本書前半部に目を通すかぎり、本書の主目的は民法(商法・会社法も)において、’当事者の行為選択における損得トレードオフと動機付け’を如何に数化/価値化しうるかの論考であろう。
ならば本書コンテンツは「民法の経済性(学)」の指摘とも総括しえよう ─ むしろこちらを本書タイトルとすればヨリ大意明瞭な気もする。
すると、ここいらから当然演繹され、かつ疑義も頭をもたげてくる、そんな大命題がある。
民法が経済性(学)を成しているならば、民法上の当事者間には必ず損得の自動調整が効いているといえようか?
うむ、これはなかなか野心的な論考ではある。
また、本書は構成もなかなか野心的ではあり、随所にて「CASE」として続々と呈されているシンプルなケーススタディ群を徐々に分析しつつ、要件や行動動機や損得を解き明かしてゆく。
総じて、文面の分量はけして大量ではないので、一通り読み進める上ではさして困難さは無かろう。
尤も、各文章はやや長めでしばしば論旨反復的でもある。
また、各論から総論を誘う文脈づくりも目立つ。
一方では、ベン図やツリー図やフローチャート類は希少に抑えられている。
以上から、要件や行動動機や損得における’条件分け’(これらの過不足の有無)がやや捕捉し難く、だから却って文面過多にすら映ってしまう。
よって、せっかくの諸々のケーススタディも、比較検証のエッジがしばしば不明瞭に留まっているのが惜しい。
さて、せっかく読みかけた本書ではあるので、とりあえず『第1章』と『第2章』について、僕なりに以下にざっと要約略記してみた。
<過失責任と厳格責任>
民法にては、或る不法行為の成立とその効果を確定すべく、その不法行為による因果関係と損害問題を定義する。
この因果関係と損害問題の定義において、「過失責任」と「厳格責任」の原則解釈がある。
「過失責任」原則は、加害者による「予見可能性」と「結果回避義務」に拠った上で、不法行為の結果に損害賠償ペナルティが課されるとするもの。
「結果回避義務」は、加害者側のさまざまな技術能力パラメータに則って、裁判所が画定する。
一方、「厳格責任」原則は、加害者による「予見可能性」と「結果回避義務」が定義無きままでも、不法行為の結果に損害賠償ペナルティが課されるとする。
「結果回避義務」を裁判所が画定することはない。
「過失責任」よりも「厳格責任」の方が、損害を加害者側に内部化させ多大な責任を負わせる原則である。
しかし逆に見れば、「厳格責任」にては加害者側がおのれのみの損得判断に則って行動判断を適正化していることにもなる。
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「過失責任」原則における「結果回避義務」の損得尺度として、「ハンドの公式」が起用されることが多い。
例えば;
(a) 結果回避義務の履行費用
(b) 結果回避義務の履行にて低減が見込まれる損害発生確率
(c) 結果回避義務の違反にて発生が見込まれる損害
この上で、加害者側が (a) < (b) < (c) の損得大小判断を為すのであれば、義務履行の総コストも最小となるはず、だから加害者側は「結果回避義務」を受け入れる ─ つまり「過失責任」原則に同意していることになる。
「ハンドの公式」の留保条件。
「結果回避義務」は、個別要件化すれば基準設定から伝達までいちいちコストが掛かるので、加害者を客観の通常人と見做した上での普遍的なコスト判断が為されるべきである。
むしろ、「ハンドの公式」よりも一般慣習や法令に則ってこそ、加害者の「結果回避義務」のコスト判断が為される場合も多い。
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なお、「過失責任」原則における「予見可能性」は、’知られざる損害発生確率やリスク’についての加害者側の主観判断。
加害者はこの独自の「予見可能性」を「結果回避義務」と比較し、おのれの賠償額の最小化をはかる場合もある。
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日本を含め多くの国々では、「過失責任」原則を採用しており、「厳格責任」原則はあまり採用されていない。
「厳格責任」に則ってしまうと、加害者は自身が過大な賠償責任を課される由をあらかじめ予測してしまい、却って「結果回避」の自助努力がなおざりになってしまう ─ と考えられるため。
さらに、「厳格責任」に則る加害者はコスト負担の最小値とそれら負担者を独自に決定しうる。
(たとえば、上の「ハンドの方式」条件肢にて (b) & (c) と (a) それぞれの効用を比較して最小コスト負担のものを選ぶ。)
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不法行為の加害者は、上述のようにおのれらによる損害賠償コストの最小化を図るが、一方でこの不法行為の被害者側は自身の利益最大化を図る。
ヨリ総括的に「損害賠償」の機能をみれば;
・コスト負担の見做し平均から実額まで、(潜在的な)加害者たちに従前にスタディさせ、当事者意識を換気させる。
・また、この不法行為訴訟にて被害者側に掛かってしまう金銭的かつ時間的なコストを、損害賠償が代替しうる。
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<損害賠償の機能>
過失と損害の間にて、’事実的因果関係’を不問とする捉え方がある。
この場合、危険の現実化に応じた損害賠償を’一定の被害者’のみに払うか、或いは’潜在的な’被害者全員に払うか、どちらもありうる。
しかしいずれにせよ、’潜在的な被害者’をどこまで拡げるのか、また賠償の対象を’抽象的’危険のみに絞り込むのか、あるいは’具体的’危険を前提とした場合の発生確率をどう数値化するのか ─ 整然とは収まらない。
むしろ、「具体的危険の現実化」に絞り込んだ損害賠償制度が必須であろう。
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損害賠償の保護範囲には限界がある。
「過失責任」原則に拠る「結果回避義務」の違反が’事実的因果関係’として認められたとしても、これが加害者による損害発生確率の低減~抑止と無関係である場合には、損害賠償に加味されない。
※ 本箇所はとくに文面が難解で、論旨を拾い難い。
或る「結果回避義務」が阻止しえない損害項目が、損害賠償にて新たに見出されるとする。
これについての説明義務の不十分性は、直接関係しうる被害者の’自己決定権の侵害’とは解釈されうるが、この被害者への’生命侵害’としては帰責されない。
或る過失において「結果回避義務」が為されたか否かは、加害者の行為が(ハンド公式におけるように)この過失損害を軽減しえたかどうかに係っている。
よって、「結果回避義務」によって軽減されえない損害は、たとえ’事実的因果関係が認められても損害賠償を帰責されない。
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損害賠償の意義は、’抑止’と’保険’である。
’抑止’の観点によれば、損害賠償の対象は、生命侵害の逸失利益や物損代価など’財産的損害’のみならず、’非財産的損害’も含まれるべきである。
ただし、’財産的損害’とくに逸失利益などは完全賠償が図られる傾向がある一方で、’非財産的侵害’への賠償は確たる算出基準の無い謙抑的な賠償に留まっている。
ただし、これら賠償を期待する被害者自身が損害の軽減を怠る場合、また余計な支出を行う場合には、これら被害者は’最小費用回避者’と見做されるので、ここでの増加費用は損害賠償から除外される。
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以上が、僕なりに要約した第1章と第2章のあらましである。
本書は第4章から「所有権における」損得判断と抑止について、使用収益と自由譲渡処分などの論が展開し、制度と合意の実務上の意義にもふれる。
なお第10章からは商法とくに会社法についての意義分析が始まる ─ 企業法務などにあたっている若手従業員などはむしろここいらから読み進めてはどうか。
僕はいったん本書を閉じるが、いずれまた触れてみるつもり。
ともあれ本書は、民法(商法や会社法)が如何に経済性を成しているのか/いないのか、どこまで自由選択が保証されどこからが強行規定なのか…これら再認識する上でさまざまな思考の切り口を呈している。
本書は個々の実例や実践から次第に総論へと誘う文脈づくりが多く、だから大要を了察するにはどうしても忍耐力が問われるが、或る程度まで大要を掴んだ上で挑めばけして難解なものではなく、むしろ民法の意義を新たに認識しなおす一冊といえよう。
(おわり)