本書は「砂粒」という極めて卑近な物質を工業上の重大資源として捉えた、まこと学際的かつ業際的な着眼が素晴らしい。
工業用途としての主だった切り口をまとめると;
そもそも近代以降の我々人類は
・砂の上および中に住んでいる(コンクリートやアスファルト)
・砂によって視覚を他の感覚から遮断している(ガラス)
・砂によって宇宙も微生物も見極めてきた(レンズ)
・砂によって超高速演算を可能としてきた(半導体チップ)
・そして砂によって化石燃料をほじくり返す(フラッキング)。
それでいて、本書を読み進めてゆけば、これら成果物はほんの一突き(prick)でドスンと崩壊しうるのだよとの警鐘もシリアスに並走。
そもそも近代以降の我々人類は
・砂の上および中に住んでいる(コンクリートやアスファルト)
・砂によって視覚を他の感覚から遮断している(ガラス)
・砂によって宇宙も微生物も見極めてきた(レンズ)
・砂によって超高速演算を可能としてきた(半導体チップ)
・そして砂によって化石燃料をほじくり返す(フラッキング)。
それでいて、本書を読み進めてゆけば、これら成果物はほんの一突き(prick)でドスンと崩壊しうるのだよとの警鐘もシリアスに並走。
そういえば本書原題は 'The World In A Grain' とあり、まことに壮大かつアイロニカルなタイトルをおいたものではある。
惜しむらくは、本書コンテンツのおそらく3/4ほどは諸々のビジネス成功譚(および挫折の経緯)で埋められており、その一方で科学論ないしテクノロジー論は随所に散在するに留まっているところ。
惜しむらくは、本書コンテンツのおそらく3/4ほどは諸々のビジネス成功譚(および挫折の経緯)で埋められており、その一方で科学論ないしテクノロジー論は随所に散在するに留まっているところ。
このあたり、読者は半ば拍子抜けするかもしれない。
それでも、本書は随所にクリティカルなファクトやデータが挙げられており、これら一瞥するだけでも我々の拠って立つ足元をあらためて見据えるきっかけとはなりえよう。
そこで此度の僕なりの読書メモにても、以下にそれらを略記してみた(とくに本書の第1章などから)。
<総論>
いわゆる砂粒とはさまざまな物質の形状の定義にすぎぬが、人類が工業用途として多様かつ大量に活用してきた砂粒物質は二酸化ケイ素SiO2(シリカ)である。
このうち、とりわけ石英の形態をとっているものが非常に硬質であり、コンクリート建材の製造で有用。
さらに、二酸化ケイ素(シリカ)の純度が95%を超える石英がいわゆるケイ砂であり、こちらはガラス製造や半導体チップ製造などに用いられる。
現時点で全世界の人類が消費する砂と砂利の総量は推定で年間に約500億トン、しかもこの量は10年ごとに倍増のペース。
工業用途においてはほとんどがコンクリート建造物(含アスファルト舗道)である。
総じて、工業用途に適した砂粒は硬くかつギザついて結合力に優れたものであり、一方で永年に亘り風に吹かれて丸くなってしまった砂漠などのものは不適である。
ゆえに、多くの砂は世界中の海岸や海底や河床から剥ぎ取られ、この砂資源は確実に減少し続けている。
しかも、川底から砂が減ってしまうと、川の流水が地下帯水層にまで浸透しなくなり(すべて海に流れてしまうため)、地下帯水層が貧弱になり、よって飲料水や農業用水の不足をもたらす。
シンガポールは埋め立てによる国土拡張が最も盛んな国で、過去50年間に国土を140平方キロメートルも増やしており、その埋め立てと建造物の需要を満たすため世界最大の砂の輸入国となっている。
これに応じて周辺国の沿岸や川底の砂資源が剥ぎ取られてしまい、ゆえに現在はシンガポールへの砂輸出が禁じられようとしている。
メコン川の沿岸各国は都市開発のため、年間5000万トンほどの砂を川床から引き剥がしており、このためベトナムではメコンデルタが縮小し続けており、このままでは21世紀までにメコンデルタの領域は半減してしまうことが想定されている。
なお、日本は毎年約4000万立方メートルの砂を海底から引き揚げている。
=================
<コンクリート/アスファルト>
※ 諸々の砂素材や製法や物理特性などについては、『コンクリート崩壊(PHP新書)』に具体的にまとまっている。
https://timefetcher.blogspot.com/2014/04/blog-post_1671.html
アメリカでコンクリート建造物が爆発的に普及したきっかけは1906年のサンフランシスコ大地震。
それでも、本書は随所にクリティカルなファクトやデータが挙げられており、これら一瞥するだけでも我々の拠って立つ足元をあらためて見据えるきっかけとはなりえよう。
そこで此度の僕なりの読書メモにても、以下にそれらを略記してみた(とくに本書の第1章などから)。
いわゆる砂粒とはさまざまな物質の形状の定義にすぎぬが、人類が工業用途として多様かつ大量に活用してきた砂粒物質は二酸化ケイ素SiO2(シリカ)である。
このうち、とりわけ石英の形態をとっているものが非常に硬質であり、コンクリート建材の製造で有用。
さらに、二酸化ケイ素(シリカ)の純度が95%を超える石英がいわゆるケイ砂であり、こちらはガラス製造や半導体チップ製造などに用いられる。
現時点で全世界の人類が消費する砂と砂利の総量は推定で年間に約500億トン、しかもこの量は10年ごとに倍増のペース。
工業用途においてはほとんどがコンクリート建造物(含アスファルト舗道)である。
総じて、工業用途に適した砂粒は硬くかつギザついて結合力に優れたものであり、一方で永年に亘り風に吹かれて丸くなってしまった砂漠などのものは不適である。
ゆえに、多くの砂は世界中の海岸や海底や河床から剥ぎ取られ、この砂資源は確実に減少し続けている。
しかも、川底から砂が減ってしまうと、川の流水が地下帯水層にまで浸透しなくなり(すべて海に流れてしまうため)、地下帯水層が貧弱になり、よって飲料水や農業用水の不足をもたらす。
シンガポールは埋め立てによる国土拡張が最も盛んな国で、過去50年間に国土を140平方キロメートルも増やしており、その埋め立てと建造物の需要を満たすため世界最大の砂の輸入国となっている。
これに応じて周辺国の沿岸や川底の砂資源が剥ぎ取られてしまい、ゆえに現在はシンガポールへの砂輸出が禁じられようとしている。
メコン川の沿岸各国は都市開発のため、年間5000万トンほどの砂を川床から引き剥がしており、このためベトナムではメコンデルタが縮小し続けており、このままでは21世紀までにメコンデルタの領域は半減してしまうことが想定されている。
なお、日本は毎年約4000万立方メートルの砂を海底から引き揚げている。
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<コンクリート/アスファルト>
※ 諸々の砂素材や製法や物理特性などについては、『コンクリート崩壊(PHP新書)』に具体的にまとまっている。
https://timefetcher.blogspot.com/2014/04/blog-post_1671.html
アメリカでコンクリート建造物が爆発的に普及したきっかけは1906年のサンフランシスコ大地震。
このさい、多くの建造物が崩れ落ちてしてしまったが、コンクリート建造物の損壊は比較的軽微であったため。
1902年にアメリカでコンクリート建造のために消費された砂と砂利は45万2000トンであったが、ほんの7年後には5000万トンにまで増大した。
なお、パナマ運河の建造もこの時期にあたる。
1920年代のフーバー・ダムの建造、さらに1930年代のシャスタ・ダムの建造にては、現場では採掘不可能な膨大な量の砂と砂利をどのように調達するかが工学上の問題となった。
そこで、砂資源の豊富な地点でまず砂と砂利を大量に採取、そこで生成プラント化しつつ、これを特注の輸送インフラ(列車など)でダム現場まで運搬する巨大なシステムが確立した。
===============
いわゆる舗装道路には、コンクリート道路とアスファルト道路がある。
アスファルト(瀝青)はコンクリート同様に原材料は砂と砂利だが、結合剤にセメントではなくアスファルトを用いているため、総じてアスファルトと呼称されている。
コンクリートが総じて頑強である一方で、アスファルトは重量当たりでヨリ安価であり加工も容易である。
そもそもアスファルトは化学的にガソリンを精製するさいの副産物であり、このため自動車の普及と相まってアスファルト生産量も増えることになり、ひいてはアスファルト舗装道路が広く普及することになった。
かくして、現在に至るまで舗装道路にはコンクリートとアスファルトが競合しつつ用いられている。
1900年時点で、アメリカが保有する自動車はわずか8000台だったが、1912年までには100万台近くに増えていた。
1904年時点で、アメリカにおける舗装道路は総計してもわずか227キロメートルであったが、1914年には41万4070キロメートルに延びた。
1926年には自動車が約2000万台にまで増え、舗装道路の総計は83万9941キロメートルにまで延びたがまだ足りなかった。
ドイツのアウトバーン道路建造による交通量増大に触発され、アイゼンハウアー政権はアメリカにて州間高速道路(インターステイツ)の建造を推進、ちょうどこの頃、アメリカでは民間旅客機のジェット化が到来し、滑走路はじめ空港設備の巨大化工事もはじまった。
かくして、アメリカで砂や砂利の工業用途の年間消費量は約7億トンに至り、このあたりから消費量の飛躍的な増大の時代に突入する。
さまざまな業界や利害団体ともどもの紆余曲折を経て、州間高速道路がやっと完成したのは1991年のこと、総距離はせいぜい7万5440キロメートルではあったが、ともあれこの建造に投入された砂は15億トンに上った。
因みに、ニューヨーク市の幹線道路と主だった高層ビルの建造には総じて2億トン以上の砂が消費されており、これら砂の大部分はロングアイランドで採取されたもの。
現在、アメリカ全土におけるあらゆる舗装道路の総長は430万キロメートルに延びており、現在は建造ペースは落ちてきたとはいえ、毎年5万車線キロメートル以上が新たに建造されている。
それどころか、全世界では2000年~2013年に1200万車線キロメートルの舗装道路が建造されており、このペースはおさまりそうにない。
==========
<ガラス>
ほとんどのガラスは、二酸化ケイ素(シリカ)を高純度に含むケイ砂が原材料であり、これを溶かして製造する。
ケイ砂の融解には摂氏1600℃の熱量が必要だが、炭酸ナトリウムなどの融剤によってケイ砂の融点を下げつつ、ここに石灰岩や貝殻などのカルシウムを混ぜてガラスにする。
そもそも、ケイ砂を成している二酸化ケイ素(シリカ)は加熱に相反して無秩序に分子結晶構造が変わるので、ガラスに成った時点で液体のような分子構造をとっており、このため製法次第でさまざまな形状に加工出来る。
しかも、いったんガラスとして固まると他の物質とはほとんど反応しないので、食材などの保管にも極めて有用である。
はるか紀元前の古代より、人類はガラスの製法を一応は知っていた。
おそらく、純度高いケイ砂の採掘出来る土地にて、炭酸ナトリウムとカルシウムを含むソーダ灰などの天然素材にも恵まれており、試行錯誤しながらガラスの装飾物の製造に至ったのだろう。
古代ローマ人は、酸化マンガンの添加によってガラスの透明度が上がることも知っていた。
中世にはヴェネツィアなどでガラス製造が隆盛し、ステンドグラスが教会の窓の光彩を艶やかにした。
15世紀になると、ムラーノ島のバロヴィエールが無色透明なガラス(クリスタッロ)の製法に成功。
ここから光彩明瞭な窓ガラスはもとよりメガネレンズの向上もなされ、それどころか17世紀初頭には顕微鏡や望遠鏡の登場をもたらし、ガリレオやレーウェンフックにいたる。
もちろんアメリカ大陸(植民地)にもすぐに伝わった。
無色透明なガラスは産業革命以降もずっと重要な工業製品である。
アメリカでは、例えばオハイオ州トレド(など)が高純度のケイ砂の地層がありつつ、熱源としての天然ガスにも製品運送用の河川にも恵まれ、19世紀末から20世紀初頭にかけてガラス産業の大拠点となった。
ガラスの瓶の大量生産が可能になると、飲料品や食料品の保存もまた視覚的な分類も容易になり、人々の食生活は著しく安全かつ低コストになった。
1952年にイギリスで、錫とガラスを溶融させて延ばす製法が開発されたことにより、面積が大きくまた厚み均一な板ガラスの大量生産も可能になった。
板ガラスを窓に用いると外部からの断熱効果もあるため、高温多湿の地域における家屋製造を促進することになった。
それどころか、全世界の高層建築において板ガラスの大量使用が始まり、ガラス張りの高層ビルが続々と建造されることになった。
宇宙ロケットにもガラス窓が使われるようになった。
今日では、全世界で年間に91億平方メートル以上の板ガラスが生産され、その半分以上は中国におけるものである。
現在のスマホ画面をコーティングしているガラスはコーニング社によるいわゆるゴリラガラスで、さらに自在に曲げられるよう更に開発が続けられている。
日本板硝子は太陽光と酸化チタンを反応させて(自動的に)汚れを落とす板ガラスを開発中である。
1930年代にアメリカで、ガラス繊維の製法を開発、直径わずか4ミクロンながら何百メートルにも延ばせるもの、これがファイバーグラス。
強靭かつ軽量なガラス繊維の時代が到来、これがプラスチックを補強することであらゆる工業製品に大革命をもたらした。
1970年、実用的な光ファイバーが開発され、通信技術に大革命をもたらした。
==============
……以上までが、本書におけるコンクリートとガラスについての要約である。
なお本書はこののち第5章で、高純度のケイ砂からシリコン~インゴット結晶(ウエハー)を取り出し半導体チップと成すまでの製法を概説。
また第6章では、シェール層に砂をぶっつけて炭化水素(ガス)を取り出すいわゆるフラッキング技術を概説しており ─ さらに以降の章立てにては全世界における「砂資源の危機」や「それがもたらす危機」を多角的に論じている。
いずれにせよ、諸々のビジネスや政策について功罪を論じていく本書ではあり、考察テーマがところどころ交錯しつつも読み物としてはむしろカラフルともいえよう、徐々に読み進めていく上でお薦めの一冊である。
以上
1902年にアメリカでコンクリート建造のために消費された砂と砂利は45万2000トンであったが、ほんの7年後には5000万トンにまで増大した。
なお、パナマ運河の建造もこの時期にあたる。
1920年代のフーバー・ダムの建造、さらに1930年代のシャスタ・ダムの建造にては、現場では採掘不可能な膨大な量の砂と砂利をどのように調達するかが工学上の問題となった。
そこで、砂資源の豊富な地点でまず砂と砂利を大量に採取、そこで生成プラント化しつつ、これを特注の輸送インフラ(列車など)でダム現場まで運搬する巨大なシステムが確立した。
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いわゆる舗装道路には、コンクリート道路とアスファルト道路がある。
アスファルト(瀝青)はコンクリート同様に原材料は砂と砂利だが、結合剤にセメントではなくアスファルトを用いているため、総じてアスファルトと呼称されている。
コンクリートが総じて頑強である一方で、アスファルトは重量当たりでヨリ安価であり加工も容易である。
そもそもアスファルトは化学的にガソリンを精製するさいの副産物であり、このため自動車の普及と相まってアスファルト生産量も増えることになり、ひいてはアスファルト舗装道路が広く普及することになった。
かくして、現在に至るまで舗装道路にはコンクリートとアスファルトが競合しつつ用いられている。
1900年時点で、アメリカが保有する自動車はわずか8000台だったが、1912年までには100万台近くに増えていた。
1904年時点で、アメリカにおける舗装道路は総計してもわずか227キロメートルであったが、1914年には41万4070キロメートルに延びた。
1926年には自動車が約2000万台にまで増え、舗装道路の総計は83万9941キロメートルにまで延びたがまだ足りなかった。
ドイツのアウトバーン道路建造による交通量増大に触発され、アイゼンハウアー政権はアメリカにて州間高速道路(インターステイツ)の建造を推進、ちょうどこの頃、アメリカでは民間旅客機のジェット化が到来し、滑走路はじめ空港設備の巨大化工事もはじまった。
かくして、アメリカで砂や砂利の工業用途の年間消費量は約7億トンに至り、このあたりから消費量の飛躍的な増大の時代に突入する。
さまざまな業界や利害団体ともどもの紆余曲折を経て、州間高速道路がやっと完成したのは1991年のこと、総距離はせいぜい7万5440キロメートルではあったが、ともあれこの建造に投入された砂は15億トンに上った。
因みに、ニューヨーク市の幹線道路と主だった高層ビルの建造には総じて2億トン以上の砂が消費されており、これら砂の大部分はロングアイランドで採取されたもの。
現在、アメリカ全土におけるあらゆる舗装道路の総長は430万キロメートルに延びており、現在は建造ペースは落ちてきたとはいえ、毎年5万車線キロメートル以上が新たに建造されている。
それどころか、全世界では2000年~2013年に1200万車線キロメートルの舗装道路が建造されており、このペースはおさまりそうにない。
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<ガラス>
ほとんどのガラスは、二酸化ケイ素(シリカ)を高純度に含むケイ砂が原材料であり、これを溶かして製造する。
ケイ砂の融解には摂氏1600℃の熱量が必要だが、炭酸ナトリウムなどの融剤によってケイ砂の融点を下げつつ、ここに石灰岩や貝殻などのカルシウムを混ぜてガラスにする。
そもそも、ケイ砂を成している二酸化ケイ素(シリカ)は加熱に相反して無秩序に分子結晶構造が変わるので、ガラスに成った時点で液体のような分子構造をとっており、このため製法次第でさまざまな形状に加工出来る。
しかも、いったんガラスとして固まると他の物質とはほとんど反応しないので、食材などの保管にも極めて有用である。
はるか紀元前の古代より、人類はガラスの製法を一応は知っていた。
おそらく、純度高いケイ砂の採掘出来る土地にて、炭酸ナトリウムとカルシウムを含むソーダ灰などの天然素材にも恵まれており、試行錯誤しながらガラスの装飾物の製造に至ったのだろう。
古代ローマ人は、酸化マンガンの添加によってガラスの透明度が上がることも知っていた。
中世にはヴェネツィアなどでガラス製造が隆盛し、ステンドグラスが教会の窓の光彩を艶やかにした。
15世紀になると、ムラーノ島のバロヴィエールが無色透明なガラス(クリスタッロ)の製法に成功。
ここから光彩明瞭な窓ガラスはもとよりメガネレンズの向上もなされ、それどころか17世紀初頭には顕微鏡や望遠鏡の登場をもたらし、ガリレオやレーウェンフックにいたる。
もちろんアメリカ大陸(植民地)にもすぐに伝わった。
無色透明なガラスは産業革命以降もずっと重要な工業製品である。
アメリカでは、例えばオハイオ州トレド(など)が高純度のケイ砂の地層がありつつ、熱源としての天然ガスにも製品運送用の河川にも恵まれ、19世紀末から20世紀初頭にかけてガラス産業の大拠点となった。
ガラスの瓶の大量生産が可能になると、飲料品や食料品の保存もまた視覚的な分類も容易になり、人々の食生活は著しく安全かつ低コストになった。
1952年にイギリスで、錫とガラスを溶融させて延ばす製法が開発されたことにより、面積が大きくまた厚み均一な板ガラスの大量生産も可能になった。
板ガラスを窓に用いると外部からの断熱効果もあるため、高温多湿の地域における家屋製造を促進することになった。
それどころか、全世界の高層建築において板ガラスの大量使用が始まり、ガラス張りの高層ビルが続々と建造されることになった。
宇宙ロケットにもガラス窓が使われるようになった。
今日では、全世界で年間に91億平方メートル以上の板ガラスが生産され、その半分以上は中国におけるものである。
現在のスマホ画面をコーティングしているガラスはコーニング社によるいわゆるゴリラガラスで、さらに自在に曲げられるよう更に開発が続けられている。
日本板硝子は太陽光と酸化チタンを反応させて(自動的に)汚れを落とす板ガラスを開発中である。
1930年代にアメリカで、ガラス繊維の製法を開発、直径わずか4ミクロンながら何百メートルにも延ばせるもの、これがファイバーグラス。
強靭かつ軽量なガラス繊維の時代が到来、これがプラスチックを補強することであらゆる工業製品に大革命をもたらした。
1970年、実用的な光ファイバーが開発され、通信技術に大革命をもたらした。
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……以上までが、本書におけるコンクリートとガラスについての要約である。
なお本書はこののち第5章で、高純度のケイ砂からシリコン~インゴット結晶(ウエハー)を取り出し半導体チップと成すまでの製法を概説。
また第6章では、シェール層に砂をぶっつけて炭化水素(ガス)を取り出すいわゆるフラッキング技術を概説しており ─ さらに以降の章立てにては全世界における「砂資源の危機」や「それがもたらす危機」を多角的に論じている。
いずれにせよ、諸々のビジネスや政策について功罪を論じていく本書ではあり、考察テーマがところどころ交錯しつつも読み物としてはむしろカラフルともいえよう、徐々に読み進めていく上でお薦めの一冊である。
以上