2025/12/24

裸足のオリヴィア


大学1年時の冬のこと。
12月のある日、雪の降り出しそうな夕暮れ時であった。
帰宅時の僕は、親類筋への適当な歳暮品を購入しようと思い立ち、そこで最寄り駅に近接した大型デパートに入店。
ケーキ菓子の類を物色するつもりで、僕は地下街に降り立ったのだった。

ふと気づいた。
其処でコンシェルジュを務めているアルバイト女子が、遠目からこちらを見つめている。
あれっ、と僕は軽く嘆息していた。
シルク製のような洒落た純白スーツ、濃紺色のブラウス、ちょっとぎこちなく着用しつつも、まっすぐな姿勢で所定のテーブルに座している彼女。
ほとんど表情を変えぬまま、時おりすっと立ち上がってお客様たちに応答しつつ、それでも幾度となくこちらに視線を送ってくる彼女。
ああ、あれは、あれは高校時の同級生のオリヴィアではないか…。
立ち上がったさいの彼女の体躯から、もうハッキリ分かった ─ あの並外れた颯爽の長身、まるで講堂のカーテンのようだなどと高校時代に嘲笑すらされていた、背高のっぽのオリヴィア、間違いない。


オリヴィア。
日本人女子ではあるが不相応なほどの長身であり、しかもどことなく白人風の容姿であったため、高校時にはオリヴィアで通っていた。
だから本稿でもオリヴィアで通す。
僕は高校時代から心密かにこの’のっぽのオリヴィア’に憧れていたのだった。
一緒に英語劇を演じたこともある。
もしかしたら、ああ、もしかしたら ─ 僕が高校時にそっと抱いていたオリヴィアへの思慕の念以上に、オリヴィアが同時期にそっと抱いていた僕に対する思慕の念は…


そんなことを想起しまた思い描きつつ、僕はちょっと息せき切った口調で、歳暮ギフトの類はどこに売っているのかとオリヴィアに問いかけたのだった。
執務テーブルに真っすぐに座しつつ、オリヴィアは気恥ずかしそうに僕と視線を交わし、それから悪戯っぽく微笑むのだった。
数か月ぶりの再会、数か月ぶりのぎこちない会釈と微笑。

もっとぎこちないことには、僕はオリヴィアの案内通りにフルーツケーキの詰め合わせを購入しつつも、あわせてウィスキーボンボンの小ケースを買うとこちらをオリヴィアにそっと手渡していた。
こんなもの、困ります…。
そんなふうにオリヴィアが敬語を発したのが可笑しくて、僕も敬語でご遠慮なさらずになどと返し、オリヴィアは小声でくすくすと笑い声を挙げたのだった。

===================


数週間ほど経ってみれば、僕とオリヴィアはしばしば連絡を取り合うくらいの仲には進展していた。
そうだ、映画にでも誘ってみようか、スケートはどうだろうか、レストランはどんな処がいいのか ─ などなどと僕なりに思案を巡らすほど。

いや、しかし……ちょっと待てよ。
当のオリヴィアは何を考えているのだろう。
オリヴィアにしたって、映画はどうかしら、レストランはどうしようかしら、なんてくらいのことは思案していてもおかしくはなかろう。
しかしだ。
オリヴィアからはそういう素敵な申し出がまったく無いではないか!
もしかしたら、高校時代以来の僕の思慕の念はもともと勘違いにすぎなかったのでは!?
じつは、オリヴィアは僕のことなどどうともこうとも思っていないのでは!?
こんなふうに心中で感嘆符を幾つもいくつもぶち上げた若いわかい僕は、どうにも居ても立ってもいられなくなっていたのである。

====================


あれは雪の降りしきる或る夜のことだった。
コンシェルジュのバイトを済ませたオリヴィアを誘って、僕は駅近くの喫茶店に入った。
長身のオリヴィアはジーンズ姿がきっちりと締まってはいるものの、テーブルの真向かいに座らせてみれば太腿も膝もこちらにぐっと張り出した姿勢であり、店内のカクテル光線による影姿がちょっと道化てすら映る。
それでいて背筋はまっすぐ、相好もほとんど崩さなかったのは、却って滑稽でもあった。
それでも僕は心中でそっと思い詰めてはいた ─ さぁ、彼女の本心を探ってみよう!などと。


「あのぅ、これ、箱根旅行のちょっとしたお土産なんだ。君にあげるよ」
敢えてそっけなくそう言い放つと、僕は林檎風味の紅茶缶をオリヴィアに手渡した ─ そう記憶している。
「そんな……なんだか貰ってばっかりみたいで…」と小声を挙げつつも、オリヴィアはほぼ無表情でこれを手に取ったのだった。
間髪入れずに、僕は思いきって言い放ってみた。
「そっちからも何か頂きたいもんだよ」
「それは、まあ、そうかもしれないけど…」
ここでカチンときた。
’かもしれない’とはなんだよ!と僕はあからさまにいきり立っていた。
これにはオリヴィアもむっとして、僕の顔を凝視し返しつつ声色をあげた。
「なによその態度は?高校の同級生だったからって、ちょっと不躾なんじゃないの?」
ここで雰囲気がかなり気まずくなってしまった。


それでも僕は続けた。
「君は、脚がすーっと長いからね。コンシェルジュみたいなフォーマルな服装が似合うんだね。だからハイヒールがカッコいいんじゃないかな。高校時代の英語劇のようにだ」
気取った口調で、それでも半ば宥めるように、僕はそう問いかけてみた。
ところが、オリヴィアはさらに気難しい表情を浮かべつつ言い返してきた。
「おかしなこと言うのね。あたしはもともとフォーマルな恰好は好きじゃないの。むしろ裸足がいいわ。高校の英語劇でもステージを裸足で跳ねたように」
「へぇ、それはおかしいなぁ」
僕はフンぞり返りっていた。
「あの英語劇のシナリオはほとんど僕が書き上げたんだよ。そして、君はフォーマルなドレスやハイヒールこそがステージ映えすると閃いたのもこの僕だ」
「ふうーん?おかしいわね。あのシナリオは’憧れのN子さん’が仕上げたんじゃなかったかしら?」
「N子はこのさい関係ないだろう!」
「じゃあ誰が関係あるのよ?」
「そ、それは、つ、つまり、今ここにいる君と僕が」
「どう関係あるって言うのよ?」
ここで、僕はついに立ち上がってしまった。
「君はイジワルだな。そこいらの女子と変わらないくらいに性悪なところがある」
「へ~え、そんなことも分からなかったの?もしかしてバカだったの?」
「そうだよ、これまでも、そしてこれからもだ、たぶん」
懸命にそれだけ言い捨てると、僕は足早に喫茶店をあとにしたのだった……。


===============================


いいえ!
いいえ!
違うわよ!
ところどころが、全然違う!
だからきっちり訂正しておくことにするわ。
もともと、高校同級生だった私たちの再会は、デパートのコンシェルジュのアルバイトに就いていた私に向かって、「彼」の方からちらちらと視線を送ってきたのがきっかけ。
この再会以来、私なりに「彼」と連絡を図ってみたのだけど、「彼」からはほとんど音信不通であり、だから私はなんだかバカにされた気にもなり、しばしば不満だった。
雪のふりしきる夜、駅の近くの喫茶店に誘ったのは私、さらに、箱根のお土産の林檎茶を渡したのも私の側から。
さり気なく、「彼」の出方を探るつもりだったの。
そして、同級生だったN子をいちいち引き合いに出してくる「彼」の態度が我慢出来ず、喫茶店を飛び出したのも私だったのよ。


そういえば、高校時代のあの英語劇。
シナリオを作成したのはN子ではない。
もともと私が書き上げたもの。
そこでは、私自身がフォーマルドレスに紅いハイヒールを履いてステージを闊歩する場面が設定されていた。
この箇所について、「むしろジーンズに裸足の方が’のっぽのオリヴィア’が惹き立つ」との提案がなされた。
この提案者が「彼」だったのよ。
どんなものかとN子に相談してみれば、「好きにしたら」との素っ気ない答えであり、この英語劇に関心が無かった由であったのは、今思い出してみればちょっと不思議ではある。
もっと不思議なことに、私自身は「彼」の提案がふっと気に入ってしまい、それで概ね沿うかたちでシナリオを修正してしまった。
これがきっかけとなって英語劇『裸足のオリヴィア』が仕上がり、私の主演によって文化祭の最優秀作品に選ばれたのよ。

一方で、当の「彼」はといえば。
「やっぱりフォーマルドレスとハイヒールの方がよかったかな…」などとぶつぶつ呟いてはいたわけなの。
こういうところ、私と「彼」はどうにもぎこちなく、どこか周波のずれた間柄だったってことにはなるわね。
これまでも、そしてこれからも ─ だけど、だけど、もしかしたら。



(おわり)