ものすごく簡単なことだからだ。
人間も企業組織も、ゆえに市場も、そしてきっとどんな職業でも、何かと何かを常に交換し続けている。
その交換行為を仕事といい、極端に大別すれば、掛け算の仕事と、割り算の仕事がある。
ここで、ほんの少しだけ具体的に。
掛け算の仕事とは、ハードウェア、ソフトウェア、学術思考および無作為なヒラメキを縦横自在に組み合わせ、「新規技術の開発」と「市場関係(売上)の拡大」を図る行為。
そのために商材や市場や法規制について勉強し、視野をどんどん拡大させて思考し続けるすること - つまり野心的な意欲が必要だ。
一方で、割り算の仕事というのは、「必要」を残し「不要」を捨てる行為で、物流、保守、金融為替、証券などを通じて、利益最大化を図る行為。
人間は何もかもを最大限に活かすことは出来ないので、costとterm(納期)における利益の捻出を常に図らなければならない。
もちろん、個人としても組織としても、割り算の仕事の連続によってカネや時間を研ぎ澄ませてこそ、掛け算の仕事の余裕も生まれる。
割り算の仕事ですらも立ち行かなくなってしまったら、その個人も組織もいったんは終わりである。
しかし、野心的な意欲が生き続ける限りは(そして資源や機会に上限設定が課されない限りは)、新たな掛け算の仕事のアイデアは次から次へとふつふつと湧いてくるもの。
たぶん人間はこのように出来ている。
とりわけ、若さとはそういうもの。
老いも若いもなく、みなが掛け算の仕事に取り組めるという楽観的見方によれば、自由競争、市場競争といった競争論が威勢よく奮い立つ。
いや、何もかもどうせ上限があるのだから、せめて割り算によって最適化を、と諦めてしまえば、コストと利益のフェアネス論争、そして自由競争と社会主義の対立へと向かう…のではないか。
かくして、いろいろな文化もあり、いろいろな討論や協議もあり、いろいろな国々が併存していると考えられる。
僕なりに、あらゆる局面にて学び取り、実感し、納得し続けていること。
だからこそ、僕なりに新卒社会人の諸君に伝えたいことはこれだけである。
なお、大人として一番楽しいことは、論旨の分からない人間や訳の分からない事柄を理解するためのおのれなりの試行錯誤、これも付言しておきたい。
諸君の健闘と活躍を祈る。
以上