2025/12/24

裸足のオリヴィア


大学1年時の冬のこと。
12月のある日、雪の降り出しそうな夕暮れ時であった。
帰宅路の僕は、親類筋への適当な歳暮品を購入しようと思い立ち、そこで最寄り駅に近接した大型デパートに入店。
ケーキ菓子の類を物色するつもりで、僕は地下街に降り立ったのだった。

ふと気づいた。
其処でコンシェルジュを務めているアルバイト女子が、遠目からこちらを見つめている。
あれっ、と僕は驚いていた。
シルク製のような洒落た純白スーツ、濃紺色のブラウス、ちょっとぎこちなく着用しつつも、まっすぐな姿勢で所定のテーブルに座している彼女。
ほとんど表情を変えぬまま、時おりすっと立ち上がってお客様たちに応答しつつ、それでも幾度となくこちらに視線を送ってくるその彼女は…。
ああ、彼女は高校時の同級生のオリヴィアではないか。
立ち上がったさいの彼女の体躯から、もうハッキリ分かった ─ あの並外れた颯爽の長身、まるで講堂のカーテンのようだなどと高校時代に嘲笑すらされていた、背高のっぽのオリヴィア、間違いない。


オリヴィア。
日本人女子ではあるが不相応なほどの長身であり、しかもどことなく白人風の容姿であったため、高校時にはオリヴィアで通っていた。
だから本稿でもオリヴィアで通す。
僕は高校時代に心密かにこの’のっぽのオリヴィア’に憧れていたのだった。
一緒に英語劇を演じたこともある。
もしかしたら、ああ、もしかしたら。
僕が高校時にそっと抱いていたオリヴィアへの思慕の念以上に、オリヴィアは同時期に僕への思慕の念をそっと秘めつつ…

そんなことを想起しまた思い描きつつ、僕はちょっと息せき切った口調で、歳暮ギフトの類はどこに売っているのかとオリヴィアに問いかけたのだった。
執務テーブルに真っすぐに座しつつも、オリヴィアは気恥ずかしそうに僕と視線を交わし、それから悪戯っぽく微笑み返してきた。
数か月ぶりの再会、数か月ぶりのぎこちない会釈と微笑。

もっとぎこちないことには、僕はオリヴィアの案内通りにフルーツケーキの詰め合わせを購入しつつも、あわせてウィスキーボンボンの小ケースを買うとこちらをオリヴィアにそっと手渡していたのである。
こんなもの、困ります…。
そんなふうにオリヴィアが敬語を発したのが可笑しくて、僕も敬語でご遠慮なさらずになどと返し、オリヴィアは小声でくすくすと笑い声を挙げたのだった。

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数週間ほど経ってみれば、僕とオリヴィアはしばしば連絡を取り合うくらいの仲には進展していた。
そうだ、映画にでも誘ってみようか、スケートはどうだろうか、レストランはどんな処がいいのか ─ などなどと僕なりに思案を巡らすほど。

いや、しかし……ちょっと待てよ。
当のオリヴィアは何を考えているのだろう。
オリヴィアにしたって、映画はどうかしら、レストランはどうしようかしら、なんてくらいのことは思案していてもおかしくはなかろう。
しかしだ。
オリヴィアからはそういう素敵な申し出がまったく無いではないか!
もしかしたら、高校時代以来の僕の思慕の念はもともと勘違いにすぎなかったのでは!?
じつは、オリヴィアは僕のことなどどうともこうとも思っていないのでは!?
こんなふうに心中で感嘆符を幾つもいくつもぶち上げた若いわかい僕は、どうにも居ても立ってもいられなくなっていたのである。

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あれは雪の降りしきる或る夜のことだった。
コンシェルジュのバイトを済ませたオリヴィアを誘って、僕は駅近くの喫茶室『ユモレスク』に入店した。
長身のオリヴィアはジーンズ姿がきっちりと締まってはいるものの、テーブルの真向かいに座らせてみれば太腿も膝もこちらにぐっと張り出した姿勢であり、店内のカクテル光線による影姿がちょっと道化てすら映る。
それでいて背筋はまっすぐ、相好もほとんど崩さなかったのは、却って滑稽でもあった。
それでも僕は心中でそっと思い詰めてはいた ─ さぁ、彼女の本心を探ってみよう!などと。


「あのぅ、これ、箱根旅行のちょっとしたお土産なんだ。君にあげるよ」
敢えてそっけなくそう言い放つと、僕は林檎風味の紅茶缶をオリヴィアに手渡した ─ そう記憶している。
「そんな……なんだか貰ってばっかりみたいで…」と小声を挙げつつも、オリヴィアはほぼ無表情でこれを手に取ったのだった。
間髪入れずに、僕は思いきって言い放ってみた。
「そっちからも何か頂きたいもんだよ」
「それは、まあ、そうかもしれないけど…」
ここでカチンときた。
’かもしれない’とはなんだよ!と僕はあからさまにいきり立っていた。
これにはオリヴィアもむっとして、僕の顔を凝視し返しつつ声色をあげた。
「なによその態度は?高校の同級生だったからって、ちょっと不躾なんじゃないの?」
ここで雰囲気がかなり気まずくなってしまった。


それでも僕は続けた。
「君は、脚がすーっと長いからね。コンシェルジュみたいなフォーマルな服装が似合うんだね。だからハイヒールがカッコいいんじゃないかな。モーツァルトの洒落た協奏曲を流しつつさ。ほら、高校時代の英語劇のようにだ」
気取った口調で、それでも半ば宥めるように、僕は話題を膨らまそうとした。
ところが、オリヴィアはさらに気難しい表情を浮かべつつ言い返してきた。
「おかしなこと言うのね。あたしはもともとフォーマルな恰好は好きじゃないの。むしろ、今みたいなこういうジーンズが好きなの。それに裸足が好きなのよ。そして音楽はベートーヴェンのピアノ曲が好き。高校の英語劇でもステージを裸足で跳ねたように」
「へぇ?君こそおかしいなぁ」
僕はフンぞり返りっていた。
「あの英語劇のシナリオはほとんど僕が書き上げたんだよ。そして、君はモーツァルトの楽曲のもと、フォーマルなドレスやハイヒールこそがステージ映えする ─ そう閃いたのもこの僕だ」
「ふうーん?やっぱりあなたこそおかしいわねぇ。あのシナリオは’憧れのN子さん’が仕上げたんじゃなかったかしら?」

ここで、僕はついに気色ばんでしまった。
「N子はこのさい関係ないだろう!」
「じゃあ誰が関係あるのよ?」
「そ、それは、つ、つまり、今ここにいる君と僕が」
「どう関係あるって言うのよ?」
ここで、僕はついに立ち上がってしまった。
「君はイジワルだな。そこいらの女子と変わらないくらいに性悪なところがある」
「へ~え、そんなことも分からなかったの?もしかしてバカだったの?」
「そうだよ、これまでも、そしてこれからもだ、たぶん」
懸命にそれだけ言い捨てると、僕は足早に喫茶店をあとにしたのだった……。


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いいえ!
いいえ!
違うわよ!
ところどころが、全然違う!
だからきっちり訂正しておくことにするわ。
もともと、高校同級生だった私たちの再会は、デパートのコンシェルジュのアルバイトに就いていた私に向かって、「彼」の方からちらちらと視線を送ってきたのがきっかけ。
そのさいにウィスキーボンボンを供したのは、この私から「彼」に対してだった。
この再会以来、私なりに「彼」と連絡を図ってみたのだけど、「彼」からはほとんど音信不通であり、だから私はなんだかバカにされた気にもなり、しばしば不満だった。
雪のふりしきる夜、駅の近くの喫茶室『ユモレスク』に誘ったのは私、さらに、箱根のお土産の林檎茶をプレゼントしたのも私の側から。
さり気なく、「彼」の出方を探るつもりだったの。
そして、同級生だったN子をいちいち引き合いに出してくる「彼」の態度が我慢出来ず、喫茶店を飛び出したのも私だったのよ。


そういえば、高校時代のあの英語劇。
シナリオを作成したのはN子ではない。
もともと私が書き上げたもの。
そこでは、モーツァルトの協奏曲のもと、私自身がフォーマルドレスに紅いハイヒールを履いてステージを闊歩する場面が設定されていた。
この箇所について、「むしろベートーヴェンのピアノ曲をバックに流しつつのジーンズに裸足の方が、’のっぽのオリヴィア’が惹き立つ」との提案がなされた。
この提案者が「彼」だったのよ。
どんなものかとN子に相談してみれば、「好きにしたら」との素っ気ない答えであり、この英語劇に関心が無かった由。
ところが不思議なことに、私自身は「彼」の提案がふっと気に入ってしまい、それで概ね沿うかたちでシナリオを修正してしまった。
これがきっかけとなって英語劇『裸足のオリヴィア』が仕上がり、私の主演によって文化祭の最優秀作品に選ばれたのよ。

一方で、当の「彼」はといえば。
「やっぱりモーツァルトとフォーマルドレスとハイヒールの方がよかったかな…」などとぶつぶつ呟いてはいたわけなの。
こういうところ、私と「彼」はどうにもぎこちなく、どこか周波のずれた間柄だったってことにはなるわね。
これまでも、そしてこれからも ─ だけど、だけど、もしかしたら。

たとえ、これまでの過去がAI創作によって書き換えられているとしても、それでも、それでも、これからは、いまここからは、もしかしたら。



(おわり)

2025/12/20

Think Big (6)

どかーんと沸き起こった新たな直観の組み合わせを、知識といい命題という。
あらかじめ知識と命題ばかり頭に詰め込んでも、新たな直観が湧き出でてくるとは限らない。
むしろ凡庸になる一方なのでは。
17歳~30歳くらいまでの突飛な直観こそが人生ピークのものじゃないかな。
な~んとなくそんな気がする。

そんな若年層の皆さんにこそ、既得の枠をぶち破るでっかい思考ヒントを呈してみたい。
だから前回まで同様、思いつくままにメモ記す。


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・人間は宇宙旅行にてさまざま電磁場や放射線や超重力などに耐えきれそうにないと。
そこで人間の代わりに、遠隔操作アバター/ロボットを…

て地球から発せられたアバター/ロボットが、遥か宇宙を航行し続け、いつか地球に戻ってきたとき、そいつらは超AIに進化しているのか大怪獣に化けているのか。
一方で地球人類側はどうなっているのかな。


・高校生たちが理科において好奇心をそそられる初めの一歩は「自然」と「人為」じゃないかな。
たとえば、静電気も電磁誘導も直流電流も「自然界」にある。
では交流発電は「自然」か「人為」か。
電池はどちらか、コンデンサーはどちらか。
半導体の素材は「自然物」だが、半導体チップはどうか。
真空は…核融合発電は…超電導は…レーザーは…
車輪は、電磁誘導タービンは。
なにより、人間の頭脳は「自然」か「人為」か。

こういうところ教師たちも丁寧に説いて欲しい。


電荷、電場、静電気、電流、電力…。
磁荷、磁場、磁気、磁力…。
これらは「自然現象」か、「人為(工業)」か。
これら全貌相関と'量スケール’をざっと確認したい。
そののちに各事項ごとの仔細分析と検算へ。

ところが、学校理科では個々を微積分で’数化’してから徐々に組み上げて全体像を誘うので、利発な子ほど憤激してしまうんだ。
※同じことは英文法の教育似ても言えよう
まず断片をちょっとずつ明かし、これら中高の英語授業で徐々に徐々にと繋ぎ合わせてゆき、高3になってから初めて全貌の系を明らかにしてやがる。


・大学入試の物理で数年前から拘っていること。
直流→交流のインバータやパワエレ技術について出題されているのかな。
たとえ高校レベルでも、これらは電磁気分野の集大成ではあり、しかも工業技術のひとつの典型でもあるでしょう。
脱炭素ばかりギャァギャァ指摘していても理科教師とはいえまいよ。


・もっと学際的に、理系/文系にわたって物事の捉え方を考えてみよう。
「量か数か」、「有限か無限か」、「自然か人為か」。
つまり2=8通りがありうる。
万物を「数」であり「有限」であり「人為」であると捉えれば、財務官僚にもカネ貸しにも代議士にもなれる。学校秀才もだ。
しかし日本型文明は自然科学の本性があり、「量」と「自然」に則ったリアリズムを貴んできた。だからシナ文明やユダヤ文明とは相性が悪い。

最大の問題は数学をどう捉えるかでしょうね。
数学は「数」換算での学問であり、「無限」も前提とはしているが、でも「自然と「人為」の双方を見事に折衷している。
だから’意外と’日本人には相性がいいのかもしれない。


・’時間’は「自然」か「人工」か。
また、’時計’は「自然」か「人工」か。
’宇宙統一時間’が、この宇宙のどこかに在りうるか?
また、’宇宙統一時計’なるものは在りうるだろうか?


・高齢化とAIにて、人間世界のさまざまな「情報」量が増え、「情報秩序化」が進んでゆくと。
ところがエントロピー論によれば、「或る系の物質の秩序化」とともに「別の物質系の無秩序化」もまた進むと。
ならば、高齢化とAIにて「情報の秩序化」が進むとともに何らかの「物質系の無秩序化」も進む?
逆に、情報が無秩序に霧消すると、さまざま物質系や人間が位置エネルギーまんまんの若々しさでリスタートするのだろうか。


・数理と工業は一瞬一瞬ごとの微分画一化と操作が得意だ。もちろん金利や株価のトレンド分析などは大得意。
しかし、未来に「どんな物質」の「どんな運動」による「どんな化学変化」が起こるのか、完全無欠な予測は出来ない。
どこのどんな人間の頭脳がどんなことをしでかすか、誰がどうやって予測するのよ?
だから、どんな戦争が起こるかも予測できない。
ましてや、火山活動や地震を予測するなどとなると、超大雑把な傾向から超大雑把に判断しているだけでしょう。
(だから無駄だなどとは、ひとっことも言ってませんよ。)



・我々地球人類が宇宙人と初めて出会ったとして、数学や物理学や化学などは一応は理解しあえるかもしれぬが、生物学はどうなのかな
というよりもだぜ、地球なりの貨幣だの金利だの法律だの多数決だのが先方に理解されうるだろうか。理解されぬとしたら、先方には文明が有るといえるのだろうか。


・なんらかの「温暖化」は、世界各地で水循環を留め、砂漠化を進めてしまうという。 ならば、これまで数百年以上にわたって砂漠を拡大させてきたアフリカやアラブやシナこそが、人類史上の地球「温暖化」の主犯かつ重犯ということになる。
これが分かっていて、それでも欧米や日本から'カネばかり'毟っているとしたら、数千年オーダーの'砂漠化バカ'ってことになるのではないか
あるいは、ただの卑しい怠け者連中なのだろうか。


人間による「仕事」は;
① 物質の交換
② 新規製品の考案と試作
③ 製品の複製と移送
④ 権利化~産業化
⑤ カネ回し/カネつまみ
ところが女性は生活これ全て「仕事」なので上記の区別がほとんど無い。だから世界の人種民族や産業や法律は均一化されるという。
言われてみればそうかなという気もしてくる不思議。


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・宇宙のほぼ万物は核子/電子の粒子数が確定されているようだ。
しかしこれらには統一の「価値基準」が無い。
だから「価値基準」の物理はありえない。
ところが、通貨には絶対神のごとき「価値基準」が有るようだ。税にも法律にも戦争にも「価値基準」が有るらしい。フェイクマネーにもか。
(ここ数年、何事につけてもこればっかし考えているような気がする。)


・通貨は人間同士における’信用の量’だという。
ならば、税は人間と国家にわたる’信用量’か。
しかも’信用’は'絶対値'ゆえ、電荷や磁荷のような'+/-'符号は無用ってわけか。
じゃあどうして損益計算(P/L)を書かせるのか?
どうして法人税増税によって企業が国を離れてゆくのかね。
もう訳が分からなくなるばかりだ。


・エネルギー源/食料/財貨が有り余っている局面では、それら供給の「経路選択」を競い合っていい。その媒体を通貨という。
だが、エネルギー源/食料/財貨が不足の危機にある現局面では、供給の「経路最短化」が問われる。
通貨のインセンテイヴを競い合ってる場合じゃないよ。
自民党なら分かるでしょう。


・今の20代は、カネ換算では大して貧困化はしていないんです。
ただ、学生時代には新規の創造開発や市場拡大に憧れていたのに、じっさい就職してみれば年輩者&外国勢力のカネ摘まみに付き合わされ、卑怯なバカになっていく ─ これを恐れている。

時代の循環ですね。カスみたいな仕事は辞めりゃいいのよ。むしろ明日の未来のためにとっとと辞めて欲しい。


・日本は高齢化と少子化が続いていると。
就労者人口も総じて減っていると。
しかもICT化が進行中だ。
さらに外国人労働者も増やしてやがんの。
これでどうして日本人の20代が多忙になってゆくのか、一貫した説明が無い。
あるいは通貨安が要因か。
逆に通貨高に導けば20代が救われるわけか。アメリカも喜ぶぞ。
(そうなるように誰かが誘導しているのかな。)


・若年層は売買取引や生産に積極的なので、通貨はあくまでも媒体。ゆえに通貨価値の高さ(物価安)を好む。
ところが高齢者たちは通貨自体のダブつきを好むので、通貨価値が低い方が望ましい(だから物価高になる)。
こうして年齢層ごと利害を分けてみれば、高齢化と通貨安が同時に進む理由も分かる(間違っているかもしれないけど。)

金利ばかり見ていても人間の本性は分からないのよ。


・俗に、「光陰矢の如し」という。
だから若いうちに知識命題をどんどん詰め込んでおけと。
しかしだね、たとえ「光陰」は宇宙最速の電磁波であり電磁場であるとしても、ここを貫く「矢」の方はさまざまな抵抗物にぶつかり続けてどんどん失速するはずだ。
この「矢」のごとく「光陰」が在るわけだから、どっちも失速するってことだ。
だから、時間経過とともに我々もまたゆっくりゆっくりになっていくんだよ。
ガツガツするこたぁねえんだ。

え? なんだって?
わけが分からないって?
分からなくていいんだよ、理屈なんかねぇんだ。


・俗に、「石の上にも三年」という。
なるほど、就労人口において若年者がわんさか多かった時代には、新入りの若者にはなかなかチャンスが巡ってこず、不遇にも耐えなければならなかったろう。
しかしだね、現代は就労人口の高齢化が進み、しかもICT化が進んでいるので、新入りの若者はソファの上で三か月くらいゴロゴロしていてもチャンスが巡ってくるはずだ。
そうならぬとすれば、何もしないジジイどもがカネばっかしダブつかせて通貨安(物価高)を誘導しているためで


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このへんにしておこう。
続きはまたその気になったら。

2025/12/06

Think Big (5)

ふとした閃きこそ、しばしば巨視的であったりする。
だからさらに続けてみよう。
(言葉ばかり弄んでいる文系ジジイ連中は読まなくていい。どうせ怒り出すんだろうから。)


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・光は最も速い電磁波物質だという。
光速を以て観測すればとりあえず宇宙の歴史像は138億年くらいだと。
…なんてことをピカッと閃いちゃう我々人類の知覚や思考もまた138億年くらい大昔のものなのか、あるいは、遥か超未来のキラッとしたほとばしりの先取りなのだろうか。
※ 作家ならこのくらい書けよな。でないと出版不況からは抜け出せないだろうよ。


・「テレパシー」の同期と交信の能力は、各人ごとにバラついているという。
しかし本当は、むしろ人間’以外’の何らかの物質を通じてこそ、テレパシーの同期~交信がなされ、だからその物質を介せば誰もがテレパシーを共有し…
…とすると、古代人や宇宙人とのテレパシーも可能ということに…?


・自然界や生命自身には、水圧や蒸気圧などを「タービン回転」によって「電磁誘導」に導いて「発電」するエネルギー機構は無い。
なぜ人間がこんなものを考案したのか、不思議な気になることがある。
むしろ静電気モーターなどが、’自然や生命人体とフィットした駆動系じゃないかいやどうかな生物科は何と言うかなはははは。


・主要国にてデータセンターがどんどん増え続けているらしい。
地球の総物質量/エネルギー量がほとんど不変だとすると、データセンターばかり増え続ける(相応の消費電力も増え続ける)のはおかしいのでは。
経営者ならこのくらい分かってるでしょうに。
或いはスパイと戦争の激増が目されている?

また、数学とアルゴリズムとソフトウェアと言語学が進歩し続けているとすると、データセンターばかり増え続けるのはやっぱりおかしい。
経営者ならこのくらい分かってるでしょう。
或いは宇宙人との邂逅が目されているのだろうかははははは。


・宇宙の全物質/全エネルギーは、無限だろうか?有限だろうか?
一方で、人間の知識量は無限だろうか?有限だろうか?
これらについて、人間に解釈しようがないので、とりあえずAIを立てておくのでは?
でもAIにも解釈しようがないのではないか。
とすれば、さぞ困ってんだろうなあと。


・運動方程式の時間積分、質量ごとの置換積分、これら位置エネルギーと運動エネルギーの対応(保存測)
これら数学は文系の俺でも分かるの。
また一方では向心加速度やケプラーや万有引力もまあ分かる。
ところが、万有引力の仕事と位置エネルギーを絡める発想/文脈は閃かない。
ここいら教師のセンスが問われるところじゃないかな。


・いわゆる文系が数学や物理学を厭うのは、文系思考の多くが特定命題の一方向への因果律であるため。
理数系はむしろ'比例'と’関数’と連立方程式’のタイプの多元多重思考が多く、しばしば論理循環や論理反転に鋭敏でなければならず
 ─ などと単純に捉えているのは文系の俺であって…


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・人類は、車輪を発明し、道路を平面化し、動力を生み出し、直流⇔交流の電流を活かし、さまざま素材を開発し、数理計算と論理素子を拡張かつ凝縮し、核反応を制御して、労働の苦役から解き放たれてきた。
ところがAIやロボットとなると、人類は失業と戦争で滅亡するそうな。

どこかにキチガイが紛れているんだ。
或いは悪辣なカネ貸しがCO2削減を煽り続けているんだよたぶん。


・1kWの'仕事'はいつでもどこでも同じ物理量。
この変換や複製の効率に優れる国や地域ではカネが要らなくなる。これをデフレと称す。
そこでカネ貸しは、バカと餓死と戦争の多い国地域にどかんどかんと貸付け、これをビジネスチャンスだのファンドだのと称し、もちろん1kWあたりに死に物狂いとなり、さあえらいこっちゃと駆けずり回るんだ。


・愛情はカネでは売買出来ない。
ならば憎悪もカネでは売買出来ない。
よって、テロや戦争はカネでは解決しきれない。
したがい、少なくとも国防は常に必須だ。

…この論理に異を唱えるリベラル左翼人は、愛情をカネで売買出来ると言うのだろうか。


・人間は通貨を考案してきた。
しかし、全世界の統一通貨が望ましいのか、あるいは逆に、あらゆる財貨が通貨機能を果たすべきか、誰も結論は出せていない。
税と物価と国体にも大いに関わる不可思議。
AIはこの難題を真面目に解決しうるだろうか?
ははははと笑い飛ばすだけなのでは?


・放射能 1Bq あたり或いは放射線量 1Sv あたり、客観統一の「価値尺度」は誰にも設定出来ませんよ。
米ドルでも日本円でも出来ません。財務省にも科学技術庁にも東大にも無理無理。ましてや国会議員はむりむり。
どんな事故が起ころうとも、あくまで主観上の損得勘定しかないでしょう。


・勉強量と仕事と収入における正比例のコスパ論について。
そもそも、1電子ボルト[eV]あたりの人類普遍の価値は?
1ジュール[J]あたりでは?
この世には物質/物理上の絶対の価値’尺度’が無い。だから勉強量と仕事と収入の比例関係は人間には証明できない。
駿台や河合塾ならこのくらい分かるでしょう。


・地球温暖化で大儲けし、地球寒冷化で大儲けし、巨大地震予測でまた大儲けしている人たちは、こんごの太陽がどうなってゆくのかについて語れるのかな。
それは研究予算次第ですよというかもしれぬが、ならばカネ次第では宇宙の全貌も語れるのかしら。


・AIには’価値’の観念がない。’価値基準物質’を内包していないため。
財貨の需/給の数値は精妙に扱うが、あくまで人間都合によるもの。
人間都合の通貨や証券債券や化石燃料のために、AIが命懸けになるか?

相場が暴落したら電力供給とAIが停止するのか?
(もしかしてこれが関係利権屋たちの煽りなのかな。


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・学校教育における最大の問題は、実体「量」と論理「数」の混同ですね。
例えば、『或る工場の製品が売れなくなり、利益も株価も下がると、官僚やカネ貸したちが「俺らの’面子’に泥を塗った」と憤り、この工場の設備も従業員も焼き払ってしまう』
─ この狂気を「価値の多様性」などと説く教師がいるのは困ったもんだ。


・世界のさまざまな実体の内から、数学や言語が生まれ出でたという。
例えば、岩石やゴマの内から呪文が生まれたと。
「開け、ゴマ!」と唱えると巨大な岩戸が開いて財宝がわんさかと。
金利や株価を語れば、核武装が即座に実現するか?核融合発電が適うのか?太陽フレアを制御出来るか?
ヘンな宗派だなあ。どこか狂ってるのか。


・核物質反応の臨界状態は、金利や議会次第で制御調整が出来るのかな?
核兵器開発と核軍備は金利次第か?議会次第か?
欧米はそうなのか?中国は?

現在の国防は、市場経済も民主主義も超越しているのではないか?
カネと多数決で議論しているのは政党とメディアだけなのでは?
(何を討論しても必ずカネと多数決にすり替える、そんな文系メディアも多い。困ったもんだ。)


・昨今の日本は、円安、株安、債券安、一方で長期金利だけは上昇傾向。
エコノミストたちは「さぁ売れ」だの「さぁ買え」だのと煽る。
シンプルに考えれば、「実体『量』」の経済と「利益『率』」の経済がある。
投資家と投機家はどちらを優先しているかでしょう。
消費者はどうか。そして財政は。


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・我々は「多様性」を許容すべきである。
ゆえに、統一言語の禁止、統一通貨の禁止、統一民法の禁止、統一政府の禁止、共産主義の禁止を訴える…

ここまでは正論として、では水は?電圧は?タンパク質は?数学はどうなる?どれも多様化が望ましいのか?
自民党や野党はここまで真面目に考えてんのかな。
東電や東芝は、厚労省は、まともに答えられるのだろうか?


・日本の全国民がコメ農家になれるだろうか?
日本の全国民が自動車メーカーになれるだろうか?
日本の全国民が医者になれるだろうか?
こんなこと不可能でしょう。
だからこそ金融があり、サービス産業があり、学校があり、風俗メディアがあり、役所や議会がある。さらに失業も犯罪も戦争もある。


・新政権の有能な女性閣僚の皆さまに認識頂きたい。
いわゆるグローバル化現象は、さまざまな事物において、ごく単純に捉えても
① 収斂 or バラつき、さらに ② 自然 or 人為
つまり2=4通りの解釈が可能。
しかし人間は誰もが有限なので、何事にてもこれら4つを同時に許容することは困難です。
同様に、LGBTQの解釈も困難ですね。
解釈や許容の困難なテーマは政策化し難いもの。あっちこっち振り回したり隙間で儲けたりする輩も多いでしょう。深入りしないことをお勧めします。


・高市政権は、概ね「敵でない勢力は味方です」と説かれる。
しかし世界には、「味方でない奴らは全て敵なんだ」と睨む連中もいる。
両者は補完関係にも対称関係にもなく、よって和解は不可能かもしれぬ ─ という冷徹な見方が女性陣に可能かどうか。
そこんところだな。


・日本における「多重国籍」について、諸国ごとに法制度が異なるため、日本の法務省のみでは完全な捕捉は出来ぬと。
多重国籍の捕捉が法制度にて不可能とすると、「無国籍」者の捕捉もやはり不可能ってことか?
もっと真面目にやってくれよな。


・「UFOが地球に飛来した」
「いったいどこからやって来たどういう物質とエネルギーから成るUFOなのですか?」
「それが分からないからUFOと言うんだ」
「じゃあ対処しようがないですよ」
「そこを考えるんだよあほ」
「無責任なこと言わないで下さいよ」

世の中の多くはこんなだよ若者諸君。自信を持て。
どうせいずれは怒鳴り合いとケンカになるんだ。
たとえば、大地震や大災害が起こった際にだ(不幸なことだが)。


・割り算と引き算ばかりの銭ゲバ左翼の殺人時代は、いよいよ終わりつつある。
これからは伝統保守と未来技術のでっかい掛け合わせ時代到来だ。
率先するのがトランプとプーチンと高市政権などだ。
…というくらいのデッカイ時代感覚を抱いてゆきたい。

若者諸君、君たちの人生には意義が有ったんだよ。
(この復興パワーを以て、東芝や日産などもでっかく復活させてくれないかな。)


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つづく