2019/04/05

大学新入生諸君へ (2019)

大学入学おめでとう。
毎年ほぼ同じようなメッセージをここに軽くしたためており、だから今年も似たような内容をすらっと記す。
つまり;
① 人間の思考にも生き方にも客観評価というものは無い
② 大学は好き放題な思考チャレンジの処

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① 人間同士というものは、「相手が何者でどんな能力を秘めているのか知れぬ」場合に、とりあえず何等かの判定尺度が欲しい。
我々がしつらえるその判定尺度は、我々自身を含む「どこかの誰かによる何等かの利害損得」に則っている。
しかしそう言ってしまえば却って信用が無くなるので、「これぞ客観評価でございます」という判定尺度をもってくる。
その典型が、諸君の思念をつい先日まで誘導してきたいわゆる学力偏差値ってものだ。

いや、偏差値も能力値も、数学手法によって表現されたデータなのだから客観中立として信用出来るじゃないか、というかもしれない。
いいから聞け、ばか。
なるほど、数学自体は全ての人間から中立であり、それどころか人間離れすらしている宇宙秩序でもあり、そういう点では数学は神、イエス、アッラーと同じ超存在だといえなくもない。
ということは、だぜ、命題化やデータ化の方法論を数学さまに頼りきっている「人間自身」には、「物事の完全な客観化能力など無い」ってことになろうが。
18,19歳にもなれば、このくらいの理屈は分かっていい。

そういうわけで、学力偏差値はもう忘れろ、というより、客観というものを完全に信用するのはよせ。
高卒時点ではどこかの誰かの利害に則って暫定的にタララララーーと並べていた尺度ではあったが、大学以降は学部も学科も千差万別、そして諸君らの能力も個性もどんどんバラついていくのだから。

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② 大学を出てから、誰彼と比較して自分は知力がこのくらい、技術能力がこのくらい、収入がこのくらい…と想定したくなる気持ちは分る。
でも、既卒者の一人として先回りして言えば、「大学の学部/学科と実社会の需要は1:1に完全呼応しているわけではけしてない」。
だいいち、大学当局にしても、「卒業者の収入は幾ら以上」、というギャランティもオブリゲーションもおいていないでしょう。
それに、大学卒業して数年もすれば、一人ひとりの体質だって(寿命だって)だんだんバラついてくるし、性格も大いにバラついてくるので、おのおのの就く職能キャリアがさまざまに移り変わりうる。

よって、大学時代は、将来の損得からの逆算のみに縛られることなく、さまざまな思念の機会だと考えた方が楽しい。
むろん実践行動にては資産(カネ)の縛りがあるが、思念は自由。

そこで推奨したい方法論は、どんな学部学科のどんな分野であっても、「その根本像は一体'何か'」をまず自分なりに確立すること。
元素のごとき絶対エンティティがあるのか、電子の流動と平衡のごとしなのか、エントロピーは増大しているのか否か、単体なのかイオンなのか、自然物なのかハードなのかソフトなのかシステムなのか、論理なのか情念なのか慣習なのか、演繹なのか合意なのか強制なのか…などなど。
そういった、「'何か'(どうなっているのか)の「根本像」さえ自分なりに構築出来れば、その上に乗っけて回す思念は自由自在たりえ」、そうなれば枝葉末節などは丸暗記でどうとでもある。
ましてや、'誰が'などはサラリーマンレベルの些事に過ぎぬ、そんなもん30分くらいで丸めて頭に入れときゃいいんだよ。



以上