2013/07/05

なぞなぞピラミッド ④


さて、今回が4発目。


① 今から1万5千年以上前、最後の氷河期のころに陸上の氷河が多かった、その分だけ海水が少なかったとされる。
ユーラシア大陸と北米大陸を結ぶベーリング海峡は、じつは極端に浅いため、この頃にはほとんど陸続き状態となっていた。
かつ南方からの暖流しか入ってこなかったため、凍えることもなく歩いて渡ることが出来た ─ とされる。
そんな陸続きをたどって、モンゴロイド人種がユーラシア大陸から北米大陸へと渡り、インディオ、インディアン、エスキモーになった。

…という想定には、ひとつ大きななぞが残されている。
それは彼らが移動の過程でどうやって燃料を確保していたのか、いや、そもそも燃料の確保困難な氷河期の世界において、どうして人種ぐるみで未知の大陸へ移動したのか、ということ。
勝手な想像だが、じつは氷河期にもそれなりの木材がたくさん有って、ちゃんと暖をとれたのではないだろうか?

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② なお、この地続きの海峡を越えて移住していった(とされる)モンゴロイドのうち、エスキモーだけが犬を使いこなしていた。
犬は古代エジプト文明で人間との共存が始まったとされる ─ と、いうことは、犬を知らなかったインディオやインディアンはエジプト文明以前に北米大陸に移住したことになり、エスキモーだけがそれ以後に渡ったともいえるのでは。

ちなみにユーラシアからの移住者で一番古いとされるのが南米のインディオで、血液型はほとんどがO型であり、次が北米大陸のインディアンでA型が混じり、エスキモーにいたって初めてB型が混じる。
したがい、これらの移住期にはかなりの時間的なずれがあると想定される。

おもしろいことに、ラクダはもともと北米大陸に居たのが、なぜかユーラシア大陸に入り大型化した…と思えば南米へわたったラクダはリャマやアルパカになった。
北米大陸では、どういうわけかラクダが絶滅した。
こんなことを考えると、人類がユーラシアから北米へと一方通行で渡っていったという説すらも疑いたくなる。

関係ない、かもしれないが、ジプシーはインド北部から出てきた民族と想定され、なぜかヨーロッパ方面のみに向かって移住を続けていった。
自称・エジプト系ゆえにジプシー、こんなだから彼らのルーツを探るのは余計に困難となっている。

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② アイヌの霊世界が、日本文明の原形である、との説は根強い。
神(カムイ)も人間も動物もみな共通している(いた)という。
一神教の世界とは全く異質であり、なるほど日本的ではある。
日本語には「擬態語」が極めて多いが、アイヌ語にも擬態語は極めて多く、この傾向は他の周辺諸国ではみられない。

なお、アイヌには極めて鋭い感受性があり(あった?)、数日後に誰が訪問してくるかをあらかじめ察知出来るという。
その訪問者当人すら、予定を立てていないのに、である。

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③ タバコは、つくづく不思議な嗜好品である。
ニコチンは興奮作用を持つのに、飲用者の用途はリラクゼーションである。
この不思議な効用の研究者の名前を冠し、「ネズビットの逆説」とも言われるそうな。
どうも、タバコには外部刺激に対して体内に耐性をつくる効果があるらしい。
アイヌ人の世界では戦争が極端に少なかったが、それはタバコを吸うことでケンカを回避してきたため。

さあ、みんな、どんどん吸って平和にいこうぜ!
俺はマールボロ(赤)だ、吸って吸ってすいまくってやる。
どうせ、「タバコを吸っただけの理由で」肺がんになる確率はほとんどゼロなんだし。

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④ 歴史は必ずしも人智と並行して進展するわけではない。
コペルニクスやガリレオは地動説を唱えたが、教会から顰蹙を買った。
しかし、コロンブスやマゼランには何故かちゃんとスポンサーがついて、大航海を実現した。
それから1世紀が過ぎると、魔女狩りが本格化。

さらに17世紀に入ると、極端な寒冷期に入ったため多くの北方系ヨーロピアンが南下をはかり、カトリックおよびハプスブルグ勢力と30年におよぶ大宗教戦争を展開した。

満州民族が南下して中国大陸を征服したのも、17世紀前半であった。
気候寒冷化が原因で南下した民族は、ほかにも4~6世紀頃のゲルマン人やスラブ人など。

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⑤ 中世スコットランドの王、ジェームズ1世はよき君主として知られた。
約200年経って、その子孫は南下してイングランドの王位を奪い、新たなジェームズ1世と名乗って悪評を買い、その次に即位したチャールズ1世は議会をあやつるピューリタンの中産階級によって殺された。
17世紀前半の話である。

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⑥ 明治期の日本に逓信省(郵政省のもと)が出来た理由は、全ての男子に召集令状を速やかに配送するためだった。

主要な鉄道は、軍の所在地と港湾をつなぐために整備された。
軍事目的で鉄道を整備したのは、19世紀のアメリカやイタリアなど、例はいくらでもあるし、教科書をよく読めばこの程度のことはちゃんと書いてある。

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⑦ 1920年代後半から30年代、日本は「関東大震災」と「昭和恐慌」と「世界恐慌」の時期。
この期間に、2500行もあった日本の銀行が半分以下となった。
だが同じ期間、総預金量は変わっておらず、それどころか日本の工業出荷は倍増している。
ちなみに、当時の日本は治安が悪く、懲役囚人数は世界一、これが低賃金の一因ともなっていた。

経済とは得てしてこういうもので、人間が何を実現するかはやってみなければ分からない。

なお、この同じ期間に男子の大学進学率が1割から2割へ急増したのに、その多くが就職出来なかったため、世の中への憤怒と憎悪にかられた負け組のインテリが大量に産み出されることになった。
現在に至るまで、世代を超えつつまだ残存している。


以上

2013/07/04

なぞなぞピラミッド ③


調子に乗って、またまた書いてます。


(1) 宇宙で一番多い原子は水素であり、二番目がヘリウム、三番目が酸素である。
このうち、水素と酸素は化合物つまり水となり、これが宇宙で最も多い化合物となる。
だが面白いことに、ヘリウムは化合物とはならない。

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(2) いわゆる 「素数」 とは、それ自身および1以外の数字では割り切れないという数字。
2,3,5,7,11,13,17 ……と続き、みたところ極めて不規則にこの数字は続く。
何千ケタ以上もの、ものすごく大きな数になっても、やはり素数はありうるとされる。
とはいえ ─ これは10進法での表記だから不規則な羅列に見えるのであって、もし2進法や3進法で表記するのなら実は極めて規則性のあるものではないか?

…という話をある数学通の知人にしたことがある。
するとその人は、なにやら簡単な関数式を考え出しつつ、うーむこれなら如何なる素数でも一定パターンにおいて表現出来る、と仰った。
で、どうなったのか、そのごは分からないが、でも素数は最小の完全数つまり6で割ればあまりは決まっているような…?

素数というのは量としての実在なのか、それともそれ自体ただの論理でしかないのか?
もし量としての実在であれば、表現方法が10進法だろうが2進法だろうが同じ「もの」をさすことになるので、ならば表現方法は規則的でシンプルな方がよいだろう。
が、もしも素数がただの論理表現に過ぎないのであれば、10進法の素数と2進法の素数は全く違う論理とされ、仮に2進法バージョンで素数の表現を完結出来たとしても、皆が悩んでいる10進法バージョンの解決にはならない ─ と思う。

このあたりで、数学センスが問われるのかな。
というか、認識と解釈を個別に問われる、いわば哲学センスか。

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(3) 3つの数字を用いた最大の数字は、9の9乗の9乗。
…と書けば簡単だが、実際は3億6千万ケタを超えるらしい。


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(4)5世紀から10世紀くらいまで、ビザンツ帝国が地中海最強の海軍を擁していた。
ボスポラス海峡をビザンツ帝国の海軍が制圧しており、だからコンスタンチノープルは外敵から守られ続けた。
世界史における最大のミステリーのひとつ、有名なグリーク・ファイア(ギリシア火薬)は、「硫黄とナフサと石灰と水(!)の化学反応による強力な火炎放射器??」 とされる。
これを搭載した戦艦をもって8世紀初めのレオン3世はアラブ軍を撃退した、と言われている。

しかし、グリーク・ファイアの製法はビザンツ帝国が徹底的に秘匿したため、いまだに実態は謎のままである。

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(5) モンゴル帝国を爆発的に拡大させた軍事力は、地元の草原よりもむしろゴビなどの砂漠で鍛えられた。
数と機動力(速度)の差によって相手を倒す、ゆえに距離を克服踏破する耐久力が必須 ─ という戦略思想によるため。
実際に、パンジャブをすごい速度で越えて、インドに侵入したり。

ユーラシア大陸を席巻したモンゴル帝国、もし本当に多くがモンゴロイド人種によるものだとしたら、優性遺伝形質が多いはずのモンゴロイドの末裔がどうして欧米の貴族階級やイスラーム諸国の上層部に見受けられないのか、不思議でならない。
(それとも、モンゴル帝国当時の連中は今のモンゴロイド人種と人種が違っていたのか。)

モンゴルの武将の多くは文字を読み書きが出来なかった(異民族の連携によるため?)ので、戦略は絵で示され、かつ個々の戦術展開時には号令や旗信号が用いられた。

現代のアメリカ海兵隊に至るまで、高度な情報処理系統と併せて、単純に図案化されたコマンドも活用されているが、それは咄嗟の行動能力を重視してのことである。

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(6) ナポレオンを撃退した英国海軍のネルソン提督は、船にひどく酔う性質だった。
死んでも大聖堂であるウェストミンスター寺院には埋葬されたくない、と言っていたが、その理由はウェストミンスター寺院がテムズ川に沈んでいくという噂があったため。
実際にはトラファルガー海戦で戦死した。

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(7) 若きアインシュタインが発表した有名な公式 E=mc2 について。
アインシュタインはこれにより、「エネルギー量(E)は 質量(m) x 光速(c) の2乗 である」 ことを意味したのだが、その時点で彼の関心はあくまで光速の証明であった。
さて、この式を見たある女性学者が、「逆に読めば 質量(m) はエネルギー量(E) に変わる」 と指摘。
それを聞いて、こんどは当のアインシュタインが驚いた。
アインシュタインはエネルギーには関心が無かったため。

以上

2013/07/02

なぞなぞピラミッド ②


なんだか気分が乗ってきたから、先の続き。


(1) ナスカの地上絵について。
これまた大胆な想像力を働かせて勝手なアイデアを綴ってみる ─ で、あの巨大な絵柄が何を意味するのかについて考える前に、まずあれがどうやって描かれたのか考えてみたい。
もしかしたら、かつてはあの巨大な平原は大きな山の斜面だったのではないか。
そして日本の 「大文字焼き」 みたいに時々燃やしたりしながら、みなが崇め奉っていたのかもしれぬ。
それが、永年の地殻変動により、現状のようにベタっと広大な平地になってしまったのでは?

あるいは、かつてはあの地上絵の周囲いたるところを、グランドキャニオンの小型版みたいな急峻な丘がぐるっと取り囲んでおり、そこから皆が見下しつつ、あーだこーだと図案を議論しつつ巨大な絵柄を描いていったのかも。
その周辺の丘が、やはり地殻変動で綺麗さっぱり無くなってしまったため、いまは平地の絵柄のみが残っている、というのはどうか?
まあ、何とでも言えるけどね。

で、あの図案は何を意味している(いた)か、もちろん知らん、わからん、星座の記録でもしていたのか。
あの図柄が太古の人類の知っていた星座だとすれば、おもしろいのだが。
なにしろ古代から現代までに、シリウスなどの恒星の色の記録も違っているわけで、意外に星の変化は大きい?

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(2) アラビア数字 (0~9) はかなり古くからヨーロッパでも知られていたが、なかなか公用としては広まらなかった。
それどころか、14世紀にはいったん禁止されるほどであった。
アラビア数字が忌避された理由は、従来のローマ数字 I, II, III .... XI, XII などは変造しにくいが、アラビア数字は1と7と9などいったん表記された数字を簡単に偽変造が出来るから、というもの。
数字の偽変造などを疑ったヨーロッパが不道徳だったのか、それともアラビア数字そのものが不道徳だというべきか。

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(3) 中国人民元は不思議な紙幣で、発行当局の人民銀行が流通を開始する前に、偽札が中国国内や海外に出回っている場合もある。
これでは、どれを本物とすべきか判断しにくいし、誰がどれを本物と主張しようとも疑念が残ってしまう。

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(4) カバラの数字というものがある。
カバラとは、もとは古代以来の一種の密教で、12世紀ごろからフランスやスペインでユダヤ人によって体系的に確立されたと言う説も根強いが、定かではない。
やがてこれがキリスト教世界に広まると、日常の数字に独特の「裏メッセージ」を与えつつ仲間内だけで分かち合うという暗号性、いわば魔術性へと畏怖を増幅させるようになった。
タロットカードやオカルト伝奇なども、カバラが用いた数字やその裏メッセージから発展したものとされる。
それどころか、カバラの数字は今でも独特の演算法則を有し、一見するとただの数字でもカバラの仲間内の演算によれば重要な陰謀メッセージとなっている
─ などという陰謀伝説を信じている人々が今も欧米などには居るそうで。

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(5) 大航海時代のスペイン人が、南米のどこかにエル・ドラドという黄金郷があると信じはじめた。
黄金で着飾った人々の伝説などなど、その未知へのロマンはどんどん増幅し、多くのヨーロッパ人がエル・ドラドの黄金を求め、南米の 「いたるところ」 を探しまわった。
彼らがあまりにも熱心に探検ルートを残したおかげで、19世紀になってドイツのフンボルトが 「そんな黄金郷はない」 と断言した時には南米大陸のほぼ全貌が明らかになっていた。

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(6) 19世紀末に英国で出版されたある小説は、タイタン号という架空の豪華客船のもの。
大西洋を航行する上流階級向けの客船で、氷河にぶつかって哀れ沈没してしまうというストーリー、そのさいに救命ボートが足りなかったという設定だった。
やがて20世紀にはいり、ほぼ同じ規模・仕様の豪華客船がタイタニック号と名づけられ、航行中に氷河にぶつかって沈没、しかも救命ボートが足りなかったという悲劇の現実は周知のとおり。

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(7) アメリカ第2代大統領のアダムスと第3代大統領のジェファソンは、偶然にも同じ1826年7月4日に亡くなった。
なお、第5代大統領モンローが亡くなったのは1831年の7月4日である。

(8)リンカーンが初めて大統領選に臨んだとき、不思議な夢をみて、鏡に自分が二重に映っているがひとつは色が薄かったという。
それは、大統領に再選されるが途中で辞めることなのでは、と妻が言った。
リンカーン大統領の息子が、ある駅で、停車中の車両の間に転落した。
それをブースという俳優が救出した。
それから1月と経つ間もなく、この俳優の弟がリンカーン大統領を射殺した。


以上

2013/07/01

なぞなぞピラミッド


ちょっとリフレッシュ気分で、不思議なお話の数々を。


(1) ピラミッドはどうやって造られたのか?
…という問いに対して、僕自身が勝手にひらめいた一番おもしろい回答は 「水位に応じて造られた」 というもの。
現存するピラミッドは砂漠や草原に遺されているが、そこはかつては海辺か河川だった、という大胆な推察。

確かに、河川の水位に応じて石をちょっとづつ重ねていったのなら、陸上でひたすら積み上げるよりは搬送も楽だっただろう(何らかの方法で浮かべつつ、水位の上昇にあわせて重ねていけば)。
むしろピラミッドは水位計・水流計だったのかもしれない。
さらに、方位や角度が厳密に設計されていたのは、水流や採光を精緻に測っていたため、とか。
また、水の抵抗やその変位に対して最も強い形状があの四角錐とすれば(本当にそうなら)辻褄もあう。

…と、まあ、こうやって設営されていったのが、そのご十数世紀もの年月を経てヘロドトスが訪れたときには、環境はすっかり砂漠化していた、とか。

だけど、こんなこと大きな声で言おうものなら。
「どこのサイトに載っていた?ソースを出せ!」
「中に収納していたミイラや財宝は、どう説明するんだ?」
「なぜデカイのと小さいのがあるんだ?」
「スフィンクスはどう説明するんだ?」
などなど、たちまち反論がゴゥゴゥだろう。

実はあの中で魚を養殖していたんですよ、なんて言ってみても、もう殆ど聞く耳はもたれまい。

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(2) ほんの6代~7代も前のご先祖様の写真が突然出てきたとする。
その写真が本当にご先祖様のものであると、どうやって判別するんだろう?
ご当人が会ったことのある親族はおろか知人すら、いまや誰も存命していないんだからなぁ。

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(3) 英国人の間でいまだに大論争をひきおこしたままの、いわゆる「アーサー王物語」。
大英雄のアーサー王は、ケルト人の王だった、いやローマ帝国のブリテン総督だった、いやいやアングロサクソン族の王だった、いやいやいやノルマン王朝の…と。
いやもう、真相が分からないからって、みなが自分の血統につなげようとして持論を展開し続けているそうな。
いわば、天照大神と推古天皇と北条政子をいっしょくたにして論じているようなもの。

でも、このアーサー王の論争、本当にアーサー王なる英傑が実在していたと証明されているのだろうか?
もし実在が 「証明」 されているのなら、時代や血統の論争が起こるわけがないと思うんだけどね。

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(4)オスマン帝国のセリム1世やスレイマン大帝の時代に活躍した海軍のピーリー・レイース提督は、多くの地図(海図)を残している。
その中には、コロンブスの航海時代の大西洋のものも含まれており、さらにコロンブス自身がそういう大西洋方面の地図を「航海以前から」持っていたのでは、との説も根強い。
しかし、とりわけ驚くべきことには、これらレイース提督が作成の地図の中に、なんと南極大陸を記したものまで有るという。
オスマン帝国だのコロンブスだのの時代に、誰が南極大陸の存在を知り得ようか??
また、レイース提督自身はこれらを作図した際に、「古代アレクサンドロス大王の時代のものを参考にした」 などとメモっていたらしい。
なお、こんなすごいレイース提督だったが、スレイマン大帝の不興を買って処刑されてしまった。

いやもう、ここまでくると、なんだか訳の分からないミステリーミングルポンチである!!

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(5) いわゆる 「ホープ・ダイヤモンド」 は、皮肉なことに世界史上でも最も不吉きわまるダイヤモンドのひとつ。

あるフランス商人がインドから巨大なダイヤモンドを調達し、太陽王ことルイ14世に献上した。
ルイ14世は大いに喜び、このダイヤモンドをハート型にカットさせたと言われるが、一方でこの商人はそのご不慮の死を遂げた。
やがてこのダイヤモンドはルイ16世とマリー=アントワネットのもとへ譲られるが、2人とも革命で惨死した。
革命のどさくさでロンドンへと渡ったこのダイヤモンドをホープという銀行家が買って、ホープ・ダイヤモンドと名付けた。
20世紀初頭に、このホープ・ダイヤモンドはある宝石商のもとへ売られたが、その宝石商は破産し、次の買主の宝石商はピストル自殺した。
さらに所有者はロシア貴族となったが、彼は愛人を射殺し、のちに革命で殺された。
さらにその次の所有者はギリシアの宝石商で、崖から転落して死んだ。
次は破綻寸前のオスマン帝国のスルタンだったが、退位させられた。
そのご、このホープ・ダイヤモンドは、アメリカ大新聞系のマクレーン家の跡取り夫婦エドワードとエヴァリンのもとへやってきた。
まず、エドワードの母が死に、それから召使が立て続けに死に、さらにエドワードの息子も事故死した。
一人娘も睡眠薬を飲み過ぎて死に、エドワードは頭がおかしくなって死んだ。

どこまでが本当かは、分からないが。


以上