2016/01/10

新成人 2016

新成人の皆さんへ。

宇宙の動きには、方向があるだろうか?
なんらかの方向はある。
それは、人間自身の意思とは無関係に、何らかのマテリアルとエネルギーが無作為につくり続けている。

では、人類の世界には特定の方向があるだろうか?
この問いは難しい。
我々は、毎日毎日なんらかの目的をおきつつ、それなりの掟を設定して生きている。
しかし、そんな我々なりの目的と掟を全部並べてくっつけることは出来ない。
とりわけ、ここ数年の世界を見ていると、世界全体としては一定の方向など設定しようがないのだな、と実感する。
アハハハ、それこそが科学技術と市場経済のダイナミズムですよ、と言う人もいるし、なるほど、そんな偶発性こそが我々の天性のような気もする。

何が言いたいのかって?
人間が理解しようがしまいが、どんなものでもいつか必ず別の何かに変わり、それはまたバラけて、さらに別の何かがおこる。
今日の君たちを一時的に留めるものは、今日の世の中にはたくさん有るが、明日や明後日への変化までも永続的に留める「もの」など無い、そんなもの在りえない。
そして、今の君たちの直観で分からぬ「もの」は、どうせホントは今日の誰にも分かっちゃいない。
予め最終解答を想定するなかれ。
誰かの最終解答を待ち続けるなかれ。
宇宙にはなんらかの共通解が待っているかもしれぬ、でも、我々の日々の一瞬一瞬には共通解なんか無いんだ。
今日のシティは明日のゴーストタウン、そして明後日は学園都市になっている、かもしれないよ。
今日の強者は明日のバカ、そして明後日には大賢人になっている、かもしれぬ。
たとえば、大宰相チャーチルの生涯を思い出しなさい。

今日の思考の軸は今日のギヤを高速回転させ、そのギヤが明日は別のギヤを動かし、それが明後日には別の軸を回していく。
そんな、こんな、と、各人の人生はどこまでもスリルと楽しさに満ちている。
何もせずにほっといたって、ギヤだけはどんどん変わっていくよ。
どうせなら、今このときに考えていること、出来うること、遠慮せずに片っ端から取り掛かりなさい。


以上