2013/07/01

なぞなぞピラミッド


ちょっとリフレッシュ気分で、不思議なお話の数々を。


(1) ピラミッドはどうやって造られたのか?
…という問いに対して、僕自身が勝手にひらめいた一番おもしろい回答は 「水位に応じて造られた」 というもの。
現存するピラミッドは砂漠や草原に遺されているが、そこはかつては海辺か河川だった、という大胆な推察。

確かに、河川の水位に応じて石をちょっとづつ重ねていったのなら、陸上でひたすら積み上げるよりは搬送も楽だっただろう(何らかの方法で浮かべつつ、水位の上昇にあわせて重ねていけば)。
むしろピラミッドは水位計・水流計だったのかもしれない。
さらに、方位や角度が厳密に設計されていたのは、水流や採光を精緻に測っていたため、とか。
また、水の抵抗やその変位に対して最も強い形状があの四角錐とすれば(本当にそうなら)辻褄もあう。

…と、まあ、こうやって設営されていったのが、そのご十数世紀もの年月を経てヘロドトスが訪れたときには、環境はすっかり砂漠化していた、とか。

だけど、こんなこと大きな声で言おうものなら。
「どこのサイトに載っていた?ソースを出せ!」
「中に収納していたミイラや財宝は、どう説明するんだ?」
「なぜデカイのと小さいのがあるんだ?」
「スフィンクスはどう説明するんだ?」
などなど、たちまち反論がゴゥゴゥだろう。

実はあの中で魚を養殖していたんですよ、なんて言ってみても、もう殆ど聞く耳はもたれまい。

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(2) ほんの6代~7代も前のご先祖様の写真が突然出てきたとする。
その写真が本当にご先祖様のものであると、どうやって判別するんだろう?
ご当人が会ったことのある親族はおろか知人すら、いまや誰も存命していないんだからなぁ。

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(3) 英国人の間でいまだに大論争をひきおこしたままの、いわゆる「アーサー王物語」。
大英雄のアーサー王は、ケルト人の王だった、いやローマ帝国のブリテン総督だった、いやいやアングロサクソン族の王だった、いやいやいやノルマン王朝の…と。
いやもう、真相が分からないからって、みなが自分の血統につなげようとして持論を展開し続けているそうな。
いわば、天照大神と推古天皇と北条政子をいっしょくたにして論じているようなもの。

でも、このアーサー王の論争、本当にアーサー王なる英傑が実在していたと証明されているのだろうか?
もし実在が 「証明」 されているのなら、時代や血統の論争が起こるわけがないと思うんだけどね。

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(4)オスマン帝国のセリム1世やスレイマン大帝の時代に活躍した海軍のピーリー・レイース提督は、多くの地図(海図)を残している。
その中には、コロンブスの航海時代の大西洋のものも含まれており、さらにコロンブス自身がそういう大西洋方面の地図を「航海以前から」持っていたのでは、との説も根強い。
しかし、とりわけ驚くべきことには、これらレイース提督が作成の地図の中に、なんと南極大陸を記したものまで有るという。
オスマン帝国だのコロンブスだのの時代に、誰が南極大陸の存在を知り得ようか??
また、レイース提督自身はこれらを作図した際に、「古代アレクサンドロス大王の時代のものを参考にした」 などとメモっていたらしい。
なお、こんなすごいレイース提督だったが、スレイマン大帝の不興を買って処刑されてしまった。

いやもう、ここまでくると、なんだか訳の分からないミステリーミングルポンチである!!

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(5) いわゆる 「ホープ・ダイヤモンド」 は、皮肉なことに世界史上でも最も不吉きわまるダイヤモンドのひとつ。

あるフランス商人がインドから巨大なダイヤモンドを調達し、太陽王ことルイ14世に献上した。
ルイ14世は大いに喜び、このダイヤモンドをハート型にカットさせたと言われるが、一方でこの商人はそのご不慮の死を遂げた。
やがてこのダイヤモンドはルイ16世とマリー=アントワネットのもとへ譲られるが、2人とも革命で惨死した。
革命のどさくさでロンドンへと渡ったこのダイヤモンドをホープという銀行家が買って、ホープ・ダイヤモンドと名付けた。
20世紀初頭に、このホープ・ダイヤモンドはある宝石商のもとへ売られたが、その宝石商は破産し、次の買主の宝石商はピストル自殺した。
さらに所有者はロシア貴族となったが、彼は愛人を射殺し、のちに革命で殺された。
さらにその次の所有者はギリシアの宝石商で、崖から転落して死んだ。
次は破綻寸前のオスマン帝国のスルタンだったが、退位させられた。
そのご、このホープ・ダイヤモンドは、アメリカ大新聞系のマクレーン家の跡取り夫婦エドワードとエヴァリンのもとへやってきた。
まず、エドワードの母が死に、それから召使が立て続けに死に、さらにエドワードの息子も事故死した。
一人娘も睡眠薬を飲み過ぎて死に、エドワードは頭がおかしくなって死んだ。

どこまでが本当かは、分からないが。


以上