2026/03/14

マルチバース


「先生こんにちは!あたしですよ。今日は卒業の挨拶にやって参りました」
「やあ、君か。今年もお別れシーズンだね。毎年のこと、いろんな娘たちがやってくる時節だからね。ゆえに僕は驚かないよ。君がこうして挨拶に来ることも予想はしていた」
「へーぇ。それじゃあ、あたしのことも『判別』して頂けるのですね!」
「もちろんだ。キラッと輝く瞳、人情味のある柔らかな鼻筋、意思の強そうな顎、なるほど知性とハートを兼ね備えたなかなかの逸材だよ、君ってやつは」
「ふーん。有難うございま~す」
「それに、なだらかに開いた肩と腕のライン、それでいてぎゅっと引き締まった手首。さらに、大きな尻と長い脚は規格品のジーンズを破裂させんばかり。なかなかの天才体型だ。あたかも駿馬の疾走を予感させるね」
「ふふふっ、褒め過ぎですよ先生」
「ともあれだ、卒業おめでとう。大学での更なる研鑽を祈っているよ」

「…ところで先生、実はですね」
「実は、なんだ?」
「実は、あたしはこれからの新生活を送るにあたって、ひとつだけ腑に落ちないことが…」
「うぬぅ?なんだか面倒な予感がするなぁ。で、いったい何が腑に落ちないのかね?」
「はぁ。そのぅ、いわゆる『情報』とはいったい何かが、どうも分からないんですけど」
「『情報』とは何か、だとぅ?それはインテレクトでインテリジェントでインタレスティングな問いかけだぞ。一般社会はおろか国会議員でさえも『情報』の何たるかをハッキリ理解しておらず、カネとすり替えたり現物と取り違えたりしてバカを見ているくらいだ」
「へ~え、やっぱりそうですか」
「うむ。ただし思考上のヒントはある。そもそも『情報』は物質ではないということだ」
「ははーーん?」
「ねえ、ちょっと考えてみてごらんよ。もともと我々の『意識』や『時間感覚』や『記憶』はだ、自然物と脳神経などによるさまざまな干渉や共振や伝送から成り、速度変化や方位変化による一期一会の万物流転を実感させている。つまりどれもこれも物質と量子とエネルギーから成っているわけだ」
「はぁはぁ」
「ところがだ、それら『時間感覚』や『記憶』をだよ、特定の秩序で符号化し表象秩序にすると、これらが数学になり、カネになり税になり、法律や言語になる。これらを『情報』という。デジタルに切り貼り出来るしなんぼでも書き換えや複製が可能だ。こんなだから、『情報』はもはや物質ではない」
「むーぅ……あのですね、そんな程度のことはとりあえず了解しているんですけど…」
「じゃあ、とりたてて悩むことはあるまい。よかったな」
「しかしですね先生、いわゆる『並行世界』との『情報』の交信については、どう捉えればよいのでしょうね?」
「うぬっ、そうくるか!」
「ねぇ先生!『並行世界』はこの宇宙あるいは別宇宙における別物質や別エネルギーの実体による実在なのでしょう?」
「うぐっ…、まぁそうだろうな」
「そういう別宇宙に『並行世界』がさまざま実在するのであれば、我々は其処いらとの『情報』共有は可能なのでしょうか?同じ数学や同じ言語を用いての『情報』通信が可能なのでしょうか?…」
「うぬぬぬぬ……」
「そして、そういういわば'マルチバース型のAI’が存在しうるのでしょうかね…?」


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「……おやっ?ちょっと待て!…おい、君はどうしてここにいるのかね?」
「先生!何を仰っているのですか?私は卒業の挨拶に今日こうして伺っているのですよ」
「そ、そうだったかな……それにしても、君は健勝ぶりがなによりだ」
「ははっ、そうでしょうかね」
「じっさい、君は逸材だと思うよ。キラッと輝く瞳、人情味のある柔らかな鼻筋、意思の強そうな顎…、まことに君は知性とハートを兼ね備えているよ」
「はぁ、お褒めのお言葉、有難う御座います」
「うむ。なだらかに開いた肩と腕のライン、それでいてぎゅっと引き締まった手首。さらに、大きな尻と長い脚は規格品のジーンズを破裂させんばかり。なかなかの天才体型だ。あたかも駿馬の疾走を予感させる。大学進学後の更なる研鑽を祈っているよ」
「はぁ……ところで先生、じつはですね、あたしはこれから新生活を送ってゆくにあたり、ひとつだけ腑に落ちないことがあるんですけど…」
「うぬぅ?なんとなく面倒な予感がするなあ。で、何が腑に落ちないのかね?」
はぁ、いわゆる『情報』とは何かについてです」
「うーむ、それはインテレクトでインテリジェントでインタレスティングな問いかけだぞ。しかし思考上のヒントはあって…」
「あのですね先生、その粗方のところはすっ飛ばして、もうちょっと先のところ、いわゆる『並行世界』との『情報』の交信について、どう捉えればよいのか教えて頂きたいんですけど」
「うぐぅっ…」
「いわゆる『並行世界』がですね、この宇宙あるいは別宇宙における別物質や別エネルギーの実体による実在であるとして、我々は其処いらとの『情報』共有は可能なのでしょうか?同じ数学や同じ言語を用いての『情報』通信が可能なのでしょうか?…」
「うぬぬぬぬ……」
「そういう'マルチバースAI'が存在しうるでしょうかね…?」


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「……おやっ?なんだ?…おい、君はどうしてここにいるのかね?」
「先生!何を仰っているのですか?あたしは卒業の挨拶に今日こうして伺っているのですよ」
「そ、そうだったかな……それにしても、君は健勝ぶりがなによりだ」
「ははっ、有難う御座います」
「じっさい、君は逸材だと思うよ。キラッと輝く瞳、人情味のある柔らかな鼻筋、意思の強そうな顎…、まことに君は知性とハートを…」
「ねぇ先生、そこいらのお褒めの言葉にはもう感謝しておりますから、もっと先のところ、お願いしますよ」
「……」
「じつはですね~、あたしはこれから新生活を送ってゆくにあたり、ひとつだけ腑に落ちないことがあって~」
「うぬぅ?なんとなく面倒な予感が…。で、何が腑に落ちないのかね?」
「はぁ、いわゆる『情報』とは何かについて」
「うーむ、それはインテレクトでインテリジェントでインタレスティングな問いかけだぞ。しかし思考上のヒントはあって…」
「そこんところも、もうすっ飛ばしていいから、もうちょっと先のところ、いわゆる『並行世界』との『情報』の交信について、どう捉えればよいのか教えて頂きたいのよ!」
「うぐぅっ…」
「いわゆる『並行世界』がね、この宇宙あるいは別宇宙における別物質や別エネルギーの実体による実在であるとして、我々は其処いらとの『情報』共有が可能かって訊いてんのよ!ねえ、同じ数学や同じ言語を用いる『情報』通信が可能かどうか、そんな'マルチバースAI'が存在しうるのかって訊いてんの!」



(ずーっと続きうる)

※ SF作家ならこのくらいの掌編を思いつけってんだ。

2026/02/22

需要供給曲線について

物理上の粒子、その運動や仕事やエネルギーにおいて、永遠不変の「統一価値」の尺度や単位を設定出来るだろうか?
アダムスミスもマルクスも、シュンペーターもケインズも、こんなもの画定していませんよ。
一神教だろうが金本位だろうが、とりあえず「何か」について「誰かが」部分的に「価値」を設定しているにすぎない。
だから時間経過とともに、そして時代経緯とともに、万物の「価値」はいつもいつも変動している。

とはいえ、万物の価値を永遠に変遷するまま放っておけば、俺の価値、あいつの価値、俺はハッピィあいつは不幸、ということも大いにおこり、ハッピィな信用取引も交換も成立しえない。
それどころか詐欺も脱税もし放題になってしまう。
これでは誰もが困っちゃうので、何かと何かの暫定的な供給と需要ごとに、暫定的に通貨換算の「価格(price)」を設定している。
つまり、「価格」とは暫定確率上の数値である。


さて経済学は、市場における財貨・サービスの「数量(quantity)」と「価格(price)」、これらの「供給量(supply)」と「需要量(demand)」の関わり合いを語るという。
ここで「価格」が確率上の数値に過ぎぬとすれば、経済学そのものも確率上の学問ということになっちゃうんだなこれが。
もちろん計量的にはそれぞれの数値の精度を追求しうるが、永遠不変の真理命題は説明出来ないし、そんなエコノミストがいるわけもない。


…と、まずは全体像を置いた上にて。
経済学を最も集約的に表現しているとされる「需要供給曲線」をいったんバラし、さまざま解釈しなおしてみる。


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(1)そもそも需要供給曲線は以下のように出来ている。

① 或る財貨・サービスの供給」において、それら「数量」が市場に知られているとする。
② かつ、その財貨・サービスの「供給」にて、それらの「価格」も市場に知られているとする。
(この「価格」を何らかの「単価」とする見方もし得るが、その単位自体まで追求するとキリが無くなるので「単価」は考えないことにする。)
③ その財貨・サービスの「需要」に、「数量」が有る。
④ かつ、その財貨・サービスの「需要」に、「価格」も有る。


これら①~④において「供給」と「需要」はあくまでも概念でしかないので、おのれの状態も変化も語らない。
だからこそ、それぞれに「数量」と「価格」という条件付けを以て、それぞれの状態も推移変化も、さらに行動動機までをも表現する。
 
ここで①~④の「供給」「需要」を「数量」「価格」の組み合わせ 4=22 とみて、2種類のデータ群としてまとめることが出来る。
これを、横軸を「数量」とし縦軸を「価格」とする二次元座標上にて表現する。

その上で、①と②の組み合わせのデータ群を連続的に直線あるいは曲線で記し、これを「供給曲線」とする。
同様に、③と④の組み合わせデータ群もまた連続的に直線あるいは曲線で記し、これを「需要曲線」とする。


以上で、需要供給曲線の構成説明はおわり。

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(2)ケースバイケース

需要供給曲線の2本の直線(曲線)は、もちろんどちらが「供給曲線」でありどちらが「需要曲線」であるかは自動的には決まらない.
もとより「供給」も「需要」もあくまで人間がいちいち定義しているため。
右上がりだろうが右下がりだろうが、水平一直線であろうが垂直一直線であろうがだ。

また例えば、「供給が増える」とか、あるいは「需要が減る」という命題のみの場合は、「数量」変化のみは語っているが「価格」がどうなっているかは語っていない。
もしかしたら価格は完全競争状態にあるのかもしれない。

このような場合分け思考こそ、経済学の重大な機能といえる(だからこそ「供給」「需要」の組み合わせ発想も重大なのである。)


「供給曲線」と「需要曲線」が交差する場合。
これが需要供給曲線の醍醐味だという人も多い。
もちろんこの2本が交差すれば、その財貨・サービスの「供給」と「需要」が「数量」「価格」ともに一致しているわけで、ビンゴの大当たりのような爽快感もある。

しかしあらゆる財貨・サービスが需要側と供給側で’自動的に一致’することはない
「供給」側も「需要」側も人間ゆえ、あくまで意思と動機によって動いているためである。
「数量」「価格」をどっち方向にどれだけ調節はかろうとも、一致しないものはすれ違いのままである(俗にいう’市場の失敗’である)。

もっと実勢に即していえば、両者が本当に心底からかつ中長期的に'合意’しているか否かは誰にも判別しようがない。
だからこそ客観化と政策調整も必要となる。


以上で、需要供給曲線の本性的な限界についての説明もおわり。


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さて。
もっともっとでっかく捉えてみよう。

全世界の人類の総「供給」と総「需要」は ─ しかも表層に現れる物質や通貨のみならず、深層心理まで踏まえたそれらは ─ どこの誰が確定しうるのだろうか。
仮に何らかの統一尺度を以てそれらが確定されるとしてだ、それらはいついかなる瞬間にも常に総和が一定たりえようか?
たとえ戦争があっても、エネルギー源や食材の供給が偏ってしまったとしても?




(つづく ─ いや、これ以上は続けようがない気がしている。)

2026/01/21

2026年 大学入試共通テストについての所感

これまでどおり、センター試験でも共通テストにても社会科に注目してみる。
とりわけ、政治経済と世界史である。

(A) もとより理科であれば、主題は物質であり作用反作用であり次元であって、これらが’要素’と’全体系’として精密に編み込まれている。
しかし一方で、社会科の主題はたとえば「効用」であり「価値」であり「生産」であり「富」であり「権利」であり「責任」であり「カネ」であり「税」であり、さらに「民族」や「国民」などなど…、どれもこれもあくまで観念として学ぶため、何となにが’要素’でありどういう’系’を成しておるのかを総括できない。
それでいて、社会科では組織論や手続き論がおそろしく多いのである。

だから社会科にては、難易度は情報のバラツキと情報量に大いに拠ってしまう。


(B) じっさい、此度は例年以上に設問上の情報量の多さが非難されているようだが、ここのところ僕なりに敢えて評してみる。
①まず全体像としての図案や資料を呈した上で、②各論を演繹させる ─ この①→②の設問構成ならば、制限時間内の選抜試験としてやむなしか。
(或いは穿った見方をすれば、受験者にあらかじめ全体像を提示しておき、これを存分に読み込ませた上でこの試験に挑ませたらどうか。功罪はさておき。)

しかし ②→①として各論の検証から全体像を帰納させるものは、さまざま全体像をいちいち想定しつつ再検証が必要ゆえ、制限時間内での正答は未成年には酷だろう。
こうなると試験よりもむしろ自由研究課題に適しているような気もするし、そうであれば未成年たちも喜んで挑みうるであろうし、社会科の探偵や探検家を自称する教師たちも微笑むかもしれない。


(C) なお此度の出題にては、全体像と各論の精密な(過不足の無い)整合を質すタイプの設問も少なからず見られたが、この論理力のチャレンジにとくに限ってみれば、むしろ凡庸な知識正誤問題よりもずっと思考純度が問われ、よって此度の設問量の多さは却って好ましい傾向とはいえまいか。
こんな論理思考パズルの類が社会科のテストといえるのか ─ そういう批判もありえようが、社会科における主題そのものがどうしても観念に留まってしまうのだから、論理パズル大いに結構ではないかな。

(文系あがりの僕なりに体験談に則っていえば、文系職はどうしたって物質やエネルギーなどに拘束されぬ論理パズルだらけになってしまうのだ。政党や議会や為替相場や株式を見てりゃ分かるだろははははは。)


僕なりの総括的な講評はざっと以上のとおり。

ともあれ、僕なりに注目した出題について以下にちらっと注記してみた。


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【公共、 政治・経済】

第1問
問2
GDPも付加価値も生産性もすべてカネ勘定の表現であること(だから現実そのものとは限らないこと)、言わずもがな。

第3問
問1
輸入関税/数量制限の政策にて、選択肢アとイおよび選択肢ウとエのどれもが正論ではあり、論理力と連想力をともに問うちょっとした良問である。

問2
最恵国待遇について。選択肢4は真意が不明瞭だが、植民地の国内経済のようにも映る。

問3
生産とサービスの峻別を問うている。カネ換算のみでは捉えられない産業の本質論。

問5
紛争に際しての付託機関と、そこでのネガティヴコンセンサス ━ これら論理上の近似を質しているのだろうが、しかし同一とは見做せず、逆にいえば論理上の不一致も指摘出来るわけで、これは設問としておかしい。


第4問
問2
持株会社解禁とデフレ(とその脱却)、これらの因/果の有無を総括的に理解出来るだろうかと質しているのか。尤もこれらが現在まで何をもたらしているのか、引用メモなどで触れるべきではないか。
なお、独禁法の基本概念については社会科の最重要テーマになると、僕なりに数年前から指摘してきたが、やっぱり問われているね。

問6
選択肢ア、イ、ウ、エのどれもが違憲審査の積極論ないし慎重論を述べており、一応は正論 ─ とすれば良問ではある。尤も選択肢イにおける多数派/少数派の議論が本問の論題に完全に合致しているかどうか疑問は残る。


第5問
問2
水道事業の広域化による維持管理費用の逓減を、スケールメリットの典型例として論じているが、これらが中山間地にては有効と見なされない理由も論じるべきであろう。
※ あらゆる事象の効用は必ず比較対象を伴って論じられなければならぬ。

問5
誰の如何なる損得かをまず判別させた上で、応益負担と応能負担について質し、しかも(対数量の)価格弾力性も突いている。これぞ経済学の典型的な大良問だ。こういう学術的な出題をどかどか増やすべきだ。


第6問
問4
いわゆるSDGsにて、いわゆるジェンダー平等が何をどう関わっているのか。全く意味不明。ダメだこんな設問は。


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【歴史総合・世界史探求】

第1問
問5
農業国インドネシア「が」工業国オランダ「から」輸入した「農産品」を、特定できるだろうか。難問だ。

問7
もともと中継貿易港だった香港が、朝鮮戦争きっかけに対中貿易が途絶えたため、労働集約型の工業に移行した由、かなり良い歴史資料である。


第2問
設問B
ここは中世ヨーロッパの三圃性輪作を主題に据えており、「誰が」「どこに」居住し「何を」耕作し「誰が」支配し「誰が」貢納していたのか、総括理解を質すちょっとした良問だ。
農具進歩と貨幣普及と十字軍と自由都市まで連関させ、大問として出題すれば面白かったろう。

設問C
ここに呈されたパネルはイスラーム法学の一端といえ、刑法のみならず民法にてもアッラーの見識が大前提に据えられていること読みとれる。断片的な引用に留まっているのが惜しい。


第3問
設問A
本箇所は家父長制に触れているが、ヨリ広範に捉えれば民法上の直系血族と婚姻の論題も導きうる。直系血族の優先は、古典民法典からナポレオン法典でまで変わらない人類共通の鉄則。。ただしナポレオン法典にては婚姻は夫婦間の契約とも見なされた。
(とはいえ嫡出子と非嫡出子には差別が残り、これが一応解決したとされるのは1970年代に入ってから。)


第4問
問6
社会科における最大の難題だ。そもそも民族とは?国家とは?ナショナリズムとは?これらは人類普遍でありつつも、概念であって実体ではない。だから構造としても要素としても定義しようがない。極論すれば古代人でもナショナリズムのたぐいは抱いていたといえよう。


第5問
問3
国家(領邦)間の分立が相互の保護関税を正当化しているのか、あるいは相互の保護関税あってこその国家分立なのか、誰もが利益を得うるのかあるいは損失を被ろのか…政治経済にもフィットする実践的な論題であり、だから良問といえる。小問に留まっているのが実に惜しい。

問4
イギリス植民地帝国の瓦解、ブレトンウッズ体制と米ドル支配、IMF、GATT、まとめて理解すれば本問はたやすい。

問5
選択肢1,2,3,4も引用元メモも、すべて税制による商取引の損得を語っているはず。たとえ関税でもだ。よってこれらは正誤判別しようがない。


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以上

2026/01/12

新成人(2026)

 

新成年おめでとう。

此処の投稿内容は、一昨年の新成年の日に際して書き綴ったものを元に記している。
以来、僕なりに考えは変わっていないため、概ね同一内容を繰り返し記すことにする。


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昨日まで子供だった諸君らにとって、「実体」「論理」は一緒くたの不可分だった。
というより、すべて「実体」そのものに映っていたことだろう。
しかし、成年に達したということは、その彼/彼女にとって「実体」の次元と「論理」の次元が完全に分離したということ、そして、これらどちらもともに生きなければならぬということである。

だから、此度は「実体」「論理」について、ちょっとだけ理屈をおいてみよう。


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あらゆる物質も物体も、そして我々の肉体もまた脳神経すらも、1度に1つ限りの自然な「実体」である。
たとえば、遺伝子や細胞はむろんのこと ─ 水や食材、薬剤、電磁波、核、熱、鉱物、イオン、木材、鉄鋼、コンクリート、ガラス、プラスティック、機械類、半導体や導線、火力兵器、核兵器、ウイルス物質、ワクチン、さらにスポーツや絵画や音楽や文学などなど。
もちろん地震や津波は「実体」の超巨大な複合といえよう。
これらは何らかのエネルギーから起こり、何らかのエネルギーに転化もできる、だからこそ「実体」といえる。
日本国、皇室、日本人、お正月、アメリカ人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、ロシア人…そして伝統文化や社旗規範なども「実体」

「実体」は、途切れることなく連綿と変化し続けてはいるが、どこまでも有限の存在でもある。
変化し続けている以上は、「実体」それら自体をデジタルに均等細断することはおそろしく困難、ましてや有限の存在ゆえ、完全無欠の複製や流動や組み換えや復元はもっと困難、(素粒子レベルで本当に復元できようか)。

君たちは「実体」として生まれ、「実体」として育ち、「実体」として成人した。
「実体」として走り、「実体」として跳び、「実体」として「実体」を見聞し感受し、「実体」に対して右ストレートや左フックを叩き込み、「実体」を掴んで抱えて上手投げや下手投げを繰り出し、「実体」をぶっ叩いて場外ホームランを叩き出し、「実体」を蹴り飛ばしてオフサイドギリギリのシュートを放つことも出来る。


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一方では、成年なりたての諸君を大いに惑わしうる「論理」について注記しておこう。

「論理」はどれもこれも人間が考案した観念でしかない。
たとえば、数学とか言語とかソフトウェア(デジタル)とか、通貨とか価値とか税とか証券とか保険とか、法とか権利とか義務とか、多数決とか議会とかメディアとか…
さらに、国際金融資本、アメリカ合衆国、ヨーロッパ連合、ウクライナ政府、ベネズエラ政府、中国共産党、国際連合、NHK、感染者数、などなど。
※ ではイランはどうなのだろうか ─ 今年の重大テーマたりうるだろう。

人間考案の観念にすぎぬがゆえ、あらゆる「論理」は無限を前提とし得る。
無限の「論理」ゆえにこそ、作為的に意義や文脈を無視してデジタルに均等断裂が出来、なんぼでもシャッフルして組み換えが出来、さらに複製も流動も自由自在、そしていつかどこかで完全復元もOK ─ ということになっている。

「論理」のほとんどは、しばしば言葉遊びでもある。
たとえば「勤労の義務」は規範とされているが、「雇用の義務」という規範は無い。
また、「生産」および「生産物」は「実体」だが、「生産性」はカネまわしの「論理」でしかない。
「地球の気温」は「実体」だが、「温暖化あるいは寒冷化」となると「論理」でしかない。

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何が言いたいのかって?
成年なりたてホヤホヤの諸君に伝えたいことは、要するに簡単なことだ。
「実体」あってこその「論理」である!
「論理」のために「実体」があるわけではない!
有限の「実体」を改編し新規に作り上げるためにこそ、さまざまな「論理」の無限のフレキシビリティが起用される!
感染という「論理」をコロコロ転がしてカネをコロッコロと回すために、諸君らの肉体という「実体」が犠牲になってよいわけがない!

ひとたびカネに変えてしまった肉体を完全な元通りに買い戻すことは不可能なんだぞ!


君たちの多くが学んできたとおり(あるいは言い聞かされてきたとおり)、物理学は名称こそ紛らわしいが明らかに「実体」に則った学問である。
その証拠に、「万物」の運動現象をとことん還元すれば何らかの物体の単振動、それら力の作用と反作用である ─ などなどと断言している。
そして、エネルギーとその仕事の有限性に則ってこそ、エネルギー保存則もエントロピー限界説もある。
一方で、数学は「論理」でしかない、だからエネルギーも保存則もねぇんだ、無限にずーーーっと縦横無尽の展開をしていくんだ。

なるほど、物理学は数学「論理」によってさまざま新たな仮定もおこり、新たな発見もなされ、それらによってこそプラスティックもシリコンウエハーもコンピュータも航空機もレーザーも量子マシンも核兵器も生み出してはきた。
だから、「論理」あってこその新規創造だろうと反論したくなるかもしれない。
しかし、じっさいに生み出されたそれらは有限の物理環境においてこそ駆動するもの、だからどこまでも有限の「実体」である。

生命科学によって出現したクローンやIPSにしてもそうだ。
クローン男にせよ、IPS女にせよ、数学「論理」によって設定された完全な同一複製や組成再現であるはずだから、「論理」あってこその新たな生命秩序じゃないかと言いたくなるかもしれない。
しかしながら、それらはひとたび発生した瞬間から別々の環境にて別々の代謝を始めるもの、ゆえにどれもこれも別々のそして有限の「実体」である。


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グダグダと書き殴りやがって…と閉口しているかもしれぬが、ともかくも「実体」と「論理」の峻別は個々人にとっても国家民族にとっても生きるか死ぬかの超重大問題。
独立した成人であれば、なおさらのことだ。
だからこれからも何度でも繰り返すつもりだ。


以上