2018/08/23

偶然は必然か?


① 夏の甲子園大会で、タイブレークのゲームが幾つかあった。
アマチュア野球にて採用されているタイブレークとは、選手の身体負荷を軽減すべく、試合時間の短縮を図るというルール。
試合時間短縮のために、じっさいに得点/防衛の決定機会を早めるよう工夫されている。

とはいえ、タイブレークの局面に突入した場合に、フィールドのサイズを小さくするわけではないし、ボールのサイズを大きくするわけでもない。
ちょっとだけ野球史を紐解けば、そもそも、現行の(高校生以上の)野球におけるフィールドのサイズやボールのサイズは、今から百数十年も前のアメリカにおける野球の黎明期にて「じつに絶妙に」定められたそうだ。
どのくらい絶妙かといえば、投手、打者、野手そして走者の誰もが「イチかバチかで必死に頑張っちゃう」くらいだ。
なーるほど、「野球は偶然のスポーツである」とはよくぞ言ったものだ。

此度は、タイブレーク云々ではなく、この「偶然」に拘ってみたいのである。
ということは「必然」にも拘るということなんだよ、そのくらい分かんだろ。

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② 野球についてもうちょっと続けると、例えばアメリカ大リーグでも日本のプロ野球でも、いわゆる「指名打者(DH)」制度の是非がずっとずっと問われている、という。
指名打者とは、手っ取り早くいえば、試合において守備にはつかぬが打撃だけは連続して認められる選手のことで、一般には、(打つのが苦手であろう)投手の打順にて代わりに打席に立ち続けることが多い。
現時点では、大リーグのうちアメリカン・リーグ加盟の球団がこの制度を採用し、日本ではパシフィック・リーグ加盟球団が採用している。
この指名打者制度によって、野球の「偶然」「必然」のバランスが崩れる ─ たとえば投手はおのれの打撃力に関係なくずっと守備につくことが出来る、あるいは、攻撃側こそが有利になる ─ などなどが論われている。

しかしだよ、本来的に「イチかバチか」で設計されている野球というゲームが、指名打者制度のみによって「偶然」と「必然」のバランスが本当に崩れるだろうか

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③ 「偶然」と「必然」のギリギリの境界において力や技を発揮しあう球技は、ひとり野球だけではない。
テニスも、ゴルフも、バスケも、バレーボールも、ハンドボールも、ラグビーも。
いや、話は球技に留まらず、スポーツそのものが「偶然」と「必然」で出来ているといってよさそうだ。
相撲もボクシングもだ。

ほんの一呼吸、ほんの一瞬の瞬き、それらは「偶然」ともいえようか、しかしそれらが試合の勝敗という「必然」を導きうる ─ などといえば文学表現としてはなかなか恰好いい。
しかし、それらの「事象」はすべて偶然といえるのか?そして、試合の勝敗の結果はすべて「必然」と片付けられようか?

ボクシングといえば。
プロボクシングの世界選手権試合は、かつては15ラウンド制だったが、選手の身体負荷が甚大にすぎるとの批判もあって、現行では12ラウンド制に短縮されている。
むろん、ノックアウトで早々と終わらせてしまえば、ラウンド数を問わず試合はおしまいだが、ノックアウト出来なかった場合には全ラウンドを戦う羽目になり、その結果として勝敗がレフェリーとジャッジ数名の判定に委ねられる。
ボクシングはルール改正も多く、所属団体ごとにノックアウトの解釈が異なるなど、実は色々とややこしいのだが ─ それらはさておき、だ。
ラウンド数の短縮によって、「偶然」「必然」のどちらが勝敗判定に大きく作用することになっただろうか?
或いは、変わらないのだろうか?


こうして考えてくると、じつはスポーツにおける「偶然」要素と「必然」要素は、競技者のみならず観察者にも大きく依っていることに気づいてしまう。

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④ なんだ、スポーツごときで、くだらないことをグダグダと…要するに、どんなものによるいかなる事象であろうとも、数学で完全に表現出来れば「必然」で、数学で記述しきれなければ「偶然」として片づけりゃいいんだ…
そう主張したい人たちも多いだろう。
しかし、スポーツごときなどと蔑笑する人も、数学を万能ナイフのごとく頼りにしがちな人たちも、本当は「必然」と「偶然」についての厄介さを知っている。
例えば、電子の本当の動きを完全に説明する数学は無いし、宇宙生成を完全に記述する数学も無い
そして。
数学を操っている当の我々人間自身も、自らによるアルゴリズムや言語や意識をすべて「必然」と見做してはいない。

では、ディープラーニングや人工知能はどうか。
これらが数学演算によって表現するさまざまな事象(つまりデータ)はすべて「必然」だ、と言えるだろうか?
うむ、言えるかもしれない。
しかし言えないかもしれないよ。
量子コンピュータについて考えてみれば、どういうことになろうか?
量子の運動をもとに演算処理を進めているんだぜ
このコンピュータによる数学演算が、そしてこれが表現するさまざまな事象が、すべて「必然」のみのプロセスなのだ、と、アルゴリズムすら怪しい我々ごときに言えようか?

我々人間が、人間のみの数学をもって、「えーとこれは必然の事象ですね」「ああそれは偶然の事象ですよ」などと垣根を動かすこと自体が、意義が無い(のかもしれぬ)。
むしろ、人間ぬきで捉えれば、いかなる事象にも「偶然」と「必然」の境界などは無い ─ すべては混然一体だ、として収まりがつくのかな。

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⑤ ただ、我々人間のみが「必然」「偶然」をどうしても割りきらなければならぬ、そんな残酷な世界もある。
さきほど挙げたボクシングのレフェリーやジャッジなどもそうだが、もっと広範にとらえれば、法の世界であり、会計の世界である
ああ、それら以上に、まずは生命医療分野だな。
或る事象の発生が「必然的な経緯であり結果である」のか、「いーや偶然による偶然の結果なのだ」と見做すべきか。
どっちでもいい、とはなるまいよ。


以上