2013/06/18
デブが経済を動かす
先の投稿とは何らつながりのない、ひらめきに過ぎない。
しかし、もしかしたらと考え、ちらっと記しておく。
デブ、つまり太った男女のことだ。
僕もあまり他人のことは揶揄出来ず、けしてスマート体型とはいえないが、しかし俗に言うデブではないと自覚している。
その、デブについてだが、こういう人たちが増えると、経済にとっては良いことばかりじゃないのかな?
まず、デブの生命活動は常人と比べてずっと多くのエネルギーを必要とする。
だから外部から取り込むエネルギーも多くなるわけで、そこだけとれば無駄じゃないかとも考えられるが、しかしそのデブどもを活かすために実に多くの食糧や電力が必要となるとも言えよう。
デブとは、いわば「歩く需要」なのである。
いや、ろくすっぽ歩きもしないからデブになるのであって、やたらタクシーに乗ったりエレベータに乗ったり、喫茶店に入ったりして、フィーー、暑い暑い、空調温度おかしいんじゃないか、などとこぼしている。
そしてアイスコーヒーを飲んでハンバーグだのをバカ喰いしている。
さらに、ろくでもないテレビ番組を半口を空けたままポケーーっと眺めている。
つまり、デブこそが電気もガソリンも水も肉類も、ガブガブと消費してくれるのであろう。
ついでに、適当に病気になってくれるから、医療機関としてもまこと有難い存在であろう。
では供給面ではどうか。
デブは、ほとんど何もしない。
もともと何も真面目に取り組まないからデブになるのであって、だからデブをたくさん抱えた何とか会館とか何とかシステムとかいう企業はだいたい何にもしていない。
そいつらのおかげで、適当に生産力が不足気味になる。
だから、新たな仕事を生む。
さらに、デブは電話の受け応えの要領は悪いし、メモは下手だし、説明はもっと支離滅裂、だから周囲のみなの頭が大いに活性化される。
そんなデブが冷や汗をかきながら様々な建造物の中を走り回るから、建造物が強固にならざるをえない。
そのうち、癇癪をおこしてうっかり携帯電話を落としたりする。
さらに車を運転しても、そこら中にガリガリと傷をつけたりする。
こういうのが、また新たな仕事を生む。
デブがもたらす「供給波及効果」は、計り知れない。
そもそもデブについて、需要と供給を切り分けて語ること自体が難しい。
何をやっても新たな需要を生み、新たな供給源でもあるのだから、デブという存在は常に経済成長そのものであるといえよう。
だから ─ 経済を活性化するなんて簡単なこと。
みんながデブになればいい。
素晴らしい経済成長が、再び実現出来る。
そんな経済が知的で高品質なものかどうかは知ったことではない、が、しかし軒並み先進国にデブが多いことと、けして無関係ではないだろう。
以上
2013/06/10
【読書メモ】 経済思想の巨人たち ② ─ 自由と正義のフォーマット
①の続き
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【シュンペーター(1883~1950)】 ─ 創造的破壊としての資本主義
ウィーンで学び、わずか25歳で『理論経済学の本質と主要内容』を刊行、更に有名な『経済発展の理論』や『資本主義・社会主義・民主主義』を著すなど、資本主義の研究者として卓絶、斬新かつ天邪鬼な論法で鳴る。
第一次大戦後に大蔵大臣に就任、さらに銀行頭取も勤めるが、これらの再建実務においてはいずれも失敗。
なお、同年生誕のケインズに同調しなかったにも関わらず、渡米後にハーバード大学で自ら育てた弟子たちの多くはケインズ支持者となった。
・シュンペーターの「創造的破壊」論によれば ─ 資本主義経済において伝統的な前提、つまりあらゆる生産力が高まりコストが下がり、ついに利潤差の無い完全競争状態の実現に至るという論理は全く間違っていると。
実際には、新規イノヴェーション及び、低コストと高品質化を実現する生産技術が、常に特定の企業の利潤拡大と市場支配力をもたらすのが当然、つまり資本主義とは必然的に独占的な優位を目指す競争であるという。
むろん、この独占も常に一時的な優位に過ぎず、新たなイノヴェーションをもって挑戦してくる参入者に淘汰されそこに新たな独占者が立つもやむなしである。
・「経済発展の理論」においては、資本主義が滅びることになっている、が、それはマルクスやケインズが指摘するように資本主義システムが欠陥を内在させているからではなく、資本主義をきっかけに「経済的な進歩が自動化する」と新たなイノヴェーション企業も精神も無用となり、だからその擁護階級も消えていく一方で、技術者や知識人は敵対的になるためであると。
その過程において、不確実性も浪費も失業も租税も無くなる国家直営経済、すなわち社会主義(あるいは更に共産主義)のシステムへの移行が必然展開であると説いた。
・シュンペーターにとって民主主義はあくまで意思決定の制度的装置であり、だから民主主義は経済体制を決定する必然的(強制的)な目的ではなく、市場経済そのものでもないとした。
・ シュンペーターへの批判として、アメリカなどに顕著な独占型の資本主義経済が、現在に至るまで企業家精神の衰退に陥ることなく創造的破壊のみ連続しているという旨が挙げられる。
また、シュンペーターは社会主義体制が(資本主義に対抗しうるほどに)市場経済を効率化し得るかどうか実際には見届けていないではないか、そして、現実の社会主義体制の国々は民主主義の否定にすら至ったではないか、との批判もある。
実際、イギリスや北欧に見られた国有化や福祉国家路線においては、国家が資本主義の活力の操作をすることこそあれ、資本主義の破綻と社会主義体制への必然にはつながっていない。
シュンペーターに対するこのような批判が永遠に正論かどうかはわからない。
ともあれ、資本主義がやがて行き詰まり必然的に社会主義体制経済に移行するというシュンペーターの説は、「少なくとも今のところ」現実化はしていない。
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【ケインズ(1883~1946)】 ─ 資本主義の医師
・イギリスの裕福な名家で生まれ、秀才として育ち、経済学を活用しつつ投資家、企業家として高いセンスを発揮。
一方、図抜けた知性を買われ第一次大戦の戦後処理に大蔵省首席代表として参加、ドイツに課された賠償金が更なる欧州波乱を導くと予見、更に30年代の大恐慌時代において有名な『雇用・利子および貨幣の一般理論』を著し、経済学のパラダイムシフトをもたらしたとされる。
いわゆるブレトンウッズ体制(ドル基軸通貨体制下のIMFと世銀による国際経済)の構想者の一人だが、これら設立直後に死去。
・裕福に過ごし続けたケインズには、資本主義に便乗する強欲メンタリティへの嫌悪も有ったが、といってアカデミズムを弄ぶ経済学ごっこに染まることもなく、着想の多くを実務家としての経験に依っていた。
一方では、現実と理想の自然解決を期待するミクロ分析もよしとせず、寧ろ経済全体の諸要素の変動要因と因果関係をモデル化し、そこから最適解の経済政策を導き出すダイナミックな新型のマクロ分析経済を興した。
・ケインズ流のマクロ経済分析では、経済学者が汎用する「均衡」概念はあくまで完全雇用を前提にしている点、非自発的な失業は生産機会が希少かつ需要も増えないために発生してしまう点、労働賃金が労働者の意欲よりも下方硬直的であるため労働者が余ってしまう点、一方でかかる民間市場の需要を政府が強制的に操作は出来ない点 ─ といった諸問題が端的に導かれている。
・よって、総需要増大のために政府が支出を増やせばよい、との解答が提示されており、この政府支出が民間の投資と生産と消費を連環的に逓増させ(つまり有効需要が機能し)、市場規模を拡大しながらGNPや国民所得を増やすはずである、というのが(誰でも聞いたことのある)乗数効果である。
・同時にケインズは、古典派経済学以来の「貨幣数量説」(貨幣は一般財の交換媒体に過ぎないためその量の超過はインフレをもたらすだけ、云々)を克服、あくまで市場即応タイプの実務家として、「投機的動機による貨幣需要」の重要性を理解。
貨幣も一般の財貨と同様に市場において需要(利子率)が変動すると捉えつつ、それらの市場が同時に均衡に向かいながら国民所得も利子率も定まる、というモデルを提示した(経済学の基本で学ぶIS曲線とLM曲線である。)
だからこそ、「国民所得も投機需要も物価も全て併せて上昇させるためには」貨幣流通量の増大のみでは不完全であり、政府支出を増やすべしと説いた。
・なお、政府支出の源泉として挙げられたのは国家予算に加えて国債であり、国債発行によって財政がたとえ赤字に陥ってもそれはGNPの拡大とともに増える税収で「いずれは」賄える、という。
(※ これは現代に至るまで世界各国の政策論争における実に大きな論点、争点である。
国債発行による財政赤字は永遠に続いてしまう、という論陣もあれば、実際に大恐慌に際しての財政赤字でさえもその後のGNP拡大で克服したと反論する論陣もあり、互いに保守、革新、小さな政府、大きな政府、右派、左派などとレッテルを張って罵り合っている。)
・1970年代に先進国を襲ったスタグフレーション(インフレと失業増大のダブルパンチ)の局面において、その理由は先進国で概ね需要ではなく産業供給力・技術力が鈍化したためであるとされた。
需要の強化増大を解決策に据えてきたケインズ型の財政政策はここに否定され、以降も積極的には見直されることなく今日に至る。
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【フリードマン(1912~2006)】 ─ 自由主義の説教師
・第二次大戦後のアメリカを代表する経済学者の一人で、マネタリズムと自由主義経済の代表的な推奨者で、ケインズ経済政策に反論しつつ、「選択の自由」「政府からの自由」「自由な資本主義」を徹底擁護する立場をとった。
・ ケインズの唱えた国債による財政支出政策は、国民所得を確かに一時的には増やし、また国債購入した国民は自らの資産が増えたと諒解するであろう、が、「実際には貨幣の供給量は一定」であるため貨幣の需要(利子)が上昇し続けることはなく、需給はすぐに均衡し、ゆえに国民所得はまたもとの水準に戻る ─ とフリードマンは論駁した。
・かつ、政府の支出が仮に増えたとしても国民が即応して消費を増大させることはなく、むしろ不安定な将来に備えて多くは貯蓄に廻る、ゆえにケインズ流の乗数効果は期待出来ないとも指摘(恒常所得仮説)。
むしろ物価上昇だけが常態として政府にも国民にも認知されるため、インフレを亢進させる一方であると。
尤も、70年代のスタグフレーションとケインズ政策の失敗を直接予測した論ではない。
(※ のちに「合理的期待仮説」を主張する経済学者たちも、これらフリードマンの指摘に則っており、国民は政府の行動を見て将来の増税などを予測、先回りで自らの消費方針を決めてしまうなどと説く。)
・フリードマンらの推す「マネタリズム」は、ケインズが超越したはずの古典派経済学の「貨幣数量説」を更に精緻に練り上げたコンセプトで、基本的に貨幣供給量は財貨の供給量に応じ、インフレを抑制することに主眼を置く。
一方で、ケインズなどが重視した貨幣の投機需要そのものは、資産インフレとバブル投機を引き起こし得る反面、市場全般の需要触発や国民所得の増大をもたらすとは限らない、とする。
そこでフリードマンの提案としては、貨幣当局が「貨幣の需要量を問わず、貨幣供給量の増加率を一定のパーセントに固定せよ」と。
・その一方で、実際の中央銀行が金利の安定を重視し、貨幣の需要量に応じて貨幣供給量を決定し続けてきたことをフリードマンは厳しく批判している。
なお、80年代に入ってもフリードマンはマネタリストの立場からインフレを警告し続けたが、先進国が供給力重視(サプライサイド)の自由競争を推進したため、フリードマンのインフレ懸念は的中しなかった。
加えて、マネーゲームの国際的な拡大も相まって、貨幣の需要量と供給量の関係はいよいよ不安定となっている現状であるため、フリードマン流のインフレ抑制策は旗色が悪い。
・フリードマンはあらゆる経済主体の自己責任原則に徹底的に論拠し続け、たとえ政府が低所得者層を救済するに際しても社会保障コストそのものを増大させる施策には反対を貫いた。
代わりにフリードマンは有名な「負の所得税」を提唱、これは国民の一定所得水準をまず定め、それに満たない貧困層に対して所得余裕層が自動的に給付するというシステムである。
尤も、この「負の所得税」システムの導入が事実上難しい理由は、一定所得水準の策定方法もさることながら、貧困層救済の社会保障に便乗して予算枠を広げてきた官庁や公務員を否定する税制たりうるためである。
・フリードマンの規制撤廃論は教育にも医療にも及び、いずれも国家による規制がすなわち干渉となる由を危惧する。
高等教育の学生支援には奨学金のみならず授業料クーポン制バウチャー導入を提案(そもそも政府による教育補助金は国によっては憲法違反ではないか?)
医師の国家試験も無用と説き、医療とて自由競争市場におかれれば医師の技量向上も事業効率化も進むとし、一方で政府による医療保険制度などは破綻する、と説いた。
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【ハイエク(1899~1992)】 ─ 20世紀のアダム=スミス
・ハイエクは社会主義への反対はもとより、ケインズ主義にもマネタリストにも疑義を唱えた、極めて斬新(あるいはラディカル)な自由主義経済論者で、「自生的秩序」を説いた。
ケインズと意見交換も行いつつも、著書『隷属への道』において市場経済への政府の介入を「忍び寄る社会主義」と非難。
・ハイエクは、ケインズのモデルが根拠のはっきりしない集計数字に依っている上に、それを操作し得るという前提に立っている由を指摘し、ゆえにケインズの論は「知的誤謬」に過ぎないと指摘。
各個人が随意に自由に動かしている市場の秩序を政府が制御するという発想は、科学万能主義に依っている社会主義同様におかしい、とした。
・フリードマンらのマネタリストがマネーサプライ(貨幣供給量)の伸び率の一定化による物価変動の抑制を説くと、ハイエクはこれもまた国家による経済管理であるとして反対。
ではハイエクの主張はといえば、それは貨幣の国営化を「廃止して」、複数の経済主体に複数貨幣の自由な発行・流通を認め、一般の財貨とともにそれぞれの自由な貨幣も常時競争させるという大胆なもの。
もちろんここでは価値の低い(財貨の購買力が弱い)貨幣は交換市場でどんどん価値が下落し淘汰されるので、グレシャムがかつて述べた「悪貨が良貨を駆逐…」の事態が進行することはない。
・ハイエクは民主主義もナショナリズムも自由を抑圧しうる制度であるとし、ゆえに不要であると考えた。
国家の存立意義は、といえば、それは市場経済における「交換の正義」の維持のみである、とし、社会的正義の名目で政府が介入し市場を歪めることは許されないとした。
とはいえ、市場が機能しない住宅、農業、環境の諸問題においては政府介入も認め、民主主義を成立させる以上は最低限の教育政策も必要と認めている(が、ただし国家運営の学校は不要といった)。
・ハイエクが説いた「自生的秩序」は、ケネーやアダム=スミスの主張の論拠でもあった自然法(=自然権)であり、かつそのうちでも「神や合理という虚構性」を排除した原型、つまり「人間本来の交換の正義」のみが自生的に形成したはずの秩序をいう。
(※ とはいえ、我々人間の歴史と現状においては、暫定的とは分かっていても市場経済は何らかのルールとコントロールに基いて運営されざるを得ず、そういう試行錯誤の連続でさえも「自生的秩序」の一環である…
とするならば、或る時点において定められている或るルールを無用だの悪徳だのと排除することは簡単ではない。)
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【ブキャナン(1919~2013)】 ─ ケインズ主義への破産宣告
・ブキャナンは『公共選択理論』という新分析分野を確立、従来の経済学で超然的な前提とされがちであった国家財政でさえも私人一人ひとりの欲得選択の集積に過ぎないと指摘し、そのダイナミズムを経済学分析の対象に据えるに至った。
ケ インズ政策を徹底的に批判したが、その論拠は、政府支出増大による乗数効果の虚構性(マネタリストが指摘のとおり)のみならず ─ 国家がたとえ民主主義 で運営されようとも財政赤字は文明世界の必然的な傾向であり、一時的な対処療法でそれが自律的に均衡するはずが無い、との前提にある。
ゆえに、収支均衡財政を意図的に目指さなければならないとした。
・ブキャナンの捉える民主主義(代議制)とは、有権者も政治家もともに減税支持に走り、かつ、ともに地元権益の優先に走るシステムである。
だから政府へのチャレンジはどうしても支出拡大要求となり、この要件を満たすためには政府が赤字国債を発行し続けなければならないとする。
かつこれは租税のような強制徴収ではないため、誰も反対し得ない施策であるとする。
(※ さらに日本などでは政府側さえもナワバリ争いで支出増大を図る傾向がある、が、しかし各人の私益追求が人間の本性であり経済の本質でもあるのなら、これは民主主義システム以前の倫理の問題ともいえよう。)
・ケインズ流の赤字国債による景気刺激策とは別に、もともと国債増発による財政赤字を正当化する伝統的な論法として「税を新たに徴収してそのカネで国債を償還しても、カネの移転が起こるだけで、国民全体の富は変わらない」というものがある。
さらに歴 史的な常策として通貨大増刷(あるいは江戸時代の大名のような債務返還拒否)などの強攻策もある ─ が、これらに対してブキャナン流に切り込めば「国民 全体」という経済主体の前提がそもそも虚構であり、そんなマクロな帳尻合わせをしたところで国民一人ひとりの私益集積である経済の打開策とはいえない。
・財政赤字が民主主義の(あるいは人間社会の?)宿命である以上、ブキャナンの提案は、国家による「収支均衡財政」の原則を憲法に記すことである。
むろん、これだけ設定したところで、不況期における国債大増発を正当化し、かつ好況時には税収が増え過ぎるがゆえにこそ、どうしても政府支出を増大させることになる。
そこで、(既に先進国で実践が課されているように)財政赤字残高を対GDP比で一定範囲内(2%など)に抑えることを義務付け、これを逸脱してまで赤字国債を増発するに際しては国民投票にかける、といった法的枠組みが模索され続けている。
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【コース(1910~ )】 ─ 市場と企業と法の経済学
・ロナルド=ハリー=コース、イギリスで第二次大戦前から経済学を教え、戦後はアメリカで活躍。
「なぜ企業が組織されるのか」という、どの経済学者も取り上げなかった領域に挑み、さらに公害などの外部不経済と法の相克も指摘。
コースが切り開いたこれら新たな経済思想フォーマットは、産業テクノロジーと民主主義の間で高まる一方の緊張を小気味良いほどに予言した「現代的」なものである。
・コースの『企業本質論』によれば ─ 必要なものを全て市場から新たに調達し何かを生産しようとする場合、個別の情報収集から契約履行に至るコストが高くなり過ぎると、その市場がむしろ企業組織と成ることで互いのコスト削減を実現する。
こうして社内の「垂直統合」「終身雇用」、さらに分業固定化の「企業グループ」関係を成立させることで、それら内部では新たな市場取引が排除されていくとする。
・とはいえ、そうやって組織化された企業が或る一定規模を超えると、今度は社内の管理コストが高くつきすぎるため、別の小さな企業との分業形態にうつる、とコースは分析する。
・コースはまた、『社会的費用の問題』 において、煤煙や騒音などの公害、環境破壊といった「外部不経済」の解決のための社会的コストと法の在り方についても指摘。
「コースの定理」では、まず法的な枠組みや企業側の防護策や補償金がどうであれ、当事者間の自由な交渉における取引費用が差し引きゼロであれば、その最終解は経済全般では損得が無いはずである、と。
だが普通は、当事者間の取引費用はゼロには収まらないため、法的枠組みが当事者間のバランスを図り、最終解の在り様を決定するとする。
(※ そこでたとえば、一般消費者保護のために企業の製造物責任(PL)が法として課されるに至る。
さらに公害問題においては、当該企業の過失はおろか無過失までも訴求する法的枠組みの妥当性、一方で政府によるコストと責任のバランスなど、最終解へのフェアネスの追求はいよいよ問われるところである。)
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【アロー(1921~】 ─ 市場と民主主義の限界
・ケネス=アローは記号論理論の表記法を駆使しつつ著した『社会的選択と個人の評価』の他、『不可能性定理』の研究でも知られ、市場や投票などの分権的なシステムに内在する矛盾を指摘しており、それら新規的な着想と分析手法によって、経済学を更なる現代的な学術分野へと拡大する端緒となった。
・アローの『不可能性定理』によれば、個人の嗜好の集約から社会の嗜好を必ず導く民主的な(多数決の)システムは「在りえない」。
いわゆる「投票のパラドックス」で、多数決の集積の結果としての「全員の最終意思決定」は、個々の構成員の意向の集積と異なった結果をもたらし「うる」、というもの。
・アローは、倫理が一定水準に達していない無法の社会においては「交換の正義」が成立し得ないため、そういう社会では市場経済はどうしても投資効果よりコストの方が増大するため発展しえないと指摘。
(※ とはいえ、倫理的な崇高さが必ずしも財貨の品質を保証するわけではなく、市場経済の発展を導くとは一概には言えないこと、あわせて明らかではある。)
・アローの諸々の指摘は、数学ファンを小躍りさせる思考ゲームにあらず ─ 人間の意思決定の不確実性や倫理まで問い求めつつ、現実に設定されている法的枠組みや政策決定ルールの有効性を判別せんと、研究者の創造的な意欲を掻き立てる魅力十分。
経済学の学際的なアプローチを切り開いた元祖の一人といえる。
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【ベッカー(1930~)】 ─ 経済学で人間行動を分析する
・ゲイリー=ベッカーは、師にあたるフリードマンによれば「経済分析の領域をここまで広げた経済学者は他にいない」とされ、ミクロ経済学の分析方法の汎用化に努めつつ人間の行動学を模索。
とはいえ、ベッカーの学際的なアプローチは人智の限界を設定し異分野に干渉する為ではなく、むしろ一見不合理にすら見える人間の行動を利益と不利益の判断から説明せんとするもので、どこまでも経済学である。
米ビジネスウィーク誌への寄稿でも知られている。
・ベッカーの説く「差別の経済学」によれば、ある市場取引関係において、その当事者が人種・宗教・性による敵対的差別を心中に備えている場合、その(差別係数を加えた)取引コストはそうでない取引関係のものより高くなる、と指摘。
これはいわば敵対国に対する輸入関税と同様で、敵対者との取引は双方にとってコスト高となり、利益をもたらさない
─ ということが当事者に分かっているから、心中の敵対的差別を払拭しない限り雇用差別は克服されないとなる。
・ベッカー流の説明によれば、犯罪は自分の利益のために他人に不利益を生じさせ、しかも自分自身は刑罰という不利益を逃れようとする、という意味で合理的な行動であるとする。
だからその抑止策としては、刑罰を厳しくすることで犯罪のコストを高めてしまえばよい、というのが経済学による判断である。
・ベッカーが人間を経済的な損得から捉えてきたのは、それらがまず人間の行動を左右するインセンティヴであるからに過ぎず、もちろん損得勘定が人間の崇高な本性を全て説明する訳ではないこと、言うまでもない。
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<あらためて、所感とまとめ>
本著は上に列挙のとおり、経済学および経済政策の歴史、範疇、パラドックス、拡大解釈と転用、革命的着想、異分野との融合などなどについて概括されたものです。
著 者の竹内氏の適宜批判的な注釈も相まって、なかなか思考鍛錬としても楽しめる「巨人たち」の思想列伝となっており、そこを読み解く楽しさもあってここに挙 げ、かつ、竹内氏の意向を僕なりに汲んだつもりで「人間の許容されるべき自由と保持されるべき正義」の観点から略記メモした次第。
もちろん、ベッカー以降にも、ヨリ精緻にかつ演繹的にそして学際的に経済学を発展させてきた学者は多いものの、とりあえずはここまでで経済学と経済政策の基本フォーマットくらいは確認し得たのではないかと考えています。
但し、どうしても考えておかなければならぬことは、経済学は特に国民一人ひとりの自由な「需要」の捕捉力がまだ弱く(それがどこまで可能かは別として)、ゆえに「最も望ましい産業(供給)分野」の在り様を説く学説も政策論も未だ出てきていないという現状です。
一方では自称「経済通」がどこかの金融機関に洗脳されて債券証券の売買に走り回っており、つまり経済学は自然科学にみられるような「資源(input)」と「効用(output)」のリンケージ確立には到底至っていないように見受けられます。
尤も、もともと歴史上の政策判断が経済学を引っ張りかつ後押ししてきたことも否めない事実のようで、だから配分重視、闘争もやむなし、個人の需要はよくわからんという従来の特性から抜け切れていないのかもしれません。
それでも、経済学は今後まだまだこれから国民一人ひとりの需要に応える科学技術テクノロジーやマーケティング経営学と連携しつつ、自律的・自発的な学問として発展していく余地がいくらでも残されていると考えます。
以上
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【シュンペーター(1883~1950)】 ─ 創造的破壊としての資本主義
ウィーンで学び、わずか25歳で『理論経済学の本質と主要内容』を刊行、更に有名な『経済発展の理論』や『資本主義・社会主義・民主主義』を著すなど、資本主義の研究者として卓絶、斬新かつ天邪鬼な論法で鳴る。
第一次大戦後に大蔵大臣に就任、さらに銀行頭取も勤めるが、これらの再建実務においてはいずれも失敗。
なお、同年生誕のケインズに同調しなかったにも関わらず、渡米後にハーバード大学で自ら育てた弟子たちの多くはケインズ支持者となった。
・シュンペーターの「創造的破壊」論によれば ─ 資本主義経済において伝統的な前提、つまりあらゆる生産力が高まりコストが下がり、ついに利潤差の無い完全競争状態の実現に至るという論理は全く間違っていると。
実際には、新規イノヴェーション及び、低コストと高品質化を実現する生産技術が、常に特定の企業の利潤拡大と市場支配力をもたらすのが当然、つまり資本主義とは必然的に独占的な優位を目指す競争であるという。
むろん、この独占も常に一時的な優位に過ぎず、新たなイノヴェーションをもって挑戦してくる参入者に淘汰されそこに新たな独占者が立つもやむなしである。
・「経済発展の理論」においては、資本主義が滅びることになっている、が、それはマルクスやケインズが指摘するように資本主義システムが欠陥を内在させているからではなく、資本主義をきっかけに「経済的な進歩が自動化する」と新たなイノヴェーション企業も精神も無用となり、だからその擁護階級も消えていく一方で、技術者や知識人は敵対的になるためであると。
その過程において、不確実性も浪費も失業も租税も無くなる国家直営経済、すなわち社会主義(あるいは更に共産主義)のシステムへの移行が必然展開であると説いた。
・シュンペーターにとって民主主義はあくまで意思決定の制度的装置であり、だから民主主義は経済体制を決定する必然的(強制的)な目的ではなく、市場経済そのものでもないとした。
・ シュンペーターへの批判として、アメリカなどに顕著な独占型の資本主義経済が、現在に至るまで企業家精神の衰退に陥ることなく創造的破壊のみ連続しているという旨が挙げられる。
また、シュンペーターは社会主義体制が(資本主義に対抗しうるほどに)市場経済を効率化し得るかどうか実際には見届けていないではないか、そして、現実の社会主義体制の国々は民主主義の否定にすら至ったではないか、との批判もある。
実際、イギリスや北欧に見られた国有化や福祉国家路線においては、国家が資本主義の活力の操作をすることこそあれ、資本主義の破綻と社会主義体制への必然にはつながっていない。
シュンペーターに対するこのような批判が永遠に正論かどうかはわからない。
ともあれ、資本主義がやがて行き詰まり必然的に社会主義体制経済に移行するというシュンペーターの説は、「少なくとも今のところ」現実化はしていない。
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【ケインズ(1883~1946)】 ─ 資本主義の医師
・イギリスの裕福な名家で生まれ、秀才として育ち、経済学を活用しつつ投資家、企業家として高いセンスを発揮。
一方、図抜けた知性を買われ第一次大戦の戦後処理に大蔵省首席代表として参加、ドイツに課された賠償金が更なる欧州波乱を導くと予見、更に30年代の大恐慌時代において有名な『雇用・利子および貨幣の一般理論』を著し、経済学のパラダイムシフトをもたらしたとされる。
いわゆるブレトンウッズ体制(ドル基軸通貨体制下のIMFと世銀による国際経済)の構想者の一人だが、これら設立直後に死去。
・裕福に過ごし続けたケインズには、資本主義に便乗する強欲メンタリティへの嫌悪も有ったが、といってアカデミズムを弄ぶ経済学ごっこに染まることもなく、着想の多くを実務家としての経験に依っていた。
一方では、現実と理想の自然解決を期待するミクロ分析もよしとせず、寧ろ経済全体の諸要素の変動要因と因果関係をモデル化し、そこから最適解の経済政策を導き出すダイナミックな新型のマクロ分析経済を興した。
・ケインズ流のマクロ経済分析では、経済学者が汎用する「均衡」概念はあくまで完全雇用を前提にしている点、非自発的な失業は生産機会が希少かつ需要も増えないために発生してしまう点、労働賃金が労働者の意欲よりも下方硬直的であるため労働者が余ってしまう点、一方でかかる民間市場の需要を政府が強制的に操作は出来ない点 ─ といった諸問題が端的に導かれている。
・よって、総需要増大のために政府が支出を増やせばよい、との解答が提示されており、この政府支出が民間の投資と生産と消費を連環的に逓増させ(つまり有効需要が機能し)、市場規模を拡大しながらGNPや国民所得を増やすはずである、というのが(誰でも聞いたことのある)乗数効果である。
・同時にケインズは、古典派経済学以来の「貨幣数量説」(貨幣は一般財の交換媒体に過ぎないためその量の超過はインフレをもたらすだけ、云々)を克服、あくまで市場即応タイプの実務家として、「投機的動機による貨幣需要」の重要性を理解。
貨幣も一般の財貨と同様に市場において需要(利子率)が変動すると捉えつつ、それらの市場が同時に均衡に向かいながら国民所得も利子率も定まる、というモデルを提示した(経済学の基本で学ぶIS曲線とLM曲線である。)
だからこそ、「国民所得も投機需要も物価も全て併せて上昇させるためには」貨幣流通量の増大のみでは不完全であり、政府支出を増やすべしと説いた。
・なお、政府支出の源泉として挙げられたのは国家予算に加えて国債であり、国債発行によって財政がたとえ赤字に陥ってもそれはGNPの拡大とともに増える税収で「いずれは」賄える、という。
(※ これは現代に至るまで世界各国の政策論争における実に大きな論点、争点である。
国債発行による財政赤字は永遠に続いてしまう、という論陣もあれば、実際に大恐慌に際しての財政赤字でさえもその後のGNP拡大で克服したと反論する論陣もあり、互いに保守、革新、小さな政府、大きな政府、右派、左派などとレッテルを張って罵り合っている。)
・1970年代に先進国を襲ったスタグフレーション(インフレと失業増大のダブルパンチ)の局面において、その理由は先進国で概ね需要ではなく産業供給力・技術力が鈍化したためであるとされた。
需要の強化増大を解決策に据えてきたケインズ型の財政政策はここに否定され、以降も積極的には見直されることなく今日に至る。
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【フリードマン(1912~2006)】 ─ 自由主義の説教師
・第二次大戦後のアメリカを代表する経済学者の一人で、マネタリズムと自由主義経済の代表的な推奨者で、ケインズ経済政策に反論しつつ、「選択の自由」「政府からの自由」「自由な資本主義」を徹底擁護する立場をとった。
・ ケインズの唱えた国債による財政支出政策は、国民所得を確かに一時的には増やし、また国債購入した国民は自らの資産が増えたと諒解するであろう、が、「実際には貨幣の供給量は一定」であるため貨幣の需要(利子)が上昇し続けることはなく、需給はすぐに均衡し、ゆえに国民所得はまたもとの水準に戻る ─ とフリードマンは論駁した。
・かつ、政府の支出が仮に増えたとしても国民が即応して消費を増大させることはなく、むしろ不安定な将来に備えて多くは貯蓄に廻る、ゆえにケインズ流の乗数効果は期待出来ないとも指摘(恒常所得仮説)。
むしろ物価上昇だけが常態として政府にも国民にも認知されるため、インフレを亢進させる一方であると。
尤も、70年代のスタグフレーションとケインズ政策の失敗を直接予測した論ではない。
(※ のちに「合理的期待仮説」を主張する経済学者たちも、これらフリードマンの指摘に則っており、国民は政府の行動を見て将来の増税などを予測、先回りで自らの消費方針を決めてしまうなどと説く。)
・フリードマンらの推す「マネタリズム」は、ケインズが超越したはずの古典派経済学の「貨幣数量説」を更に精緻に練り上げたコンセプトで、基本的に貨幣供給量は財貨の供給量に応じ、インフレを抑制することに主眼を置く。
一方で、ケインズなどが重視した貨幣の投機需要そのものは、資産インフレとバブル投機を引き起こし得る反面、市場全般の需要触発や国民所得の増大をもたらすとは限らない、とする。
そこでフリードマンの提案としては、貨幣当局が「貨幣の需要量を問わず、貨幣供給量の増加率を一定のパーセントに固定せよ」と。
・その一方で、実際の中央銀行が金利の安定を重視し、貨幣の需要量に応じて貨幣供給量を決定し続けてきたことをフリードマンは厳しく批判している。
なお、80年代に入ってもフリードマンはマネタリストの立場からインフレを警告し続けたが、先進国が供給力重視(サプライサイド)の自由競争を推進したため、フリードマンのインフレ懸念は的中しなかった。
加えて、マネーゲームの国際的な拡大も相まって、貨幣の需要量と供給量の関係はいよいよ不安定となっている現状であるため、フリードマン流のインフレ抑制策は旗色が悪い。
・フリードマンはあらゆる経済主体の自己責任原則に徹底的に論拠し続け、たとえ政府が低所得者層を救済するに際しても社会保障コストそのものを増大させる施策には反対を貫いた。
代わりにフリードマンは有名な「負の所得税」を提唱、これは国民の一定所得水準をまず定め、それに満たない貧困層に対して所得余裕層が自動的に給付するというシステムである。
尤も、この「負の所得税」システムの導入が事実上難しい理由は、一定所得水準の策定方法もさることながら、貧困層救済の社会保障に便乗して予算枠を広げてきた官庁や公務員を否定する税制たりうるためである。
・フリードマンの規制撤廃論は教育にも医療にも及び、いずれも国家による規制がすなわち干渉となる由を危惧する。
高等教育の学生支援には奨学金のみならず授業料クーポン制バウチャー導入を提案(そもそも政府による教育補助金は国によっては憲法違反ではないか?)
医師の国家試験も無用と説き、医療とて自由競争市場におかれれば医師の技量向上も事業効率化も進むとし、一方で政府による医療保険制度などは破綻する、と説いた。
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【ハイエク(1899~1992)】 ─ 20世紀のアダム=スミス
・ハイエクは社会主義への反対はもとより、ケインズ主義にもマネタリストにも疑義を唱えた、極めて斬新(あるいはラディカル)な自由主義経済論者で、「自生的秩序」を説いた。
ケインズと意見交換も行いつつも、著書『隷属への道』において市場経済への政府の介入を「忍び寄る社会主義」と非難。
・ハイエクは、ケインズのモデルが根拠のはっきりしない集計数字に依っている上に、それを操作し得るという前提に立っている由を指摘し、ゆえにケインズの論は「知的誤謬」に過ぎないと指摘。
各個人が随意に自由に動かしている市場の秩序を政府が制御するという発想は、科学万能主義に依っている社会主義同様におかしい、とした。
・フリードマンらのマネタリストがマネーサプライ(貨幣供給量)の伸び率の一定化による物価変動の抑制を説くと、ハイエクはこれもまた国家による経済管理であるとして反対。
ではハイエクの主張はといえば、それは貨幣の国営化を「廃止して」、複数の経済主体に複数貨幣の自由な発行・流通を認め、一般の財貨とともにそれぞれの自由な貨幣も常時競争させるという大胆なもの。
もちろんここでは価値の低い(財貨の購買力が弱い)貨幣は交換市場でどんどん価値が下落し淘汰されるので、グレシャムがかつて述べた「悪貨が良貨を駆逐…」の事態が進行することはない。
・ハイエクは民主主義もナショナリズムも自由を抑圧しうる制度であるとし、ゆえに不要であると考えた。
国家の存立意義は、といえば、それは市場経済における「交換の正義」の維持のみである、とし、社会的正義の名目で政府が介入し市場を歪めることは許されないとした。
とはいえ、市場が機能しない住宅、農業、環境の諸問題においては政府介入も認め、民主主義を成立させる以上は最低限の教育政策も必要と認めている(が、ただし国家運営の学校は不要といった)。
・ハイエクが説いた「自生的秩序」は、ケネーやアダム=スミスの主張の論拠でもあった自然法(=自然権)であり、かつそのうちでも「神や合理という虚構性」を排除した原型、つまり「人間本来の交換の正義」のみが自生的に形成したはずの秩序をいう。
(※ とはいえ、我々人間の歴史と現状においては、暫定的とは分かっていても市場経済は何らかのルールとコントロールに基いて運営されざるを得ず、そういう試行錯誤の連続でさえも「自生的秩序」の一環である…
とするならば、或る時点において定められている或るルールを無用だの悪徳だのと排除することは簡単ではない。)
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【ブキャナン(1919~2013)】 ─ ケインズ主義への破産宣告
・ブキャナンは『公共選択理論』という新分析分野を確立、従来の経済学で超然的な前提とされがちであった国家財政でさえも私人一人ひとりの欲得選択の集積に過ぎないと指摘し、そのダイナミズムを経済学分析の対象に据えるに至った。
ケ インズ政策を徹底的に批判したが、その論拠は、政府支出増大による乗数効果の虚構性(マネタリストが指摘のとおり)のみならず ─ 国家がたとえ民主主義 で運営されようとも財政赤字は文明世界の必然的な傾向であり、一時的な対処療法でそれが自律的に均衡するはずが無い、との前提にある。
ゆえに、収支均衡財政を意図的に目指さなければならないとした。
・ブキャナンの捉える民主主義(代議制)とは、有権者も政治家もともに減税支持に走り、かつ、ともに地元権益の優先に走るシステムである。
だから政府へのチャレンジはどうしても支出拡大要求となり、この要件を満たすためには政府が赤字国債を発行し続けなければならないとする。
かつこれは租税のような強制徴収ではないため、誰も反対し得ない施策であるとする。
(※ さらに日本などでは政府側さえもナワバリ争いで支出増大を図る傾向がある、が、しかし各人の私益追求が人間の本性であり経済の本質でもあるのなら、これは民主主義システム以前の倫理の問題ともいえよう。)
・ケインズ流の赤字国債による景気刺激策とは別に、もともと国債増発による財政赤字を正当化する伝統的な論法として「税を新たに徴収してそのカネで国債を償還しても、カネの移転が起こるだけで、国民全体の富は変わらない」というものがある。
さらに歴 史的な常策として通貨大増刷(あるいは江戸時代の大名のような債務返還拒否)などの強攻策もある ─ が、これらに対してブキャナン流に切り込めば「国民 全体」という経済主体の前提がそもそも虚構であり、そんなマクロな帳尻合わせをしたところで国民一人ひとりの私益集積である経済の打開策とはいえない。
・財政赤字が民主主義の(あるいは人間社会の?)宿命である以上、ブキャナンの提案は、国家による「収支均衡財政」の原則を憲法に記すことである。
むろん、これだけ設定したところで、不況期における国債大増発を正当化し、かつ好況時には税収が増え過ぎるがゆえにこそ、どうしても政府支出を増大させることになる。
そこで、(既に先進国で実践が課されているように)財政赤字残高を対GDP比で一定範囲内(2%など)に抑えることを義務付け、これを逸脱してまで赤字国債を増発するに際しては国民投票にかける、といった法的枠組みが模索され続けている。
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【コース(1910~ )】 ─ 市場と企業と法の経済学
・ロナルド=ハリー=コース、イギリスで第二次大戦前から経済学を教え、戦後はアメリカで活躍。
「なぜ企業が組織されるのか」という、どの経済学者も取り上げなかった領域に挑み、さらに公害などの外部不経済と法の相克も指摘。
コースが切り開いたこれら新たな経済思想フォーマットは、産業テクノロジーと民主主義の間で高まる一方の緊張を小気味良いほどに予言した「現代的」なものである。
・コースの『企業本質論』によれば ─ 必要なものを全て市場から新たに調達し何かを生産しようとする場合、個別の情報収集から契約履行に至るコストが高くなり過ぎると、その市場がむしろ企業組織と成ることで互いのコスト削減を実現する。
こうして社内の「垂直統合」「終身雇用」、さらに分業固定化の「企業グループ」関係を成立させることで、それら内部では新たな市場取引が排除されていくとする。
・とはいえ、そうやって組織化された企業が或る一定規模を超えると、今度は社内の管理コストが高くつきすぎるため、別の小さな企業との分業形態にうつる、とコースは分析する。
・コースはまた、『社会的費用の問題』 において、煤煙や騒音などの公害、環境破壊といった「外部不経済」の解決のための社会的コストと法の在り方についても指摘。
「コースの定理」では、まず法的な枠組みや企業側の防護策や補償金がどうであれ、当事者間の自由な交渉における取引費用が差し引きゼロであれば、その最終解は経済全般では損得が無いはずである、と。
だが普通は、当事者間の取引費用はゼロには収まらないため、法的枠組みが当事者間のバランスを図り、最終解の在り様を決定するとする。
(※ そこでたとえば、一般消費者保護のために企業の製造物責任(PL)が法として課されるに至る。
さらに公害問題においては、当該企業の過失はおろか無過失までも訴求する法的枠組みの妥当性、一方で政府によるコストと責任のバランスなど、最終解へのフェアネスの追求はいよいよ問われるところである。)
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【アロー(1921~】 ─ 市場と民主主義の限界
・ケネス=アローは記号論理論の表記法を駆使しつつ著した『社会的選択と個人の評価』の他、『不可能性定理』の研究でも知られ、市場や投票などの分権的なシステムに内在する矛盾を指摘しており、それら新規的な着想と分析手法によって、経済学を更なる現代的な学術分野へと拡大する端緒となった。
・アローの『不可能性定理』によれば、個人の嗜好の集約から社会の嗜好を必ず導く民主的な(多数決の)システムは「在りえない」。
いわゆる「投票のパラドックス」で、多数決の集積の結果としての「全員の最終意思決定」は、個々の構成員の意向の集積と異なった結果をもたらし「うる」、というもの。
・アローは、倫理が一定水準に達していない無法の社会においては「交換の正義」が成立し得ないため、そういう社会では市場経済はどうしても投資効果よりコストの方が増大するため発展しえないと指摘。
(※ とはいえ、倫理的な崇高さが必ずしも財貨の品質を保証するわけではなく、市場経済の発展を導くとは一概には言えないこと、あわせて明らかではある。)
・アローの諸々の指摘は、数学ファンを小躍りさせる思考ゲームにあらず ─ 人間の意思決定の不確実性や倫理まで問い求めつつ、現実に設定されている法的枠組みや政策決定ルールの有効性を判別せんと、研究者の創造的な意欲を掻き立てる魅力十分。
経済学の学際的なアプローチを切り開いた元祖の一人といえる。
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【ベッカー(1930~)】 ─ 経済学で人間行動を分析する
・ゲイリー=ベッカーは、師にあたるフリードマンによれば「経済分析の領域をここまで広げた経済学者は他にいない」とされ、ミクロ経済学の分析方法の汎用化に努めつつ人間の行動学を模索。
とはいえ、ベッカーの学際的なアプローチは人智の限界を設定し異分野に干渉する為ではなく、むしろ一見不合理にすら見える人間の行動を利益と不利益の判断から説明せんとするもので、どこまでも経済学である。
米ビジネスウィーク誌への寄稿でも知られている。
・ベッカーの説く「差別の経済学」によれば、ある市場取引関係において、その当事者が人種・宗教・性による敵対的差別を心中に備えている場合、その(差別係数を加えた)取引コストはそうでない取引関係のものより高くなる、と指摘。
これはいわば敵対国に対する輸入関税と同様で、敵対者との取引は双方にとってコスト高となり、利益をもたらさない
─ ということが当事者に分かっているから、心中の敵対的差別を払拭しない限り雇用差別は克服されないとなる。
・ベッカー流の説明によれば、犯罪は自分の利益のために他人に不利益を生じさせ、しかも自分自身は刑罰という不利益を逃れようとする、という意味で合理的な行動であるとする。
だからその抑止策としては、刑罰を厳しくすることで犯罪のコストを高めてしまえばよい、というのが経済学による判断である。
・ベッカーが人間を経済的な損得から捉えてきたのは、それらがまず人間の行動を左右するインセンティヴであるからに過ぎず、もちろん損得勘定が人間の崇高な本性を全て説明する訳ではないこと、言うまでもない。
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<あらためて、所感とまとめ>
本著は上に列挙のとおり、経済学および経済政策の歴史、範疇、パラドックス、拡大解釈と転用、革命的着想、異分野との融合などなどについて概括されたものです。
著 者の竹内氏の適宜批判的な注釈も相まって、なかなか思考鍛錬としても楽しめる「巨人たち」の思想列伝となっており、そこを読み解く楽しさもあってここに挙 げ、かつ、竹内氏の意向を僕なりに汲んだつもりで「人間の許容されるべき自由と保持されるべき正義」の観点から略記メモした次第。
もちろん、ベッカー以降にも、ヨリ精緻にかつ演繹的にそして学際的に経済学を発展させてきた学者は多いものの、とりあえずはここまでで経済学と経済政策の基本フォーマットくらいは確認し得たのではないかと考えています。
但し、どうしても考えておかなければならぬことは、経済学は特に国民一人ひとりの自由な「需要」の捕捉力がまだ弱く(それがどこまで可能かは別として)、ゆえに「最も望ましい産業(供給)分野」の在り様を説く学説も政策論も未だ出てきていないという現状です。
一方では自称「経済通」がどこかの金融機関に洗脳されて債券証券の売買に走り回っており、つまり経済学は自然科学にみられるような「資源(input)」と「効用(output)」のリンケージ確立には到底至っていないように見受けられます。
尤も、もともと歴史上の政策判断が経済学を引っ張りかつ後押ししてきたことも否めない事実のようで、だから配分重視、闘争もやむなし、個人の需要はよくわからんという従来の特性から抜け切れていないのかもしれません。
それでも、経済学は今後まだまだこれから国民一人ひとりの需要に応える科学技術テクノロジーやマーケティング経営学と連携しつつ、自律的・自発的な学問として発展していく余地がいくらでも残されていると考えます。
以上
2013/06/04
【読書メモ】 経済思想の巨人たち ① ─ 自由と正義のフォーマット
『経済思想の巨人たち』
故・竹内靖雄著、1997年に新潮新書から発刊。
本著はとりわけ時代性や新規性を意図した経済政策の判定論評にはあらずして、むしろ逆で、世界史上の経済政策思想をこれまで上下左右に形成してきた主だった経済学者(および哲学者)たちの諸説につき、絶妙に時系列引用しつつそのフォーマットを提示した掌編集のつくりです。
しかし、それゆえにこそ初刊から16年経過した現在であっても、普遍的な知的触発とスリルに満ちております。
現代に至るまで常に俗世を煽り立てつつ政局を罷り通ってきた経済政策論、それらの根本に立つ正義の観念、最適配分の観念、ひいては文明論…
少なくともこれら社会科系諸学問の手軽なトータルリビュー、のみならず、学際的なミクロ行動分析に向かうべき未来経済学の離陸前夜における再点検ファイルとも言えましょう。
ゆえに見識者の皆様はもとより、経済学の初学者・学生諸君にも、用語辞典に手を伸ばす前にまずは是非手にとって欲しい一冊。
なお、著者の竹内氏が予め注記されているところによれば ─
『市場と資本主義についてとくに新しい見方をもっていない人は割愛…第二次大戦後ノーベル経済学賞を与えられた経済学者の多くがここに登場しないのはそのため』。
それでも本著では、古代ギリシアのヘシオドスから、トマス=アクィナス、アダム=スミス、マルクス、ケインズ、フリードマンを経てミクロ行動分析の開祖ベッカーに至るまで、計36人の経済思想かの着想と経験実績につき紹介されております。
ただし、以下に本ブログの【読書メモ】として紹介するにあたっては、特に「マンデヴィル以降」の経済思想こそが現代の経済政策論の基幹たりうると僕なりに了察し、そこから更に数人に絞って紹介してみました。
【マンデヴィル(1670~1733)】 - 私益追求が公益をもたらす
・オランダ出身、イギリスで開業の医者で、有名な諷刺詩『蜂の寓話』を記す。
そのメッセージは、「市場の各人の野放図な私益追求(これを悪徳とも称す)は様々な支出の増大をもたらすが、それこそが新たな需要も生み出し、生産も雇用も活性化し、ひいては結果的に市場全体を最善の秩序状態に導く」というもの。
・但し、この発想の根幹は、人間が私益追求「しか出来ない」ということ、それで各人がベストを尽くしてこそ需給の最適化が進むこと、一方では公益を謳い規制に努める政府も私人の集まりに過ぎぬということ ─ に在る。
・『蜂の寓話』はホッブス「リヴァイアサン」の逆説的な転用であろうが、ともあれ、私欲が社会全体の無秩序をもたらすというヨーロッパ古代以来の道義観に抗するものとなった。
そして、国家政府の市場介入を極力排除せんとした重農主義やアダム=スミスの先駆ともいえる。
・ダメな私人に対する国家政府の慈善も福祉も、むしろ社会全体の怠惰を生むだけである、と言った。
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【石田梅岩(1685~1744)】 ─ 「商の倫理」
・京都の呉服屋での奉公を経て、『心学』を創始。
江戸時代の士農工商の枠組みは自然の理=「義理」であるとしつつも、商人は「人情」で動くものであり、そこで商人はおのれの「分を知り」「足るを知り」、倹約と勤勉に務めよと説く。
・商業行為における「倹約」=商材のコスト削減は、市場全体の効率化を導く、と勧めた。
一方で、 商人が生活維持のために「利」を稼ぐのは当然、そのための商材の売価は社会的な公正価格であると。
ゆえに、欧米で発達するマネーゲームは「分不相応」として肯定することはなかったようである。
・このコストと利益のバランスのうちにおのれの「人情」を自制した商人が、「義理」の権力階層と巧みにわたりあう、いわば「日本的な利己主義」が発達、江戸時代の資本主義をつくっていった。
ここではまた「倹約」が道義的な処世訓とも成り得た。
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【ケネー(1694~1774)】 ─ 経済の血液循環
・フランス王室の侍医として活動、だがフランス絶対王政を経済的に支えていた重商主義を批判。
重商主義は軍事力強化のためコルベール以来徹底されたもので、常に輸出差益を追求、ゆえに高い輸入関税の一方で、国内は産業ギルド(特権管理)化と高い課税、低賃金労働が必須であった。
これに対してケネーが主張した「重農主義」は、農村の統合による生産力の拡大、「租税を地代ベースに一本化」しての財政運営の合理化、そして穀物貿易の自由化である。
・「重商主義」を否定するケネーらの「重農主義」においては、真の富の増加は貨幣ではなく商品の生産によってもたらされる、とし、そこで「純生産物」を産みだす産業は農業だけであるとした。
ただし、この「純生産物」とは、農業資本家(経営者)の売上から自身の経営資金を引き、労働者賃金も引き、原材料コストも引いた結果の「剰余価値」であり、これすなわち地主への「地代」を指す。
ゆえに、「重農主義」とは農業そのものの技術的生産力と利潤率を重視しての着眼ではなく、ただ当時の工業などと比べて農業では利益とコストが詳らかであったがゆえの、財政上の優先産業の意義に留まっていた。
なお、この剰余価値の発想はのちにマルクスが更に拡大している。
・ところで、上に挙げたケネー流の「剰余としての地代」の計算は、本当はおかしい。
地代は農業資本家の売上金額の多寡に関わらず一定に発生するコストであり、かつ土地貸借の市場関係によっても変わる。
・ケネーが著した『経済表』は、一国の経済における生産物が更なる生産か消費で「過不足なく」使われ、それに応じて貨幣も循環し、通年経済活動を経てそれらは最初の状態に戻る、という。
この循環図において、生産的階級(つまり農業資本経営者)、地主、不生産的階級(自営の商工業者)の三者間で原料、食糧、道具、労働力の売買が一定量で行われる「ことになっている。」
・この再生産の循環経済には拡大・成長の可能性は見出し難いものの、これこそが「自然の秩序」のはずであり、自然法も本当はここに在るという。
これらを理性の力で実現することが、経済学の使命であるとし、従って重農主義者たちは不自然に干渉する政府に対して「レッセ=フェール(自由放任)」を訴えた。
このように最善の自然状態の実現を追求するのがフランス流の合理主義であり、それを実現するためには専制君主の力を借りることも考えていた。
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【ヒューム(1711~1776)】 ─ 市場社会の偉大な洞察者
・ヒュームは「これまでのところ英語でものを書いた最も偉大な哲学者だった」と称された多筆の人で、『英国史』をまとめ上げたことはむろん、政治・経済にも大いに通じ、一方で宗教など特定の正当性に乗じることはなかった。
・絶対王政終焉後の市民社会と自由競争を推すイギリス政府の在り様を、必ずしも最善な政治体制と前提することなく、「イギリスの豊かさが自由から出てきた必然的な結果であることは疑わしい…。特殊な偶然と考え方の一定の変化を伴わなければならない」と言った。
・むしろ、商業と勤労の活性化による余剰により中産階級が法的権利を要求、といった市民経済の状況まずありき、で、それが自由な政府の「ひとつの要件」たりうるとした。
いかなる人間も所詮は私人として存在しているのだから、政府としては(マンデヴィルなどが云ったように)私人の私益をもって公益をもたらすように誘導すればよい。
一方で、ヒュームは今日の社会権(国家への権利)まで強く念頭に置いていたわけではなさそうである。
・物価水準は、貨幣供給量に比例する(貨幣数量説)。
貿易の黒字/赤字は貨幣(金)の流入量を決め、その貨幣流通量が国内の物価の上昇/下降をもたらすので、バランスを取るために輸出/輸入量が調整されるのは必然。
・だから、海外諸国の通貨損失が自国の利益をもたらすとする「重商主義」のゼロサムゲームは成立しない。
むしろ、或る国の経済的な繁栄は近隣諸国の経済繁栄をも増進し、相互の貿易拡大が好影響を与え合う。
イギリスの生産活動の改善や進歩は、全て他国の模倣に端を発している。
・但し、一国の貨幣供給量が少しづつ増え続ければ、それが生産や雇用を拡大し経済を成長させる、だから政府は貿易収支で変動する貨幣について自由貿易の結果に任せておけとした。
(※ 一方、アダム=スミスなどのいわゆる古典派経済学では、貨幣そのものは交換手段に過ぎないため経済成長の源泉ではないとされている。)
・最良の税金は奢侈的な消費への課税である。
消費者には奢侈生活における節約・倹約の選択余地を残し、まさにそれゆえに無制限の税収増大など不可能であると政府に知らしめる効果もある。
また、奢侈的な消費への課税は、消費者の都度の反感を煽らず公正感覚のもと自然に遂行出来る。
・一方、人頭税などの恣意的な課税は、政府が際限なく引き上げることを可能ならしむため、国民には最も有害である。
・国債は人間古来の慣行に反し、国家が十分な余剰資本確保を怠ったため、現行の歳入をいわば抵当に入れて借金を繰り返す政策であり、その償還のために将来世代に更なる負担を強いる。
(当時の)通説では、国債の償還が課税によってなされる以上、全体として富の移転行為に過ぎず国家は弱体化しない ─ というが、これは間違っており、償還のために新たな課税が常に必要となればこそ、国民の将来に亘る負担を増大させる一方である。
(※ なお実際には、国債償還のためには国富=GDPそのものを増大させるしかないというのが現代の通説である。)
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【アダム=スミス(1723~1790)】 ─ 「見えざる手」の世界
・スコットランド出身、若き日にイングランドで学ぶが不遇に過ごし、スコットランドに戻って学術とその指導に務める。
言わずと知れた経済的自由主義の開祖(の一人)で、『道徳感情論』『国富論』を著した。
支援者の一人であったヒュームが思想の大家として政治や経済の意義を問い続けたのに対して、スミスは現実経済の実像を求め続けた。
・スミスの始めた経済学は、国民一人ひとりが「富」を蓄積すればひいては国家が豊かになると捉え、その富の源泉は通貨に非ずして国民の労働による「生産物」であるとした。
・スミスは生産物の価値を、「使用価値」と「交換価値」という観念に二分し、「水とダイヤモンドのパラドックス」を示したが、これすなわち、水は使用価値は巨大だが市場での交換価値はタダ同然で、ダイヤモンドは逆であると。
(※ 但しスミスの言う「使用価値」は通貨換算の売買価格ではなく、需要者にとっての有用性の意であること留意、よって価格変動や限界効用に則って強引に説明するものではない。)
・スミスの提示したいわゆる「投下労働価値説」は、少なくとも文明以前の段階の経済においては、商品生産のために投下された労働の量(時間)によってその商品の価値=市場価格が決まるというもの。
但し、実際の文明社会の市場経済においては、商品生産のために労働量以外にも様々な土地資産や賃金が関わっているとし、それらの価値=市場価格も含め合わせた「支配労働価値説」、「生産費説」も挙げている。
・分業生産と競争市場の両立こそが、国民一人ひとりの生産物を増大させるための最高の経済システム条件であるとした。
その条件下にて、公的権力が干渉せず一人ひとりが利己的に利益追求に励めば、自由な市場において需要と供給の価格メカニズムが自然に働き、つまり「見えざる手」が働いて供給量が定まり、よって公共善をもたらすと説いた(ここだけとればマンデヴィル以来の発想展開)。
かつ、生産物の分配もやはり市場の「見えざる手」が働いて、おのずから最適化されるとした。
(※ この市場の「見えざる手」は当然、失業もモノ不足ももたらすわけで、いわゆる完全競争市場の完全均衡機能(現代にいうパレート最適機能)を実現するなどとはスミスは言っていない。
実際は、完全競争どころか寡占企業や独占企業の市場席巻がスミス以降の歴史の現実である ─ が、これまでのところ経済学は独占企業の擁護には立たず、むしろ完全競争の結果として私的利潤がいつか無くなる事態さえ想定している。)
・一人ひとりの経済的な幸福は、労働そのものではなくむしろ労働量の軽減化である、というヨーロッパ古来からの着想がスミスの勤勉論の根底にあり、ゆえに労働生産性を向上させよと説いた。
しかし、労働生産性の数値上の上昇のために経済活動を縮小せよなどと後退的な議論は呈しておらず、あくまで生産の分業を活性化しつつ市場全体(国民総生産)を拡大してこそ労働生産性は真に上昇、だから国民が裕福になり貧困も根絶され得ると推している。
さらに貿易自由化によって、国際的な分業貿易も進めば、全世界の国民が同様に豊かになるとも説いた。
・但し、スミスは産業革命(蒸気機関の応用など)による技術製品の拡大再生産については何故か触れていなかった。
・労働の分業は必ず貧民も生みだすので、そこは国家が高度な知的訓練と労働機会を提供すべきである、とも言った。
ただし前提はあくまで「小さな政府」の追求であり、それならば財政破綻のダメージも小さくて済むとした。
一方で「大きな政府」は市場にどんどん介入し、自由競争を損ねつつ、無能な独占企業形態を産みだすと警告、国家の仕事は国防・治安維持・インフラ整備に絞るべきで、さらにこれらのうちでも市場競争に委ねうる部分は多いと指摘した。
教育機関においても市場競争原理にのっとり、政府の介入を極力避けて教職員の能力賃金形態をとるべきであると言った。
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【海保青陵(1755~1817)】 ─ 日本最初の重商主義者
・丹後宮津藩の家老の息子、儒者の教えのもとで育ったが、長じて経済を観察・研究しつつ、寧ろ儒学に批判的な独自の経世論を打ち立て、全国の藩の経営コンサルタントとして活躍するに至った。
あらゆる人間は「利」と「取引」によって生きるもの、封建体制もまさにその過程で成り立ってきた、と論じ、我が国の市場経済論の先駆、それでも当時の武家や豪農や豪商にパトロンも多かった。
・儒学の教えでは、政府官僚は利を放棄してでも民を救えとあるが、これは乱世の政治学に過ぎず、幕藩体制の安定した時代にはむしろ官を貧しくするだけであると批判。
幕府・藩の財政は農工商の経済活動に基いての運営ゆえ、「それら諸階級の経済規模拡大に応じて」、武家としても相応の興利を税や地代(年貢)として採り、さらにそれらをあらゆる市場で運用することが当然であると説いた。
・資本蓄積により各地が産物の生産拡大に励み、それらを京阪神や江戸といった大市場で売買すれば、各地の資本規模がいよいよ拡大する、と説き、この生産拡大と取引機会拡大による資本獲得のすすめは重商主義に通じているともいえる。
尤も、これら生産拡大と商取引を百姓の自助努力に任せても、その利益を商人に掠め取られるだけで発展しないとし、主体はどこまでも諸藩武家であるべしとの前提を措いていた。
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【マルサス(1766~1834)】 ─ 人口抑制の経済学
・イギリス人の地主の息子として生まれ、数学で学位取得、啓蒙思想の影響を受けヒュームやルソーとも親交、さらに東インド会社の職員養成学校で(イギリス初の)経済学講座を確立し、リカードとも論争。
フランス革命直後の社会思想混乱期、共和政寄りの進歩的思想を推す父と保守的なマルサス自身との討論の過程で、有名かつ重大な『人口論』が著されたと言われる。
・ 『人口論』は、一定の扶養能力環境下=特に古典派経済学でいえば一定の労働賃金総額の条件下において、人間は他動物と同様に幾何数級的に増えるのに食糧は 算術数的にしか増えないとし、そうなると飢饉と餓死が起こるか、環境劣化で疫病が発生して多くが死ぬか、戦争となってやはり多くが死ぬ、と説明した。
収穫逓減の議論の典型である。
・だが、併せて出生率引き下げ効果による事態打開についても説き、(人工的な避妊や堕胎の推進案は非道徳的だと非難されるため)とりあえず性交を控えよという主旨の「道徳的抑制」と記した。
この道徳的抑制に従えば、人口増大に伴い増える貧困労働者を敢えて救済してもそれだけ貧困人口が増える一方、だから貧困層はその人口が減るまで放っておけという発想も導き得る。
・さて人類史を総括俯瞰してみれば、餓死、伝染病、戦争などによる大量死が総体的な人口抑制に役立ったふしは見当たらず、全人類の将来に亘る歴史を通じてマルサスの人口論が成立するか否かは現実として誰にも判断出来ていない。
それどころか、現代世界において、生存がハイリスクに晒される貧乏な国々は人口減どころか人口を増やし続け、一方で生活安泰な先進諸国では経済力にも関わらず人口は増えていない。
・本当は、マルサスの示すように人口によって経済資源配分が宿命づけられるのではなく、むしろ経済資源配分によって人口が自然に決まるのであると考えるべきではないか。
経済(資本力)に恵まれていても人口が少なければ、その民族は本当は経済力など無いのではないか、と疑ってみれば、経済力の定義再考のきっかけともなりうる。
・ローマ=クラブの報告書『成長の限界(1971)』では、資源・エネルギーの枯渇、人口爆発、食糧不足、環境汚染の進行で人類は21世紀初めに大破局する、その回避のために経済ゼロ成長で行くもやむなしと云った。
尤も、たとえゼロ成長としても現行の経済維持のため資源の枯渇は依然として進み、この論を演繹する以上は人類滅亡の破局を回避することは出来ない。
それ以前に、ここでは化石燃料の現実的な埋蔵量についても新たな技術開発についても触れておらず、つまりマルサスの人口論を何ら裏付けたものにはなっていない。
・なお、マルサスから影響を受けたと言われるダーウィンの『進化論』であるが、これはマルサスの前提にあるような同一環境条件での生存競争を記したものではなく、むしろ環境に応じた棲み分けや分化により適合種として生き残るものも有ると主張している。
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【リカード(1772~1823)】 ─ 成長はゼロ成長をもたらす
・ユダヤ人の家に生まれ、イギリスで証券業の見習いから身を起こし、証券ブローカーとして大成功し、アダム=スミス『国富論』に影響を受けつつ経済学を志し、『経済学および課税の原理』などを著す。
イギリス下院議員となり、自由貿易論者として穀物法廃止に尽力。
経済主体の損得の理論化を図り、近現代経済学アプローチを確立した第一人者とされ、特に国富=所得の分配(再分配)の分析に努めた。
・リカードは社会の階級を地主と資本家と労働者に分けて分析、ここで資本家が利潤を蓄積しつつさらに土地や生産への投資を拡大していけば、いずれはあらゆる土地と食糧と生産のコストが上昇し過ぎ、資本家の利潤が逓減する ─ したがいどこかで経済成長は止まる、とした。
だがここで地主だけは、自らの土地を借り入れ或いは買い続ける農業資本家たちから、常に自らに有利な「差額地代」を獲得続けることになる。
一方、労働者は貯蓄が出来ないギリギリの存在に決まっているので、結局この図式では地主によって経済成長が止まると言える。
(※ とはいえ、農業の技術革新によりこの生産と利益の収穫逓減の構図は打破しうるわけだが、リカードはそこまでは考えていなかったらしい。)
・リカードは地主階級を「寄生的」であるとして攻撃、地主無力化のために穀物法廃止を要求。
これで農産物の自由化(食糧価格の引き下げ)により労働賃金も下がるから工業生産のコストも下がり、資本家は農地コストに圧されることなく工業分野への投資を活発化、よって更に資本を蓄積し利潤を追求し得る、とした。
・そこで自由貿易を主張するにあたり、理論的な論拠に据えたのがラシャとワインのたとえで有名な「比較生産費説」であり、各国がそれぞれ自国にとって生産効率で優位な商品生産に励めば、それらの分業商品同士の貿易はそれぞれの国々の利益を結果的に増進するというもの。
・リカードは産業資本家の利益代弁者であると非難もされるが、実際にはリカード流の自由貿易促進によって「地主以外の」あらゆる経済主体の利益が増進することになったといえる。
・なお、アダム=スミスの「労働価値説」を精緻に理論化もしている。
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【マルクス(1818~1883)】 ─ 共産主義の教祖
ドイツのユダヤ人ラビ(律法者)の家に生まれ、独学で経済学を学ぶ一方で社会主義者や無政府主義者と交わり、行く先々で追放されてロンドンに流れ貧困生活。
『共産党宣言』をともに記したエンゲルスが実業家として成功してパトロンに付き、『資本論』の第一巻を出版するが、続編発表の前に死去。
・マルクス経済学はアダム=スミス~リカードでまとめられてきた「労働価値説」に途中までは則っている。
が、そもそも財貨の価格がその生産コスト(労働量・時間)x生産量によって「のみ」定まるとする由が前提であるならば、これは需要量変動に影響されない「収穫一定」の生産コスト論に限られる。
仮にそういう財貨がありうるとしても、現実の資本主義経済では、資本家は販売利潤の最大化と生産コスト圧縮を図り資本投下先を移すため、財貨の生産コストと販売価格が正比例関係となることはない。
(※ ついでに現代の産業社会に鑑みて言えば、この世は職能も製品も千差万別かつ変化の連続、なにより需要が常に変わるため、生産と財貨のコストを統一的な労働量(時間)に換算して販売価格とのバランスだの搾取だのと捉える分析には無理がある。)
・一方で、マルクスが『資本論』においてこの「労働価値説」に着目した理由は、上記のごとく財貨の価格決定要因を模索するためではなく、資本家がどれだけ労働者を搾取して利潤を獲得するか=「剰余価値を増やすか」を説明するためであった。
・マルクスのレトリックにおいては ─ あらゆる財貨の価値はその生産にあたる労働者の労働(時間)コストの集積であり、かつ、その労働者のコストはといえば生存維持のための財貨の価値集積である、という。
だが、資本家が随意に新たな財貨を生産させる場合は、労働者本来のコスト以上の労働が発生するのが普通、にも関わらず資本家は本来のコスト相応の賃金しか支払わず、その差益(いわゆる剰余価値)を資本家が搾取していると。
このマルクスの主張は、あくまで資本家への攻撃に終始しており、じっさいには資本家(というか労働者まで含めて市場の全プレイヤー)が皆、おのれの利潤とコストの狭間で常時競争にさらされている現実を無視している。
よってこれは経済学とはいえない。
・ ともあれマルクスによれば、合法的に搾取を行う資本主義システムは全て破壊される宿命にあり、その手段として労働者は議会制民主主義を通じて権力を発動 し、一切の貨幣や財の私的所有も市場も社会階級も国家すらも排除した共産主義社会を実現しなければならない、との結論に至る。
・なお、マルクスは貨幣の解釈として、従来の経済学で主流であった交換媒体としての機能以上に、人間の(資本家の)蓄財欲と投機欲を煽るその属性に大いに着目、ここだけとれば優れた分析眼を有していたとも言える。
・ マルクスが想定した共産主義社会は、ヨーロッパ古来のユートピア思想と19世紀の楽観的な科学万能思想に則り、生産力の無限な増大を前提としていたため、 そこでは経済学の前提である「希少性」の問題は全て解決され、市民はみな自分の能力相応に財貨を供給されることになっていた。
かつその実現過程にて、人類は堕落と苦難(闘争)を経てようやく救済されるとしたが、この着想は分析者によればユダヤ=キリスト教の一神教観念そのものとも映り、さらにヘーゲルの弁証法哲学による人知の発展的完成論にも通じている。
実際には ─ マルクスの共産主義思想はしばしば現状否定の暴力的な独裁革命の論拠とされ、ゆえに多くの戦争をも引き起こし、20世紀最大の災厄源となってしまった。
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【福沢諭吉(1835~1901)】 ─ 文明開化の思想
・福沢諭吉(先生)は豊前中津藩の下級士族の家にお生まれになり、儒学を捨てて洋学を摂取されつつ著述と教育に励まれた。
欧米から無形の「洋魂(=独立心)」と有形の「洋才(=自然科学と技術)」を取り入れることで日本人の意識と行動の刷新を図られた。
・『学問のすゝめ』における「天は人の上に人を造らず…」では、人間の不可侵の平等権を説かれるにあらず、人間は身分の上下など超えた自由独立の存在であるべきと述べられている。
そこで一人ひとり自己の「能力資産」への投資=つまり学び続けることによる自己啓蒙こそが、文明社会で成功するための源泉である所以を記された。
・ 教育も学校も国家事業に限る必要は無いとの信念を貫かれ、民間学校である慶應義塾を設立、民間から寄付を募りつつ運営し、一身独立の人間を育ててやがては 「公益のために」活躍させることを目標に据えられた(この着想は、今日の経済学用語でいうスピルオーバー・ベネフィットにあたる)。
公益への貢献を前提とされてはいたものの、だからといって国家の援助を受けると自立と自由を損なうとお考えであった。
・国家政体については、幕末時には将軍を君主に据えた立憲君主制の近代国家を想定されていたが、尊王攘夷論を放棄した明治新政府が誕生するとこれを認められた。
とはいえ、国家は私人の便利の延長機関に過ぎない、と主張され、明治新政府がもたらす利権に群がる人々は精神の奴隷に等しいと断じられた。
自身も、官職に就かれることも御用学者を勤められることも無かった。
・「一身独立して一国独立す」と書かれているが、学びによる個人の自立が国家の自立の条件であると考えられた。
とくに「競争」という日本語を発明され、市場競争経済において個人も(ひいては)国家も利己的な利益追求に励むことで、独立を保持しうると説かれた。
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→ ②に続く
故・竹内靖雄著、1997年に新潮新書から発刊。
本著はとりわけ時代性や新規性を意図した経済政策の判定論評にはあらずして、むしろ逆で、世界史上の経済政策思想をこれまで上下左右に形成してきた主だった経済学者(および哲学者)たちの諸説につき、絶妙に時系列引用しつつそのフォーマットを提示した掌編集のつくりです。
しかし、それゆえにこそ初刊から16年経過した現在であっても、普遍的な知的触発とスリルに満ちております。
現代に至るまで常に俗世を煽り立てつつ政局を罷り通ってきた経済政策論、それらの根本に立つ正義の観念、最適配分の観念、ひいては文明論…
少なくともこれら社会科系諸学問の手軽なトータルリビュー、のみならず、学際的なミクロ行動分析に向かうべき未来経済学の離陸前夜における再点検ファイルとも言えましょう。
ゆえに見識者の皆様はもとより、経済学の初学者・学生諸君にも、用語辞典に手を伸ばす前にまずは是非手にとって欲しい一冊。
なお、著者の竹内氏が予め注記されているところによれば ─
『市場と資本主義についてとくに新しい見方をもっていない人は割愛…第二次大戦後ノーベル経済学賞を与えられた経済学者の多くがここに登場しないのはそのため』。
それでも本著では、古代ギリシアのヘシオドスから、トマス=アクィナス、アダム=スミス、マルクス、ケインズ、フリードマンを経てミクロ行動分析の開祖ベッカーに至るまで、計36人の経済思想かの着想と経験実績につき紹介されております。
ただし、以下に本ブログの【読書メモ】として紹介するにあたっては、特に「マンデヴィル以降」の経済思想こそが現代の経済政策論の基幹たりうると僕なりに了察し、そこから更に数人に絞って紹介してみました。
・オランダ出身、イギリスで開業の医者で、有名な諷刺詩『蜂の寓話』を記す。
そのメッセージは、「市場の各人の野放図な私益追求(これを悪徳とも称す)は様々な支出の増大をもたらすが、それこそが新たな需要も生み出し、生産も雇用も活性化し、ひいては結果的に市場全体を最善の秩序状態に導く」というもの。
・但し、この発想の根幹は、人間が私益追求「しか出来ない」ということ、それで各人がベストを尽くしてこそ需給の最適化が進むこと、一方では公益を謳い規制に努める政府も私人の集まりに過ぎぬということ ─ に在る。
・『蜂の寓話』はホッブス「リヴァイアサン」の逆説的な転用であろうが、ともあれ、私欲が社会全体の無秩序をもたらすというヨーロッパ古代以来の道義観に抗するものとなった。
そして、国家政府の市場介入を極力排除せんとした重農主義やアダム=スミスの先駆ともいえる。
・ダメな私人に対する国家政府の慈善も福祉も、むしろ社会全体の怠惰を生むだけである、と言った。
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【石田梅岩(1685~1744)】 ─ 「商の倫理」
・京都の呉服屋での奉公を経て、『心学』を創始。
江戸時代の士農工商の枠組みは自然の理=「義理」であるとしつつも、商人は「人情」で動くものであり、そこで商人はおのれの「分を知り」「足るを知り」、倹約と勤勉に務めよと説く。
・商業行為における「倹約」=商材のコスト削減は、市場全体の効率化を導く、と勧めた。
一方で、 商人が生活維持のために「利」を稼ぐのは当然、そのための商材の売価は社会的な公正価格であると。
ゆえに、欧米で発達するマネーゲームは「分不相応」として肯定することはなかったようである。
・このコストと利益のバランスのうちにおのれの「人情」を自制した商人が、「義理」の権力階層と巧みにわたりあう、いわば「日本的な利己主義」が発達、江戸時代の資本主義をつくっていった。
ここではまた「倹約」が道義的な処世訓とも成り得た。
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【ケネー(1694~1774)】 ─ 経済の血液循環
・フランス王室の侍医として活動、だがフランス絶対王政を経済的に支えていた重商主義を批判。
重商主義は軍事力強化のためコルベール以来徹底されたもので、常に輸出差益を追求、ゆえに高い輸入関税の一方で、国内は産業ギルド(特権管理)化と高い課税、低賃金労働が必須であった。
これに対してケネーが主張した「重農主義」は、農村の統合による生産力の拡大、「租税を地代ベースに一本化」しての財政運営の合理化、そして穀物貿易の自由化である。
・「重商主義」を否定するケネーらの「重農主義」においては、真の富の増加は貨幣ではなく商品の生産によってもたらされる、とし、そこで「純生産物」を産みだす産業は農業だけであるとした。
ただし、この「純生産物」とは、農業資本家(経営者)の売上から自身の経営資金を引き、労働者賃金も引き、原材料コストも引いた結果の「剰余価値」であり、これすなわち地主への「地代」を指す。
ゆえに、「重農主義」とは農業そのものの技術的生産力と利潤率を重視しての着眼ではなく、ただ当時の工業などと比べて農業では利益とコストが詳らかであったがゆえの、財政上の優先産業の意義に留まっていた。
なお、この剰余価値の発想はのちにマルクスが更に拡大している。
・ところで、上に挙げたケネー流の「剰余としての地代」の計算は、本当はおかしい。
地代は農業資本家の売上金額の多寡に関わらず一定に発生するコストであり、かつ土地貸借の市場関係によっても変わる。
・ケネーが著した『経済表』は、一国の経済における生産物が更なる生産か消費で「過不足なく」使われ、それに応じて貨幣も循環し、通年経済活動を経てそれらは最初の状態に戻る、という。
この循環図において、生産的階級(つまり農業資本経営者)、地主、不生産的階級(自営の商工業者)の三者間で原料、食糧、道具、労働力の売買が一定量で行われる「ことになっている。」
・この再生産の循環経済には拡大・成長の可能性は見出し難いものの、これこそが「自然の秩序」のはずであり、自然法も本当はここに在るという。
これらを理性の力で実現することが、経済学の使命であるとし、従って重農主義者たちは不自然に干渉する政府に対して「レッセ=フェール(自由放任)」を訴えた。
このように最善の自然状態の実現を追求するのがフランス流の合理主義であり、それを実現するためには専制君主の力を借りることも考えていた。
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【ヒューム(1711~1776)】 ─ 市場社会の偉大な洞察者
・ヒュームは「これまでのところ英語でものを書いた最も偉大な哲学者だった」と称された多筆の人で、『英国史』をまとめ上げたことはむろん、政治・経済にも大いに通じ、一方で宗教など特定の正当性に乗じることはなかった。
・絶対王政終焉後の市民社会と自由競争を推すイギリス政府の在り様を、必ずしも最善な政治体制と前提することなく、「イギリスの豊かさが自由から出てきた必然的な結果であることは疑わしい…。特殊な偶然と考え方の一定の変化を伴わなければならない」と言った。
・むしろ、商業と勤労の活性化による余剰により中産階級が法的権利を要求、といった市民経済の状況まずありき、で、それが自由な政府の「ひとつの要件」たりうるとした。
いかなる人間も所詮は私人として存在しているのだから、政府としては(マンデヴィルなどが云ったように)私人の私益をもって公益をもたらすように誘導すればよい。
一方で、ヒュームは今日の社会権(国家への権利)まで強く念頭に置いていたわけではなさそうである。
・物価水準は、貨幣供給量に比例する(貨幣数量説)。
貿易の黒字/赤字は貨幣(金)の流入量を決め、その貨幣流通量が国内の物価の上昇/下降をもたらすので、バランスを取るために輸出/輸入量が調整されるのは必然。
・だから、海外諸国の通貨損失が自国の利益をもたらすとする「重商主義」のゼロサムゲームは成立しない。
むしろ、或る国の経済的な繁栄は近隣諸国の経済繁栄をも増進し、相互の貿易拡大が好影響を与え合う。
イギリスの生産活動の改善や進歩は、全て他国の模倣に端を発している。
・但し、一国の貨幣供給量が少しづつ増え続ければ、それが生産や雇用を拡大し経済を成長させる、だから政府は貿易収支で変動する貨幣について自由貿易の結果に任せておけとした。
(※ 一方、アダム=スミスなどのいわゆる古典派経済学では、貨幣そのものは交換手段に過ぎないため経済成長の源泉ではないとされている。)
・最良の税金は奢侈的な消費への課税である。
消費者には奢侈生活における節約・倹約の選択余地を残し、まさにそれゆえに無制限の税収増大など不可能であると政府に知らしめる効果もある。
また、奢侈的な消費への課税は、消費者の都度の反感を煽らず公正感覚のもと自然に遂行出来る。
・一方、人頭税などの恣意的な課税は、政府が際限なく引き上げることを可能ならしむため、国民には最も有害である。
・国債は人間古来の慣行に反し、国家が十分な余剰資本確保を怠ったため、現行の歳入をいわば抵当に入れて借金を繰り返す政策であり、その償還のために将来世代に更なる負担を強いる。
(当時の)通説では、国債の償還が課税によってなされる以上、全体として富の移転行為に過ぎず国家は弱体化しない ─ というが、これは間違っており、償還のために新たな課税が常に必要となればこそ、国民の将来に亘る負担を増大させる一方である。
(※ なお実際には、国債償還のためには国富=GDPそのものを増大させるしかないというのが現代の通説である。)
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【アダム=スミス(1723~1790)】 ─ 「見えざる手」の世界
・スコットランド出身、若き日にイングランドで学ぶが不遇に過ごし、スコットランドに戻って学術とその指導に務める。
言わずと知れた経済的自由主義の開祖(の一人)で、『道徳感情論』『国富論』を著した。
支援者の一人であったヒュームが思想の大家として政治や経済の意義を問い続けたのに対して、スミスは現実経済の実像を求め続けた。
・スミスの始めた経済学は、国民一人ひとりが「富」を蓄積すればひいては国家が豊かになると捉え、その富の源泉は通貨に非ずして国民の労働による「生産物」であるとした。
・スミスは生産物の価値を、「使用価値」と「交換価値」という観念に二分し、「水とダイヤモンドのパラドックス」を示したが、これすなわち、水は使用価値は巨大だが市場での交換価値はタダ同然で、ダイヤモンドは逆であると。
(※ 但しスミスの言う「使用価値」は通貨換算の売買価格ではなく、需要者にとっての有用性の意であること留意、よって価格変動や限界効用に則って強引に説明するものではない。)
・スミスの提示したいわゆる「投下労働価値説」は、少なくとも文明以前の段階の経済においては、商品生産のために投下された労働の量(時間)によってその商品の価値=市場価格が決まるというもの。
但し、実際の文明社会の市場経済においては、商品生産のために労働量以外にも様々な土地資産や賃金が関わっているとし、それらの価値=市場価格も含め合わせた「支配労働価値説」、「生産費説」も挙げている。
・分業生産と競争市場の両立こそが、国民一人ひとりの生産物を増大させるための最高の経済システム条件であるとした。
その条件下にて、公的権力が干渉せず一人ひとりが利己的に利益追求に励めば、自由な市場において需要と供給の価格メカニズムが自然に働き、つまり「見えざる手」が働いて供給量が定まり、よって公共善をもたらすと説いた(ここだけとればマンデヴィル以来の発想展開)。
かつ、生産物の分配もやはり市場の「見えざる手」が働いて、おのずから最適化されるとした。
(※ この市場の「見えざる手」は当然、失業もモノ不足ももたらすわけで、いわゆる完全競争市場の完全均衡機能(現代にいうパレート最適機能)を実現するなどとはスミスは言っていない。
実際は、完全競争どころか寡占企業や独占企業の市場席巻がスミス以降の歴史の現実である ─ が、これまでのところ経済学は独占企業の擁護には立たず、むしろ完全競争の結果として私的利潤がいつか無くなる事態さえ想定している。)
・一人ひとりの経済的な幸福は、労働そのものではなくむしろ労働量の軽減化である、というヨーロッパ古来からの着想がスミスの勤勉論の根底にあり、ゆえに労働生産性を向上させよと説いた。
しかし、労働生産性の数値上の上昇のために経済活動を縮小せよなどと後退的な議論は呈しておらず、あくまで生産の分業を活性化しつつ市場全体(国民総生産)を拡大してこそ労働生産性は真に上昇、だから国民が裕福になり貧困も根絶され得ると推している。
さらに貿易自由化によって、国際的な分業貿易も進めば、全世界の国民が同様に豊かになるとも説いた。
・但し、スミスは産業革命(蒸気機関の応用など)による技術製品の拡大再生産については何故か触れていなかった。
・労働の分業は必ず貧民も生みだすので、そこは国家が高度な知的訓練と労働機会を提供すべきである、とも言った。
ただし前提はあくまで「小さな政府」の追求であり、それならば財政破綻のダメージも小さくて済むとした。
一方で「大きな政府」は市場にどんどん介入し、自由競争を損ねつつ、無能な独占企業形態を産みだすと警告、国家の仕事は国防・治安維持・インフラ整備に絞るべきで、さらにこれらのうちでも市場競争に委ねうる部分は多いと指摘した。
教育機関においても市場競争原理にのっとり、政府の介入を極力避けて教職員の能力賃金形態をとるべきであると言った。
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【海保青陵(1755~1817)】 ─ 日本最初の重商主義者
・丹後宮津藩の家老の息子、儒者の教えのもとで育ったが、長じて経済を観察・研究しつつ、寧ろ儒学に批判的な独自の経世論を打ち立て、全国の藩の経営コンサルタントとして活躍するに至った。
あらゆる人間は「利」と「取引」によって生きるもの、封建体制もまさにその過程で成り立ってきた、と論じ、我が国の市場経済論の先駆、それでも当時の武家や豪農や豪商にパトロンも多かった。
・儒学の教えでは、政府官僚は利を放棄してでも民を救えとあるが、これは乱世の政治学に過ぎず、幕藩体制の安定した時代にはむしろ官を貧しくするだけであると批判。
幕府・藩の財政は農工商の経済活動に基いての運営ゆえ、「それら諸階級の経済規模拡大に応じて」、武家としても相応の興利を税や地代(年貢)として採り、さらにそれらをあらゆる市場で運用することが当然であると説いた。
・資本蓄積により各地が産物の生産拡大に励み、それらを京阪神や江戸といった大市場で売買すれば、各地の資本規模がいよいよ拡大する、と説き、この生産拡大と取引機会拡大による資本獲得のすすめは重商主義に通じているともいえる。
尤も、これら生産拡大と商取引を百姓の自助努力に任せても、その利益を商人に掠め取られるだけで発展しないとし、主体はどこまでも諸藩武家であるべしとの前提を措いていた。
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【マルサス(1766~1834)】 ─ 人口抑制の経済学
・イギリス人の地主の息子として生まれ、数学で学位取得、啓蒙思想の影響を受けヒュームやルソーとも親交、さらに東インド会社の職員養成学校で(イギリス初の)経済学講座を確立し、リカードとも論争。
フランス革命直後の社会思想混乱期、共和政寄りの進歩的思想を推す父と保守的なマルサス自身との討論の過程で、有名かつ重大な『人口論』が著されたと言われる。
・ 『人口論』は、一定の扶養能力環境下=特に古典派経済学でいえば一定の労働賃金総額の条件下において、人間は他動物と同様に幾何数級的に増えるのに食糧は 算術数的にしか増えないとし、そうなると飢饉と餓死が起こるか、環境劣化で疫病が発生して多くが死ぬか、戦争となってやはり多くが死ぬ、と説明した。
収穫逓減の議論の典型である。
・だが、併せて出生率引き下げ効果による事態打開についても説き、(人工的な避妊や堕胎の推進案は非道徳的だと非難されるため)とりあえず性交を控えよという主旨の「道徳的抑制」と記した。
この道徳的抑制に従えば、人口増大に伴い増える貧困労働者を敢えて救済してもそれだけ貧困人口が増える一方、だから貧困層はその人口が減るまで放っておけという発想も導き得る。
・さて人類史を総括俯瞰してみれば、餓死、伝染病、戦争などによる大量死が総体的な人口抑制に役立ったふしは見当たらず、全人類の将来に亘る歴史を通じてマルサスの人口論が成立するか否かは現実として誰にも判断出来ていない。
それどころか、現代世界において、生存がハイリスクに晒される貧乏な国々は人口減どころか人口を増やし続け、一方で生活安泰な先進諸国では経済力にも関わらず人口は増えていない。
・本当は、マルサスの示すように人口によって経済資源配分が宿命づけられるのではなく、むしろ経済資源配分によって人口が自然に決まるのであると考えるべきではないか。
経済(資本力)に恵まれていても人口が少なければ、その民族は本当は経済力など無いのではないか、と疑ってみれば、経済力の定義再考のきっかけともなりうる。
・ローマ=クラブの報告書『成長の限界(1971)』では、資源・エネルギーの枯渇、人口爆発、食糧不足、環境汚染の進行で人類は21世紀初めに大破局する、その回避のために経済ゼロ成長で行くもやむなしと云った。
尤も、たとえゼロ成長としても現行の経済維持のため資源の枯渇は依然として進み、この論を演繹する以上は人類滅亡の破局を回避することは出来ない。
それ以前に、ここでは化石燃料の現実的な埋蔵量についても新たな技術開発についても触れておらず、つまりマルサスの人口論を何ら裏付けたものにはなっていない。
・なお、マルサスから影響を受けたと言われるダーウィンの『進化論』であるが、これはマルサスの前提にあるような同一環境条件での生存競争を記したものではなく、むしろ環境に応じた棲み分けや分化により適合種として生き残るものも有ると主張している。
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【リカード(1772~1823)】 ─ 成長はゼロ成長をもたらす
・ユダヤ人の家に生まれ、イギリスで証券業の見習いから身を起こし、証券ブローカーとして大成功し、アダム=スミス『国富論』に影響を受けつつ経済学を志し、『経済学および課税の原理』などを著す。
イギリス下院議員となり、自由貿易論者として穀物法廃止に尽力。
経済主体の損得の理論化を図り、近現代経済学アプローチを確立した第一人者とされ、特に国富=所得の分配(再分配)の分析に努めた。
・リカードは社会の階級を地主と資本家と労働者に分けて分析、ここで資本家が利潤を蓄積しつつさらに土地や生産への投資を拡大していけば、いずれはあらゆる土地と食糧と生産のコストが上昇し過ぎ、資本家の利潤が逓減する ─ したがいどこかで経済成長は止まる、とした。
だがここで地主だけは、自らの土地を借り入れ或いは買い続ける農業資本家たちから、常に自らに有利な「差額地代」を獲得続けることになる。
一方、労働者は貯蓄が出来ないギリギリの存在に決まっているので、結局この図式では地主によって経済成長が止まると言える。
(※ とはいえ、農業の技術革新によりこの生産と利益の収穫逓減の構図は打破しうるわけだが、リカードはそこまでは考えていなかったらしい。)
・リカードは地主階級を「寄生的」であるとして攻撃、地主無力化のために穀物法廃止を要求。
これで農産物の自由化(食糧価格の引き下げ)により労働賃金も下がるから工業生産のコストも下がり、資本家は農地コストに圧されることなく工業分野への投資を活発化、よって更に資本を蓄積し利潤を追求し得る、とした。
・そこで自由貿易を主張するにあたり、理論的な論拠に据えたのがラシャとワインのたとえで有名な「比較生産費説」であり、各国がそれぞれ自国にとって生産効率で優位な商品生産に励めば、それらの分業商品同士の貿易はそれぞれの国々の利益を結果的に増進するというもの。
・リカードは産業資本家の利益代弁者であると非難もされるが、実際にはリカード流の自由貿易促進によって「地主以外の」あらゆる経済主体の利益が増進することになったといえる。
・なお、アダム=スミスの「労働価値説」を精緻に理論化もしている。
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【マルクス(1818~1883)】 ─ 共産主義の教祖
ドイツのユダヤ人ラビ(律法者)の家に生まれ、独学で経済学を学ぶ一方で社会主義者や無政府主義者と交わり、行く先々で追放されてロンドンに流れ貧困生活。
『共産党宣言』をともに記したエンゲルスが実業家として成功してパトロンに付き、『資本論』の第一巻を出版するが、続編発表の前に死去。
・マルクス経済学はアダム=スミス~リカードでまとめられてきた「労働価値説」に途中までは則っている。
が、そもそも財貨の価格がその生産コスト(労働量・時間)x生産量によって「のみ」定まるとする由が前提であるならば、これは需要量変動に影響されない「収穫一定」の生産コスト論に限られる。
仮にそういう財貨がありうるとしても、現実の資本主義経済では、資本家は販売利潤の最大化と生産コスト圧縮を図り資本投下先を移すため、財貨の生産コストと販売価格が正比例関係となることはない。
(※ ついでに現代の産業社会に鑑みて言えば、この世は職能も製品も千差万別かつ変化の連続、なにより需要が常に変わるため、生産と財貨のコストを統一的な労働量(時間)に換算して販売価格とのバランスだの搾取だのと捉える分析には無理がある。)
・一方で、マルクスが『資本論』においてこの「労働価値説」に着目した理由は、上記のごとく財貨の価格決定要因を模索するためではなく、資本家がどれだけ労働者を搾取して利潤を獲得するか=「剰余価値を増やすか」を説明するためであった。
・マルクスのレトリックにおいては ─ あらゆる財貨の価値はその生産にあたる労働者の労働(時間)コストの集積であり、かつ、その労働者のコストはといえば生存維持のための財貨の価値集積である、という。
だが、資本家が随意に新たな財貨を生産させる場合は、労働者本来のコスト以上の労働が発生するのが普通、にも関わらず資本家は本来のコスト相応の賃金しか支払わず、その差益(いわゆる剰余価値)を資本家が搾取していると。
このマルクスの主張は、あくまで資本家への攻撃に終始しており、じっさいには資本家(というか労働者まで含めて市場の全プレイヤー)が皆、おのれの利潤とコストの狭間で常時競争にさらされている現実を無視している。
よってこれは経済学とはいえない。
・ ともあれマルクスによれば、合法的に搾取を行う資本主義システムは全て破壊される宿命にあり、その手段として労働者は議会制民主主義を通じて権力を発動 し、一切の貨幣や財の私的所有も市場も社会階級も国家すらも排除した共産主義社会を実現しなければならない、との結論に至る。
・なお、マルクスは貨幣の解釈として、従来の経済学で主流であった交換媒体としての機能以上に、人間の(資本家の)蓄財欲と投機欲を煽るその属性に大いに着目、ここだけとれば優れた分析眼を有していたとも言える。
・ マルクスが想定した共産主義社会は、ヨーロッパ古来のユートピア思想と19世紀の楽観的な科学万能思想に則り、生産力の無限な増大を前提としていたため、 そこでは経済学の前提である「希少性」の問題は全て解決され、市民はみな自分の能力相応に財貨を供給されることになっていた。
かつその実現過程にて、人類は堕落と苦難(闘争)を経てようやく救済されるとしたが、この着想は分析者によればユダヤ=キリスト教の一神教観念そのものとも映り、さらにヘーゲルの弁証法哲学による人知の発展的完成論にも通じている。
実際には ─ マルクスの共産主義思想はしばしば現状否定の暴力的な独裁革命の論拠とされ、ゆえに多くの戦争をも引き起こし、20世紀最大の災厄源となってしまった。
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【福沢諭吉(1835~1901)】 ─ 文明開化の思想
・福沢諭吉(先生)は豊前中津藩の下級士族の家にお生まれになり、儒学を捨てて洋学を摂取されつつ著述と教育に励まれた。
欧米から無形の「洋魂(=独立心)」と有形の「洋才(=自然科学と技術)」を取り入れることで日本人の意識と行動の刷新を図られた。
・『学問のすゝめ』における「天は人の上に人を造らず…」では、人間の不可侵の平等権を説かれるにあらず、人間は身分の上下など超えた自由独立の存在であるべきと述べられている。
そこで一人ひとり自己の「能力資産」への投資=つまり学び続けることによる自己啓蒙こそが、文明社会で成功するための源泉である所以を記された。
・ 教育も学校も国家事業に限る必要は無いとの信念を貫かれ、民間学校である慶應義塾を設立、民間から寄付を募りつつ運営し、一身独立の人間を育ててやがては 「公益のために」活躍させることを目標に据えられた(この着想は、今日の経済学用語でいうスピルオーバー・ベネフィットにあたる)。
公益への貢献を前提とされてはいたものの、だからといって国家の援助を受けると自立と自由を損なうとお考えであった。
・国家政体については、幕末時には将軍を君主に据えた立憲君主制の近代国家を想定されていたが、尊王攘夷論を放棄した明治新政府が誕生するとこれを認められた。
とはいえ、国家は私人の便利の延長機関に過ぎない、と主張され、明治新政府がもたらす利権に群がる人々は精神の奴隷に等しいと断じられた。
自身も、官職に就かれることも御用学者を勤められることも無かった。
・「一身独立して一国独立す」と書かれているが、学びによる個人の自立が国家の自立の条件であると考えられた。
とくに「競争」という日本語を発明され、市場競争経済において個人も(ひいては)国家も利己的な利益追求に励むことで、独立を保持しうると説かれた。
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→ ②に続く