑義もおこる。
この著作権の’相続人’が一時的に不明瞭となってしまった場合、この著作物が発行不可能となる場合もありうる。
Google社はこれら’孤児’著作物を独自に有料公開図りつつ、’相続人’の出現にも備えてはきたが、このビジネスさえも反トラスト当局によって打ち切られてしまった。


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<ゲノムデータの所有権はどこに?>

或る個人の身体における「ゲノムデータ」が、他者に供された場合、そのゲノムデータは誰がどのように所有していることになるか?
この供給者の親族のデータは?

現下の(アメリカの)法律にては、「ゲノムデータ」の所有権所在の画定的定義は無い。
あくまでも解釈上は ─ 誰も法的所有権を有さないため活用フリーである、或いは、ゲノムデータ供給者当人が所有権を有する、或いは、データベース構築/活用者が所有権を有するはずである。


「ゲノムデータ」活用企業としては、むしろ所有権所在がウヤムヤであればこそ事業展開のヴァリエーションが増える
例えば、所有権所在を確定せねばこそ秘密保持契約ベースでデータ開示ライセンス料を稼げる。
或いは、この所有権を’分配’する発想に則り、ゲノムデータ活用企業が株式などの対価を以て、データ提供者個々人とさまざまなオプトイン/オプトアウト契約可能になる。

なお、「ゲノムデータ」活用企業のみの判断による自社保存データ削除は認められていない。
あくまでも’医療検査施設'と見做されているため、データ保存が義務付けられている。


さすがに、「ゲノムデータ」活用事業には制限も課されてはいる。
「2008年遺伝子情報差別禁止法」では、医療保険会社や大企業による独占的なゲノムデータ活用が制限されている。
しかし、介護保険、身体障害保険、生命保険などはこの規制対象外であり、それぞれ保険事業においてはデータ活用可能である。

なお、「2018年EU一般データ保護規則」にては、データ提供者がおのれの意思でサンプルデータ削除可能としており、アメリカでもカリフォルニアなど一部の州ではこの動きを見せてはいる。


ごく近い将来、「ゲノムデータ」の活用企業はアメリカ人ほぼ全員の身体データを特定出来るようになる。
関連データベースビジネスの商業価値は飛躍的に高まっている。
医療データとしてのライセンスビジネスはすでに数十億ドル規模。


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以上、あくまでも本書コンテンツのほんの一端にすぎぬが、僕なりにまとめてみた。


本書は所有権についての論考がさらに段階的に続いてゆく。
ともかくも、利害損得の所在からしてそもそも不明瞭であるため、読者としては却って論理上の洞察が大いに試されよう。
一般読者はむろん、法学部の大学生、あるいは志望の高校生などにもチャレンジ薦めたい一冊だ。


おわり