2024/12/18

ちょっとした自分史を (4)

(前回の続き)


ゼミにおいて僕が拘ったのは、国家における人種民族の人口比と立法議会の議席比率(たとえばクオータ制)、その妥当性について。
それも、特定民族が圧倒的な人口比を占める日本のような国々についてではない。
共和国や連邦国家のようにさまざま人種民族が拮抗し対立続けている国地域 ─ たとえばカナダ、南ア、レバノンそして旧ソ連などにて、「人種民族や宗派の人口比に準じて立法議会の議席数を配分すべきか否か。」

もちろん、この最適な議席数の論題にては、考察対象国の量的スケールそのものを定義した上で、その国の人口と人種民族の数を充てなければならぬ。
たとえば;
国家の領域面積、水の使用量、エネルギー源の使用量、産業別の生産量、産業別の売上と利益、国民の総人口、人種民族ごとの人口、信仰宗派、業態ごとの従事者数、流動通貨、証券や債権の案分、そして納税額…うんぬん、かんぬん。
しかもだ。
たとえ業種業態と水/エネルギー量と人種民族と宗派を呼応させたとしても、さらに議会における多数決の正当性が絡んでくるし、議員内閣制か大統領制かによって権力分立の度合いも異なってくる。

こうなると、かなり多元的な連立方程式となってしまうだろう。
もちろん当時の僕に精密な論旨など構築しようがなかったし、今も出来ないし、そもそも多数決自体が刹那的で浅薄な気がして、だから議会がらみの論題には執着心が無くなってしまったのである。

なお、’多元性’の観念に妙な知的高揚を覚え始めたのも、このころではあった。


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そういえば。
このゼミにはびっくりするような名家の子弟もおり、彼らはなるほど俗世間離れした所業がやや目立ったりはしたが、それでいて、一介の平民にすぎない僕にオイだのよぉ元気かなどと気さくに話しかけてくるのには初めのうちはちょっと面食らった。
なぜ僕ごときに気さくに語り掛けてくるのかと挑発的に問いかけてみれば、それはおまえが気さくだからだよアハハハハと返された。
うーむこいつらはさすが人物だなあ、慶應の正統な内部進学者とはこういうものだ、世が世なら名君たりえたかもしれぬ、などと僕は感心したものである。

とともに、或る人間の’格’と’知性'は僕に対する接し方で知れるのかなあと、人生のヒントも得たような気がしている。


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ゼミ生とのかかわりについて、さらに書き足しておきたいことがある。
やはり名家の娘で、石原慎太郎だか裕次郎だかの筋ともやや親交がある由で、主要メディアにもちょくちょく出入りしているという ─ そんな同級生女子との話についてである。

或る旅行の帰路の特急電車の車中にて、彼女がノートに迷路を描きつつ、こんな話をしてくれた。
「どんな迷路でも、特定の入り口があり特定の出口も有る以上は、必ずなんらかの袋構造を成しているでしょう。だから、ひとたびその迷路に入口から進入した者は、ひたすら右の壁面あるいは左の壁面をずっとずっと辿っていけば必ず出口に至るのよ」
もちろん、これはパズル通にはよく知られた数学上のテクニックではある。
「それって、非ユークリッド幾何学ではどうなるのかな?」
鼻に引っ掛けるような口調で僕がそう問いかけると、彼女はクスクスと笑いながらもっと気取った口調になり、「あなたはどうなるのかしらね~」とこちらに向き直りつつ、ノートにぐーるぐると曲がった空間のイメージを…

それがどうしたと笑われるかもしれないが、要するにだ、理数系専攻ではなかった我々でもこんな程度の論考は幾つもいくつも嗜んだ次第であり、つまりそういうゼミ生活だったわけよ。
遠まわしではあるが、これらとて就職後に有益な’教養’とはなったのである。


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さてさて。
3年生の終り、春休みに差し掛かった頃。
僕は初めて海外への一人旅に出かけた。
旅行先はスコットランドとイングランド、それからフランス。
スコットランドは初めての国、そして新たなミステリーゾーンでもあり、さらに付言すれば高校時代の憧れの音楽教師が嫁いだ先でもあった。
一方で、イングランドは僕自身の出生地であるロンドンおよびマンチャスターである。


(つづく)