2016/11/27

リアル・ディール

男子諸君。
君たちは、ボクシングの世界チャンピオンになりたいか?
それとも、ハリウッドのトップスターになりたいか?
どちらを選ぶ?
こう問われると、ほとんどの男子はハリウッドスターになりたいという。
理由は簡単、お父さんに頬ずりされ接吻されながら育つ男子がものすごく多いからだ。
うふん。
よーしよし、君は可愛い子だ。
あはん。



おふざけは、もういい。
さぁ、聞け。
ここの地下室に、ボクシングリングがあるんだ。
そこでは、おまえのよく知っているお父さんが、いや ─ 実は今までおまえが逃げ続けてきた本当のお父さんが、ひとり汗を流している。
もしかしたらおまえが降りてきて、リング上で相対してくれるのではないかと、かすかに期待している。
かすかに期待しつつ、おまえをブッ飛ばすために、残酷な筋肉をギリギリ研ぎ澄ませながら、もっと残酷な拳をかすかな慈悲のグローブで容赦しながら、おまえを待っている。
瞬発力と加速度でシューズをスパークさせながら、猛獣のように無言の吐息をこらしながら、おまえがリングに降り立つのを待っているんだ。
さぁ、どうする?
戦うか?
それとも、やっぱり逃げるのか?



ほぅ?
ファンが見届けてくれるのなら、戦うってか?
彼女が応援してくれるのなら、戦うってのか?
それがおまえのモチベーションだと?
頭悪いのかよ、おまえよ。
いいか、そんな半端な見栄で粋がって、ひとたびリングに立ってみろ。
いよいよ逃げ道が無くなるどころか、もはやファンの前でも彼女の前でも、何のエクスキューズも成立しないんだぞ。
そうやって自ら選択肢を狭めつつ、いざゴングが鳴ってしまったら、お父さんお父さんとむしゃぶりついて許しを斯うつもりだろうが、甘い甘い。



さぁ、どうした。
戦うのか、逃げるのか。
とっとと決断しろ。
女の子だって、自己の宿命に対して、もっと潔いぞ。
ふん!
ま~だ考えていやがる。
おい!もう考えるのはよせ。
考えてばかりいる卑怯な男に、ろくな知恵なんかありゃしないんだ。
男はな、メチャクチャにブッ飛ばされてこそ、はじめて本当の知恵が付くんだ。



分かってるんだろう。
話はもう、決まってるんだ。
さぁ、行ってこい。
行け!
彼女もファンも見守ってくれない、たったひとりのおまえ、一世一代の勝負、待ったなし。
リングに降り立って、お父さんと、そう、おまえの宿命と正面から対峙しろ。
お父さんはきっと、顔をくしゃくしゃにして、うっすら涙を浮かべつつ、最大限の歓喜をもって、おまえを足腰が立たなくなるまでブチのめしてくれよう。
そうやっておまえは、前後不覚のズタボロになって、やっとおのれのリアリティを呼び醒まし、おまえのさだめを思い出すんだ。
それは ─ それこそが、お前に突きつけられた、たった一つっきりの人生という崇高なビジネスだ。
清算せずともよい、いや、清算なんか出来っこない、堂々と踏み倒すべき、血潮に染まった帳票だ!


おわり

2016/11/13

嘘つき娘

「ねぇ、先生~」
「んーー?なんだ?」
「あたし、先週くらいから眼の前がぼやけてきたような気がするんです。視力が急激に弱まることって、あるんですか~?」
「そうだなぁ、とりあえずは、その前髪をなんとかしろ ─ ねえ、君もそろそろ大人になりかけてきたんだから、人間の意識のいい加減さというものについて理解した方がいいよ」
「はぁ、どういうことですか~?」

「いいかね、人間の意識は、じつは『感覚』 と、『思考』 と、『表現』 から成り立っているんだよ」
「ふぅーん……」
「たとえば、『感覚』 と 『思考』 は、普通はまっすぐつながっている、と思うだろう。しかし、これが食い違っていることがある」
「はぁ~、まあ、そんな気もしますけど~」
「それから、『思考』『表現』 が食い違っていることもあるよね ─ つまり、『感覚』 『思考』『表現』 というこの3者のうち、どれかが食い違っている場合がありうる」
「はぁ~~、なんだか、ややこしいですね~。でも~、先生、そんなふうに分けなくなって、本当の自分と表現する自分という2つで比較すれば十分じゃないんですか~~?
「いや、ある命題が正しいか間違っているかを判断するには、少なくても要素が3つ必要となるってこと」
「ふーーーーん!本当かな~~」
「いいから聞け。要するに、『感覚』 と 『思考』 と 『表現』、この3者のどれか1つが他の2つと異なる場合を、"勘違い"という。どうだ、人間の意識というものは案外いい加減なものだろう」
「そうかも、しれないですねーー」
「さらに、"勘違い" ではなく、意図的な "嘘"という場合もある ─ ねえ、君。さっき僕がちょっと外に出ていた間に、このワインボトル、明らかにワインが減っているんだが…」
「それがどうかしたんですかーーー?」
「おいっ!正直に答えろよ。君!ちょっと飲んだだろう!?」
「はぁーー?あたしが飲むわけ、無いじゃないですかーー!」
「ふん!あんまり甘く見るんじゃないぞ、いいかね、今の君はワインでほんわかとした『感覚』 に包まれている、しかし、バレるわけがないとタカをくくって『思考』 している、でも君はろれつが回らず、『感覚』 のままにぼやっと『表現』 している。つまり、君は 『思考』 だけが食い違っている、だから『嘘』をついているんだよ!」

「なーんだ、あはははは~、嘘なんか、ついてないですよ。あたしは何もかもハッキリしてるんだから!。ね~~先生~~、あたしからもひとつ質問があるんですけど~」
「ほぅ、言ってみろ」
「もしも、『感覚』 と、『思考』 と、『表現』 が、みーーんな食い違っていたら、どういうことになるんですかーーーー?」
「それを 『酔っ払い』 というんだ、ばか、困ったやつだ!」
「あ~~っ、ばかって言った!ばかって言ったら、自分もばか」
「はいはい、分かった分かった」


おわり

2016/11/06

女子大生でも分かる経済学

① 人間による諸々の経済活動につき、その諸要素を思い切って大別すると、たぶん以下の2つのどちらかにおさまる。
1つ目は、能力であり、これはハード/ソフトの科学技術力に依る製品サービスの強度や精度のこと。
だから、知識と可能性と機会の掛け算。
2つ目は、信用であり、これは貸借関係と通貨量と税と利息と所有(権)と担保と給料のこと。
だからこちらは、量と人口のバランス論となる。

いわゆる自称・経済通の話を聞いてみると、どうも、能力信用が混同されがちのようである。
たとえば ─ 「資本投資が3倍になれば技術開発効率も3倍になり生産量も3倍になる」、などと言う経済通まであらわれる。
はて、本当だろうか?
あるいは共産主義によるフィクションなのだろうか?

おっと、待ちなさい、金融機関相互による信用創造が、企業の生産力を…と、自称・経済通はすぐにまぜっかえすし、だいいち学校の政治経済科でもそう説いている。
が、僕はそんなウヤムヤな虚構がどうも腹立ってしょうがないから、ここに経済活動を2大要素つまり能力信用に大別してみたわけ。
そして、日々の人間関係づくりや人間観察に多忙な女子大生であっても分かるように、ミニミニエッセイとしてしたためたわけよ。

問題は、ここで極端に総括した2大要素つまり能力信用につき、どちらがどちらの必要条件であり、あるいは十分条件であるか ─ というところ。

======================================================

② そもそも、自然というものは(人体も含め)、バラつくものである。
また人間の精神も自然ゆえ、やはりバラつくものである。
だから、自然物を元手とする人間の能力は、バラつくものであり、そこに製品サービスの精度や強度のバラつきもある。
ところが。
信用というものにとって、バラつきとはリスクでしかない。
だから、能力信用は同期をとりにくい。

いや、それでも人間世界では能力信用が「ある程度まで」は同期をとりつつ、相乗効果も有ったはずだ、と、自称・経済通はすぐに口をはさむだろう。
ふーん。
ある程度までは、というのなら、どの程度までなのかちょっと確認しようじゃないか。

古代エジプトの遺したピラミッドや、古代ローマ帝国の遺した石造の道路や水道は、たしかに素晴らしく、工業と数学がどこまで協業していたかは別としても、立派なものである。
しかし、このピラミッドなり水道を建造した技術的な能力と、その建造時点で王や皇帝が随意に操作していたであろう信用とは、どう関わっていたのであろうか?
なんだ、そんな古代世界のことなど、知ったことか ─ と、自称・経済通はせせら笑うだろう。
ほほぅ。
ならば、国家としていったいどれだけの信用を操作すれば、産業革命、電機産業、石油産業、新素材、抗生物質、原子力や宇宙開発などの能力が向上するのか?
こちらについては、近現代のことゆえ、能力信用の必要十分条件をちゃんと分析データがあるだろう (提示出来ぬのなら経済学者は何にもしてないことになる。)

オーケイ。
つまり、人類史全般を一貫した、能力信用の必要十分関係など、分からないってことだな。
そうだろう ─ だからこそ経済政策は国民の能力信用をともに睨みつつのトライアルアンドエラーの連続なのだ。

=====================================================

③ さて、それでは。
我々の経済活動の最優先事項は、能力の向上か、信用の維持か。

とりわけ、いわゆる景気変動を観察する場合、自称・経済通は信用のバランシングに終始し、能力については暗い顔をして黙殺しがちである。
なるほど、金融機関やマスメディアや教育サービス業ならば、これも本源的にやむなしか、しかし学校組織でさえもこうであるとしたら、なかなか困った問題ではないか。

国家あるいは世界にあまねくカネをばらまく、あるいはベーシックミニマムを保証する…じゃあGDP伸び率は、消費税は、失業率は、移民は、という政策論争。
そして、TPPによって日本国内で外貨(建て)の金融乱立がすすむ、という統制リスク論。
それもよし。
しかし、そもそも我々の経済活動の目的は、信用の前に能力の追求でなければならぬ。
あわせて、能力向上の可能性のみならず、現状能力の保全にかかる議論でもある
皆にカネさえばらまけば、核関連技術も航空機も病院も絶対に事故を起こすことはない、と本気で信じることが出来るだろうか?

─ と、ここまで考えつつ、テクニカルな側面も、すなわち人工知能とビッグデータと学校教育の功罪についても再考してみたい。
みんな、頑張りなさい。

以上