2015/04/01

大学新入生諸君へ (2015)

新たに大学生の諸君へ。
ごく簡単にメッセージを。

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 大学入試までの勉強を、たとえば数学的な要件付けにて記すと、ざっとこういうものだったのではないか。
『ここにドアA、ドアB、ドアCがある。このドアA,B,Cそれぞれの鍵穴の形状・属性をもとにして、共通のカギがどのようなものか記しなさい』
しかし。
大学進学以降、そして社会人になってからの知性は、ちょっと異なる。
『ここに一つのカギがある。このカギで開閉しうるドアは、いったいどんなものがありうるか?自分なりに考案しなさい』

なんだ、こんな問題提起があるか?そんなドアなんて、超単純な形状から超複雑なシステムまで、無制限にありうるじゃないか!
…と、なまじっかな秀才ほど文句つけたくなるかもしれないな。
いいから黙って聞け。
確かにそういうドアは無制限にありうる(いや、違うかもしれないよ)。

つまり、高校までの勉強は「意味」があらかじめ与えられていて、そこに則って「何かを変換したり結びつけたり」のトレーニング。
しかし、大学以降の勉強は、 「既に知っているはずの何か」において、自分なりに「新たな意味」を導き出すこと。

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② こんなのもあるかもしれないぞ。
「もしも頭脳がコンピュータになった人間がいるとして、その人はまだ人間といえるのだろうか?その人自身はおのれを人間だと思い続けるだろうか?」

人間はなにをもっておのれ自身を人間と定義しておるのか?
このように、いったん「定義」のレベルまで立ち上って、それから新たなアイデアを描くのが、君たちの仕事。
もちろん、その「定義」は誰も教えてくれませんよ、てめぇで考えろってこと。

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③ さらにこんなのも。
「飢えから充足に向かう経済と、充足から技術革新に向かう経済は、何が違うのだろうか?」

カネですよ、と答えるのは高校生レベルまで。
じゃあそのカネの発行量や流通量が倍になったら、我々の寿命は倍に伸びうるか?それとも伸びないか?その理由は?
もう大人なんだから、ちゃんと考えなさい。

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ざっと思いつくまま記したが、ついでにちょっとヒントをつける。

我々が何事か分かるということは、まだ解らない何かを峻別するということでもある。
客観と主観は同じ場合もあるし、異なる場合もある。
量と率と可能性はみな違う。

じゃあ皆さん、頑張ってね。
損得よりも、まずはおのれなりの論理に生きろ。
損得の世界は、ほっといても君たち一人ひとりを待っていてくれるから焦らなくともよろし(笑)

以上